岩田行雄の憲法便り・日刊憲法新聞

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2015年 05月 26日

憲法便り#803: 70年前の山の手大空襲 高田馬場・下落合一帯への空爆の証言(補訂版)

2015年5月26日(火)(憲法千話)
2015年5月27日(水)加筆、改題
2015年6月22日(月)補訂:末尾に関連記事として、『憲法便り#873: 天は我らに味方した!新宿区内3コースの「戦争法反対 練り歩きアピールウオーク」成功』を追加。

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憲法便り#803: 70年前の5月25日の東京大空襲の証言
憲法便り#803: 70年前の山の手大空襲 高田馬場・下落合一帯への空爆の証言(補訂版)

昨日、この大空襲を体験なさった方から、生々しい体験談を伺いました。
お調子者の安部首相が、アメリカとの約束を最優先して、戦争遂行政策に突っ走っている今、怒りを込めて、戦争の悲惨な現実と、戦争反対を訴えます。

【Kさんの体験談】
Kさんは、当時高校生。
昭和20年5月25日午後、通学していた高校がある水道橋から下落合にある自宅に帰った。
ここには、父親が営む町工場もある。

Kさんは、おばあさん(祖母)と二人でこの家に住んでいた。
父親は、身の安全を考えて、石神井に疎開中で、そこから仕事に通ってくる。

5月25日夜、下落合一帯に焼夷弾が多数落とされた。

Kさんは、周囲の家々が燃え盛る中、高田馬場駅を目指して、走り出した。駅方面は、以前の空襲で焼かれてしまっていて、建物が残っていないから、安全と考えたからだ。

だが、家を出てすぐに、火災に依って生じる熱風に取り囲まれる。
熱くてしかたがない。
運良く、家から100メートル程のところに防火用水があったので、その水を頭から浴びて、駅まで走って逃げた。

そして、物に寄りかかるようなかたちで夜を明かし、明るくなってから、西武新宿線の線路伝いに石神井の父親のところに向かった。
道路を歩いたのでは、様子が変わり過ぎていて、道に迷うことがあるが、線路伝いならば、間違いなく石神井に着けると考えたからである。

父親が疎開していた石神井は、周囲に何もないようなところで、安全だと思っていたが、中島飛行機が近くに有るため、疎開先もやられた。

一方、一緒に住んでいたおばあさんは、Kさんとは反対方向に逃げ、神田川にかかる橋を渡って、今はボタン寺として有名な薬王院に辿り着き、その境内にある防空壕に入って、命だけは助かった。

焼け跡に父親が戻ってきて、焼かれてしまった精密機械に手をおいて、落胆し、嘆いていた姿を思い出すと、「今でも涙が出てきます」と、Kさんは語った。

だから、彼は、「戦争は、絶対に反対です」と言葉に力を込める。
安倍首相の戦争遂行政策に、断固反対なのです。

私の著作も、ご夫婦で読んで下さっている。

新宿区立図書館で、『朝日新聞』の縮刷版から、11ページにわたるコピーをとってきましたが、まず、そのうちの6ページを掲載します。

当時の新聞は、朝刊のみ、2ページ建てです。

昭和20年5月25日付の一面と二面
c0295254_10582413.jpg空襲による惨状にはふれず、「帝都民防空陣に勝鬨」と強がりの記事。
あまりにも馬鹿げている。
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昭和20年5月26日付の一面と二面 5月25日の山の手大空襲についての記事は見当たらない。
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昭和20年5月27日付の一面と二面(五社の共同新聞となっていることに注意
これは、激しい空襲の結果、5月27日付は、各社が独自に新聞発行することができなかったと考えられる。
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早稲田、戸山ヶ原、高田馬場、下落合も空襲を受けたことは聞いていましたが、山の手大空襲全体については、私自身がほとんど知りませんでした。
この際、しっかりと学んでおきたいと思い調べ始めています。
皆さんにも知ってほしいと思います。

情勢が急迫していますので、『東京新聞』の紙面をそのまま借用します。
2015年5月26日付『東京新聞』30面より
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この朗読会に申し込みをし、会場を提供する山陽堂書店も訪ねてきました。
俳優・矢田 稔さんの心意気を受け取め、受け継ぎたいと思います。

