岩田行雄の憲法便り・日刊憲法新聞

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カテゴリ:憲法千話・憲法施行に関する社説( 18 )


2017年 01月 19日

憲法便り#1929:「日本国憲法施行に関する社説一覧リスト」

2017年1月19日(木)(憲法千話)

憲法便り#1929:「日本国憲法施行に関する社説一覧リスト」

カテゴリ:日本国憲法施行日の社説( 37 )

カテゴリ:憲法千話・憲法施行に関する社説( 17 )




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by kenpou-dayori | 2017-01-19 12:47 | 憲法千話・憲法施行に関する社説
2015年 03月 28日

憲法千話・憲法施行に際しての社説No.16:昭和22年5月3日『下野新聞』社説「新憲法の実施」

2015年3月28日(憲法千話)

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*No.16までは、カテゴリの表示が「憲法千話・憲法施行に関する社説」だが、連続番号がうまく表示されないため、
No.17からは、「日本国憲法施行日の社説」とする。


憲法千話・憲法施行に際しての社説No.16:昭和22年5月3日『下野新聞』社説「新憲法の実施」
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5月3日社説「新憲法の実施」
新憲法はいよいよ今日から行われる。新憲法の中味を一口にいうと、国民による国民のための国民の政治だということと、お互いに人格を尊重し合うこと、そして絶対に戦争はしないという三つの点が骨組となって成立っているということができる。これを言いかえるならば民主政治の徹底、人としての尊さ、平和の提唱という三つの言葉となる。このような新憲法を実行するためには、われわれはいままでの古い考えをさらりと捨てて、民主政治と国際(平和)をうちたてるために全力をつくさねばならない。いままでの古い考えとは一例をあげていうならば、旧憲法には「文民の自由」が保証されていなかったので、過去における日本人は利益も保護も得られない政府にたいして労力のみならず尊い生命までもささげるように強いられていたではないか。それを新憲法は保証している!だから、総司令部民政局代表は新憲法公布にさきだって、新憲法によって示された「文民の自由」の意義を次のように解説している。
 「文民の自由」とは個人の行動の自由であり、法によらずして他から干渉をうけることのな□□□有の自由である。また自己の良心にもとずいて考えてものをいう個人の権利である。このように個人は重要かつ尊厳なものであるという観念は、民主主義の根本観念である。何人もまたいかなる団体も、他人の行動の自由を左右したり、命令したり、制限したりする権利はもっていないといっている。
 これはしかし「自分勝手なわがままをしろ」ということでは断じてないのであって、自己の良心にもとずかなければならないのであるから、自己の良心というものを失ってしまった人にはできないことであって、そのような者が法によって正しい方向にみちびかれることになるわけである。この点はまちがえないように注意しなければならない。例えば、言論の自由とい立場から、昨秋、芳賀の農民が「自主供出」を叫んだ。言葉の上ではどうあろうと、政府が食糧政策の上からこれだけ出してもらいたいといったその割当にたいして、無いのならともかく、持っていて出さなかった悪農があった。それが法のさばきをうけることになったことは、「自主供出」をさけんだ農民が自己の良心にもとずかなかったからである。そもそも、「自主供出」などとといものは、誰もが自己の良心にもとずいてはじめて実行されるものであって、口では自己の良心にもとずいてやるようにいいながら、腹の中では□□□□□出す気はなかったという結果となったのである。
 民政局代表はさらにこういっている。今日の日本における政府の地位と責任は非常に重大である。民主的な日本再建に向って政府が平和的に漸進的に進んでいこうとして努力していることはよくわかるが、とくに官僚はかれらの身内にしみこんでいる伝統的なやり口、すなわち国民の意見には一切耳をかさないで、ただ自分が国民のためになると思っただけで物事をきめていくというやり方にかえろうとする傾向があるから、国民は、これを厳重に監視してその根を絶つことが必要である。官僚はいかにも(一行判読不能)に自分を重要なかしこい人物と思いこんでいようとも、国民が正規の期間を通じて表明した希望、要求、決定に反対し、またはこれを無視する権利は、法律的にも道徳的にも全く持っていない。官僚は国民が自由に自分の思っていることを語り、その信念をのべ、周囲のものを説得しようとするのを十分に保証する責任をもっている。官僚、軍閥、貴族、財閥のいずれを問わす、少数の特権階級が国民の生活を上から支配し、国民を思うままに動かす社会を何とかして温存し、または維持しよとすることは、国民の生存を無視あるいは□□するものである。
 新憲法の施行によって日本は平和な民主国家をつくり上げるキソ工事を終った国民はいまこそ戦争の恐怖と圧政の悲劇から解放される機会を与えられた。国民は男女の別なく自由に生活し、自分の手で役人をえらび、彼等に国民の決定と判断にしたがうことを要求する権利をもつに至った。「国家に対する臣民の義務」ということは昔ばなしとなり、国民がすなわち国家となったのである。だからわれわれは今こそ古い考えをすてて、新憲法はこのような明るい生活を象徴(?)するのだということを考えるべきである。

