2015年 04月 22日

憲法便り#751:ドキュメント・朝日新聞上丸洋一編集委員への憲法研究協力とその中止について(第四回)

2015年4月22日

憲法便り#751:ドキュメント・朝日新聞上丸洋一編集委員への憲法研究協力とその中止について(第四回)

(第三回)が、ブログの文字制限にかかり、国立国会図書館での上丸氏へのガイダンスのまとめを書き込むことが出来なかったので、ひと言ふれておきます。

上丸氏が次の予定に向かうためにお急ぎだったので、ガイダンスについての感想はこの日は聞いていない。
ただ一つ言えることは、当日、様々な説明と案内をしたが、彼にとっては、「今まで知らないことばかりであった」、ということである。

話を先に進めよう。

【8月6日のこと】

8月6日に上丸氏と会う約束をしていた。
だが、朝日新聞が、前日の8月5日、および当日の8月6日の朝刊に、吉田論文に関する紙面検証を掲載したことから、大きな、それも批判的な論議が巻き起こっていた。

私は、上丸氏から予定中止と申し入れはなかったので、予定通りお会いすることにした。

先にこの問題を、簡単に整理しておきたい。

慰安婦問題に関する「朝日新聞社第三者委員会」の2014年12月22日付『報告書』全文は、110頁に及ぶが、その中から、「事実経過の概略」と、「2014年検証全体に対する評価」を引用しておきたい。

「2 事実経過の概略
(1)吉田証言について(省略)
(2)朝日新聞が掲載した吉田証言記事以外の主な記事(省略)
(3)検証紙面
朝日新聞は、2014年8月5日及び同月6日の各朝刊紙面において、次の検証紙
面を掲載した(2014年検証)。
ア 2014年8月5日
a 「慰安婦問題の本質 直視を」(論文)
b 「慰安婦問題 どう伝えたか/読者の疑問に答えます/強制連行/『済州島で
連行』証言/軍関与示す資料/挺身隊との混同/元慰安婦 初の証言」
イ 2014年8月6日
a 「日韓関係なぜこじれたか/河野談話 韓国政府も内容評価/アジア女性基金
に市民団体反発/韓国憲法裁決定で再び懸案に」
b 「慰安婦問題特集 3氏に聞く」
(4)池上コラム問題
朝日新聞は、毎月1回、池上氏執筆による「新聞ななめ読み」と題するコラム(以
下「池上コラム」という。)を掲載していた。
2014年8月掲載予定の池上コラムの内容は、朝日新聞の2014年検証に関す
るものであった。
朝日新聞は、2014年8月28日組み込み、同月29日掲載予定の池上コラムの
原稿の内容を確認したうえで、池上氏に内容の修正を求めた。
池上氏が修正に応じなかったところ、朝日新聞は、上記掲載予定日に池上コラムを
掲載しなかった。
(5)慰安婦問題に関する動き(省略)(以上、3頁より)

「8 2014年8月の検証記事について
(8)2014年検証全体に対する評価
長年にわたり論争の対象となってきた争点について、遅きに失したとはいえ改めて
紙面で一から説き起こして検証しようとしたことは一つの決断に基づくものである。
しかし、吉田証言の取消しなど、過去の記事の誤りを認め謝罪することによって読
者の信頼を失い支持を得られなくなることをおそれ、謝罪をしなかったのは、反対世
論や朝日新聞に対する他紙の論調を意識する余り、これのみを相手とし、報道機関と
しての役割や一般読者に向かい合うという視点を欠いたもので、新聞のとるべきもの
ではない。
また、「読者の疑問に答える」として掲げられた事項に対する回答も、個別の事実認
定について誤りがあるとは言えないものの、慰安婦に対する賠償問題に関して朝日新
聞がどのような立場で臨みその中で朝日新聞自身の主張方針に合致するよう記事の方
向付けを行ってきたのではないかとの指摘に対しては、明確に答えていない。
特に、吉田証言については、関連記事を全て取り消すという重大な決断をしたので
あるから、取消し時期が初報から約32年を経た2014年となった理由を検証する
とともに、そのことに対する朝日新聞の見解を示すことが読者に対する誠実な態度で
あった。
総じて、この検証記事は、朝日新聞の自己弁護の姿勢が目立ち、謙虚な反省の態度
も示されず、何を言わんとするのか分かりにくいものとなったというべきである。」(以上、43頁より)

