岩田行雄の憲法便り・日刊憲法新聞

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2015年 08月 14日

憲法便り#1155:【再録】昭和20年8月14日 第二回御前会議の実態

2015年8月14日(金)(憲法千話)

憲法便り#1155:【再録】昭和20年8月14日 第二回御前会議の実態

以下は、【再録】です。

2013年 08月 14日
憲法便り#198 昭和20年8月14日 第二回御前会議の実態

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これまで見て来た八月十一日付の連合国回答、さらには、B29によるビラ投下を受けて、万策尽きた日本政府は、唯一残された方策として、八月十四日に第二回御前会議を開くこととなりました。

その最終的決断に至る時の様子を、『木戸日記』及び『終戦史録』の「第五十四篇 第二回御前会議と閣議決定 再度聖断降る」によって辿ることとします。
「第五十四篇」の要点をまとめてみましたが、会議の実態は充分には伝わりません。
したがって、ここでも敢えて、「第五十四篇」冒頭の全文を紹介し、その実態を伝えることとしました。

(一)『木戸日記』に残された八月十四日の記録(○印は、岩田が加えたもの)

「八月十四日(火)晴
○敵飛行機は聯合国の回答をビラにして撒布しつつあり、此の情況にて日を経るときは全国混乱に陥るの虞ありと考へたるを以て、八時半より同三十五分迄、拝謁、右の趣を言上す。
ご決意の極めて堅きを拝し、恐懼感激す。
○八時四十分より同五十二分迄、鈴木首相と共に拝謁す。十時半より閣僚、最高戦争指導会議議員聯合の御前会議召集を仰出さる。
○九時十五分より同三十七分迄、拝謁。
○九時五十分及同十時四十分に首相と面談、御詔勅につき打合す。
○十時五十分より同五十二分迄、拝謁。
○十一時、三笠宮に皇族休所にて拝謁。
○正午、御前会議終了後、御召により拝謁、御涙を浮かばせられての御話に真に頭を上げ得ざりき。
○一時半、侍従長、一時五十分、武官長と面談、軍に親しく御示諭云々につき相談す。
○二時より三時五分迄、拝謁す。
○三時二十分、三笠宮御来室、時局収拾につき御打合す。
○三時四十分、武官長と打合す。軍に御示諭云々は陸海軍共其の必要を認めずとの結論なり。
○三時五十分、石渡宮相と面談。
○四時二十分、町村総監来室、治安の実情を聴く。
○五時、高松宮御来室、近衛公同断。
○五時半、東郷外相、鈴木首相参内、拝謁、面談。
○八時より八時十分迄、拝謁。
○八時半、鈴木首相拝謁、御詔書案を奉呈、御允裁を得たり。

