2015年 09月 19日

憲法便り#1386:新たな闘いへ!『新生』創刊号(昭和20年11月)の表紙画像と痛快な評論を掲載

2015年9月19日(土)(憲法千話)

憲法便り#1386:新たな闘いへ!『新生』創刊号(昭和20年11月)の表紙画像と痛快な評論を掲載します

総合雑誌『新生・VITA NOVA』は、昭和20年11月に創刊された月刊誌で、創刊号、第2号、翌年の第2巻第1号、第2号には、「憲法研究会」のメンバーが、執筆している。

新生社は、「憲法研究会」の会合に会場を提供し、さらに執筆の機会を提供している。

「憲法研究会」が昭和20年12月26日に発表した『憲法草案要綱』は、GHQが注目するところとなり、同要綱をもとに、『GHQ草案(いわゆるマッカーサー草案)』が作成された。

したがって、『新生』および新生社の存在は、日本国憲法成立史において、重要な位置を占めている。

ここでは、「編集後記」と、「新生評論」を紹介する。

是非、この時代の息吹(いぶき)を感じ取っていただきたい。

【写真①】『新生』創刊号表紙
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【写真②】『新生』創刊号32頁(奥付けがある頁)
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総合雑誌『新生』シリーズ(第一回)
創刊号の編集後記…創刊の辞


総合雑誌『新生(VITA NOVA)』は、1945年11月1日に創刊されました。その名の通り、同誌は新生日本の息吹きを伝え、「憲法研究会」に集った人々が日本再生への想いを存分に語る場ともなりました。そして、新生社は「憲法研究会」の誕生に際して会議室を提供しています。
『新生』は1945年11月から1948年3月までの二年五ヶ月という短期間で廃刊のやむなきに至りましたが、この時代における使命を十分に果たしたと言えます。
この第一回では、『新生』創刊号から、創刊の辞である「編集後記」、明日の第二回では『新生評論』を紹介します。(*旧仮名遣いは改めました)

〈新生〉創刊号を世に送る
この世紀を画する歴史の日の出発に当って、私達はあまりにも述ぶべき志の多きを思うのである。やがてそれ等は毎号の成果となって諸君の前に現らわれるであろう。
思えば久しい戦乱の明け暮れであった。が、今や真理は本然の姿へ還えろうとしている。私達は、この機会を逸してはならない。このことの為にこそ、人々の闘いは今日から始まると銘記すべきである。
多くのはらからは異郷に斃れ、住み慣れし家は失われ、なつかしの土地を流離し、身も心も傷き、、かくて最後に得たものは何であったか、戦争と云うものの姿が、どのようなものであったかを、人々は永久に忘れることはないであろう。
更にまた、患らいつづけた思想そのものを民衆の前に公にしてくれる敗北日本から新生日本の道は、はげしく、そして苦痛に満ちているだろう。悲劇と真理への闘いがわれわれの前途に長く長くつづく…。
しかし乍ら、悲しみは昨日に送ろう。私達の道は炳(へい)として定まったのである。過ちは再び犯してはならない。まやかしや、その場逃れは、もはや今日用をなさない。古い日本は、完全に敗れたのである。完全に――。このことを判然と胸に刻んで、そこから新生日本への道を踏み出そうではないか。
物云えば唇寒かった秋の夕暮も、今は荒涼たる焦土乍ら、何とはなく自然に戻ったなつかしさで、私達の胸に沁みる。そうして東京の空に木魂する復興への槌の音には、やがて訪れるであろう春の響きが聞えるかのようだ。(青山)


