岩田行雄の憲法便り・日刊憲法新聞

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2015年 12月 21日

憲法便り#993「戦争放棄が空文になってはならぬ」(「吉田 安議員(日本進歩党)の質問)

2015年5月11日(月)(憲法千話)
同日、ツイッター向けに改題:「戦争放棄が空文になってはならぬ」

憲法便り#993 「吉田 安議員(日本進歩党)の質問」」:『検証・・』(第六版)第四章(7)

『検証・憲法第九条の誕生』(増補・改訂 第六版)より
第四章 第九十回帝国議会 衆議院本会議での憲法改正案論議(7


【昭和二十一年六月二十七日(木)の質疑】
午後一時三十五分開議、午後五時三分散会

吉田 安議員(日本進歩党)の質問
「戦争放棄が空文になってはならぬ」


吉田議員 第三は、戦争放棄の点であります。
憲法草案のこの戦争放棄ということは、これは天皇制の問題に次いで、国民に大衝動を与えた事柄であります。これを考えまする時に、我々はどれほど心を痛めるか分からぬ、しかしながら、心を痛めるということは、それは憲法の条項にこれを規定したからである。敗戦国家が外国に向かって、もう私は戦はしませぬと言うことは、これは当たり前でしょう。それを憲法に掲ぐるということが、これが世界的にも衝動を与えて居ると、私は考える。したがって、これが空文になるような結果になることは、断じて戒めねばならぬのでありまするから、この点に付いてもお尋ねを致します。ある人は、戦争放棄は、侵略国家たる日本が、平和国に戦を仕掛けて負けたから、贖罪(しょくざい)的な規定であると、こういう人もある。勿論、贖罪的な規定とも考えられまするが、これをただ贖罪的だとのみ考えるならば、余りにも過大すぎると、私は思う。いずこにか、国家としてはまだ遠大なる目的がなければならぬ。その遠大なる目的に対しましては、総理大臣から何回もご答弁になって居りまするが、また一面、国家の最低限度の自衛権はどうだこうだと言う人もあるのでありまするが、或いはまた、永世局外中立国云々、国際連合国云々という高遠なる目的は勿論必要でありまするが、その高遠なる目的に進むに付きましては、何としても先ず、国内においてこの戦争放棄を如何に活かして行くかどうかという、それに対するお考えを、私ははっきりと承っておきたいです。
連合国は寄って集って再起不能ならしめる程の、政治的にも経済的にも手枷足枷をしたでしょう。また、ドイツの国民は、戦争は真っ平だ、民主主義、「デモクラシー」でなくちゃならぬと言って、それ一色に塗り潰されてしまったが、数十年を出ずして、遂に軍国主義となり、ヒトラーに率いられて、今はその国は滅んで居るが、日本またそれに禍いされて、今日の敗戦国家に落ちぶれてしまって居るのでありますから、憲法の規定にこれを明らかにした以上は、国内的にこれを何処まで維持し、何処まで徹底せしむるかということは、最も心掛けなければならない重大なる点であると考えます。この点に対するご答弁を伺いたいのであります。

金森国務大臣 次に第三のご質問と致しまして、戦争放棄に関する、日本のこの憲法における主張は空文になってはならぬ、また、これを単に独裁的規定とのみ考えてはならぬ、遠大なるこの目的を達成するためために、国内においてあらゆる手段を講じて、これに努力しなければならぬと思うが、政府はどう考えて居るかというご趣旨であったと思います。
ご主張の如く、日本はこの際、大乗的見地におきまして、平和の一路を突進して、世界文化諸国の先頭をなす趣旨を以って、この案を設けたのでありまして、その規定の第一項に当るべきものは、世の中に必ずしも類例がない訳ではありませぬが、第二項を設けまして、名実共に平和の一路に進む態度を示しましたことは、画期的な日本の努力であると思うのであります。大体、人類の世界における理想を実現致しまするために、単純なる伝統的の思想をのみ追究致しますれば、疑心暗鬼に依って、ほとんど文化的前進をすることは出来ないのでありまして、日本はこの今回の改正草案の中におきまして、衆に先んじて、一大勇気を奮って模範を示す趣旨であるのであります。したがって、もとよりこれに基きまして、あらゆる施策におきまして、一路この目的を達成することが必要でありまして、平和的文化的な各般の処置はこれよりして国家全局の力を総合して努力すべきものと考えて居ります。
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by kenpou-dayori | 2015-12-21 10:01


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