(二)『終戦史録』が伝える「御前会議」の論議の実態

「十三日夜から十四日にかけて、内外の事態は、極度に緊迫し、國家意思の決定は、最早數時間の遅延を許さざるに至つた。
十四日朝、鈴木首相は八時頃御前會議の開催方をお願いのため參内した。木戸内府も同樣の考を抱いて、首相の參内を待ち受けていた。兩者の意見は、はからずも一致した。そこで内府は八時半拜謁し、御内意を伺つたところ、「よし」との御言葉にて八時四十分には首相、内府共に拜謁して、首相より更めて、前例なき御召による御前會議の開催方を願い出た。
天皇から急遽御前會議のお召が下つた。即ち十時半に參内せよとのことであつた。鈴木首相はじめ全閣僚、梅津、豊田兩總長、平沼樞相、迫水書記官長、池田總合局長官、吉積陸軍、保科海軍兩軍務局長等は慌しく參内した。
 そして十時五十分頃より、お召による御前會議が開かれた。
首相より、前日の閣議及び最高戰爭指導會議の經過概要を申上げ、この席上で更めて、無條件受諾に反對する者の意見を親しく御聽取の上、重ねて御聖斷を仰ぎたき旨言上した。指名によつて、梅津總長、豊田總長、次いで阿南陸相が再照會を必要とする旨の所信を聲涙共に下りつつ言上した。このとき豊田總長の論旨は稍々穏かであつた。
右三名の言上が終ると、天皇は他に意見がなければ、自分の考を述べると仰せられて、自分の考はこの前言つたことと變りは無い、終戰の決心は世界の大勢と我國内事情とを充分檢討し、熟慮した結果であつて、これ以上戰爭を續けることは無理だと思う、連合國の回答は國體問題についていろいろ疑義があるとのことであるが、自分は先方は大體我方の言分を容れたものと解する。外務大臣の言う通り、要は我國民の覺悟と信念の問題であると思うから、この際先方の回答を受諾してよろしいと考える。皆もそう考えて貰いたいと仰せられ、さらに、陸海軍の軍人にとつて、武装解除や保障占領というようなことはまことに堪え難いことで、その氣持は自分にもよくわかる、また自分の信頼する臣を戰爭犯罪人として出すことは情においてまことに忍びないと仰せられて、落涙を白き御手袋を以て拂わせられ、更に御言葉をついで、しかし日本が全く無くなるということなく、少しでも種子が残りさえすれば、また復興という光明も考えられる。この上戰爭を續けては、我國は全く焦土となり、國民にこれ以上苦しみを嘗めさせることは自分として實に忍びない。自分は如何になろうとも國民を救いたい。この際は堪え難きを堪え、忍び難きを忍んで、一致協力、將來の回復に立ち直りたい。國民のためになすべきことがあれば、何でも厭わない。國民に呼びかけるのがよければ、マイクの前にも立とう。皆その氣持ちになつてやつて貰いたい。この際詔書を出す必要もあろうから、政府は早速その起案をするようにと、諄々として諭された。居竝並ぶ諸員皆深く頭を垂れ、感泣嗚咽した。その情景は正に終戰史の頂點というべきであつた。鈴木首相は至急詔書案奉仕の旨を言上すると共に、重ねて聖斷を煩わした罪を謝した。かくて歴史的の御前會議は了つた。時に正午頃であつた。
一同退出、晝食後、閣議が開かれた。最早自説に拘泥する者はなかつたが、終戰の詔勅案の案文審議の際阿南陸相より字句について意見が出たりして各相がこれに副署し了つたのは、夜半十一時近くであつた。そこで早速首相より閣議決定を上奏し、御裁可を得たので、ここに、ポツダム宣言の條項受諾に關する國家意思が憲法上最終的に決定したのである。
この間、松本次官は、詔書は必ず十四日附で發布さるべきであるとして、迫水書記官長、木戸内府、近衛公、重光元外相等に強く要望し、なお一時間毎に、内閣佐藤總務課長に連絡したと述べている。」(以下、略)

 これは、速記録ではない。後になって、様々な手記、日記、証言等をもとに書かれている。だが、多分に、天皇を擁護するための脚色が施されている感が否めない。
 また、自己陶酔のようなこの文章全体は、非論理的で、情緒的、「浪花節」的である。国民を勇ましく戦争に駆り立てて来た「戦争責任者」たちが演じた愁嘆場は、醜態である。誰のための、何のための「感泣嗚咽」か。「男の涙」が、戦争責任の免罪符とは成り得ない。「浪花節」的に彼らの責任感を表現するのは、大きな誤りである。

「居竝並ぶ諸員皆深く頭を垂れ、感泣嗚咽した。その情景は正に終戰史の頂點というべきであつた。」と記述されているが、これは「頂点」ではなく、どん底の姿である。

戦場に夫や息子を送り出した妻であり、母である女性たちは、その時に人前で泣くことも出来なかったし、「名誉の戦死」を告げられた時にも泣くことは出来なかった。そのような時代を作り出したのは、とりもなおさず、彼ら戦争指導者であることを忘れてはならない。
彼らの非論理的思考と行動は、その後も、阿南陸相の「自決」に始まり、自殺という形で相次ぐが、これらの行動は、何も責任を果したことにはならない。
これに比して、連合国側の論議は、冷静であり、論理的且つ分析的である。
 御前会議を経て、日本はようやく「ポツダム」宣言受諾の回答を、スイス駐在加瀬公使に命じて、中立国スイスを通じて、連合国側に送る。
その全文は、憲法便り#199で紹介する。
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by kenpou-dayori | 2015-08-14 20:48 | 太平洋戦争日歴


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