2015年 06月 01日

憲法便り#819 「さとうきび畑」に寄せる思い:ソプラノ歌手・市川恵美さんからのお手紙紹介

2015年6月1日(月)(憲法千話)

憲法便り#819 「さとうきび畑」に寄せる思い:ソプラノ歌手・市川恵美さんからのお手紙紹介

憲法便り#804:ソプラノ歌手・市川恵美さんがコンサートで語ったご家族の戦争体験(5月29日加筆)で紹介致しました、市川恵美さんから、メールでお手紙をいただきました。

私が電話でお話を聞いたあと、色々と調べて下さいましたので、話の細部で違いもありますので、ご本人の了解を得て、お手紙をほぼそのまま紹介させていただきます。

  * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

岩田行雄様

先日はお電話頂きありがとうございました。

憲法便り、拝見致しました。
私の事を取り上げて下さりありがとうございます。

父の手記や山西残留の資料などを探してみましたが、どこかに大事にしまい込んで一部のものしか見つか
まりませんので、私の記憶や出てきた資料をもとに、少しばかり詳細をお知らせ致します。

父は満州銀行に勤務しておりましたが、病を得て一時療養帰国した際に、小学校の時の恩師(母の父)に
勧められ母と結婚しました。(昭和18年)
祖父は教え子の中で優秀で人間的にも信頼できる父を娘の婿にと思ったようです。
結婚して満州に渡り新居を構え、父は銀行に復職します。
召集されたのは昭和19年(何月だったは不明)、兄はその年の7月30日に生まれています。
父は入隊して幹部候補生としての教育を受けていたので、戦地へ赴く前に、母は生まれた兄を連れて面会に
行き、一度だけ父に兄を見せる事ができたそうです。
それから、兄が4年生になるまで父と兄は会うことはできなかったわけです。
その後、母は満州から幼い兄を背負い引き上げて来たのですが、戦後の混乱もあってすぐには帰れず、日本へ
帰って来たのは、昭和21年の秋。兄は満2歳になっていましたが、栄養失調のためまだ歩くことができなかった
そうです。(先日、コンサートに来てくれた叔母が、引き上げて帰って来た時の兄は極度に痩せていて、幼児なの
にお尻にシワがよっていたのよ...よっぽど生命力があったのね...と話してくれました。)
母は9人兄弟の長女(第1子)ということもあり、祖父は初孫の兄を不憫に思い大事に面倒をみてくれたそうです。
祖父は毎日、新聞の戦死公報記事を欠かさず見ていて、その中に何度か父の名前を見つけたそうです。
昭和29年の秋に父が帰ってきた時は、舞鶴に母と兄、叔父(父の弟)とで迎えに行ったそうです。
父は抑留中に亡くなった戦友2人の遺骨を胸に抱いて帰ってきたそうで、その様子は新聞にも載ったそうです。

それから、「蟻の兵隊」の奥村和一さんのことですが....父が亡くなったのは平成15年の12月25日でしたので、
葬儀を済ませ年が明けてから母が連絡をしたところ、納骨の時に是非とも立ち会いたいと、わざわざ東京から
宇都宮まで来てくださいました。奥村さんは、父が介護施設に入ってからも面会に来てくださっていたそうです。
そこまで父を慕ってくださる戦友の存在を、父が亡くなって初めて私は知りました。
丁度その年(平成16年)の5月にリサイタルを開催することになっていたので、お礼方々ご招待状をお出ししたところ、
「その時期に中国へ資料調査の旅へ出るので残念ながら伺うことができない」旨、ご丁寧なお手紙をいただきました。
(後で分かったのですが、丁度その頃「蟻の兵隊」の映画を撮っていたのです。)
その後、父が書いた手記が載っている本(この本の題名が「蟻の兵隊」です)や「日中友好への直言」(上田武夫著)
という貴重な本や資料を送って下さり、2007年の7月初旬、「蟻の兵隊」の映画の招待券が届いたのです。
そして、「蟻の兵隊」を観た私は衝撃を受けました。やっと父が経験した全容が分かったのです。これは一人でも多くの
人に見てもらわなくてはと、友人知人に何十通もの手紙を書き、映画のチラシとチケットを送りました。
確か、上映は渋谷の小さな映画館で7月の中旬頃に始まったかと思いますが、ドキュメント映画というものは、入場者
が少なければすぐに打ち切りになってしまうらしく、なんとしても終戦記念日まで上映を続けたい...と「蟻の兵隊を観る会」
という会が立ち上がり、皆さん熱心に宣伝(運動?)してました。そして記録的なロングラン(9月の中旬まで続いた)となった
のです。(その時に岩田さんやご家族にご案内しなかったのが悔やまれます...。差し上げたDVDはご覧いただけたと
思いますが...。)

そんな事があってから、自分が今生かされている事がどういう事かを深く考えるようになりました。
特命を受けて戦後も山西省に残った2600名の日本兵が、戦後3年8ヶ月の間戦闘を続けた...。その間に550名が戦死し
700名が長いこと抑留された...。抑留中に命を落とし、父が胸に抱いて帰ってきた遺骨の方、そのご家族はどんな思いで
あったろうか....。生きて帰っていれば、私と同じ年頃のお子さんがいたかもしれない...等々思うと、私にできる事、しなけ
ればならない事は何だろうかと考えるようになったのです。
昨年「フォークジャンボリー」のお話を頂いた折、いつか歌いたいと思っていた「さとうきび畑」を歌わせて頂けないかと
お願いしたのは、そんな思いが根底にあったのかもしれません...。しかしながら、声を痛めて散々な歌になってしまい、
もう一度岩田さんのパーティーで歌わせて頂いたのが、カント・アマービレでも歌おう...という思いに繋がったのです。
「さとうきび畑」を歌う機会を岩田さんが作って下さらなかったら、今回歌うことはなかったと思います。

本当に心から感謝しております。

岩田さんのご研究、憲法便りで発信される記事には本当に頭が下がりますm(_ _)m
どうぞお体には呉々も気をつけられて、益々ご活躍下さいますようお祈り申し上げます。

2015年5月31日 市川恵美
[PR]

by kenpou-dayori | 2015-06-01 18:25 | 音楽・舞台芸術・芸能・映画


<< 憲法便り#820:『ドキュメン...      憲法便り#1023第七章「永遠... >>