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2017年 04月 27日

憲法便り#1990:連合通信隔日版で、拙著『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』をご紹介いただきました!

2017年4月27日(木)(憲法千話)

憲法便り#1990:『連合通信』隔日版で、拙著『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』をご紹介いただきました!

去る4月13日に、連合通信社編集長伊藤篤さんのインタビューを受けましたが、同社の『連合通信』(隔日版)2017年4月22日号に、拙著『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』の紹介記事が掲載されました。

北海道から九州まで、各地の表情を丁寧にご紹介いただきましたので、ご了解のもとに、表紙、目次、1-5ページを掲載致します。
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by kenpou-dayori | 2017-04-27 20:14 | 掲載紙・掲載誌
2016年 07月 26日

憲法便り#1789:能代での講演を伝える『北羽新報』、『秋田魁新報』の2紙の記事を紹介します。

2016年7月26日(火)(憲法千話)

憲法便り#1789:能代での講演を伝える『秋田魁新報』、『北羽新報』の2紙の記事を紹介します。


2016年7月4日付『秋田魁新報』18面
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秋田魁新報社には、5月9日に湯沢で行った講演を報じた『毎日新聞』の記事のコピーを、参考資料として送った。(リンク先はこちらへ)

2016年7月7日付『北羽(ほくう)新報』3面
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(注)私の経歴について「岩田さんは、早大第二文学部卒。長くロシア書籍の出版などに携わった」とあるが、
これは間違いなので、訂正を求めた。

その結果、7月20日付3面で次のとおり訂正された。
「7日付3面の能代まちなか九条の会の日本国憲法に関する講座の記事で、講師を務めた岩田行雄さん(東京都)の経歴は、正しくは「16~19世紀ロシアの出版史および書籍文化史研究者」でした。
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by kenpou-dayori | 2016-07-26 17:00 | 掲載紙・掲載誌
2015年 05月 17日

憲法便り#1001号記念: 講演会の内容を、最も正確に伝えて下さった『奈良新聞』の記事を紹介します

2015年5月17日(日)(憲法千話)

憲法便り#1001号記念: 講演会の内容を、最も正確に伝えて下さった『奈良新聞』の記事を紹介します

2004年11月9日、「ならコープ平和の会」のお招きにより、県立婦人会館において、午前十時から憲法講演を行いました。
この講演は、下記の【講演の記録】にあるように、
10月23日 宮崎市
10月30日 仙台
11月6日 札幌
11月9日 奈良
と大変忙しいスケジュールの中で、行いました。

【講演の記録】
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実は、この講演の前日に、奈良に親しむ、次のようなことがありました。
主催者の都合により、午前十時からということなので、前日に奈良に到着するようにしましたが、
世話人のKさんが、自家用車で大和八木駅まで迎えに来て下さいました。
話によると、Kさんは、前日コスタリカへの旅行から帰国なさったばかりとのことでしたが、
下記の観光スポットに、私と妻を案内して下さいました。
これらの中で、特に気に入ったのは、石舞台で、しばらくその上に乗って楽しみました。

明日香村民俗資料館
亀型石造物
酒船石
石舞台
棚田、
鬼の雪隠(せっちん)
鬼の俎(まないた)
高松塚古墳。
天理教本部
天香久山

天理には、私立大学図書館協会古版本研究部会の合宿で訪れたほか、天理図書館が所蔵する世界最古のスラブ語聖書の印刷本についての論文を執筆するために、2度訪れたことはありますが、あとはすべて初めてのところばかり。

五歳の時から大人に混じって「百人一首」に親しんできた私にとって、
持統天皇によって次のように詠まれた天香久山は、想像上の憧れの山でした。
「春すぎて 夏来(き)にけらし 白妙(しろたへ)の 
    衣(ころも)ほすてふ 天(あま)の香具山(かぐやま)
しかし、現実の天香久山は、ハイキングコースのある、標高152.4メートルの小さな山でした。

夕陽が西に沈みかけた頃、奈良市内の宿に到着。
講演会の主催者の皆さんが用意して下さった宿は、「国際奈良学セミナーハウス」。
普段は、皆さんが宿泊に利用することが出来ないとのことで、この機会を利用して、世話人の6人の皆さん(女性ばかり)も同館に宿を取り、部屋で歓迎会をして下さいました。
夕食は、すべて、皆さんの季節感豊かな手料理の持ち寄り。
器も自前のなかなか洒落たもので、大和の心が溢れていました。
季節の草花も飾りつけにあしらわれており、高級な料亭にいるような気分です。
たくさんのお料理の中に、黒米のおにぎり、鴨肉のローストもあり、、
用意してくださった日本酒もとても美味しかったのですが、翌日に講演を控えておりますし、カロリーもコントロールしなければならないので、せっかくのおもてなしのお酒と、手料理は、かなり遠慮してしまいました。
グルメを自認する私は、いまでも、もう少しいただいておけばよかったと、残念に思うほどです。

