2015年 04月 21日

憲法便り#750:ドキュメント・朝日新聞上丸洋一編集委員への憲法研究協力とその中止について(第三回)

2015年4月21日

憲法便り#750:ドキュメント・朝日新聞上丸洋一編集委員への憲法研究協力とその中止について(第三回)

『国立国会図書館でのガイダンス』

2014年7月30日午後二時、国立国会図書館で上丸洋一氏と待ち合わせをして、憲法講演会以来1ヶ月ぶりでお会いした。

一ヶ月を経ているので、講演の内容または、私の二冊の著作、『検証・憲法第九条の誕生』、および『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』についての質問があるのかと思っていた。
だが、そのことでは、とくに質問がなさそうだし、時間も限られているので、先に、大学の新入生へのガイダンスのように、国立国会図書館の中を案内することとした。

勿論、一般的な案内ではなく、憲法に関する調査をするために「最低限必要なこと」というよりは、「これだけ知っていれば、ほとんどのことは調べがつく」、という極めて実践的なガイダンスである。

「”戦後70年”ということで、何かを書きたいが、まだ具体的には決まっている訳ではない」と聞いているから、以下に述べるように、「手とり足取り」というか、「かゆいところに手が届く」といった「案内」をした。

もしも、『新聞と9条』という本を書く事が決まっていて、それを聞かされていたのであれば、私が執筆準備中の論文とかなり重なってくるわけだから、私は「お手並み拝見」とばかりに、簡単に質問を受けて、さっさと自分の研究に戻る。

それに、私は、やけに広告ばかりが増えて、読んでいてもあまり面白くない『朝日新聞』の購読を10年前にやめており、別に義理はない。
『東京新聞』と、『しんぶん赤旗』で、ほぼ間にあっているからだ。

会うことにしたのは、日曜日の講演会に参加して下さった熱心さに、義理堅く、応えておこうと思ったからである。
これは、「寅さん」でお馴染みの、葛飾(かつしか)という下町で育った、私の行動パターンなのだ。

勿論、私は、何に協力しても、一切見返りを求めない。
ちなみに、出版労連の組合員の時代、「太洋社の斉藤君を守る会」(会員2,000人)の事務局長、地域のツッパリ対策、地域の3,000万円のサラ金返済問題、「国労を勝たせる会」(会員1,000人)会長、その他に、仕事の傍ら取り組んでいる。二つの争議支援は、ゼロからの組織作りであった。
一見、関係ないこれらのことは、「困っている人を助ける」ということで、私の中では一貫しているのである。

話を本論に戻そう。

過去10年半にわたって、いわば、国立国会図書館に日参してきたので、いろいろな思い出も重なってくる。

案内は、新館を中心とした。

【新館4階 新聞資料室】
ここには全国紙、地方紙、業界紙、政党紙、スポーツ紙等、約9,570タイトルに上る日本語の新聞と、主な外国語の新聞1,170タイトルを所蔵している。それらは原紙、縮刷版・復刻版、マイクロフィルム、マイクロフィッシュ等、様々な形態で保存されている。

まず私は、当室の資料案内カウンターで「新聞資料室公開展示資料」の一覧表を貰った。
これは、通常は作業台に閲覧用として置かれてはいるが、配布はしていない。
一覧表は、主要な新聞103紙の紙名、マイクロフィルム、縮刷版、電子資料の有無、請求記号が詳しく書かれており、A4サイズ4頁にまとめられ、A3サイズ裏表に印刷されている。
これを上丸氏に渡し、説明を始めた。

私が集中的に調査した2011年時点では、日本国憲法成立過程を調べても、次の諸紙の必要な期間は欠落していた。
河北新報、茨城新聞、上毛新聞、埼玉新聞、
千葉新聞、山梨日日新聞、山梨時事新聞、北日本新聞(富山)、
富山新聞、福井新聞、静岡新聞、日本海新聞(鳥取)/山陰日日新聞、
中国新聞(広島)、徳島新聞、徳島民報、香川日日新聞/四国新聞。

実は、2011年の3・11の当日、私は、この「国立国会図書館新館4階の新聞資料室」で、『新岩手日報』の昭和21年2月1日の一面を、マイクロフィルムで読み始めた時に、大きな、長い揺れを感じた。
すぐに頭に思い浮かんだのは、半年前のクライスト・チャーチでの地震の被害であった。そして、我が身にも同じことが起こるかも知れないと、覚悟した。