(典拠は、国立国会図書館所蔵マイクロ資料YB―327より)
今日のひと言:新憲法の施行によって日本は平和な民主国家をつくり上げるキソ工事を終った国民はいまこそ戦争の恐怖と圧政の悲劇から解放される機会を与えられた。
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by kenpou-dayori | 2015-03-28 06:47 | 憲法千話・憲法施行に関する社説
2015年 03月 27日

憲法千話・憲法施行に際しての社説No.15:昭和22年5月5日『福島民友』社説「新生日本の発足」

2015年3月27日(憲法千話)

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憲法千話・憲法施行に際しての社説No.15:昭和22年5月5日『福島民友』社説「新生日本の発足」

昭和22年5月3日付『福島民友』の社説は、「政治性の不足」と題してはいるが、憲法施行には関係のない一般論である。したがって、文字起こしはせず、一面上半分の紙面紹介に止める。
なお、翌5月4日付の社説「面目を一新した県政界」も、憲法施行に関係のない県政界の分析なので、紙面紹介は省略する。
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5月5日付『福島民友』の社説「新生日本の発足」で、ようやく憲法施行に関して論じている。
当時は、紙不足で、教科書用紙を確保するため、新聞各社が順番で、それに協力していたが、5月5日付『福島民友』はその順番にあたり、タブロイド判で発行している。

昭和22年5月5日『福島民友』社説「新生日本の発足」
 新憲法の施行により主権在民の原則は確認され、文化国家、恒久平和の大勢は定められ、わが国はいよいよ新しい平和日本、民主日本として、更生の第一歩を踏み出すことになったわけである。われわれはこれを機会に過去を過去として葬り去り、よりよき国家生活を開始する希望と、確信と、勇気とに燃え上がらなければならない。新憲法の制定とか、新憲法の実施を、何か他人事のような傍観的な態度をもって、見ている者もあるようであるが、そうゆう態度は反省されなければならないのではないか。新憲法の実施に対して一般国民が余りにも無関心な、何の感激もない態度を示していることは、決して感心すべきことではない。
 新憲法は新しい日本の在り方、新しい日本統治の大本をはっきりと規定している。しかしそれは、国民大衆の心の在り方まで規定し得るものではない。心の在り方は自律的に決められるものだからである。したがって新しい憲法が実施されて、新しい日本の在り方は規定されても、国民大衆が自律的にこの新憲法の精神にそうて、今後の日本の運営を行う心構えにならなければ、何もならないのである。いかにりっぱな憲法でも、それは要するに紙の上に書かれた文字にすぎない。これを生かすも殺すも、それは国民大衆の心構えいかんにあることなのである。しかしてその国民の心構えは、法文に□□□規定しうるものではなく、国民大衆自身の自律的な考えによることなのである。
 馬を河に入れることはできる。しかし馬に水を飲ませることはできないとゆう言葉がある。馬の首を無理矢理に水の中に突っ込んでも、馬に水を飲む気がなければ、飲ませることはできないのである。これと同じように法規はいかようにも定めることができるし、また法規は、人の行動を規定することもできる。しかし法規は人の心の中まで、規定することはできないのである。結局それは、各人の自主的な協力にまつほかはないのである。すなわち国民の自覚とゆうことが根本の問題となってくるのである。
 新憲法の実施に際して、国民の多くが、無感激、無関心の態度を示しているとゆうことは、この自覚が不足していることを物語るものではなかろうか。新憲法制定が、必然的な時代の要請であるとゆうこと、更生日本建設の目的を達成するためには、新憲法の精神に基いて、方針を立てて行くほかはないと、正しく認識していないことを示すものではないだろうか。この点について国民大衆は、この祭じゅうぶんに考慮するところがなければならないと思う。

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(典拠は、国立国会図書館所蔵マイクロ資料より)
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by kenpou-dayori | 2015-03-27 06:18 | 憲法千話・憲法施行に関する社説
2015年 03月 26日

憲法千話・憲法施行に際しての社説No.14:『福島民報』5月4日付の民報評論「新憲法と婦人の立場」

2015年3月26日(憲法千話)

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憲法千話・憲法施行に際しての社説No.14:昭和22年5月4日『福島民報』民報評論「新憲法と婦人の立場」