総合雑誌『新生』シリーズ(第二回)
『新生』創刊号より・・・「新生評論」

今日は、何とも痛快な時事評論を、しばしお楽しみいただきます。

「新 生 評 論」
×
▽新聞が見違えるほど活気を帯びて来た。小さい紙面ではあるが、生々して、朗らかで、溌剌たるものがある。
▽これを一ヶ月ほど前の新聞と比べて見よう。あの軍部の提灯持ち、おべんちゃら、虚偽宣伝のほかの何ものでもなかった時代のそれにだ。
▽真実は生きている。虚偽はいかなる装いをほどこしても死体に鍍金したものに過ぎない。
▽日本の新聞が果して真に生れ代ったかどうかは、もとより疑わしいものがある。戦争指導に喜劇的役割をつとめた旧幹部たちが、依然回転椅子にふんぞりかえっている間は、新聞が新しい時代に生きてゆけるとは思えない。
▽新しい時代を語る新聞自体が新たに生れなければならない。新聞の内部が総改変されなくてはならない。即ち民主主義の原則が、先ず彼等の内部組織のうちにつくりあげられなくてはならない。
▽でなければ、過渡的には一時の間に合せはできるであろうにしても、総て躍進する時代からふり落されるであろう。
×
▽時代はいまそれほど大激動のうちにある。一日々々と時代は革命的に変っている。
▽街頭の人たちを見るがいい。彼等はいつとはなしに親米派になってしまっているではないか、実に一人の例外もなしといえるほどに。
▽これがいまの日本国民の声だ、ボックス、ポピュリ、ボックス、ディ。― 人民の声は神の声である。
▽何ものもこの声を押えることも、書き違えることもゆるされない。これがこの時代である。新しい時代を到るところに見ないものはいまの時代に生きる権利をゆるされないであらう。
▽人々よ、新たに生れよう。いかに新しがりやになったと自ら感じてもまだ新しさにおいて充分とはいえない。
▽それほどわれわれは世界に立ち遅れていたのだ、アメリカと日本の文明―それはジイプと牛車(ぎっしゃ)とによってあまりにもよく証明されているのではないか。
▽軽佻浮薄(けいちょうふはく)はもとより望ましいことではない。鄭聲淫、侫人危はいまも昔も変わるところはないが、自主と自由の原則にのっとったものは、いつも新しく、いつも真理である。
×
▽十月四日マッカアサア司令部から政府に通達された覚書は、マッカアサア旋風の名で呼ぶことができよう。
▽旋風一過、ゴオン、ウィズ、ザ、ウインド、(風とともに去りぬ)―一大臣、次いで一内閣、そしてそれより重大なのは、この国の自由をふみにじって来た制度と人間たち。
▽無血の革命が進行する。明治以来の国民的懸案が解決されようとしているのだ。
▽言論の自由は、前内閣(東久邇宮内閣)も最初から口にしたことだ。しかし、この政府はそのために何をなしたか。
▽在職五十日、この政府は何をなしたか―と問うほどの勇気もないといえばいえよう。
▽マ司令部の一指令で、木の葉のように吹き飛ばされたのに何んの不思議があろう。
▽言論の自由とは、いうまでもなく言論を開かせることである。これを閉ざすことに一生を訓練して来た人達によってこの事業がどうしてなしとげられよう。
×
▽教育の根本的改革が急務であるのは誰ひとり認めないものはない
▽大学や専門学校の首脳者は先ず総退却すべきだ。もし自発的に総退却しなかったなら、文部大臣は彼等を呼びつけてその反省を促すべきである。
▽教育家や文教の首脳にそれだけの反省がなくて、どうして人の子を再教育することができよう。
▽反省をもとめる前に、自ら反省すべきである。再教育を行う前に彼等自ら再教育さるべきである。
▽国民学校にしても同様である。先ずこの悪政ファッショ的な名を去って、小学校の名に復帰せよ。
×
▽歴史の書きなおされる時だと人々がいっている。実に新しい歴史が書きはじめられる時だということを。
▽新しい歴史はたしかに書かれるし、書かれつつある。しかし問題はそれだけではない。われわれは日本の歴史を石器時代に遡って書きなおさなければならない。
▽誤魔化しの御用史書や、歴史教育がいかに我国民を誤り、また真理を蔽って来たことか!
▽(本居)宣長は古事記に執着し、その立場から日本書紀は支那に見せるために書かれたものだといっている。その宣長でさえいかにわが国の歴史を誤魔化そうとしたか。国学といわれるもののいかに非日本的であり、また非学問的であることか!
×