上記の欠落している地方紙の中で、『河北新報』だけは、2011年の3・11以前に、すでに仙台の宮城県図書館に2回足を運んで、その調査は一応終えていた。
だが、それ以外の調査は、これから取り掛かるつもりであった。

したがって、『河北新報』以外の調査を開始したのは、3・11の直後からで、私は、そのために水戸、前橋、浦和、本千葉、甲府、富山、福井、静岡、鳥取、徳島、高松、広島に足を運んでいる。まだ、日本全国が大きな余震に見舞われていた時期である。
そのような時期に調査を急いだのは、余震あるいは事故などで、私が死ぬようなことがあっては、同じような研究は出てこないし、この研究が無駄になってしまうと強く思ったからである。
実際、私が調査に出かけた時も大きな余震が毎日続いており、埼玉県立浦和図書館で調査中には震度4を経験し、徳島を訪れた二日後には、徳島で震度5、水戸の茨城県立図書館に行く前日には震度5等々、研究も文字通り命懸けであった。

私は、自費で全国の図書館を調査した終ったあとで、今後研究に取り掛かる人たちが同じ苦労をしないでも済むように、新聞資料室の責任者に欠号部分の補充を要望した。

その結果、河北新報、富山新聞、山梨日日新聞、静岡新聞、
中国新聞(広島)、徳島新聞、徳島民報、香川日日新聞/四国新聞
が補充されたこと、したがって、現在はかなり改善されたこと、同室で複写依頼が出来ることその他を彼に説明した。

【新館3階 議会官庁資料室】

2004年1月初め、年末年始の休館明けを待って、私は、憲政資料室を訪ねた。
合同出版の上野良治社長から、『全国お郷(くに)ことば・憲法9条』に収録する第九条のロシア語訳を依頼され、制定過程を調べようと思ったからである。ロシアの書籍文化史研究で国立国会図書館を利用したことはあるが、憲法に関する調査は初めてのことで、全くの初心者として、憲法に関する調査の助言を求めた。
その時、憲政資料室で対応して下さった方からは、まず、議会官庁資料室で議事録を読むことを勧めらた。
その日から、私は、約一ヶ月間、議会官庁資料室に通い続けた。
だから、この資料室は、いわば、私の憲法研究の原点、出発点である。
そのようなことを話しながら、下記のことを説明した。

この資料室には、衆議院、貴族院、参議院、枢密院の会議録や速記録その他、多数の資料が、開架式の棚に揃えられている。
その中でも、日本国憲法制定過程について調べるためには、下記の5点は、不可欠の原資料である。
したがって、その場所に案内をした。
私が自費出版した最初の著作、『検証・第九条の誕生』は、これらの資料を丹念に調べ、第九条に関する質疑、討論をまとめたものである。。

①『帝国議会衆議院議事速記録82 第九十回議会 ・上』(東大出版会、一九八五年)
②『帝国議会衆議院議事速記録83 第九十回議会 ・下』(東大出版会、一九八五年)
③『帝国議会衆議院委員会議録昭和篇161 第九十回議会 昭和二一年』(東大出版会、二〇〇〇年)
④『帝国議会衆議院委員会議録昭和篇162 第九十回議会 昭和二一年』(東大出版会、二〇〇〇年)
⑤衆議院事務局編『第九十回帝国議会衆議院 帝国憲法改正案委員小委員会速記録』(大蔵省印刷局、一九九五年)
⑥同「附録」(一九九五年九月)

⑤、⑥は秘密議事録であったが、一九九五年に公開され、その時点から国立国会図書館で閲覧、即日コピーも可能である。
古関彰一著『日本国憲法の誕生』(岩波現代文庫、二〇〇九年)五頁で、著者は文献⑤について、「現代史料出版」が二〇〇五年に刊行した復刻版により、「今回はやっとのことで閲覧することが出来た」と述べているが、著者本人が調査不足により不便だったことはともかく、これは史料収集に関して読者に誤解を与える記述である。

【新館2階 雑誌資料室】

ここはとくに説明することはないので、パスして、1階の電子資料室へ。

【新館1階 電子資料室】

最近は、館内のパソコンが増えたので、デジタル化された資料の複写依頼が、電子資料室以外でも出来るようになったが、以前は、デジタル化されていない文献は貸出不可、或いはコピー禁止で、筆写するしかなかったことを話した。