『福島民報』には、「社説」がなく、その代わりに「社説」の位置に「民報評論」が掲載されている。
ただし、5月3日号には「民報評論」がないので、一面の上半分のみを紹介する。
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翌5月4日一面には「民報評論」の掲載があるので、まず、その紙面を紹介する。
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5月4日付『福島民報』の「民報評論」『新憲法と婦人の立場』は拡大したコピーが読み易いので、文字起こしをせず、紙面紹介のみにするこもを考えた。だが、公布時および施行時に婦人の問題を題名に掲げているものは数少ないこと、筆者が婦人民主クラブ書記長の櫛田ふきさんであることを考慮して、私自身の記憶に刻み込むためにも、文字起こしをすることとした。

5月4日付の民報評論『新憲法と婦人の立場』
新憲法に即して民法も改正され、日本独特の家族制度が廃されることになったのは、長い間あるいは守られ、あるいは束縛されてきた女性にとってゆゆしい問題である。しかし純然たる家族制度というものが果して今まで存在していたであろうか。一部特権階級は知らず。今日の経済状態の中で恐らく家長たる戸主はその大家族を養う能力はないから、家族はそれぞれ独立の生計をたてて戸主の保護や監督の外にあるもので、家族制度はすでに一枚の戸籍謄本の上でだけの存在となって崩れてきているのではあるまいか。それならこれが廃止になるのは世間一般がすぐに道徳のたい廃と結びつけ憂慮するには当たらないことである。
 封建的な思想や制度のもとでいつでも損をするのは女性であるように、家族制度のためにはずいぶん女はみじめな目を見た。家の廃止にあたって一番救われるのはやはり女性で、この家のワクの中での娘として、妻として、母として、「しゅうとめ」としてはなはだしい忍従を強いられてきた女性ははじめて解放されるわけである。
 換言すれば女性は民法の改正によってまず家から解放され、日本の民主化のためにも封建的なものを徹底的に一掃して、まず手近かなところから新しい生活を建設するその使命が委ねられたのである。民法を実際に活かすもまた有名無実として殺すのも女性の実践力一つにまたれるということになったのである。 
 そこで女性はまず手近な家庭生活の民主化から着手するせきにんがある。例えば民法を見ると、第一条に「私権ノ享有ハ出生二始マル」とあるから、生れた瞬間から男女貧富の別なく経済生活において同じ人格を宣明されている。自分の生んだ子といえどもそれはすでに社会構成の一単位として、個人としての尊重を忘れずに育ててゆかねばならない。そこで新しい育児や教育に対する確固たる信念をもたなければならない。すべて古い観念から割出したものでは意味をなさない。夫唱婦随、または男尊女卑式の思想を家庭からまず追出し、家庭生活を合理化するために何といっても妻や娘はここのところを大いに勉強をして教養を高め、人間として社会人としての自覚の上にたって、新しい家庭生活の様式を編出さなければならない。
 家庭内ではだれの独裁も専制も許さず「しゅうと」も「しゅうとめ」も、夫も妻も娘も心を協せて話合いの上でどこまでも明朗に生活をすすめるようにする。一人の不満も不平もないように、いつでも機会をつかまえてはすべての人の意見をきいて、家計のことも、子女の教育のことも、選挙のことも、食べもののこともきめてゆくようにする。民主主義の方法はこうして家庭にまず実行されるように主婦の力で習慣づけてゆかなければならない。
 新しい法律で広く自由結婚を認めるようになっても、実際として若い人たちの間に男女の交際が自由かっ達に行われていない間は、お互いに認識不足な結婚をして親兄弟を失望させ、自分も不幸になる例も多いであろうし、親族会議などという封建的なものがなくなってそのために幼少者や未亡人が苦しい立場に置かれることがなくなるかわりには夫を失い、かつ金を持った人がいつの間にか人にだまされて一文なしになり、遺児が憂き目を見るということもできるであろう。これ等はすべて個人を尊重したためだが、個人個人の社会的な自覚が伴わぬ間は犠牲者もできるであろう。
 それで今後の家庭生活はすべてにおいてもっと民主化され、しかも社会性を帯びなければならない。民法の改正が女性の解放を要求しており、女性の解放が家庭生活の民主化、日本全体の民主化をめざしている限り、女性の責任は重大である。(婦人民主クラブ書記長・櫛田ふき)

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(典拠は、国立国会図書館所蔵マイクロ資料による)
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by kenpou-dayori | 2015-03-26 06:32 | 憲法千話・憲法施行に関する社説
2015年 03月 25日

憲法千話・憲法施行に際しての社説No.13:昭和22年5月3日『山形新聞』社説「新憲法の出発」

2015年3月25日(憲法千話)

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憲法千話・憲法施行に際しての社説No.13:昭和22年5月3日『山形新聞』社説「新憲法の出発」

