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2017年 01月 01日

憲法便り#1892:年頭20話(その4)出版OB九条の会ニュースに寄稿した近況報告。

2017年1月1日(日)(憲法千話)

(一覧しストに戻るのは、ここをクリック)


憲法便り#1892:年頭20話(その4)出版OB九条の会ニュースに寄稿した近況報告。


出版OB九条の会から、2016年8月に原稿依頼を受け、9月2日に郵送しました。

原稿を送る際に、下記の手紙を添えました。(手紙の部分は、ニュースには掲載されていません)


その近況報告が掲載された『出版OB九条の会ニュース』が、12月初旬に届きましたので紹介します。

原稿発送後、11月4日に、再び長野市内で憲法講演を行っています。

「自分で考えるために学ぶ会」からの依頼によります。


いま、この近況報告と手紙を読み返してみて、「真理がわれらを自由にする」という思いを強くしています。

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出版OB九条の会 御中

拝復 

原稿依頼のお手紙をありがとうございます。嬉しく拝読いたしました。

ワープロの手紙で失礼します。ご依頼の趣旨に沿った原稿を同封致します。

ご指定の800字(42字×19行)でまとめました。

後半部分でふれた堀尾論文は、自ら設定した結論に合致した部分を寄せ集めたもので、学術論文とは言い難い粗雑なものです。堀尾論文では、歴史を動かしたのは「幣原か、マッカーサーか」ということのみに焦点が当てられています。例えて言えば、「木を見て、森を見ない」論議です。それでも、『世界』、『東京新聞』、『しんぶん赤旗』が肯定的に掲載したものに批判的な意見を述べるのは、天動説が支配する世界で、地動説を唱えるような感じがします。そして、「幣原説」を認めるかどうかが、「踏み絵」のようになることを恐れています。しかしながら、憲法を守るためならば、史実を曲げても良いということにはなりませんし、学問・研究の閉塞状況を生み出すことになると思いますので、私は、実証的な研究に基づく発信を続ける所存です。「押し付け憲法」論、「幣原説」、および堀尾論文に関する詳しい解説文と資料は、準備が出来次第お届けします。敬具






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出版OB九条の会 御中

近況報告                          岩田行雄(元ナウカ労組)

昨年(2015年)は体調不良と国会情勢緊迫により講演は行いませんでしたが、今年は積極的に行っています。二月「八軒校区九条の会」(仙台)、同「吉野作造通信を発行する会」(仙台)、四月「新宿のくらしと文化を考える会」(高田馬場)、五月「九条の会ゆざわ」(秋田県湯沢)、六月「極東書店読書会」(水道橋)、同「能代まちなか九条の会」(能代市)、八月「杏茂里九条の会」(長野市)。各講演は約二時間。論題は『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!―「押し付け憲法」論への実証的反論』。「杏茂里九条の会」は九年ぶりで、今回は若い母親を対象に一時間の講演。論題は『憲法と子どもたちの未来』で、実物を示して育鵬社公民教科書にも言及。通算一四六回目の講演です。八月には「憲法フォークジャンボリー イン東京 2016」で講談『日本国憲法誕生秘話』を上演。憲法研究は二〇〇四年一月からですが、現在も学位論文『日本国憲法成立史の実証的再検討』執筆のため国立国会図書館、国立公文書館、外務省外交史料館に通って議会及び委員会議事録、文書類、外交記録、GHQ文書等の原資料を調査し、内閣官房、衆議院、内閣法制局、法務省等に問い合わせも。研究手法は、あらゆる資料を予断や偏見なしに読み、史実に基づき正確な全体像及び細部を把握すること。「押し付け憲法論」の誤りだけでなく、「九条提唱者幣原説」の誤りや問題点についても解明して来ました。幣原説ありきで書かれた堀尾論文が『世界』五月号に掲載され、その中で紹介されたマッカーサー書簡は、『東京新聞』、『赤旗』でも「新資料発見」と大きく報じられています。しかし同書簡は以前から公開されており、また基礎資料の検討がない堀尾論文には多くの誤りがあります。「押し付け憲法論」への反論と「九条提唱者」の問題はイコールではありません。歴史の研究者として看過出来ませんので上記三誌紙に対して、またブログ、学術誌での意見表明も準備中です。

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by kenpou-dayori | 2017-01-01 20:00 | エッセー
2016年 01月 04日

憲法便り#1521:「憲法便り#1519:国立国会図書館への蔵書寄贈こぼれ話 」のご感想を紹介!