ガイダンスのハイライトは、館内のパソコンの端末を使って、国立国会図書館のホームページの中の「電子展示会」の調査方法を説明したこと。
このホームページは、これまで一般の利用者が閲覧することの出来なかった原資料を、
(標準画像を開く)(拡大画像を開く)(テキストの表示)で、自由に見ることが出来る。

国立国会図書館のホームページ・電子展示会『日本国憲法の誕生 資料と解説』は、以下の5章からなっている。
地方の人々も、自宅に居ながら、原資料の確認が出来る素晴らしい資料集なのだ。

『日本国憲法の誕生』
(*平成15年5月提供開始、平成16年5月リニューアル)

[資料と解説」

第1章 戦争終結と憲法改正の始動

1-1 カイロ宣言 1943年12月1日
1-2 グルーのシカゴ演説 1943年12月29日
1-3 国務省における対日政策の形成
1-4 トルーマンの日本国民に対する声明 1945年5月8日
1-5 米国の「初期対日方針」
1-6 ポツダム宣言受諾に関する交渉記録
1-7 終戦の詔書 1945年8月14日
1-8 トルーマン「日本の敗北後における本土占領軍の国家的構成」(SWNCC決定)を承認 1945年8月18日
1-9 「極東諮問委員会付託条項」(SWNCC 65/7)
1-10 降伏文書調印に関する詔書 1945年9月2日
1-11 連合国最高司令官の権限に関するマッカーサーへの通達 1945年9月6日
1-12 SWNCC極東小委員会「日本の統治体制の改革」 1945年10月8日
1-13 統合参謀本部「日本占領及び管理のための連合国最高司令官に対する降伏後における初期基本的指令」(JCS1380/15=SWNCC52/7) 1945年11月1日
1-14 法制局内の憲法改正問題に関する検討
1-15 宮沢俊義「ポツダム宣言ニ基ク憲法、同付属法令改正要点」(外務省における講演) 1945年9月28日
1-16 矢部貞治「憲法改正法案(中間報告)」 1945年10月3日
1-17 外務省内の憲法改正問題に関する検討
1-18 近衛国務相・マッカーサー元帥会談録 1945年10月4日
1-19 近衛をめぐるアチソン政治顧問の動き
1-20 幣原首相・マッカーサー会談 1945年10月11日
1-21 吉田外相、牧野伸顕宛書簡(政府と内大臣府の作業との関連について) 1945年10月13日
1-22 憲法問題調査委員会設置ノ趣旨 1945年10月27日
1-23 美濃部意見書 1945年11月8日

第2章 近衛、政府の調査と民間案

2-1 近衛文麿の憲法改正要綱
2-2 佐々木惣一「帝国憲法改正ノ必要」 1945年11月24日
2-3 憲法問題調査委員会における議論と各委員による改正試案の起草
2-4 松本国務相「憲法改正四原則」 1945年12月8日
2-5 内閣情報局世論調査課「憲法改正に関する世論調査報告」 1945年12月19日
2-6 野村淳治「憲法改正に関する意見書」 1945年12月26日
2-7 宮沢甲案・乙案 1946年1月4日
2-8 松本国務相「憲法改正私案」
2-9 憲法改正調査会・審議会官制案 1946年1月18日~19日
2-10 松本委員会「憲法改正要綱」と「憲法改正案」
2-11 憲法問題調査委員会議事録 1945年10月~1946年2月
2-12 各政党の憲法改正諸案
2-13 高野岩三郎の憲法改正案
2-14 清瀬一郎「憲法改正条項私見」 1945年12月22日
2-15 布施辰治「憲法改正私案」 1945年12月22日
2-16 憲法研究会「憲法草案要綱」 1945年12月26日
2-17 稲田正次と憲法懇談会の憲法改正案
2-18 大日本弁護士会連合会「憲法改正案」 1946年1月21日
2-19 里見岸雄「大日本帝国憲法改正私擬」 1946年1月28日
2-20 東大憲法研究委員会報告書