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下は、5月3日二面
「平和と文化の国ここに生る」「桜花の下に祝典」「全県あげて感激の渦」。
この見出しは、記者が本当にそう感じていなければ書けないものと思う。
その隣には、『山形県民の歌』が楽譜月で紹介されている。
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社説「新憲法の出発」
 神国と言われた日本に神風ならぬ民主風が吹きこんで花らんまんの今日民主憲法の誕生を見たことは、一切の偽装、嘘(?)をかきむいて日本をして人間社会の国家であることを内外に告白したところの世界史的意義をもつものであろう。
 どんな国家でも、その仕組みの基本法典は無理、独善、策略(?)にみちたものであってはならない。即ち内容に本前性がない限りどのような宣言をうたったところの憲法を発布してもその生命は極めて短いのである。
 万世不磨の法典とされた明治憲法は僅かに五十有余年の半世紀にして終りを告げたことは□に故なしとしない。
 今日のこの新憲法は敗戦という外郭的事実を契機として制定されたことは否定出来ないのであるが、その更新された実質的の意味あえは不自然且不条理なるものには永続性がないものであるという国家社会発展の公理が示現されたものといえる。
 公布後六ヶ月という準備期間があったに拘らずその準備が完成しているであろうか。
 貴族院が参議院に代って議員の選挙が済んだことと都道府県市町村の首長が公選されたことなどはいかにも新憲法実施の準備であったには相違ないが、この新憲法実施と同時に民主仕組みが出発したとは言えまい。
 国民の基本的人権を保証するところの諸々の立法は殆ど出来ていない。ここに旧議会と政府の怠まんが顕著であることがとがめられなければならない。次ぎに国民は果して新憲法と言う衣替えをする程の民主意識を□取しているであろうか。
 例を挙ぐれば各種選挙にみる女性の不振、未だ官尊民卑思想の □逸諸現象、本県に於ける地方区参議院議員選挙に際して行われたところの、その物資不足につけこんだ謀略的誘惑選挙等は、候補者の卑劣不純も批判されようが、これら民主政治のバチルスにマンマと乗せられるところに国民としての県民に自覚なき不明を嘆かれるのである。
 旧議会、政府にして然り、国民にして亦然り、新憲法の光沢が隅々に浸透して真に日本が衣替えをするのは果して何時の日であろうか。
 而も官公諸団体にして新憲法普及に関する積極的果敢な行動は未だに顕著なるものが殆ど見受けられない。一方取締官憲にあっては買収的選挙に関する轟轟たる巷間の風評については、そ知らぬ風に見え、単に選挙施行が終ったことに□如たるが如き態度にあることは、いかに新憲法のかざす民主政治の達成を妨げることであろうか。
 われわれはこの新しい民主憲法を国民一体となって身につけるためには、更に積極的な啓蒙的普及運動に力をつくすことと、苟(いやしく)も民主政治の障害となるべき法的非難に対して断固仮借の手をこまねくべきではない。又之を等閑にする官憲の怠慢と□□的なる居眠り態度を許すべきではあるまい。
 新憲法が虚偽、擬、制をかなぐり捨てて、天皇を名誉職的地位にお戻ししたことや国会を最高機関に引き直ししたことで、民主日本の夜明けとはならないはずである。
 新しい憲法の切り開いてくれた窓に光りをさし込ませるためには、先ず憲法の掲ぐる理想追求のための啓蒙運動と諸々の選挙に対する構成を期することを揚言して新憲法実施の言葉としたい。

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(典拠は、国立国会図書館所蔵マイクロ資料)
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by kenpou-dayori | 2015-03-25 06:50 | 憲法千話・憲法施行に関する社説
2015年 03月 24日

憲法千話・憲法施行に際しての社説No.12:『秋田魁新報』5月3日付の社説「新憲法と民主化の創造」

2015年3月24日(憲法千話)

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憲法千話・憲法施行に際しての社説No.12:昭和22年5月3日『秋田魁新報』社説「新憲法と民主化の創造」

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『秋田魁新報』の社説も、かなり強烈な問題点指摘なので、全文の文字起こしをしておく。

社説「新憲法と民主化の創造」
一、
本日を以て日本の憲法は国民のものとして実施されることになった。国民の基本的人権をはじめ天皇の立場や政治の有り方等広範な改革が行われ、徹底的に民主化された憲法を持つことにあった。日本はまさしく第二の□□をなしとげようとしてその出発点に立ったわけである。これまで国家と各個人は対立的に考えられる習慣をつけられ、国家により、政府によりおさめられる人民にすぎなかったが、これからは人民一人一人が国家を代表し政府は国民のために存する機関として人民がこれを運営することになった。もはやわれわれは自分の良心のほかに支配をうけることのない自由人として生きるのである。

