岩田行雄の憲法便り・日刊憲法新聞

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2015年 03月 21日

憲法千話・憲法施行に際しての社説No.9:昭和22年5月3日『東奥日報』社説「民主憲法施行」

2015年3月21日(憲法千話)

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憲法千話・憲法施行に際しての社説No.9:昭和22年5月3日『東奥日報』社説「民主憲法施行」

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社説「民主憲法施行」
 民主的、平和的、文化的日本の再建の指標たる新憲法は昨年十一月三日の公布後六ヶ月を経過したきょう三日から施行される。明治維新発足以来八十余年にして日本は革命の奔流にさらされ、明治二十二年の明治憲法制定以来五十年にして不磨の大典は一新せしめられたのである。
 新憲法十一章百三条はポツダム宣言履行の義務に則って根本的には人権の尊重と戦争放棄の二つに要約されるであろう。
 この二つの基本課題を今後に活かしてゆくことがきょうからのわれわれの責務である。この二つの原理を正視し、理解し得る者にとってはその直感によって新憲法に合致することは極めて容易なことである。条文の一つ一つの規定に目を奪われて新憲法も従来の法律のような親しみにくいものと思うことは大きなあやまりである。要すれば右の二つの原理が更に『国民に保障する自由および権利を不断の努力によって保持する』と同時に『これを濫用』する事は禁ぜられ、『公共の福祉に利用する責任を負う』と倫理的な基準を与えられているだけに過ぎない。
 けれどもこうしたいわゆる民主主義の日本が一朝一夕に築かれることでないこともわれわれは気づいている。もとより昨年十一月三日以来六ヶ月間法令制度の制定改廃、地方自治団体長の公選、衆、参議院議員選挙などを通じてきょうの日を迎える準備にあったが、事実はどうだったろうか。空気のようにわれわれのぐるりをとりまくヤミ本位の経済実体、ゼネスト、供米問題、政治の低迷、社会生活の混乱などは決して新憲法施行の日を迎えるにふさわしいものではない。まさに新憲法はわれわれに与えられた課題でこそあれ決して民主日本の現実ではない。明治維新は明治元年ではない。人によれば明治維新の第一期を明治十年と考え、維新の終了を更に明治二十年の条約改正或は二十二年の憲法発布の前後を以てするものもある。
 昨年八月十五日の転機は明治維新以上の変革である。まして思想的にみては到底その比ではない。従ってこの新しい革ぶくろに新しい酒が盛られるまでには相当の時日をかさねなければならぬこともやむを得まい。然しながらこの間決してわれわれは労せずして時の(二文字不明)るをまつことは許されない。絶えず民主主義を実行するという努力と修練が必要である。この心構えの問題は結局個人個人の心を抑圧していたその日その日の忠孝思想或は犠牲の問題、英雄、豪傑、長者気取りの問題に関連しているのであって、民主主義は決して政治にのみそのカギを求めてはいけない。
 またいま一つ民主化の道は去る一ヶ月の選挙によって第一の門が開かれた。政治的にいえば新憲法の精神はこの新たに選ばれた人々によって素直に正しく映し出されねばならぬ。例えば日本再建の中枢に立つ首相が国会で選ばれることになったが、これが過去半世紀にわたる日本議会政治史を汚すが如き数々の議長選挙問題のように堕するならば実に由々しいことといわねばならない。われわれは民主主義の名にかくれる自由、権利の乱用による社会、経済生活を乱すものを排し、多数決にとらわれ即断と皮相的見解に陥りやすい政治的欠陥を常に救いつつ、新憲法の結実に努力し理想的国家の建設にまい進せねばならない。

(以上は、国立国会図書館所蔵マイクロ資料による)
今日の一言:「けれどもこうしたいわゆる民主主義の日本が一朝一夕に築かれることでないこともわれわれは気づいている。」
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by kenpou-dayori | 2015-03-21 06:08 | 憲法千話・憲法施行に関する社説


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