2016年1月4日(月)(憲法千話)

1月5日(火)【寄贈図書の公開と利用に関して】を加筆

(注)
【寄贈図書の公開と利用に関して】
国立国会図書館での、この寄贈図書の利用は、憲政資料室において、データ書誌的な情報整理、現物の保管等が済み、公開の準備が整ったところで、コレクションの文書名を付けて、インターネット上で公表されますので、それ以降に可能となります。

憲法便り#1521:「憲法便り#1519:国立国会図書館への蔵書寄贈こぼれ話 」のご感想を紹介!

いつも、『憲法便り』をリツイートして下さる『うさぎブラザーズ1号』さんに、新年の挨拶と同時に、「いつもとは一味違ったエッセーを書いたので、ぜひお読みください」とのメッセージをお送りしたところ、
下記のメッセージをいただきましたので、紹介させていただきます。

「あけましておめでとうございます。よろしくお願い申し上げます。「憲法便り#1519:国立国会図書館への蔵書寄贈こぼれ話 」読ませていただきました。本とコピーの対比のお話、なるほどと思いました。自分でいうのもなんですが、「活字中毒」なので、実感しました。」
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by kenpou-dayori | 2016-01-04 20:45 | エッセー
2015年 12月 18日

憲法便り#1477:『9・11直後のアメリカ論(3)』:「根の浅さ」と「根の深さ」

2015年12月18日(金)(憲法千話)

憲法便り#1477:『9・11直後のアメリカ論(3)』:「根の浅さ」と「根の深さ」

「アメリカ民主主義の「根の浅さ」、そして問題の「根の深さ」は戦後のアメリカ社会史を見ても明瞭です。
 一九四九年秋から五年間にわたって政府活動特別委員会を舞台にして共和党上院議員マッカーシーのイニシアチブにより吹き荒れた、いわゆる、「マッカーシー旋風」は、赤狩りと思想弾圧でアメリカの真の民主主義を思想の自由を根底から覆しました。
 一九五五年からキング牧師を指導者として始められた人種差別バス・ボイコット運動を契機に南部各地に広がった黒人の運動は、一九六五年に新公民権法を制定させました。しかし、実際に差別撤廃を克ち取るまでには、キング牧師暗殺を含む多くの犠牲を伴い、長い苦難な道のりを経なければなりませんでした。キュー・クラックス・クランと名乗る人種差別主義者の秘密結社による暴力のみならず、白人の差別意識が厳然たる壁として立ちはだかっていました。今も人種差別は存在しています。
 アメリカはもうひとつ根深い問題を抱えています。「銃規制」を今も解決出来ないでいることは、アメリカ民主主義の限界であり、銃の力でアメリカ原住民から奪い取って作り上げられたアメリカ社会が内包している根本的な問題です。これは暴力によって他を支配するという発想の温床になっており、「力の論理」「強者の論理」「殺す側の論理」に連なっています。
 テキサス州の石油産業と軍事産業をバックに登場したブッシュ大統領は、アメリカ社会の行き詰まりを打開するためにテロ事件を最大限に利用し、軍事行動をつづけています。その有効性が疑問視されているミサイル防衛網構想にも、テロ事件直後に大幅な予算が承認されました。テキサス州一州だけでフランス一国と同量の炭酸ガスを排出しているアメリカは、ブッシュ大統領の登場後にいち早く「京都議定書」批准を拒否しました。アフガニスタン空爆による市民の死者の数は、すでにテロ事件の犠牲者の数を上回っています。本当の「ならず者国家」は、やりたい放題を続けているアメリカだと断言できます。
 国際世論はこの状態をながくは容認しないでしょう。声をあげ続けることが必す力になると思います。
 私は理性の勝利を信じて、これからもペンによる闘いを続けます。」
 