敗戦は日本国民にとって大きな□□(蓄積?)の損失であった。敗戦そのものよりもむしろ敗戦によって□□された道徳的意思的な精神上の貧困が「これでは戦争に負けたのは当たり前だ」という劣等感を抱かせた。これに加うるに戦時中の偽の指導者達によって鼓吹されたせまい国家主義の反動として日本歴史の価値を疑い、日本的なるものの善さを忘れ一足飛びに新しい思想と新しい制度の衣がえに夢中になった。昨日まで軍国主義のお先棒をかついだ者も急に生まれながらの民主主義者であるかの如きゼスチュアでのさばりまわったりした。何が本当の民主主義で何が偽装された民主主義であるかの判断をつえけることはなかな六カしい事であった。しかし日本人は自分の判断を持たねばならない新憲法によって保証された基本的人権はそれが最終の目的というよりも、それを出発点とする各個人めいめいの知性徳性に対する努力の要請なりと解すべきである。

新憲法によって人民の権利を持ったことはそれだけでは価値を発揮しない。要はこれからの日本人の良心と知性の高さによる努力である。国民の思想と文化は過去の歴史的蓄積であるから、如何に新しいものを活発に呼吸しても歴史的なるものをすべて廃棄することではなく排除すべきものと活かすべきものを日本の歴史のなかにえらばねばならぬ。過去の日本的なるもののよさを以てその中に新たな世界的思想と文化をとりいれ新しい日本の個性を創造して行くことによって世界の民衆に貢献することが出来る。これは創造の道であって模倣でないから、自覚された高まいな精神がなければならぬ。この態度を失ったものが流行を追うオポチュニストである。日本は今たしかにこの種のオポチュニストによる悩みから脱し切れない。新たなる憲法もそれを活かすに値しない人にとってはただの文章にすぎないし、生活にも血液にも流動することはない。

新しい思想と制度の浅薄な模写だけではけっして日本を立直らせることは出来ない。この高まいな精神とは真理に対する愛である。これが盛んである限り、始めて人民の道徳は高まり学問は興り、新しい文化の創造は期待されるのである。そして、今の日本に最も必要なのは真理に対する愛であり、これは明治以来最もかん養の怠られて来たものである。明治憲法と共に日本の文化の変化は西洋文明の結果だけを手っとり早くとりいれて西洋文化の根底をなす精神の移植にたいし、無理解と怠慢の態度で歩んで来た。これが西洋文化吸収八十年の歴史を持ちながらその理解が浅薄であり、国民一般の学問的、道徳的水準が低く封建的思想から脱し切れなかった。これらの事はすべて敗戦と敗戦後の現実によって明示された。だから現在進行しつつある民主化にしても、それが真理を真理として愛する精神によって指導され、培われなければ単なる浅薄な外形の変化に止まり、真の自由な民主主義国民を創ることは出来ないのである。

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(典拠は、国立国会図書館所蔵マイクロ資料)
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by kenpou-dayori | 2015-03-24 06:26 | 憲法千話・憲法施行に関する社説
2015年 03月 23日

憲法千話・憲法施行に際しての社説No.11:昭和22年5月3日および5月4日の『河北新報』社説

2015年3月23日(憲法千話)

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憲法千話・憲法施行に際しての社説No.11:昭和22年5月3日および5月4日の『河北新報』社説」

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下は、5月4日付社説「新憲法の効能」の部分の拡大紙面
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ここでは、5月3日付「社説」のみ文字起こしをしておきます。
前号の『新岩手日報』の社説と比較して欲しい。

