岩田行雄の憲法便り・日刊憲法新聞

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2015年 05月 14日

憲法便り#998 「戦争放棄は、前文又は総則を構えて謳うべき」:『検証・・』(第六版)第五章(3)

2015年 05月 14日(木)(憲法千話)

憲法便り#998 「戦争放棄は、前文又は総則を構えて謳うべき」:『検証・・』(第六版)第五章(3)

前回までは、
憲法便り#997 黒田壽男議員「民主的憲法の配列として、戦争放棄を冒頭に」:『検証・・』(第六版)第五章(2)
憲法便り#996 第九十回帝国議会 衆議院憲法改正案委員の構成」:『検証・・』(第六版)第五章(1)

『検証・憲法第九条の誕生』(増補・改訂 第六版)より
第五章 第九十回帝国議会 衆議院憲法改正案委員会の論議(3


【第四回委員会】七月三日(水曜日)
午前十時十八分開議、午後四時一分散会
参加委員六十三・国務大臣九・政府委員十二名

穂積七郎委員(無所属倶楽部)の質問
「戦争放棄は、前文中又は総則を構えて謳うべき」
(見出しは岩田による)

穂積委員 その次にお尋ね致したいと思いますのは、今まで幾度か、ほかの方に依っても触れられた点でありますが、戦争放棄の条に付いてであります。私は、戦争放棄の宣言をすることが今日の内外の状況、或いは今後の日本の積極的なる立国の精神を表明する意味において、何の恥じらいもなく、何の卑屈さもなしに、これを表現する大らかな気持ちを信じようではないかということを、吉田総理に依って表明されたことに付きましては、私も同感であります。
しかしながら、憲法の文章の中に、これを他のものと羅列致しまして表現するということは、不適当であります。それだけの立国の大精神であり、大理想であるとするならば、これはあらゆる政治、経済、文化、教育に亘りまする、全体の性格を帯ぶべき文化国家建設の大理想でありまして、他のものと並列する「ワン・オブ・ゼム」と致しまして、ここに掲げるということは、甚だ拙劣であり、不自然さがある。そういう表現を取るならば、むしろ私が先ほど申しましたように、概念規定に依って物が決められたり、それに依って釘を打って置くならばうごかないというような、一つの擬制に対して過信を抱くという過ちに陥ります。決めても、戦争などというものは、交戦権があろうがあるまいが、別個の所で起きて来るのであります。かって我々は大学に置きまして、国際連盟は世界の最後の平和構造であると教えられ、我々もそれを信じたいと思ったのでありますが、その申し合わせがあったに拘わらず、なお且つ戦争は起きて来たというようなことでありまして、そういうような条約或いは文書というものは、まったく一つの妄想に過ぎないと思うのであります。まして、その大理想を他の主権の問題とか、国民の権利義務の「ワン・オブ・ゼム」でなしに、法律制度、政治全般に亘りまする我々の大眼目であり、政治理想であるこということを表現されるためには、私は、前文なり、或いは総則を構えまして、その中に明瞭に謳うべきであるということを、くどいようでありますが、これは簡単なことではありませぬので、真剣に、そのご反省なりご意見が承りたいという風に思うのであります。
そうしてそれを、そういう取扱いにすることに依って、その他の法律構成の中におきましては、講和条約、或いはその後各国との間に結ばれます諸々の条約の中において、その文句を謳えば結構である。更に、この起草に対しまする吉田総理の、そういう理屈は分かるけれども、法律以外の今日の世界の政治情勢のうちにおいて、このことをやる必要があるのだという含みのご説明がおありになったようでありまするが、その意味において、幸いにご出席でありまするので、今後の日本の生きた民族方針なり、外交方針というものを伺いたい。それを規定するところに、戦争を防衛するべき問題があるのではない。この前、ある方に依って、自衛権の問題が論ぜられましたが、我々が今日の世界の政治情勢なり、現実の中に立って、萬民が、先ほど申しました階級の問題と共に、民主主義政治改革の中心の問題である民族の問題に関しまして関心を傾けておりますのは、世界の民主主義に、米「ソ」の間における対立の現実でございます。これが、何らかの意味のおいて、納得され、説明されなければ、我々にとっては、この戦争放棄の条章なしというものは、まるで無意味であるという風に、そこに重点を置いて総理もご説明になり、私もその意味において、その問題は憲法に決めたからこれで安心だというような、一つの文章に囚われることなしに、これは国政一般に関連するかも知れませぬが、重要なことでありますので、お尋ねしたいと思います。
我々が今日懸念することは、第三国からの侵略を自己防衛するということより、更にもう一歩退きまして、第三国の戦場となり、或いは他の前衛隊として使われるという危険をすら、我々は今日、戦争問題に関して警戒すべきものであります。これに対するものとして、この条項だけを以って致しましては、まるで的外れの、現実を見ない宣言である。
むしろ私は、世界の国民と共に、我々も奇怪に思うのでありまして、アメリカ或いはロシアなり、その他優れた叡智の方々からお教え戴きたいのでありまするが、今まで第二次世界戦争は、世界の唯一の軍国主義、日、独、伊を叩くためということであったのでありますが、それが済みましたならば、アメリカ並びに、それより更に民主主義思想において二段も先に進んでいるというロシアの軍隊は、機関銃の代わりに薔薇の花を持つべきであったと思いまするが、それが機関銃を捨てて薔薇の花を持つ代わりに、スターリンは、今日、スラヴ民族の運命と生活を防衛するためには、「我々の武力を強化することが、最も中心の問題である」ということを説明になり、採択になったように仄聞(そくぶん=ほのかに聞く)して居りまするが、それは一体どういうことであるのか。
その点を、むしろ我々と致しましては、その政治現実に向かって、憲法の前文に大理想を立てると共に、更に重要なことは、この世界の政治危機に向かって、我々は自分が武装しない、戦争はしないというというような消極的なものではなしに、この世界の武力戦争そのものを、我々は絶対に反対する主体的なる態度というものが、表明されて然るべきである。その一貫した信念と思想の下に、そうして、その文章が前文に立国の大理想として掲げられた時に初めて、言われたような諸外国の疑いを晴らすことが出来るし、日本国民の向かうべき大理想が、我々の日常の生活の中に浸み渡って出て来ると、私は確信するのであります。
その意味におきまして、この第二章の取扱いに付きましては、他の方々からも結論として同じご指摘がありましたが、以上申しましたような、私の実感と切実なる要求に依って、この問題は是非お考え戴きたい、果たして、そのご意志がおありになるかどうか、お尋ねいたしたいのであります。