午後2時に、大量の資料を入れた機内持ち込み用のスーツケースを持って待ち合わせた「戸塚地域センター」に到着すると、私はすぐに上丸氏に質問した。
「大変なことになっていますが、予定通りで大丈夫ですか?」

上丸氏の答えは、次のような、意外なものだった。
「私は担当者ではありませんから、関係ありません。あれは、担当者がやる問題です。」

上述のような大問題に発展することを予想していなかった上丸氏は、まるで部外者のようで、緊張感がなかった。
私は、「朝日新聞社の組織はどうなっているのか」、「朝日新聞社の編集委員とは、どのような役割を担っているのか」、訝(いぶか)しく思った。

だが、本人がそう言うのだから、仕方がない。
私は、4人掛けの丸いテーブルの上に、著作と資料を取り出した。
そして、今回も具体的な質問は用意されていなかったので、
私の講演の特徴と著作に利用した資料について、話をはじめた。

「現在、各地の九条の会などで、いろいろな方が講演を行っているが、参加して聞いてみると、
大別して、情勢論、運動論、経験論(談)、意義論、平和論で、それぞれのご専門と結びつけてのお話である。
だが私の場合は、お聞きになって判るように、徹底して、制定過程の事実を掘り起こして、平和憲法の誕生に確信を持っていただけるような話をしている。」

こう話すと、上丸氏は相槌(あいづち)を打って、言った。
「これまでに他の人の講演もいくつか聞いていますが、岩田さんのような講演は、初めてです」

さらに私は、「今回の著作『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』では、日本全国の地方紙をくまなく調べて書いたものであること、全国をカバーしたものは、他にないこと」を話した。

また、有名な著作でも、ほとんど『朝日新聞』だけに依拠しているため、判断を誤っている例があることや、新聞が果たした役割を否定的にしか捉えていない、具体的な書名を挙げて批判した。

そして、新聞記者が書く文章は、様々な著作の引用の寄せ集めの場合があるので、日本国憲法の制定史を書く場合には、原資料に基づくことが、大切であることも指摘した。

この指摘に対して、上丸氏は、「おっしゃる通りです」と応えた。

そして、現在私が執筆途上にある、『日本国憲法成立史の実証的再検討』のついてふれ、
「目次(メモとしての目次)」31頁と、「はじめに」29頁を取り出して見せると、
上丸氏は、感に耐えたように、「これは、すごいですね」と、驚きの声を上げた。

そのあと、上丸氏は、テーブルの上に広げているファイルに入った資料をコピーさせてもらえないかと、切り出した。
これは、もう、質問などというものではない。
予期せぬことで、虚を突かれた感じであった。

私は、一瞬、間をおいてから、
「いいでしょう」と答えた。

上丸氏がコピーを取り続けること2時間半余。
私は、その間、たまに彼と言葉を交わしながら、テーブルで待っていた。

一通りコピーを取り終えると、上丸氏は言った。
「こう言っては何ですが、鉱脈を掘り当てた気分です」

私は応えて言った。
「それに、こんなに便利な男はいないと思っているでしょう」

上丸氏は、率直にこれを認め、
「はい、そうです。」と答えた。

それに続けて、上丸氏は言った。
「憲法公布日の社説と、憲法施行日の社説のファイルもあるのでしょうか?」

私は、
「勿論、あります。」と、答えた。

すると、上丸氏が「おねだり」をするような表情で言った。
「それもコピーを取らせていただけませんか?」

講演の内容や、著書に関する質問ではなく、十年がかりの研究で収集して来た資料を、全く苦労をせずに手に入れようとする、その安直な姿勢に、私は正直なところ、「朝日新聞編集委員とは、この程度のものなのか」と思わざるを得なかった。

