2015年 03月 29日

日本国憲法施行日の社説No.17:『上毛新聞』5月3日一面社説「新憲法実施」

2015年3月29日(憲法千話)

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*No.16までは、カテゴリの表示が「憲法千話・憲法施行に関する社説」であったが、連続番号がうまく表示されないため、No.17から、「日本国憲法施行日の社説」とした。

今回は、保守王国と呼ばれる群馬県内で発行されている『上毛新聞』を紹介する。
一面下半分を見ると、『護れ「文民の自由」 官僚の自制を要望』と題する記事や、『民主日本の誕生 祝 新憲法の施行』の大見出しを掲げた祝賀広告に、この時代の息吹を読み取ることが出来る。
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昭和22年5月3日付『上毛新聞』一面の社説「新憲法実施」
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新憲法下での、政治のありよう、国民のありように関して、明確な問題意識を表明した社説なので、文字起こしを行った。(旧字体は改め、句読点を補った)

5月3日付社説「新憲法実施」
 今日は新しく制定された日本国憲法が施行される日である。
 ワシントン二十七日発UPによると極東委員会は、日本憲法に対し、一年乃至二年以内に新憲法が日本国民の自由な意思の表現であるかどうかをたしかめるための国民投票を求めるかも知れないといって、新憲法にあらためられなければいけない点があるかどうかをきめるものは、恐らくその条文の不備には見出されず、新憲法がどの程度その条文に忠実に施行されるかかの手続き及び運行上の細則に見出された□□□気がする。
 おおざっぱにいって新憲法は普遍性のある原理を敷衍(?)することに注意が払われている。世界の何処でも通用する原則を支持するという建前、あらゆる不合理性を極力規定の中から排除したということは、天地の大道を行こうとする新しい日本の立場を明かにするものであって、この点依存をさしはさむ余地はないようである。
 しかし、この憲法の立派な民主的な、国民を主斑とする条文が文字通り行われるどうかは、このを行使する政府とこれを自分の心構えいかんにあって、政府役人をも含めて国民全般の宿題であり、今後検討しなければならないことは、その条文を生かすための方法、措置、指導に不備な点があったり曖昧な点があったり、欠けた点があったり、居らないかどうかである。折角の条文も実は注がなかったり、(一行判読不能)するに不都合な点があったりしては何にもならないからである。
 ソ連の憲法の規定するところによると、労働者及び農民の社会主義国家である、その全権力は勤労代議員ソヴェートによって代表される都市及び農村の勤労者に属すると書いてある。しかし事実はその国家を指導する人達二三に大きな権力があるようであって、第十条「人民の基本的権利及び義務」の極めて民主的な条文にもかかわらす、我等の知る範囲では、その条文の示す言論、出版、集会及び街頭行進示威の自由が文字通り許されているという話をきかない。換言すると労働者及び農民の社会主義国家であるという言葉に□り(誤り)はないにしろ、その国家を形造るための力が大きくなって、それを(一行分判読不能)がぼかされていると考えてよいであろう。
 日本国憲法は、その第三章第十一条以下に於いて国民が個人として個人として尊重されることを明かにしている。主権が国民に存することは前文の強調しているところである。ところが実際に於いて個々の国民が平等に尊重される、ということは理想であって大抵の場合、大きな力の前に泣き寝入りさせられる。国民主権といってもそれは国民個々が権力の実権を握っているというのではなくて、国民にその力があるというだけの規定であり、国民同志一体として結びつき、組織の中に入らなければ本当の力を持たないのである。国民が個人として□□(尊重?)されるという見方も、それを保証する筈の法律も、(一行分判読不能)にするために結びつく方法や方向が不完全であるとしたら、これ等折角の条文も効力発生しない訳であろう。
 法規は、それを行使する人によって良くも悪くも正しくも邪にもなり得る。憲法の条文が正しいということは、その国が住みよく明るいという証拠にならない場合は多々あるのであって、その正しい条文が正しさを□□するための導き方に手ぬかりがあっては何にもならない。このことは国民についても同様にいえることであって、折角与えられた権利を他人事にきいて、これを理解することなく、その権利を正しく用いることにおろそかであっては、何にも与えられないと同じであるばかりで(一行分判読不能)放棄し、行使する人を思い上がらせ、延いては社会全体の進歩的な歩みを邪魔する結果になろう。
 本日の憲法施行日を記念して様様な祭りや式典が各地方に繰り展げられるだろう、まことに祝ってよいことであり、日本が世界の文化国家の伍してまさるとも劣らない申合せをしたという点で誇るべきだが、この祝はお祭り気分だけで終らせてよいことでなく、お互いが正しくその内容及び意義を知って、現実に身につけ、お互いの力によってその実を推進させるための努力と勉強とを怠ってはならない。このことは政府の□□及び□□方法に於いて□にしかりであるということに気付きたい。

(典拠は、群馬県立図書館所蔵マイクロ資料より)
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by kenpou-dayori | 2015-03-29 06:03 | 日本国憲法施行日の社説


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