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岩田行雄の憲法便り・日刊憲法新聞

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2015年 08月 09日

憲法便り#1127:戦争をあおり続けた新聞の戦争加担:昭和20年8月9日付『朝日新聞』の場合

2015年8月9日(日)(憲法千話)

憲法便り#1127:戦争をあおり続けた新聞の戦争加担:昭和20年8月9日付『朝日新聞』の場合

はじめに、外務省編纂『終戦史録』の「太平洋戦争日歴」を再録し、
そのあとで、昭和20年8月9日付『朝日新聞』の紙面を掲載します。

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外務省編纂『終戦史録』の「太平洋戦争日歴」

2013年 08月 09日
憲法便り#180 昭和20年8月9日ポ宣言受諾に関する第一回臨時閣議

昭和20年8月9日(木)に、緊迫した状況の中で開催された第一回臨時閣議について、外務省編纂『終戦史録』の「第四十篇 第一回、第二回臨時閣議―松本外務次官と迫水内閣書記官長の協力」の最初の部分(571―572頁)を紹介します。

8月6日の原子爆弾投下、8月9日のソ連対日参戦、この相次ぐ事態にも拘らず、ポツダム宣言受諾に関して論議はするが、自ら結論が出せない最高戦争指導会議構成員会議および第一回臨時閣議。
結局は、天皇の「御聖断」を仰ぐという、全く主体性のない結論。
これが、当時の日本の指導者たちの実態。

その間にも、同日、長崎に原子爆弾投下、米機動部隊に依る東北地方への爆撃が続けられ、多くの人々が犠牲者となった。
私の家族も、母方の親戚を頼って、小名浜に疎開中であったが、米軍の焼夷弾により家は全焼し、持ち物もすべて焼かれた。

その戦争責任者たちの無責任な会議の様子。

「八月九日、臨時閣議は正午から開かれる予定であったが、最高戦争指導会議構成員会議が一時迄続けられ、次いで、鈴木首相は木戸内府と会見のため参内し、閣議開会を見たのは午後二時半であった。東郷外相は閣議に先だち、首相に対し、閣議の結果は意見の一致を見ることは困難と思われるが、その場合は聖断を仰ぐ以外に方法なしと思うが、その前に陸相の辞任等に依って内閣の機能を発揮し得られなくなるようなことのないよう注意して欲しいと内話した。閣議は三時間行われ、一旦休憩して、六時半から再会され夜十時過にまで及んだ。
この時の閣議においては、鈴木首相は強く閣僚をリードした。
論議の中心をなしたのは午前の六巨頭会議において、揉んだポツダム宣言受諾に関する条件論であった。閣議においては阿南陸相対東郷外相、米内海相の激論が主軸をなした。米内海相は、午前の構成員会議では、余り多くを発言しなかったが、閣議に臨んでは戦争見透論でするどく陸相と対立し、外相の言う國體護持一本論を強く支持した。阿南陸相は、米内海相は午前の態度を変えたものと考えたもののようであった。
 首相は、外相の意見に対する賛否を各閣僚について求めた。閣僚中二、三のものが外相論に反対して陸相論を支持し、又なかには曖昧なものも見えたが、大部分の閣僚は外相論を支持し、意見の一致を見るに至らず、閣議は午後十時休憩となった。
 なお、閣議の最中午後四時過、松本次官は、又々心せかれるまゝ迫水書記官長訪い、長崎にまた原爆が落ちたことを報らせ閣議は纏るはずはないから聖断を仰ぐよう、各々外相、首相に頼もうと促した。迫水書記官長は、その方向でやっているんだ。お互にもっとやろうと答え、相励ました。」

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昭和20年8月9日付『朝日新聞』の一面と二面(当時は、二ページ建ての朝刊のみ)

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by kenpou-dayori | 2015-08-09 14:05 | 太平洋戦争日歴


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