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岩田行雄の憲法便り・日刊憲法新聞

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2015年 08月 11日

憲法便り#1141:戦争をあおり続けた新聞の戦争加担:昭和20年8月11日付『朝日新聞』の場合

2015年8月11日(火)(憲1法千話)

憲法便り#1141:戦争をあおり続けた新聞の戦争加担:昭和20年8月11日付『朝日新聞』の場合

はじめに、外務省編纂『終戦史録』の「太平洋戦争日歴」を再録し、
そのあとで、昭和20年8月11日付『朝日新聞』の紙面を掲載します。

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以下は、【再録】です。

2013年 08月 11日
憲法便り#187 昭和20年8月11日

外務省編纂『終戦史録』の「太平洋戦争日歴」

昭和20年8月11日(土)

[日本]
陸海軍の一部に終戦阻止運動起る。
政府の國體護持声明と陸相の戦争邁進訓示、新聞にならんで発表。(注1)

[外国]
トルーマン華府時間十時二十分に連合側回答を駐米スイス公使に渡す。
フーヴァー元大統領アジア及び欧州の赤化警告演説。

(注1)この間の事情について、外務省編纂『終戦史録』の「第四十五篇」では次のように記述されている。(610-611頁)
「国内においては、國體問題留保附をもって、ポツダム宣言を受諾する措置が講ぜられたことは、一般には絶対機密事項として伏せられていた。ただ十月午後三時宮中より重臣へお召しがあった。このお召し会議に先だち、鈴木首相はそれ迄の経緯を説明するため重臣を招いた。主として東郷外相が右の説明に当った。小磯大将より、軍備の充実は神勅に基くもので、これがなければ國體に合致せずとの発言があり、東條大将亦小磯大将の言に賛成を述べたが、しかしそのとき、東條大将は、御聖断ありたる上は自分としては何等言うべきことなしと述べた。
午後二時から閣議が開かれ、ポツダム宣言受諾に関する公表問題が論議された。その結果、午後四時三十分、わずかにこれをにおわすが如き辞句の下村情報局総裁談が発せられた。下村氏は、当時、これは陸海両相とも相談して、練りに練ったものだと述べている。ところが、また同時刻、全軍玉砕の覚悟を促す陸相布告が、各新聞社に配布された。このことについては事前に阿南陸相は知るところがなかったのである。
 十一日附各新聞は、右両文が相並んで掲載された。これでは折角の情報局総裁談にいう「國體護持論」は、陸相布告の「本土決戦論」を裏書きするものと一般には解せられたであろう。少しく情報に通じた人々は、ここにいたって、政府と陸軍との最後的対立を来したものと見て、頗るこれを憂慮した。
 なお、十日夜、陸相布告が新聞社に配布されたことを知った外務省の安東政務局長、岡崎弘報部長並びに朝日新聞某記者は、東郷外相私邸に赴いてこれを報らせ、外相から陸相を説いて、この際その発表を中止させるべきだと訴えた。東郷外相は、沈痛な態度でこれを聴いていたが、結局その措置はとらなかった。」

この混乱と情報の錯綜は、「敗戦」を迎える最後の最後まで続くことになります。

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昭和20年8月11日付『朝日新聞』の一面と二面(当時は、2ページ建ての朝刊のみ)
「一億、困苦を克服 國體を護持せん」
「死中活あるを信ず 陸相、全軍将兵に訓示」
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「敵暴爆にも動ぜぬ 都民の胆つ玉」
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by kenpou-dayori | 2015-08-11 21:10 | 太平洋戦争日歴


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