▽無産党の出なおしはわれわれの最も歓迎するところである。社会主義は自由の原則を二束三文のものとしてこれをふみにじらない限り、大衆の支持をうけるであろう。
▽彼等については世説區々、或るものはその戦時中における責任を問うものもある。嘗って無産党に属していたもののうちで、この非難に堪えることのできないものがいく人かはある筈だ。
▽護国同志会という侵略主義の団体と旧無産党との間に、戦時中どれだけの開きがあったかという声を聴くことも珍しくない。
▽しかし戦時中手も足も出せなかった彼等には尚お同情すべきものがある。一部の積極的な協力者を除いては。
▽一方で「戦争傍観者」を非難して起ちあがろうとする政党の一派がある。彼等はこの一事によって、彼等自らが、戦争責任者であったことを暴露する。
▽かかる政治家たちがいかにもがくとも、国民はただ冷笑をもって迎えるのみである。国民よ、先ずかかるアナクロ(アナクロ二ズム=時代錯誤)を葬ろう。
▽愛国の精神に燃えあがって、前線に一身を投げ出した若いヒロイズムに対しては、われわれはその心情に同情と尊敬とを払うに躊躇しない。彼等の純潔さはわれわれの襟を正さしむるものがある。
▽しかし御時勢に便乗して、軍部の靴の塵をはらい、得々として指導者顔をしていた人たちには一オンスも假籍するものをもちえない。
▽彼等の罪は却って軍部以上かも知れない。なぜなら彼等は軍部の殿馬についてではあるが、軍部と行動も言葉もともにし、この不名誉な戦争に国民をひきづったばかりではなしに、自己の良心を売りつけ、また国民を軍部に売りつけたものであるからだ。
▽議会人の大多数はみなこれだ。彼等が新しい政党について語る資格のないのももちろんだし、次の総選挙にうって出る資格のないのももちろんだ。
×
▽三木清君は拘置所で逝く。思想家として死所をえたともいへるが、彼をして死に至らしめたものの責任は問わるべきである。
▽殉教者を尊重せよ。国家に殉ずるよりも思想に殉ずるは難い。愛国者よりも殉国者を尊重するようになった時に、人ははじめて文化国家について語ることができる。
▽先ず思想に仆れた人たちに黙祷を捧げよう。それから野放された人たちに生活を保障しよう。
▽きのうまでは思想家が犯罪者のように扱われて来た。今日になっては、これ等の思想家を犯罪者として逮捕、監禁、処罰して来た徒輩が犯罪者であることが、誰にも分ってきた。
▽これ等の犯罪者を調査し、その責任を糾弾せよ。思想の独立はかくして維持される。
▽新内閣(幣原内閣)が生れた。三菱財閥はこれを歓迎しよう。民政(党)政友(党)の旧党たちも。
▽しかしこれは民主主義であるか、これは果して新生日本か。
▽旧時代の化物を次から次へと舞台のうえに立たしめよ。次から次へとこれ等の化物たちを葬るために。
▽これ等の一切が自壊作用を行った後に、本物が静に舞台のうえにあらわれて来よう。
▽本物とは何か―自由主義か、社会主義か、共産主義か、それとも一層高次な何ものかであるか。
▽これに答を與えるものが次の時代を指導する。
     ×
▽この内閣(幣原内閣)では芦田均君がひとり光っている。彼の学殖と文化的性格と、並に自由主義のために守りつづけて来た節義とは、一大臣のまた充分に報いられたとはいえない。
▽厚生の職柄が彼に適しているか否かは問題ではない。人によって厚生事業も巾をもち深さをもつ。
▽ただし芦田君のごとく、文化人のうちから多大の期待をうけているものが、この内閣にはいったことが、彼のために慶すべきか、弔ふべきかは別だ。― 総選挙までの運命だと宣告せれているこの内閣、とりわけこの財閥の臭気のあまりにも強烈なこの内閣に。
▽社会党の諸君が幣原内閣排撃を声明したのは、社会党としてもちろんのことであるが、兎も角も時代の声を代表しているといえよう。
▽第二のマッカアサア旋風がどこへ来るかはもとより予想されないことではあるが、デモクラシイの徹底は必ず財閥のうえに何等かの震動を與えずにはおかないであろう。」
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by kenpou-dayori | 2015-09-19 14:12 | 国立国会図書館への寄贈資料


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