講演会当日は、早朝に、東大寺境内を妻と共に散歩をしましたが、これは、私にとっては中学校の修学旅行以来の東大寺訪問で、感慨深いものでした。

こうして迎えた講演会は、定員50人の会議室が満員の盛況。
当日、『奈良新聞』の記者Mさんが取材に来ていたことを、あとで知らされました。
彼は、最後まで、熱心にメモをとりながら聞いていた方で、会が終了すると同時に退出なさいました。
後に世話人の方が送って下さった11月13日付『奈良新聞』13面を見ると、非常に正確に書かれていました。
私は、その後も様々な新聞に掲載された記事を見ましたが、これ以上正確に書かれた記事を見たことがありません。その実物の画像を下に用意しました。

2004年11月13日付『奈良新聞』13面
この紙面の記事の配置で気づくのは、左下に「慶応大塾長が講演」(800人参加)が配されていることです。
参加者の人数や、講演者の知名度よりも、記事の内容を優先して判断している見識が光ります。
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会場の写真。左側に写っていいるのは、私が著書の表紙をデザインした特注のTシャツです。

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なお、以上の内容は、
憲法便り#933:『日本国憲法公布、その日、あなたの故郷ではNo.33: 奈良篇』(5月17日増補版)にも転載します。
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by kenpou-dayori | 2015-05-17 21:58 | 掲載紙・掲載誌
2015年 05月 17日

憲法便り#999号記念:私の憲法書自費出版の始まりとそれ以前の『ロシア書籍文化史』研究について

2015年5月16日(土)(憲法千話)
同日ブログ向けにもうひとつの題名を付ける:私の憲法書自費出版の始まりとそれ以前の『ロシア書籍文化史』研究について

憲法便り#999記念号: 『検証・憲法第九条の誕生』が初めて報道された新聞記事は、11年前の『赤旗』
憲法便り#999記念号:
2004年6月11日付『赤旗』5面に掲載された、岩田行雄編・著『検証・憲法第九条の誕生』紹介の記事。
前日の6月10日に「九条の会」が結成され、この日の『赤旗』の紙面は、一面から社会面まで覆い尽くされていました。
そのため。、残念ながら、この紹介記事は、ほとんど気づかれなかったが、200冊ほどの注文をいただきました。
私は、5月1日、すなわちメーデーの朝から入力を始め、その傍ら、編集、宣伝のためのカタログの発送、電話かけを行いました。その結果、刊行時点での注文数は1,750冊ほどに及び、わずか3ヶ月で、5,000冊が完売となりました。
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この時の過労がたたり、視力に大きな障害を抱えましたが、心配する妻の制止を振り切って、その後も、自費出版で、第5版までワンコインの出版を続けました。
他の著作も含めると、10年間で約45,000冊に及ぶ、下記の出版を行っています。
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ところで、上述の『赤旗』による紹介記事では、私の経歴について、次のように紹介されています。
「1997年まで30年間、洋書店に勤務。退職後は、「ロシアにおける書籍文化史」を中心に幅広い研究に専念し、2002年4月から2004年3月まで、早稲田大学現代政治経済研究所の特別研究員としての研究活動も行ってきました。現在は本来の研究を中断し、(『検証・・・Iの)執筆に取り組んでいます。」
私がそれまでに行ってきた「ロシアにおける書籍文化史」についても、ここで紹介しておきたいと思います。
『日本18世紀ロシア研究会年報 No.8』(2012)より
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「16世紀ー18世紀ロシアの書籍文化史』研究は、以上のところまでで中断していますが、学位論文『日本国憲法成立史の実証的再検討』の完成を急ぐ傍ら、ロシア研究の方も、来年には発表にこぎつけたいテーマを決めてあります。
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by kenpou-dayori | 2015-05-17 08:57 | 掲載紙・掲載誌
2015年 05月 17日

憲法便り#1000号記念:「一度改悪を許してしまえば、後で百倍頑張っても元の平和憲法には戻せない」

2015年5月17日(日)(憲法千話)
2015年5月26日補訂

憲法便り#1000号記念:「一度憲法改悪を許してしまえば、あとで100倍頑張っても元の平和憲法には戻せない」

2005年8月5日号の 『週刊金曜日』に掲載された、「わたしと憲法シリーズ :12」で、紹介を受けたことがあります。

インタビューをして下さったのは、西村仁美(フリーライター)さん。
最初、約束をした時間は、彼女の予定があるので、1時間半ということになっていたが、私の話が面白いということで、中断をはさんで、6時間を超えました。
その結果、彼女が編集担当者に2ページにわたる掲載を要望したが、すでにページ割が決まっているので、予定通り、1ページのみの掲載となったという経緯があります。