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by kenpou-dayori | 2015-12-18 12:52 | エッセー
2015年 12月 18日

憲法便り#1476:『9・11直後のアメリカ論(2):キューバ危機とケネディ、二大政党制の危険性』

2015年12月18日(金)(憲法千話)

憲法便り#1476:『9・11直後のアメリカ論(2):キューバ危機とケネディ、二大政党制の危険性』


前回紹介した河内氏の文章の中で使われている、「気が狂う」という表現は妥当ではなく、好きではありません。しかし、その点を除けば全体として肯んぜられるもので、彼が日頃感じていることがひしひしと伝わってきます。
私は河内氏がふれている「根の深さ」は、言い換えればアメリカにおける民主主義の「根の浅さ」、脆弱性に起因していると考えています。
 九月十一日に引き起こされた同時多発テロのショッキングな映像を見ながら、世界経済の先行き不安と同時に、私の脳裏をよぎったのは河内氏が書いているようなアメリカ社会の急激な変化の予見でした。その根拠となったのは、まだ早稲田大学の一年生だった一九六七年に聴いた服部辨之助先生の「政治学」の鮮明な記憶です。彼はソ連がキューバにミサイルを持ち込もうとして一触即発の事態となった一九六二年の「キューバ危機」の時、アメリカに留学中でした。当時のアメリカ大統領はケネディで、彼が一九六〇年の大統領選挙で獲得した選挙人の数こそ共和党のニクソン候補を三〇三票対二一九票と引き離しましたが、全米の一般投票総数では六八〇〇万票のうちわずか十一万八千票の僅差でした。彼は「キューバ危機」の時まで必ずしも評判はよくなく、論敵や政敵も多数存在していました。しかしながら、「キューバ危機」で核戦争も辞さない構えを取り、キューバを海上封鎖したケネディの支持率は急上昇し、アメリカ全体が戦争モードに一変しました。服部先生の友人で、前日までケネディを批判していたインテリ達も一斉にケネディ支持者に変わりました。
 なぜ、アメリカ社会ではこのように歯止めが利かない事態が簡単に起きてしまうのだろうか? それには、基本的政策の九〇パーセントが共通している民主、共和両党しか選択肢がない、二大政党制によるアメリカの政治構造の「根の浅さ」が指摘できると思います。
 ひるがえって日本の政治状況を見ると、元自民党員の鳩山由紀夫氏が民主党と自民党による二大政党制を盛んに主張しています。これが現実のものとなった場合には、日本でも同根の政党間での地滑り的移動が簡単に起こり得ると思います。現に、改憲論議において鳩山氏は「鷹派」の本性を表しています。」
(第3回『アメリカ民主主義の「根の浅さ」と問題の「根の深さ」』に続く)

〔追加のひと言〕日本の国民が目の当たりにしている通り、マスコミも加わって二大政党制、内容抜きの政権交代が煽られ、私の予見は不幸にも現実のものとなりました。


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by kenpou-dayori | 2015-12-18 09:51 | エッセー
2015年 12月 18日

憲法便り#1475:再考!『9・11直後のアメリカ論(1):アメリカは狂っている?』

2015年12月18日(金)(憲法千話)

憲法便り#1476:『9・11直後のアメリカ論(1):アメリカは狂っている?』

9月21日付の『憲法便り#318』で、『「国際平和デー」に寄せて:9・11直後に書いた散文詩「アメリカの友へ」』と題して、12年前の9・11の直後に書いた、私の誌を掲載しました。正式なタイトルは、「『アメリカの友へ』―二〇〇一年十一月十八日の手紙」。
同人誌『ひろば 190号』(2002年2月)に掲載されたものです。