第3章 GHQ草案と日本政府の対応

3-1 天皇「人間宣言」
3-2 「日本の統治体制の改革」(SWNCC228) 1946年1月7日
3-3 マッカーサー、アイゼンハワー陸軍参謀総長宛書簡(天皇の戦犯除外に関して) 1946年1月25日
3-4 極東委員会の設置とGHQとの会談
3-5 ラウエル「日本の憲法についての準備的研究と提案のレポート」 1945年12月6日
3-6 ラウエル「私的グループによる憲法改正草案(憲法研究会案)に対する所見」 1946年1月11日
3-7 憲法改正権限に関するホイットニー・メモ 1946年2月1日
3-8 毎日新聞記事「憲法問題調査委員会試案」 1946年2月1日
3-9 毎日新聞記事「憲法問題調査委員会試案」に関するホイットニー・メモ 1946年2月2日
3-10 マッカーサー3原則(「マッカーサーノート」) 1946年2月3日
3-11 日本政府の改正案に関するホイットニー・メモ 1946年2月6日
3-12 GHQに提出した「憲法改正要綱」
3-13 「憲法改正要綱」(「松本案」)に対するケーディスの所見 1946年2月12日
3-14 GHQ原案
3-15 GHQ草案 1946年2月13日
3-16 GHQ草案手交時の記録
3-17 「ジープ・ウェイ・レター」往復書簡
3-18 松本国務相「憲法改正案説明補充」 1946年2月18日
3-19 松本・ホイットニー会談 1946年2月22日
3-20 日本国憲法「3月2日案」の起草と提出
3-21 GHQとの交渉と「3月5日案」の作成
3-22 「憲法改正草案要綱」の発表
3-23 「憲法改正草案要綱」に対する国務省の反応
3-24 枢密院における幣原首相の憲法草案説明要旨 1946年3月20日
3-25 口語化憲法草案の発表
3-26 新憲法草案修正に関するGHQとの交渉
3-27 外務省「憲法草案要綱ニ関スル内外ノ反響」
3-28 極東委員会の関与

第4章 帝国議会における審議

4-1 枢密院委員会記録 1946年4月~5月
4-2 政府、「枢密院再諮詢修正点」発表 1946年6月8日
4-3 「帝国憲法改正案」(帝国議会に提出) 1946年6月20日
4-4 「憲法改正草案に関する想定問答・同逐条説明」 1946年4月~6月
4-5 新憲法草案審議についてのマッカーサー声明 1946年6月21日
4-6 極東委員会「日本の新憲法についての基本原則」
4-7 コールグローヴ、トルーマン宛書簡 1946年7月29日
4-8 「金森6原則」
4-9 「衆議院小委員会修正3」 1946年7月27日~29日
4-10 衆議院修正可決「帝国憲法改正案」
4-11 極東委員会と文民条項
4-12 貴族院帝国憲法改正案特別委員会、「帝国憲法改正案」修正可決 1946年10月3日
4-13 第90議会議決後に於ける帝国憲法改正案枢密院審査委員会記録 1946年10月19日
4-14 日本国憲法 1946年11月3日
4-15 日本国憲法成立をめぐって
4-16 新憲法の公布日をめぐる議論
4-17 貴族院議場で「日本国憲法公布記念式典」挙行 1946年11月3日

第5章 憲法の施行

5-1 総選挙の実施に関する吉田・マッカーサー書簡
5-2 新憲法施行に際しての吉田・マッカーサー書簡
5-3 憲法普及会「新憲法施行記念祝賀会プログラム」 1947年5月3日
5-4 第1回国会開会式 1947年6月23日
5-5 新憲法の再検討をめぐる極東委員会の動き
5-6 憲法普及会の活動
5-7 千葉県教育会「新憲法の解説」
5-8 ハッシー、GS局長宛文書(憲法普及事業について)
5-9 児童・青少年向けの新憲法解説資料
5-10 「日本国憲法解説並付図」
5-11 臨時法制調査会
5-12 GSメモ・憲法施行に際しての法令整備について
5-13 大逆罪・不敬罪の廃止
5-14 国会法の成立

【本館3階の喫茶室で】

堀内寛雄氏との約束は、3時半なので、待ち時間を本換3階の喫茶室で過ごした。
質問をする場合は、メモを用意する。相手が予め質問事項を連絡してきた場合はメモが残るが、
質問を受ける時は、宿題としてもって帰らなければならない場合を除いては、メモを残さない。
この時は、喫茶室で話したことのメモは、残していない。

だが、この時、予め【憲政資料室】のことについて、私の著作『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』の「主な参考資料と文献」のうち、以下のものは、憲政資料室所蔵であることを、上丸氏に説明した。①は、先ほど、詳しく述べている。