今夕、表参道にある山陽堂書店で購入してきた二冊。
上:『表参道が燃えた日ー山の手大空襲の体験記』[増補版]
下:『表参道が燃えた日ー山の手大空襲の体験記』
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【5月26日の行動】
5時10分起床
『東京新聞』および『しんぶん赤旗』の紙面チェック
9時すぎ:新宿区立中央図書館で、『朝日新聞』縮刷版より複写
10時半:セブン・イレブンで、スキャン
11時10分まで:『憲法便り#803』の入力作業。作業中断。
11時半:市川恵美さんのコンサート『カント・アマービレ』Vol.8のため、中目黒に向かう。
12時半:恵比寿駅隣接のアトレで食事
13時半:中目黒GTプラザホールに到着
15時15分:休憩時に退出。歌が素晴らしい上に、今回は特に彼女のご家族の戦争体験の話が、胸を打った。
16時:表参道の山陽堂書店に立ち寄る。同書店二階の小展示をみる。
16時半:表参道にある、新潟県のアンテナショップで買い物
17時20分帰宅:疲れていたため、目白までひと駅乗り過ごす。
夕食後、散歩がてら、新宿区立中央図書館へ、「講談」のカセット・テープを借りにゆく。
5月26日付『東京新聞』30面、および『表参道が燃えた日ー山の手大空襲の体験記』[増補版]表参道が燃えた日ー山の手大空襲の体験記』の表紙をスキャンするために、セブン・イレブンへ
『憲法便り#803』の一応の完成
5月26日の歩数計の記録:21,584歩

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関連した記事の補訂(2015年6月22日)(月)

2015年6月19日(金)(憲法千話)

憲法便り#873: 天は我らに味方した!新宿区内3コースの「戦争法反対 練り歩きアピールウオーク」成功

午後四時半、体調管理のため毎週受けている鍼(はり)治療に向かう。

玄関を出たところで、突然大粒の雨が降り出した。
だが、新宿駅に着くと、黒雲が空を覆っているが、雨はやんでいた。

鍼治療を終えて、先生から「雨が降ってきたら、途中でリタイアーして下さい」との助言を受け、集合地点へ。

天気が不安なためか、参加者が少ない感じ。
それでも、練り歩きに出発する頃には、駆けつけた妻も含めて、30人に。

出発前に各団体の代表、区議さんの挨拶。

年金者組合のOさんの話は印象に残った。
Oさんは、4回連続で国会前集会に参加してきた方。

3・11の津波によって、全てが破壊せれた光景を見て、突然、
昭和20年の山の手大空襲の直後、山手線の車窓から見た光景を思い出した。

「あの焼け野原とそっくりだ」

「(新宿の)落合一帯も、焼き尽くされ、一面焼け野原でした。」

だから、私は、どんな理由をつけても、
「戦争は、絶対に反対です。」


次に発言をした、「生活と健康を守る会」の代表の話も印象に残った。

戦争で、ふたりの兄弟が戦死したこと、
そして、「母は、どんなに辛かったことだろう」という言葉には、
戦後70年を経た今も、悲しみは消えていない現実があった。

私は、司会者に発言の意思を伝えた。
そして、四回連続で国会前集会に参加してきたが、今日は、人数が少ないこちらの行動にしたことと、
2歳の時、疎開先の小名浜で、米軍機による爆撃と艦砲射撃を受けた、戦争体験を話した。

日本共産党区議団長の沢田あゆみさんの発言も印象に残った。

国会前集会に毎回参加してきたが、今日は、この行動に参加していること、
区議会で「戦争法案反対」の意見書採択を提案したが、自民・公明の反対で否決されたこと、
しかしながら、他の会派の議員と共同行動をしていることなど。

シュプレヒコールの声を聞きつけて、
百人町団地の練り歩きでは、中層階のベランダから手を振って応えてくれる人も。

マンガ入の「宣告商工新聞」(号外)、
そして、自由法曹団が作成したリーフレットを配布しながら練り歩いたが、
よく受け取ってくれた。

このコースの締めくくりは、
JR大久保駅に近い、北新宿一丁目の交差点でのアピール。

ふたりの共産党区議のあとを受けて、
私もマイクを握り、
憲法研究者として、
また、戦争体験者としての立場から、
5分ほどの訴えを行った。

参加者は、
第1コース 41名、
第2コース 30名、
第3コース 37名。

新宿の「練り歩きアピールウオーク」を伝える『しんぶん赤旗』
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by kenpou-dayori | 2015-05-26 09:21 | 戦争体験・戦跡・慰霊碑


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