私は、この詩の投稿をした際に、9・11の直後に書いた「アメリカ」論も同時に寄稿しています。
いま読み返して見ても、当時の問題点だけではなく、現在の問題にも踏み込んで書いています。
『アメリカの友へ』と同時に、是非読んでいただきたい文章なので、全3回に亘って掲載します。
「戦争の世紀」と呼ばれた20世紀に別れを告げ、戦争のない平和な世紀が期待された21世紀への希望と夢は、9・11によって打ち砕かれました。
 あれから12年。通信技術や軍事技術は進歩したが、歴史に進歩はあったのか、人類に進歩はあったのかを改めて問いかけたいと思います。


同人誌『ひろば 190号』(2002年2月)より

新年(2002年)に届いた池袋の城北法律事務所ニュース第四十六号の中に、私も以前からよく存じ上げている河内謙策弁護士が書いた「今、アメリカで……」という文章がありました。アメリカの現状が非常によく表されているので、その全文を紹介します。
「二〇〇二年明けましておめでとうございます。
 私は昨年の四月に渡米し、現在、ハーバード大学ライシャワー研究所の客員研究員としてボストンで暮らしています。皆様に十分連絡もとらずにアメリカに来てしまった失礼をお許し下さい。
 最近のアメリカの状況を一言でいえば、アメリカは狂い始めているのではないかと思っています。アメリカの支配的なエリートの言動は、我々の常識をはるかに超えています。九月十一日事件直後にブッシュが先頭に立って戦争を言い始めた時にもぞっとしましたが、現在は、アフガニスタンの後はイラクだとかソマリアだとかいう議論が盛んです。信じられない感覚です。ハーバード大学の学長は、クリントンの時に財務長官だったサマーズですが、彼は、大学は死を覚悟している軍人たちを支持する義務があるなどと言い始めました。気が狂っているとしか言いようが有りません。
 狂い始めているのは支配的エリートだけではなく、アメリカ国民もそうです。九月十一日以後、多くのリベラルと言われている人たちが転向しました。ブッシュを85%とか90%が支持しているというのは、異常としか言いようがありません。
 アメリカ国民はだまされていると言う見方もあるかも知れませんが、私はアメリカに来て、そのような見方は、あまりにも素朴だと思うようになりました。根は深いのです。
 この様な中で今回の戦争に異議を唱えた人たちには、救われる思いがします。愛国青年だけでなく、反戦青年も増えています。ボストンで今回の戦争に反対している最も有力な集団の一つが、キリスト教の一分派とも言えるクエーカー教徒たちです。クエーカーは、十七世紀以来、平和のために闘い、弾圧に耐えてきた徹底した非暴力の平和主義者で、リーダーのジョセフ・ガーソンは本当に尊敬出来る人です。」
(第2回:「キューバ危機とケネディ」に続く)

《追加のひと言》
1956年製作、1957年に公開されたアメリカ映画『友情ある説得』は、南北戦争時代のクエーカー教の牧師一家の愛と喜びと悲しみを描いた名作です。
製作・監督は、ウイリアム・ワイラー。『ローマの休日』、『大いなる西部』、『ベン・ハー』など数々の名作を残した名監督です。
主演は、名優ゲイリー・クーパー。『真昼の決闘』はあまりにも有名です。
牧師の妻役は、ドロシー・マクガイア。


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by kenpou-dayori | 2015-12-18 09:40 | エッセー
2015年 12月 18日

憲法便り#1474:9・11直後に書いた「『アメリカの友へ』―2001年11月18日の手紙」

2015年12月18日(金)(憲法千話)

憲法便り#1474:9・11直後に書いた「『アメリカの友へ』―2001年11月18日の手紙」

今日は、12年前の9・11の直後に書いた、私の詩を掲載します。
正式なタイトルは、「『アメリカの友へ』―2001年11月18日の手紙」。
同人誌『ひろば 190号』(2002年2月)に掲載されたものです。
当時は、イラク戦争の前夜でした。
現在は、シリアへのアメリカの軍事行動が当面は阻止された状況ですが、予断は許しません。
こういう時こそ、世論の力が戦争をくいとめる、そう信じます。
イギリスでは、世論がイギリス政府の手を縛りました。