金森国務大臣 前文の中に第二章にある所の趣旨を明確に書いたならばどうかという意味のお尋ねでありましたが、前文の中にこの第二章の因って生ずべき基本となりまする思想を明らかに掲げまして、平和を愛好する、或いは世界的な道義の法則なり、これを守ることが各国の義務であると信ずる、我らがこの道義を守るために大いに進んで行くという風に規定がありまして、第二章の言葉とは違いますけれども、それより一層基本的な立場の原理が示されて居ります。
前後照応致しますることに依って、この憲法で現在の日本国民のこの勇気に満ちたといいますか、理想に満ちたところの主張が、明らかになって居ると思います。更にまた、この趣旨を種々なる方法を以って実行的に具体化させて行くことは、今後の問題でありまして、国内問題としては、幾多の方面、例えば教育の方面、産業の方面等に影響を持って来ることと考えて居ります。国際関係に対しまして、如何にするかということに付きましては、今日なお、未だ適当なる時期に至っていない、こういう風に考えております。

穂積委員 第二章をこの形において表現することに、私はどうも、必要以上に囚われて居られるように感ずるのでありますが、最初にお断り致しました如く、今日の質問は、基本の考え方に付いての質問でありますので、改めてまた条章の場合に譲りたいと思います。」

『憲法便り#1002』へ続く。
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by kenpou-dayori | 2015-05-14 10:42 | 自著連載


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