社説「再建への一道標」
いよいよ今日から新憲法が実施されることになった。終戦後わが国の国家的諸法制は急速に民主化されて来たが、四月の選挙によって政治体制の民主化はさらに一段と推進され、新憲法の実施さるべき舞台(?)は一応の完成を見た。この日をもってわれわれは明治旧憲法にわかれを告げ、新憲法のもとに新しい民主国民として緊実な歩武を踏み出すわけてあって、その歴史的意義の木であることは改めて説くまでもない。
 新憲法の根本的精神は民主主義と平和主義にある。国民は国政の主権者と規定され、すべての権力は国民から生れ、国民に帰属するものとなった。中央から地方にいたるまで、政治的権力者はことごとく国民の意思の決定するところとなり、過去におけるような特権者による政権の独占的支配は完全に一掃された。国民には人間としての当然の権利が平等に与えられ、その自由な意思と行動は何ものによっても拘束されることはない。この規定によってわれわれは先進民主国へのおくれを取り返し、他に恥じない民主国民としての資格をを獲得したが、その上さらにわれわれは戦争放棄の意図を成文化して平和主義をもって再建の指標たらしめることを中外に鮮明した。われわれはこの方針によって軍国主義の汚名をそそぐだけではなく世界平和にさきがけしようとするの転換を試みたいのである。これらはいずれも敗戦の体験と反省によって促されたもので、新憲法の規定にはなお戦痕が生々しく残っているが、戦後における重圧にあえぎながらも、理想的に民主主義と平和主義に徹底しようとした悲壮な決意は明らかに新憲法のなかに盛り上げられている。
 敗戦の産物であるとはいえ、われわれは新憲法の民主的性格について世界に誇りうるものをもっていると考えうるが、しかし新憲法が内容的にすぐれているといっても、その実施によってただちにわれわれがすぐれた民主国民たる実をそなえるにいたったと考えるのは、間違いである。新憲法は実施されても、これがただ法として実施されただけで、実質的にその精神が制度と国民性に具体化されないならば、□□は空文としてあるにすぎないのであって、実情は生きているとはいえないのである。新憲法の公布以来その啓発宣伝によって大体の知識は国民に普及されており、新憲法といえばだれでも民主主義や平和主義を口にするまでになっている。だが、新憲法の精神を九官鳥のように異口同音にくり返すだけで、新憲法が実践的に活(?)かされるものでないことはもちろんである。われわれはともすると安易な形式主義におちいりやすい欠陥をもっているが、この悪傾向は新憲法にたいする態度にも露呈されているのではなかろうか。われわれは口だけのサービスで物事を片付ける習慣をいましめ、身をもって□□に新憲法の精神に生きる覚悟を必要とするものであって、これをおいて新憲法を生かす道はないのである。
 新憲法の実施によってわれわれは再建への一歩を進めたが、再建の目標を達成するには、なお今後一層の精進が不可欠である。憲法的にわれわれは独立自主の国民となったが、講話会議がすまなければ、まだわれわれは本質の独立自主の国民となることはできない。現在は民主化に安定的基礎をつくるために、各種の追放が行われているが、この状態も無限に持続すべきものではない。やがて国民のすべてが民主化されて、国民が新憲法もとで一様に完全に平等の権利と義務をもって活動しうるにいたって、はじめてわれわれは新憲法を名実共に完全に実現しうるのである。しかし、われわれが真に独立自主の国民となる日が何時到来するかも、結局われわれが新憲法をいかに実務的に生しうるかにかかっている。再建最後の目標達成はすべての国民の念願するところだが、その実現への最短路は新憲法を現実に今日の日から生かすところに開かれるものと□うべきである。
(典拠は、宮城県図書館所蔵マイクロ資料)
このマイクロ資料を閲覧するために、仙台にある宮城県図書館に、2回足を運んだ。国立国会図書館になかったからである。
宮城県図書館は、仙台駅前からバスで片道一時間かかる。
それだけに、ここで紹介した資料には、特別な思い入れがある。
その後、私が「これからの利用者のために『河北新報』を補充して欲しい」旨を伝えたが、この要望に応えて、国立国会図書館が補充してくれたので、仙台まで出向かなくても閲覧が可能となっている。
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by kenpou-dayori | 2015-03-23 06:01 | 憲法千話・憲法施行に関する社説
2015年 03月 22日

憲法千話・憲法施行に際しての社説No.10:昭和22年5月3日『新岩手日報』社説「新憲法の施行と県政」

2015年3月22日(憲法千話)

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憲法千話・憲法施行に際しての社説No.10:昭和22年5月3日『新岩手日報』社説「新憲法の施行と県政」

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岩手県政の具体的な課題について記述した社説である。
中央紙は、当然のことながら大所高所から全般的な問題を論じることが多い。
地方紙は、各論について具体的に論じることがあるが、この社説は典型的な例である。
マイクロ資料の現物に大きな書き込みがあり、判読できない部分が多いが、判る部分を文字起こししておきたい。