いま、改めてこの詩を読んでみると、日本は本当に変わってきていると思います。
しかしながら、私は諦めません。
いかなる戦争も反対です。

9・11事件当時、私は、「来日ロシア人研究会」がその研究活動の一環として、2001年10月6日に、早稲田大学において開催を予定していた国際会議「日本におけるロシア文化の受容<過去から未来へ>」で研究発表をするために、原稿の仕上げの段階にありました。テーマは、「エマヌイル・シュテインの亡命ロシア人詩集コレクションについて」。
エマヌイル・シュテインは1934年ポーランド生まれのユダヤ人で、5歳のときに第二次世界大戦が勃発して以降、数奇な運命を辿り、1968年に不本意ながらアメリカに亡命している。彼は、残念ながら1999年にこの世を去っており、アメリカで刊行された「シュテイン・コレクション目録」および彼の経歴については、オリガ夫人と手紙のやりとりで、情報を提供していただいていました。ところが9・11以降、アメリカでは手紙が果たして届くかどうか判らない、高い警戒レベルになり、友人の協力を得てメールのやり取りをしました。エマヌイル・シュテインの運命については、改めて紹介したいと思います。

前段が長くなりましたが、詩とともに投稿した文章がありますので、その中から詩を書いた経緯についての部分をここに再録します。

「『アメリカの友へ』は、「高校生の平和のつどい」、「世界の子どもの平和像を東京に」、「報復戦争反対、平和を求める高校生一万人署名」などの運動を続けている高校生たちへの激励の気持ちを込めて書いた散文詩です。
 最近の世界情勢と私の戦争体験、ベトナム戦争後に南北が統一する前の北ベトナムを訪問して来た体験、そしてユーゴスラヴィア空爆の時にはNATO軍に基地を提供しているイタリアに滞在していた経験を重ねあわせました。
 私の中にはもっと書きたいこと、もっと大きな怒りがありますが、いろいろな人に読んでもらうために表現を抑え、問いかける手紙の形式をとりました。
 昨年(2001年)十月六日に早稲田大学を会場にして来日ロシア人研究会が開催した国際シンポジウムで『エマヌイル・シュテインの亡命ロシア人詩集コレクションについて』と題する研究発表をするために、アメリカ在住のオリガ・シュテインさんと昨年(2001年)の九月末から十月にかけてメールのやりとりをしたこともきっかけになっています。
 「高校生の平和の集い」の実行委員宛てに激励の手紙とこの詩を送ったところ、顧問の先生からお礼の手紙が届きました。「平和の集い」実行委員の反省会で顧問の先生が私の手紙を読み上げ、高校生の皆さんでこの詩を輪読して下さったそうです。そして、歴史について改めて話し合うきっかけにして下さったとのことでした。
 『アメリカの友へ』は(二〇〇二年)一月十八日に新宿平和委員会をはじめとする新宿区内の平和五団体により開催される「アフガンは今―パキスタン現状報告・二〇〇二年新春平和の集い」でも朗読されることになりました。」

なお当時、私は、「報復戦争反対、平和を求める高校生一万人署名」に協力するため、友人・知人に署名用紙を郵送して、五百筆を大きく超える署名を届けたことを付記しておきます。
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by kenpou-dayori | 2015-12-18 09:25 | エッセー
2015年 12月 18日

憲法便り#1473:現在の国際情勢を考察するために、9・11直後のアメリカ論4点を再録します。

2015年12月18日(金)(憲法千話)