①国立国会図書館のホームページ・電子展示会『日本国憲法の誕生 資料と解説』
第一章 戦争終結と憲法改正の始動一―二十三、
第二章 近衛、政府の調査と民間案一―二〇、
第三章 GHQ草案と日本政府の対応一―二八、
第四章 帝国議会における審議一―一七、
第五章 憲法の施行一―一四
②入江俊郎関係文書(国立国会図書館憲政資料室所蔵 マイクロフィルム版)
③佐藤達夫関係文書(国立国会図書館憲政資料室所蔵 マイクロフィルム版)
④外務省外交記録(国立国会図書館憲政資料室所蔵 マイクロフィルム版)
⑤『日本国憲法に関する談話録音 速記録(談話者金森徳次郎)(一九五七)
⑥『同(談話者 佐藤達夫)』(一九五五)
⑦『同(談話者 岩倉則夫)』(一九五五)
⑧『日本国憲法に関する談話録音1 楢橋 渡談話』(一九五四) 
⑨『同2 佐々木惣一談話』(一九五四) 
⑩『同6 岩倉則夫・藤崎萬里談話要旨』(一九五五)
⑭憲法調査会報告書(一九六四)及び総会議事録
⑮憲法調査会・憲法制定の経過に関する小委員会報告書(一九六四)及び議事録


【憲政資料室(東京本館三階)にて】

堀内氏については、(第二回)でふれた通り、国立国会図書館に採用されてから、明治の元勲大久保利通の孫、大久保利謙氏と2年間、同じ部署で仕事をするという稀有な機会を持った人である。

それだけではない。現在、国立国会図書館での資料探しは、ほとんどコンピュータ検索だが、それだけでは、辿り着けない資料もある。私と堀内氏との出会いは、難しい資料探しが縁である。

憲政資料室で、難しい質問をすると、若い館員が、「判る人を呼んできます」と言って連れて来るのが、堀内氏で、その度に「また、あなたですか」という感じの笑顔を見せたあと、いろいろと調べて下さった。
蜷川新が、昭和二十年十月十四日付けで、吉田茂外務大臣に宛てて書いた、極めて癖の強い手紙、『憲法の改正問題とデモクラシー』の判読を助けて下さったのも、堀内氏である。
そのようなことから、私は、堀内氏を「師」と仰いでいる。

彼は、テレビ局などのマスコミ、テレビ向けのドクメンタリー作品の作者からの取材申し入れに対して、公共図書館の役割を担って、等しく対応してきている。だから、テレビの画面にも、資料の説明者として、登場もしている。
また、書庫の見学の申し込みがあった場合、その案内役も努めてきている。

その堀内氏は、いま利用者サービス部の司書監という管理職で、部長、次長につぐ要職にあり、とても多忙である。
その堀江氏にお願いして、3時半から4時までの30分間、時間を割いていただいているので、時間を無駄には出来ない。

上丸氏は、かつて、憲政資料室を何回か訪れたことはあるが、憲法に何する本格的な調査で訪れたことはないと言っていた。

憲政資料室の事務所に通されて、上丸氏と堀内寛雄氏が名刺を交換したあと、
「彼は、戦後70年といことで何かを書きたいと思っているが、まだ具体的には決まっていないことなので、憲法について、調査が必要になった場合には、よろしくお願いします」と挨拶をした。

堀内氏は、上丸氏のために、憲政資料室が作成したいくつかの資料を用意して下さっていた。
上丸氏は、緊張のためか、次の予定を気にしているのか、あまり話をしなかった。
そこで、仕方なく、私が堀内氏に話しかけ、堀内氏がそれに答えることが、ほとんどであった。
堀内氏に贈呈した、私の著作、『外務省と憲法第九条』をだしていただいて、上丸氏にお見せしたが、
彼は、「ここまではいらない」と言った。
この日、上丸氏は、『新聞と9条』の企画を準備していることなど、一言も触れなかった。

憲政資料室を辞して、上丸氏と別れる際に、「もう一度会ってほしい」とのこと。

次回の日程は、上丸氏の要望にそって、8月6日と決めた。
場所は、高田馬場駅から徒歩で、2,3分のところにある、新宿区立戸塚地域センター。
談話の場所は明るく、使用料は無料で、おまけにコピー機も設置されているから、便利なのである。

【憲政資料室について】
ここまで、憲政資料室そのものの説明を抜きに話を進めて来たが、少し詳しく説明しておきたい。

私が、憲政資料室を話題にすると、首相官邸へのだ脱原発抗議行動や、国会包囲アクションに参加したことのある人からは、「知ってます、国会議事堂の前にありますね」との答えが帰ってくることがあるが、あれは「憲政記念館」。誤解を解くために、衆議院のホームページにある、
「憲政記念館について」の説明文を紹介しておこう。