社説「新憲法の施行と県政」
 新憲法に基いて行われた各種の選挙も完了して、近く第一回の国会も開かれる。また革新政党として社会党が第一党の地位に立ったので憲政の常道として内閣の総辞職は必至であり新国会の指名によって内閣の首長が議員の中から任命され、総理大臣は(2、3字不明)国務大臣を任命するに当って(6文字不明)議員の中から選ばなくてはならぬ。
 国会も五月の中旬までには開かれる予定であったが、本県は宮古地区の(一行半判読不能)なきに至った。しかし、公選の國分知事に対して県民は一日も早く副知事の任命を待っているから県会も出来うれば宮古の再選挙を待つことなく早い機会に開き、その同意を得て決定をして欲しい。新知事会議や新国会の以前に開きうれば結構であるが、これは他府県との均衡もあろうから本県だけ早くというわけにもゆくまいが、國分知事を補ける副知事の意義は他府県より(二行不明)ておきたい。
 新憲法はいよいよ本日からあ施行されるので、県では九日までを憲法施行記念週間として、種々の行事を催すことは本紙に掲げるとおりであるが、いわゆる行事はとかく形式に流れ易く、そのために憲法の精神が徹底するという効果は期待できない。行事よりは日常の行政を通して新憲法に盛られた法の精神を具体化してゆくが望ましい。そのためには、まず県の行政機構の最高の事務責任者ともいうべき副知事の任命を急ぎたい。
 地方自治の民主化が新憲法の下、多くの問題が集積し期待されている。本県の如く多数の旧議員が追放され、暫くの間残りの少数議員によって議せられた事項の中には、相当官庁本位に決められたものも少なくないから、これを再検討する必要もあり、また公選知事が立候補のとき公約された県会中心主義でがっちり県政の執行をするためにも速かに県会の機構を整備して、民主化された地方行政へ発足することが必要である。すでに四月から新会計年度に入っているのに、四月中は選挙で多くの行政措置も遅れ勝ちであった。これは宮古地区の□□再開を理由に、更に□ケ月延期されるようでは、岩手のスローモーを示すことになる。産業復興、経済危機突破と打つべきては日を待っていない。
 新憲法ちう設計図を生かすため自由、民主、文化、平和の諸主義を四本柱とした住みよい家を造り上げねばなるまい。本県民はじゅんぼくな愛される性格を備えているが、この反面において民度は決して高くない。県民一般に新憲法の趣旨を浸透させるには形式的に憲法の条文を講述するよりは、新憲法に拠って制定されるであろう諸法令の施行をとおして現実の行政の面において訓育を励むことが望ましい。形式的民主主義が横行して、内容は旧のとおりであるものが少なくない。これでは何時までも□□状態が続き、よりよき明日への希望はもちようがない。新憲法の施行にあたって、県民は新憲法の期待する具体的内容をわれわれの日常生活の中にきずき上げ、これを豊かにするため官僚の指導、□□施設に依存する従来の態度をかなぐりすてて、県民が自からの創意工夫をこらして、(一行半不明)ものである。
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(典拠は、国立国会図書館所蔵のマイクロ資料)
今日のひと言:「こういう岩手の土地柄から、小沢一郎が生まれたことが解るような気がする社説である」
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by kenpou-dayori | 2015-03-22 06:21 | 憲法千話・憲法施行に関する社説
2015年 03月 21日

憲法千話・憲法施行に際しての社説No.9:昭和22年5月3日『東奥日報』社説「民主憲法施行」

2015年3月21日(憲法千話)

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憲法千話・憲法施行に際しての社説No.9:昭和22年5月3日『東奥日報』社説「民主憲法施行」

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社説「民主憲法施行」
 民主的、平和的、文化的日本の再建の指標たる新憲法は昨年十一月三日の公布後六ヶ月を経過したきょう三日から施行される。明治維新発足以来八十余年にして日本は革命の奔流にさらされ、明治二十二年の明治憲法制定以来五十年にして不磨の大典は一新せしめられたのである。
 新憲法十一章百三条はポツダム宣言履行の義務に則って根本的には人権の尊重と戦争放棄の二つに要約されるであろう。
 この二つの基本課題を今後に活かしてゆくことがきょうからのわれわれの責務である。この二つの原理を正視し、理解し得る者にとってはその直感によって新憲法に合致することは極めて容易なことである。条文の一つ一つの規定に目を奪われて新憲法も従来の法律のような親しみにくいものと思うことは大きなあやまりである。要すれば右の二つの原理が更に『国民に保障する自由および権利を不断の努力によって保持する』と同時に『これを濫用』する事は禁ぜられ、『公共の福祉に利用する責任を負う』と倫理的な基準を与えられているだけに過ぎない。
 けれどもこうしたいわゆる民主主義の日本が一朝一夕に築かれることでないこともわれわれは気づいている。もとより昨年十一月三日以来六ヶ月間法令制度の制定改廃、地方自治団体長の公選、衆、参議院議員選挙などを通じてきょうの日を迎える準備にあったが、事実はどうだったろうか。空気のようにわれわれのぐるりをとりまくヤミ本位の経済実体、ゼネスト、供米問題、政治の低迷、社会生活の混乱などは決して新憲法施行の日を迎えるにふさわしいものではない。まさに新憲法はわれわれに与えられた課題でこそあれ決して民主日本の現実ではない。明治維新は明治元年ではない。人によれば明治維新の第一期を明治十年と考え、維新の終了を更に明治二十年の条約改正或は二十二年の憲法発布の前後を以てするものもある。
 昨年八月十五日の転機は明治維新以上の変革である。まして思想的にみては到底その比ではない。従ってこの新しい革ぶくろに新しい酒が盛られるまでには相当の時日をかさねなければならぬこともやむを得まい。然しながらこの間決してわれわれは労せずして時の(二文字不明)るをまつことは許されない。絶えず民主主義を実行するという努力と修練が必要である。この心構えの問題は結局個人個人の心を抑圧していたその日その日の忠孝思想或は犠牲の問題、英雄、豪傑、長者気取りの問題に関連しているのであって、民主主義は決して政治にのみそのカギを求めてはいけない。
 またいま一つ民主化の道は去る一ヶ月の選挙によって第一の門が開かれた。政治的にいえば新憲法の精神はこの新たに選ばれた人々によって素直に正しく映し出されねばならぬ。例えば日本再建の中枢に立つ首相が国会で選ばれることになったが、これが過去半世紀にわたる日本議会政治史を汚すが如き数々の議長選挙問題のように堕するならば実に由々しいことといわねばならない。われわれは民主主義の名にかくれる自由、権利の乱用による社会、経済生活を乱すものを排し、多数決にとらわれ即断と皮相的見解に陥りやすい政治的欠陥を常に救いつつ、新憲法の結実に努力し理想的国家の建設にまい進せねばならない。