憲法便り#1473:現在の国際情勢を考察するために、9・11直後のアメリカ論4点を再録します。

歴史的視点から論じた現代アメリカ論。
《Yes we can!》と、華々しく登場したオバマ。

その時、私は、ブッシュの過ちを修正し、
少しはましな政治を行って欲しいと願い、
少しは変化して欲しい願った。

まだ実績のないオバマへのノーベル平和賞も、
そのような願いを託したものであった。

だが、彼は、従来の保守党政権と
何ら変わることのない政治と戦争を続けた。

日本には来ても、
広島、長崎は訪問しなかった。

そして、彼は、いまや、
賞味期限切れの商品のような
あわれな姿を晒している。

いま、もう一度、9・11の時点を振り返って
考察してみたいと思う。

①憲法便り#318 「国際平和デー」に寄せて:9・11直後に書いた散文詩『アメリカの友へ』

②憲法便り#324 『9・11直後のアメリカ論(1):アメリカは狂っている?』

③憲法便り#328 『9・11直後のアメリカ論(2):キューバ危機とケネディ、二大政党制の危険性』

④憲法便り#330 『9・11直後のアメリカ論(3):「根の浅さ」と「根の深さ」』
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by kenpou-dayori | 2015-12-18 09:16 | エッセー
2015年 10月 10日

憲法便り#1435:「戦争とワイン:私が訪問した、ドイツと日本のワイナリーの戦争体験の物語です。

2015年10月10日(土)(憲法千話)

憲法便り#1435:「戦争とワイン:私が訪問した、ドイツと日本のワイナリーの戦争体験の物語です。

今日は、「戦争とワイン」について書く予定です。私自身が訪れたワイナリーの戦争体験です。

最初は、1989年10月に訪れたドイツのワイナリーの話し。

仕事で、フランクフルトのブックフェアーに出かけた時のこと。

日曜日に、取引先のDr.Zが、フランクフルト郊外にある、修道院と、レストランに案内してくれました。

その帰りがけ、彼はなだらかな丘陵地帯にあるに、小さなワイナリーに立ち寄ってくれました。

店に入ると、主人が笑顔で迎えてくれました。

私が日本からきたことを告げると、彼は、地下の貯蔵庫に案内をしてくれました。

貯蔵庫には横穴のような通路が掘ってあって、その先に特別の小部屋がありました。

そして、壁の穴には、20世紀初めからの、毎年のワインが1本づつ保存されていました。

私が、自分の生年である、1942年産のワインがあるかと尋ねると、主人は残念そうに首を横に振って、

1942年、1943年、1944年は、戦争に巻き込まれて、ワイン生産は出来なかったと答えました。

確かに、その三年分の丸い穴は、その下に年度を示す数字だけが書き込まれたまま、空洞になっていました。

美しいぶどう畑が続く丘陵地帯にも、戦争は無遠慮に、容赦なくやってきました。

妻への土産に、主人が薦める白ワインを1本買い求めて、どんな理由があっても、戦争はしてはならないと思いながら店をあとにしました。

次は、昨日、10月9日に、山梨県立美術館で開催中の「ピカソ展」を見た帰りがけに、妻と娘夫婦と共に訪れた「SADOYA」というワイナリの話しです。

甲府駅から歩いて7分ほどのところにある「SADOYA」は、2年後に創立100周年を迎えるという。

このワイナリーの見学を予め申し込んで、案内を受けた最後に、意外な事実を教えられました。

テレビドラマ「花子とアン」の中で、太平湯戦争中に、ワインの軍事利用、具体的には、潜水艦や魚雷の音波を捉える音波探知機の材料に使われる話がありましたが、日本中のワイナリーから、ワインが「さどや」に集めれ、軍への協力をしたという話でした。

1944年に「さどや」を軍服姿で訪問した、三笠宮の写真も残っています。

しかし、この「さどや」も、1945年に、戦火に巻き込まれ醸造場が全焼したとのこと。

戦争は、人命を奪い、街を破壊し、農村を破壊し、生活も文化も破壊してしまうことを改めて実感した次第です。

戦争は絶対に反対です!

