岩田行雄の憲法便り・日刊憲法新聞

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2016年 01月 03日

憲法便り#1519:国立国会図書館への蔵書寄贈こぼれ話

2016年1月3日(日)(憲法千話):2016年1月5日(火)(注)を加筆

憲法便り#1519:国立国会図書館への蔵書寄贈こぼれ話

(注)
【寄贈図書の公開と利用に関して】
寄贈図書の利用は、憲政資料室において、データ書誌的な情報整理、現物の保管等が済み、公開の準備が整ったところで、コレクションの文書名を付けて、インターネット上で公表されます。

蔵書を寄贈する最終段階に差し掛かって、気付いたことが二つある。

第一に、本を寄贈すれば、その分、スペースが広がるかと思っていいたが、実際は、その逆であった。
必要な部分を、拡大コピーしてファイルしたので、かえって以前よりは余分なスペースが必要になったのである。

本は両面に印刷されているが、両面コピーは難しいので、普通に片面コピーをコピーをとった。
昭和20年8月以降の本は、紙も悪く、活字もかな小さい。したがって読むためには、拡大コピーをせざるを得なかった。

その結果、本でいっぱいの部屋は、ますます狭くなり、「私の肩身も狭くなった!」と思っている。
本ならばともかく、コピーの山は、必要とする人間以外には、単なるゴミの山でしかない。
だから、論文を早く書き上げる必要に迫られている。(この3行は、新年の冗談)

第二に気づいたこと、それは、本の実物は、「三次元の世界」であり、コピーは平面的な「二次元の世界」ということである。

私は本を読んでいて、本の大きさや厚さ、表紙などの色彩のほか、手にしたときの紙の質感、重さ、臭いなどど共に、内容を記憶している。

ところが、コピーや、パソコンの画面で見るデジタル資料では、画一的な平面に変わってしまう。
最初からコピーで読んだ本は別として、実物で読んだものをコピーで読んでもどうも違うのである。

だから、今回寄贈した蔵書の中で、どうしても実物があった方が良いと考えたものは、寄贈リストから外すのではなく、もう一つ入手する努力をした。

これは、行動したことによって、初めて体得したことである。
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by kenpou-dayori | 2016-01-03 20:37 | 国立国会図書館への寄贈資料


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