2017年 01月 08日

憲法便り:#1906:年頭20話(その17)高齢者ドライバーの相次ぐ事故をきっかけに考えたこと(心の叫び)

2017年1月8日(日)(憲法千話)
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憲法便り#1906:年頭20話(その17)高齢者ドライバーの相次ぐ事故をきっかけに考えたこと(心の叫び)

昨年は、高齢者ドライバーによる死亡事故が相次いだ。そのニュースにふれるたびに、心が痛んだ。

実は、私は一昨年の七月に、73歳の誕生日を迎える直前に運転免許証を返納している。昭和37年(1962年)3月27日、19歳のときに取得した普通自動車および大型自動二輪の免許証である。

ずっと「ゴールド免許」だったので、もう一度、更新をしたいとも思い、迷っていたが、妻の一言で返納を決断した。
「あなたは、55歳半ばで退職して以来、運転は全くしていないのだから、必要ないでしょ」

たしかにその通りなのだが、田舎暮らしをしてみたいということも、頭の片すみにあった。

その考えについても、妻はずばりと言った。
「ずっと東京で暮らしてきたあなたには、田舎暮らしは無理よ。それに、私は行きません」

私は、出かけた先で「一杯やる」ことを楽しみにしていたので、自家用車を持たず、私生活で運転することは、ほとんどなかった。
それに、早稲田の学生時代以来、50年間、早稲田や高田馬場で暮らしてきたので、いまの生活を続ける限りは、たしかに運転免許証は必要ない。

雨が降ったり止んだりしていた日に、所轄の戸塚警察署で返納手続きを済ませたが、署の入口にある傘立てに、傘を忘れてしまった。
気が抜けてしまったのかもしれない。家にたどり着いて、忘れ物に気がついたが、警察署なのでなくなることはないだろうと、たかをくくって電話連絡もしなかった。
ところが、三日後に戸塚警察署に行ってみると、傘はなくなっていた。

運転免許証を返納する前には、ひどく疲れている時に、運転している自動車のブレーキが効かない夢を見ることがあった。そのたびに、目が覚めてほっとした。
だが、不思議なことに、運転免許証を返納してから、この夢を見なくなった。
だから、私の場合は、とりあえず良かったと言えるのかも知れない。

前説が長くなったが、本論はここからである。

私は、北海道から沖縄まで、全国各地から招かれて講演に出かけてきた。
昨年は、仙台、秋田県湯沢市、能代市、長野市2回。

その度に、空港や駅から会場まで、あるいはホテルまでの移動などで、主催者の方々の自家用車のお世話になった。
私とほぼ同年代か、年上の方による運転の場合もある。というよりは、正確に言えば、高齢者ドライバーの方が多い。
タクシーならば1,000円前後の場合もあるが、かなり離れている場合もある。
講演会に参加して下さる方々も、自家用車を乗り付ける。運転が出来ない人を乗せて、相乗りしてくる場合も多い。
自家用車がないと、日常生活は、かなりの制約をうけていることがわかる。

日本の政治は、産油国でもないのに、モータリゼーションと称して、自動車優先の交通政策を続け、公共交通を破壊してきた。
国鉄の「分割・民営化」はその最たるものである。鉄道を廃線にして、代替バスを運行しても、本数が減らされてきた。
北海道では、またまたJRの路線廃止や、駅の閉鎖が伝えられる。
数年前に、釧路で講演を行った際に、言われたことがある。「北海道では、公共交通は全くあてになりません」。
北海道は、その時よりも、さらに悪化している。

一極集中を進めてきた政治のつけが、地方に住む人々の「健康で文化的な最低限度の生活を営む」権利を奪っている。

軍事費を削って暮らしに回すことを本気で行わなければ、この国の存立基盤は、ますます貧弱なものとなる。

敢えて言っておきたい。いまからでも遅くはない。生活をしている人々がいるうちに、地方の立て直しをはかれ!
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さんから、早速、次のメッセージをいただきました。

「全く同感。車で動くことを前提に駅から離れた住宅地を売り、皆が通勤通学をしなくなったら、バス路線は廃止、結局若い人も親の家には帰ってこないから、町内会は平均年齢70歳のような、そんな街並み増えてます。」



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by kenpou-dayori | 2017-01-08 18:16 | 見逃せない真実


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