岩田行雄の憲法便り・日刊憲法新聞

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2015年 05月 29日

憲法便り#811: 父親が中国で戦病死した、小学校同級生Kさんからの手紙

2015年5月29日(金)(憲法千話)

憲法便り#811: 父親が中国で戦病死した、小学校同級生Kさんからの手紙

岩田行雄編・著『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』の「はじめに」に収録した小学校の同級生Kさん(女性)の手紙は、何回読んでも涙が出てくる。
『さとうきび畑』の歌を聞いていると、涙が止まらなくなるのは、私たちの周りに、本当に同じような悲しみを抱いている人が多いからだ。

「二〇〇九年五月に千葉の稲毛で講演を行った際に、小学校時代の同級生Kさんが友人二人を誘って聴きに来て下さった。暫くして、彼女から届いた綺麗な押し花付きの手紙には私が五十五年間全く知らなかったことが書かれていた。ご本人の承諾を得て、核心部分を紹介する。
押し花の色はあせてしまったが、この話の真実は、いつまでも色あせることはない。

「戦争放棄に関心がありました。私の父が戦死だからです。私は父の顔を知りません。父は若い時に耳を怪我して難聴になり、耳元で大きな声で話をしないと聞こえない状態だったそうです。昭和十九年、三十五歳のときに招集令状が来て狩りだされました。昭和二十年十一月(中華民国北***?)戦病死と書いた死亡通知が八ヶ月後に千葉の疎開先に届いて、増上寺に遺骨を引き取りに行ったのですが、渡された小さな箱には骨は入ってなく、お弁当箱と箸が入っていたそうです。母はそれを遺骨と思ってお墓に入れていたそうです。その母が九十六歳十カ月で亡くなりました。昨日、七七日忌の法要があり、お墓に母が入りました。建て替えたお墓には父の遺品はありませんでした。少し悲しい思いがしました。母に聞いたことを思い出して書いてみました。
 これからの人たちには、この様な思いをさせないように九条を守りたいです。」

彼女は、私の著作を「家宝とします」と言って下さった。
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by kenpou-dayori | 2015-05-29 10:42 | 戦争体験・戦跡・慰霊碑


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