(以上は、国立国会図書館所蔵マイクロ資料による)
今日の一言:「けれどもこうしたいわゆる民主主義の日本が一朝一夕に築かれることでないこともわれわれは気づいている。」
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by kenpou-dayori | 2015-03-21 06:08 | 憲法千話・憲法施行に関する社説
2015年 03月 20日

憲法千話・憲法施行に際しての社説No.8:昭和22年5月3日『北海道新聞』(札幌版)

2015年3月20日(憲法千話)

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憲法千話・憲法施行に際しての社説No.8:昭和22年5月3日『北海道新聞』(札幌版)

新聞の印刷状態、およびマイクロフィルムの出来が悪く、判読にかなりの時間を要するでの、とりあえず、5月3日号の上半分の紙面のみを紹介する。

社説の内容は、当時の社会状況を反映しており、文字起こしをすべきと考えるので、四段めの半ばまで、判読できる範囲で文字起こしをし、あとは時間が取れ次第、引き続き挑む予定である。(□は、判読不能の部分。)
5月3日号一面には、鈴木安蔵著「新憲法の精神と運用」(上)が掲載されており、5月4日一面に(下)が掲載されている。

社説「新憲法施行の日を寿(ことほ)ぐ」
きょう五月三日、新憲法施行日を迎え、民主日本の厳粛にして晴朗な新しき歴史の第一頁は、全国民の心からなる祝福と、抑え難き歓喜のうちに、静かな、しかし牢固たる足どりをもってここに開かれる。半封建的、軍国主義の旧き悪夢にも似た日本の前史はいまや新しき国家的基本法『日本国憲法』を国民みずからの手によって施行することにより、もはや遥か遠く過去の暗き灰燼のなかに埋葬しはてるにいたったのである。新しき平和的民主日本の生誕は、まさにそのような意味において一箇のフェニックスに比せらるべきでさえあるだろう。
 もとより、新憲法の施行はこれを法律的にみるならば、日本国憲法第十一章補則のきわめて当然な、つまり自動的な法文の適用であるにすぎない。しかしながら、そこに示された『憲法の公布の日から起算して六ヶ月を経過した日』たる今日までに、いいかえれば昨年十一月三日の憲法公布の日から本日の施行日にいたるこの半年の間に、われわれの生活周辺をめぐって展開された、目まぐるしくも□しい(激しい?)政治的(5文字判読不能)る革命的進行ともいうべき歴史の足跡をかえりみるとき、われわれはこの歴史的な日をただたんに法律適用の時間的到来とのみ受けとることはできないのである。
 静かに顧みれば、新憲法の公布をみた昨年十一月三日このかた、まず組織的な労働攻勢の大波が漸次高まりはじめ、ついに全官公庁を蔽う未曾有の危機に到達し、国家的機能の全面的中絶さえ危ぶまれたがその寸前において幸いにも停止をみるを得たこと、、また、奔流するインフレの巨浪があらゆる勤労階層の脆弱なる生活基盤をゆり動かし、かかる社会的経済的激動のか中に第九十二議会は再三の局面転換と山積せるかなりの法案を未□□に終らせて総選挙に臨んだのであった。以来世はあげて四月選挙に関心を集中したのであるが、それは選挙のかたちでの民主政治への参与という意味において新憲法を運営する国民の広範なる政治的□□を要請し、かつ促進せしめたものであると□ることができよう。なぜなら、新憲法の内容と(以下、容易には判読できないため、文字おこしは中断)

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(以上は、国立国会図書館所蔵マイクロ資料による)
今日の一言:「五月三日、半封建的、軍国主義の旧き悪夢にも似た日本の前史はいまや新しき国家的基本法『日本国憲法』を国民みずからの手によって施行することにより、もはや遥か遠く過去の暗き灰燼のなかに埋葬しはてるにいたった」
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by kenpou-dayori | 2015-03-20 06:27 | 憲法千話・憲法施行に関する社説