私は、上丸氏に対して、次のように答えた。
「それは、無理です。『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』を執筆した時に、内容の点検のため、バラして、いろいろな個所に分散してしまっているので、論文執筆のため、これから整理をし直すところですから。」

すると、驚いたことに、上丸氏は再び「おねだり」をする表情で言った。
「私が整理をお手伝いしますから」

紙の資料は、薄いので、ファイルの場所を間違えて、ひとつでも前後して入れてしまったり、他の資料と重ねて置いてしまっただけで、探し出すのにとてつもない時間がかかり、苦労する。

私がコピーして集めたファイルは、積み重ねると、3,7メートルの高さに及び、半端な量ではない。
そのファイルの整理を他人に手伝わせることなど、資料の管理上、危険極まりない。
ましてや、そのことすら分かっていない人物に手伝わせることなど、あり得ない。

そこで、私は、次のように言って、上丸氏の申し出を断った。
「それに、私は、事務所を構えている訳でなく、資料はすべて家に置いてありますから」

ところが、上丸氏は、それでも諦めず、三度(みたび)、「おねだり」の表情を見せて、こう言った。
「それじゃあ、ご自宅にうかがいますよ!」

私は、引きさがらない上丸氏に対して言った。
「私の家には、娘でさえ上がらせていないのですから、本当にそれは無理です。」

これは、方便で言った訳ではない。
以前、わが家では、新年の二日に娘夫婦を呼んで、新年会を開いていた。
そして、、娘、娘婿、妻、私の順で、四人が、それぞれ、新年の抱負を述べてから、乾杯をし、おせち料理を食べ始めることを、恒例としていた。

だが、私が憲法に関わって以降、多忙を極め、資料は増え続け、家の中は「洪水の後」のように整理が付いていないので、外で予約をして、新年会を続けている。
娘も上がらせることのないわが家に、他人を招き入れることなど、あり得ない。
だから、この日、家に帰ってから、この話をすると、妻は即座に言った。
「そんなこと、絶対にだめよ!」

時計の針は、五時半を指していた。二時の待ち合わせだから、三時間半が経過している。

私は、「今日は、もう終りにしましょう」と上丸氏を促して、戸塚地域センターを後にした。

この日、上丸氏がどのような資料のコピーをとったのかについては、(第五回)の冒頭で述べる。

私は、資料が一杯に詰まったスーツケースを右手で引き、上丸氏と並んで、高田馬場駅方向への坂道を登りながら、話かけた。
「のどが渇いたので、私は、キリンシティでビールを一杯飲んで行きます。上丸さんは、この後、会社にお戻りですか?」

上丸氏は、応えて言った。
「編集委員室に戻っても、誰もいませんので、後は家に帰るだけです。」

それを聞いて、私は、彼を誘った。
「それでは、上丸さんも一杯いかがですか」

すると、彼は言った。
「それじゃあ、一杯だけお付き合いします。」

私は、店に着いてから、外に出て妻に連絡をした。

暑い日だったので、一杯目は、すぐに飲み干した。
私は、上丸氏にことわって、2杯目を注文した。
上丸氏も、2杯目を注文し、話が弾み始めた。

(第五回)「キリンシティにて」に続く。

*(第三回)は、『憲法便り#750 (4月21日)』
*(第二回)は、『憲法便り#734 (4月14日)』 
*(第一回)は、『憲法便り#730 (4月14日)』

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『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』
―押し付け憲法論への、戦後の61紙等に基づく実証的反論―
(これは『心踊る平和憲法誕生の時代』の改題・補訂第二版です)

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by kenpou-dayori | 2015-04-22 21:20 | 朝日新聞ドキュメント


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