この紹介記事のタイトルは、
「岩田行雄 1万冊が売れている自費出版『検証・憲法第九条の誕生』の編著者: 改悪を許せば元には戻せない」。
この紹介記事のおかげで、『検証・憲法第九条の誕生』1520冊の注文と、3ヶ所から講演依頼を受けました。そして、この結びつきを基礎に、さらに注文と講演依頼を受けることになりました。
西村仁美さんと『週刊金曜日』さんに感謝です。(2015年5月26日加筆部分)

注文者の三分の二は、女性。
この傾向は、出版直後から感じていたこととほぼ同じ。
肩書きに頼らず、自らの判断、危機感、行動力で、50冊、100冊と注文を下さることが多かった。

もちろん、積極的で、素晴らしい男性とも多くの出会いがあり、10年に及ぶお付き合いをしている方々が、数多くいます。
だが、すべからく肩書きで社会活動をしてきた男性は、すぐには判断する人が少なく、途中で話が立ち消えになってしまうこともしばしば。
それが、悩みだが、「他人と過去は変えられない」と割り切るしかない。

でも、ことここに及んで、そんな悠長に構えてはいられないのだが、焦(あせ)っても仕方がない。
これからも、「地道にコツコツ」、『憲法便り』での情報発信を続けます。

以下に、感謝を込めて、『週刊金曜日』の紹介記事を、掲載します。
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拡大画像
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by kenpou-dayori | 2015-05-17 08:50 | 掲載紙・掲載誌
2014年 02月 27日

憲法便り#552 昨年6月21日付『毎日新聞(宮城県版)』に掲載の拙著『心踊る・・』の紹介記事

2014年2月27日
憲法便り#552 昨年6月21日付『毎日新聞(宮城県版)』に掲載の拙著『心踊る・・』の紹介記事


新聞労連加盟109組合宛に出した手紙に同封した、2013年6月21日付『毎日新聞(宮城県版)』の紹介記事のコピーです。

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昨年、【速報】としてお伝えしました

※本書『心踊る平和憲法誕生の時代』の注文については、こちらから
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by kenpou-dayori | 2014-02-27 10:16 | 掲載紙・掲載誌
2013年 09月 29日

憲法便り#335 歴史教育者協会編『歴史地理教育』10月号に掲載された『心踊る・・・』の書評

歴史教育者協議会編『歴史地理教育』2013年10月号(通算810号)に、『心踊る平和憲法誕生の時代』の書評が掲載されましたので、写真版で紹介します。
筆者は、北海道有朋高校の山本政俊さんです。

上から順に、表紙、書評欄「読書室」の96頁、97頁。
書評は、二頁にまたがって、中段に掲載されています。
ただし、二箇所に誤りがありますので、訂正しておきます。
①96頁の後ろから二行目 「新憲法公布の五月三日」とあるのは、「十一月三日」。
②価格が「税込み1,000円」とあるのは、「定価1,000円」(税、送料別)。

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※本書『心踊る平和憲法誕生の時代』の注文については、こちらから
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by kenpou-dayori | 2013-09-29 08:00 | 掲載紙・掲載誌
2013年 08月 24日

憲法便り#232 「忘れたかった長崎 福島のために語る 高井ツタエさん」を紹介します

2013年8月22日付『東京新聞』の朝刊10面の「特集」ページ掲載の、『犠牲の灯り 第6部「無常の風」番外編』は、注目すべき記事、そして深く考えさせられる記事です。被爆者の苦悩と現実を語る二つの記事が掲載されています。

そのひとつ、、「忘れたかった長崎 福島のために語る 原爆の日初めて式典出席 高井ツタエさん」を紹介します。
名古屋市緑区にお住まいの高井ツタエさんは77歳。今年八月九日に、長崎市の平和公園で開催された「原爆犠牲者慰霊の平和祈念式典」に初めて出席なさいました。
放射能、差別、繰り返された苦しみ。
高井ツタエさんのお話を、ひとりでも多くの方に読んでいただきたいので、『東京新聞』の記事をそのものにリンクしました。特集のページ、1ページの半分に以上を使った、大きな扱いの記事です。平和祈念像をバックにいれた高井ツタエさんの写真も掲載されています。

なお、このページには、元福島大学長山田舜さんの談話「被爆者なのに、原発反対出来ず」も掲載されています。

お知らせ:
8月24日の午前八時に予約投稿を準備中の書きかけの原稿が、私の手違いで、昨23日に一度掲載されましたので、そちらは削除いたしました。
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by kenpou-dayori | 2013-08-24 08:00 | 掲載紙・掲載誌
2013年 08月 23日

