2015年 09月 05日

憲法便り#1286:夏目坂上の感通寺にある、山手大空襲犠牲者を供養する観音像と慰霊園のこと(第二版)

2015年9月5日(土)(憲法千話)

憲法便り#1286:夏目坂上の感通寺にある、山手大空襲犠牲者を供養する観音像と慰霊園のこと(第二版)

昨日、『憲法便り#1281:ご存知ですか?夏目坂上の感通寺に、山手大空襲犠牲者を供養する観音像があること』を掲載し、以下のように書いた。

「今日、2015年9月4日、早稲田大学近くの、夏目坂を登りきった右側に、感通寺という日蓮宗のお寺を訪問してきた。

境内に建立されている、山手大空襲の犠牲者約300名を供養する町慰霊園の石碑とさざれ石の写真を撮影すること、そしてブログで紹介することのお許しをいただくためである。

私は、早稲田大学の学生時代に、早稲田南町に住んでいて、この寺の向かい側にあった銭湯によく通っていた。夜遅くなると、山門の前に、屋台のおでん屋が出ていたので、帰りがけに立ち寄って、軽く一杯やることがあった。

その頃は、今回のような目的で、感通時を訪れることになろうとは、思いもよらないことであった。

数年前、感通時の向かい側にある蕎麦屋に来た際に、境内に入らせていただいて、石碑に気付き、それ以来ずっと気になっていた。

幸いにして、ご住職からお許しを頂いたので、まず、写真を紹介したい。

疲れていて、紹介の文章は、まだまとまらないので、出来るだけ正確に伝えるために、明日、詳しく書くことにします。

以下の写真は、すべて岩田が撮影。」

*ここからは、「第二版」として、記述します。加筆する部分が多いので、『憲法便り#1286』と、別番号を与えました。
ただし、「第二版」も、記述が不十分なため、明日もう一度、感通時を訪ね、「第三版」をまとめたいと思います。
「第三版」では、かつて惨劇の場となった防空壕跡地、現早稲田大学喜久井町キャンパス内にある、観音像についても紹介します。

写真③にみる碑文は、衝撃的な内容で、初めて読んだ時から頭を離れません。持っていた手帳に書き写した記憶がありますが、その手帳は、今のところ見つかりません。

このたび、改めて碑文を読んで、大きな衝撃を受けました。

石碑に刻されている全文を、画像の下に、慎んで文字起こしをさせていただきます。

写真①:感通時山門
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写真②:山門を通って、すぐ右側に建立された町慰霊園の碑、及び、さざれ石
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写真③:町慰霊園の碑
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「苦しいのは息が止まるまでよ。もう少し我慢するのよ!!と子供を抱えて震
える私の手も肉もやけどでじんじん落ちていきます。」 成願寺報五五号抜粋
昭和二十年五月二十五日米軍山之手地区空襲の一般庶民の惨状だった。
五十八年余を経て今日それも忘却のかなたに去ろうとしている。後の私達は
歴史として伝え継いで行かなければならない努めがあると痛感し平成十六年
五月二十五日當山に於て前対戦で亡くなられた人々の供養の為に慰霊園を
作庭し名を刻し永遠に町会員と共に現在も在しますことを顕すもので
ある                         伝燈 二十一世 日良 記す


写真④:さざれ石
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写真➄:町慰霊園の右手奥の小高いところに建立された、喜久井町観音像
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写真⑥:喜久井町観音像台座の左側面にある碑文。(雷雨がきそうなので、慌てて撮影したため失敗。)
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by kenpou-dayori | 2015-09-05 20:50 | 戦争体験・戦跡・慰霊碑


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