戦争法をなくしましょう!
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by kenpou-dayori | 2015-10-10 21:47 | エッセー
2015年 09月 26日

憲法便り#1409:「戦地から 遺骨代わりの 弁当箱(べんとばこ)」(友人の御尊父に捧げる一句)。

2015年9月26日(土)(憲法千話)

憲法便り#1409:「戦地から 遺骨代わりの 弁当箱(べんとばこ)」(友人の御尊父に捧げる一句)。

「戦地から 遺骨代わりの 弁当箱(べんとばこ)」(友人の御尊父に捧げる一句)。私の小学校時代の同級生のお父さんは、敗戦後の昭和20年11月に中国で戦病死した。死亡通知が届いたのは八ヶ月後。増上寺に遺骨を引き取りに行くと、弁当箱と箸が入った小さな箱を渡された。戦争の残酷さの証明。

以下に、岩田行雄編・著『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』(9頁ー10頁)を再録する。

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 二〇〇九年五月に千葉の稲毛で講演を行った際に、小学校時代の同級生Kさんが友人二人を誘って聴きに来て下さった。暫くして、彼女から届いた綺麗な押し花付きの手紙には私が五十五年間全く知らなかったことが書かれていた。ご本人の承諾を得て、核心部分を紹介する。

「戦争放棄に関心がありました。私の父が戦死だからです。私は父の顔を知りません。父は若い時に耳を怪我して難聴になり、耳元で大きな声で話をしないと聞こえない状態だったそうです。昭和十九年、三十五歳のときに招集令状が来て狩りだされました。昭和二十年十一月(中華民国北***?)戦病死と書いた死亡通知が八ヶ月後に千葉の疎開先に届いて、増上寺に遺骨を引き取りに行ったのですが、渡された小さな箱には骨は入ってなく、お弁当箱と箸が入っていたそうです。母はそれを遺骨と思ってお墓に入れていたそうです。その母が九十六歳十カ月で亡くなりました。昨日、七七日忌の法要があり、お墓に母が入りました。建て替えたお墓には父の遺品はありませんでした。少し悲しい思いがしました。母に聞いたことを思い出して書いてみました。
 これからの人たちには、この様な思いをさせないように九条を守りたいです。」
*********************************************

「これからの人たちには、この様な思いをさせないように九条を守りたいです。」この言葉を心に深くとめておきたい。

同時に、次の言葉を肝に銘じる。

「9・19を忘れるな!」
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by kenpou-dayori | 2015-09-26 11:25 | エッセー
2015年 09月 26日

憲法便り#1408:「玉音」に 無言の母の 仁王立ち(母の64回忌に捧げる一句)

2015年9月26日(土)(憲法千話)

憲法便り#1408:「玉音」に 無言の母の 仁王立ち(母の64回忌に捧げる一句)

昭和20年(1945年)8月15日正午に、日本の敗戦を告げる、「玉音」放送が流れた。

マスコミの報道では、一億臣民(しんみん)が慟哭(どうこく)したように扱われることが多い。

だが、それは違う。

私は、この時、3歳の誕生日を迎える直前のことで、その光景の記憶はないが、

4歳年上の姉の話によれば、母は、子供たちをラジオの前に並ばせた。

「玉音」放送が始まった時、母は、涙も流さず、怒ったようなこわい顔をして、立っていた。

私たち家族は、昭和20年3月の東京大空襲のあと、母方の親戚を頼って福島に疎開し、最初は小高、次に小名浜でお世話になっていた。

だが、小名浜で、米軍の爆撃にあい、親戚の母屋も、離れも、衣類も食料も、すべてを失った。

一斗缶(いっとかん)に入れてあった米は、真っ黒な炭になっていた。

それを見て、母は「あーあ、みんな炭になっちゃった」と言って、立ちつくしていたという。

私は、「玉音」を聞いた時の、母の「仁王立ち」は、為政者への怒りだったと思っている。

だから、安倍政権の戦争政策は、絶対に許せない。

私は、「9・19を忘れない」。
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by kenpou-dayori | 2015-09-26 10:12 | エッセー