憲法便り#229 元福島大学長山田舜さん談「被爆者なのに、原発反対出来ず」を紹介します

2013年8月22日付『東京新聞』の朝刊10面の「特集」ページ掲載の、『犠牲の灯り 第6部「無常の風」番外編』は、注目すべき記事、そして考えさせられる記事です。被爆者の苦悩と現実を語る二つの記事が掲載されています。
そのひとつ、元福島大学長山田舜さんの談話「被爆者なのに、原発反対出来ず」を紹介します。
『東京新聞』にリンクしてありますので、是非お読みください。

なお、このページには、「忘れたかった長崎 福島のために語る 原爆の日初めて式典出席 高井ツタエさん」も掲載されています。
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by kenpou-dayori | 2013-08-23 08:00 | 掲載紙・掲載誌
2013年 07月 28日

憲法便り#148 ポツダム宣言を68年前の新聞はどのように報じたか?

『讀賣報知』、『朝日新聞』、『毎日新聞』、より

昭和二十年七月二十八日付けの『読売報知』『朝日新聞』『毎日新聞』を見ると、下記の見出しで各紙とも複数の記事を掲載し、国民を戦争に駆り立てている。

以下に見る通り、三紙のうち二紙が「笑止(しょうし)」の見出しを使い、笑いとばす態度をとり、無謀な戦争続行に国民を導く手助けをしている。

その結果、「本土決戦において米軍を徹底的に殲滅」するどころか、日本の全国各地が空爆により、壊滅的な打撃を受けることとなった。

【見出し】
『読売報知』
「笑止、対日降伏条件
トルーマン、チャーチル、蒋連盟
ポツダムより放送す」
「国内、対日両天秤
老獪な謀略
敵宣言の意図するもの」
「戦争完遂に邁進
帝国政府問題とせず」
「戦争は国民がする
力の結集急げ
南日政(大日本政治会)総裁
記者団と語る」

『朝日新聞』
「米英重慶、日本降伏の
最後条件を声明
三国共同の謀略放送」
「政府は黙殺」
「多分に宣伝と対日威嚇」

『毎日新聞』
「笑止!米英蒋共同宣言
自惚れを撃砕せん
聖戦を飽くまで完遂」
「白昼夢・錯覚を露呈」
「政戦一致は鉄則
戦力国民の自奮に
南総裁、所信を披瀝」

【記事の実例】
『毎日新聞』昭和二十年七月二十八日より

【見出し】
「笑止!米英蒋共同宣言
自惚れを撃砕せん
聖戦を飽くまで完遂」

【記事】
「廿七日の定例閣議は午後二時より首相官邸に開催、鈴木首相ほか各閣僚出席、東郷外相よりトルーマン、チャーチル、蒋介石によって廿七日早朝(日本時間)宣言された三国共同宣言について詳細に報告し、午後五時散会した」
「トルーマン、チャーチル、蒋介石による三国共同宣言は笑止にも帝国に対し軍隊の武装解除或は軍需産業の全廃、皇土の割譲等不遜極まるものである、わが国の大東亜戦争遂行の真目的は飽くまでも帝国の自存自衛及び大東亜民族の米英よりの解放にあり、この神聖なる戦争目的は世界人類斉しく認むるところである、米英の戦争目的に対比し天地の相違がある、最近の戦況にうのぼれを来し、わが戦力を過小評価するに至った米国は戦争の終結近しと独断、かくて今回の許すべからざる三国共同宣言をなしたものと想像される、しかし戦局の今後はわが方に絶対の自信をもつ本土決戦において米軍を徹底的に殲滅し得るとは軍当局並に政府が屡々(るる)その確信を披瀝してゐるところである、国民もそれに対し絶対の信頼を寄せ戦争の完遂に全力を傾注してゐるのである、ここにおいてわが方としてかかるうぬぼれに基く三国共同宣言に対しては一顧も与えることなくひたすら大東亜戦争の神聖なる目的に徹し飽くまでも彼等の戦意を放棄せしめるまでは戦ひ抜き頑張り抜くだけである、政府またかかる方針であることは勿論である」

日独伊三国軍事同盟を締結していたイタリアはすでに一九四三年九月八日に無条件降伏しており、ドイツも一九四五年五月七日に無条件降伏した。この時点で、アメリカのトルーマン大統領が日本に無条件降伏を勧告した。しかしながら、日本政府は五月九日に「戦争遂行決意不変」を声明し、戦争を続行していた。
ポツダム宣言が発表された時点で日本政府が取った態度と、「勇ましい」報道が如何にばかげたものであり、救い難い強がりであったか。
それを証明するため、憲法便り#151において、外務省編纂『終戦史録』の「太平洋戦争日暦」に基いて示しておく。


※本書『心踊る平和憲法誕生の時代』の注文については、こちらから
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by kenpou-dayori | 2013-07-28 07:30 | 掲載紙・掲載誌