「憲政記念館は、1970年(昭和45)にわが国が議会開設80年を迎えたのを記念して、議会制民主主義についての一般の認識を深めることを目的として設立され、1972年(昭和47)3月に開館しました。
当館のある高台は、江戸時代の初めには加藤清正が屋敷を建て、その後彦根藩の上屋敷となり、幕末には藩主であり、時の大老でもあった井伊直弼が居住し、のちに明治時代になってからは参謀本部・陸軍省がおかれました。
1952年(昭和27)にこの土地は衆議院の所管となり、1960年(昭和35)には、憲政の功労者である尾崎行雄を記念して、尾崎記念会館が建設されました。その後これを吸収して現在の憲政記念館が完成しました。
当館では、国会の組織や運営などを資料や映像によってわかりやすく紹介するとともに、憲政の歴史や憲政功労者に関係のある資料を収集して常時展示するほか、特別展などを催しています。」

では、本題の「憲政資料室」について。
国立国会図書館のホームページを開いて、「リサーチ・ナビ」で検索すると、画像も含めて出ているので、興味のある方には、その利用をおすすめしたい。

以前、堀内氏からいただいた、『憲政資料室要覧』もあり、その説明文が気にいっているが、ここでは「リサーチ・ナビ」にある説明文を、そのまま引用する形で紹介する。

「憲政資料室」の沿革
「大日本帝国憲法制定50年を記念して昭和12(1937)年に「憲政史編纂会」が、昭和13(1938)年に「貴族院五十年史編纂掛」が設置されました。戦後間もない昭和24(1949)年に、中断された資料収集事業を引き継ぐとともに、資料の散逸を防ぐことを意図して、憲政資料蒐集係が国立国会図書館国会分館内に設置されました。        
その後、昭和61(1986)年、機構改革により、現代政治史資料室(日本占領関係資料を所管)と合併して、現在の憲政資料室が誕生しました。さらに、平成14(2002)年には、特別資料室の閉室に伴って、「日系移民関係資料」が移管されました。」(リサーチ・ナビより)

憲政資料室の資料は、以下の三つに大別される。

◆憲政資料:幕末期から現代に至るまでの政治家、官僚、軍人等が所蔵していた文書類です。収集の淵源は、大日本帝国憲法制定50年を記念しての、「憲政史編纂会」「貴族院五十年史編纂掛」の設置にさかのぼります。(リサーチ・ナビより)

◆日本占領関係資料:海外の諸機関等が所蔵している連合国(主として米国)による日本占領関係の公文書を中心としたコレクションです。昭和52(1977)年、国会において連合国最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)等の占領期の公文書を収集する必要性が議論されたことを契機として、昭和53(1978)年度から収集を開始しました。(リサーチ・ナビより)

どのような資料があるか、以下、『憲政資料室要覧』に基づき、主な資料名、説明文の一つを紹介する。
とくに、①について、説明文を引用しておく。
「当室における日本占領関係資料の中核をなす資料群であり、民政局、経済科学局等の各部局ごとの資料等から構成されています。文書の内容は、当該期の政治・経済・社会・文化等にわたり、マイクロフィッシュ約32万枚におよぶ膨大な資料群です。」

①『連合国最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)』(米国国立公文書館所蔵)
②『米国戦略爆撃調査団(USSBS)』(米国国立公文書館所蔵)
③『琉球列島米国民政府(USCAP)(米国国立公文書館所蔵)
④『マッカーサー資料』(マッカーサー記念館所蔵)
⑤『プランゲ文庫(雑誌、新聞及び通信)』(メリーランド大学所蔵)

◆日系移民関係資料:中南米、北米、ハワイ等において、個人からの寄贈や購入等により収集した日本人移民関係の資料です。 散逸のおそれがある明治以来の日系移民の資料を収集し、海外における日本人の活動記録を後世に伝え、この分野の研究に資することを目的に、昭和59(1984)年度から収集を開始しました。(リサーチナビより)

以上で、長い説明を終わる。

(第四回)「8月6日のこと」に続く。
*(第二回)は、『憲法便り#734 (4月14日)』 
*(第一回)は、『憲法便り#730 (4月14日)』
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by kenpou-dayori | 2015-04-21 20:10 | 朝日新聞ドキュメント


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