カテゴリ:教科書検定・採択問題( 7 )


2015年 08月 06日

憲法便り#1106:哲学者フィヒテの言葉を利用した「愛国心」教育に異議あり!

2015年8月6日(木)(憲法千話)

憲法便り#1106:哲学者フィヒテの言葉を利用した「愛国心」教育に異議あり!

去る7月2日に、新宿区教育委員会に対して、「教科書採択に関する要請書」を提出したこと、およびその全文については、すでに『憲法便り』において、四回にわたって連載している。

ここに紹介するのは、連載第二回に含まれている、自由社の公民教科書の「フィヒテ」に関する部分への批判である。

*ミニ知識:愛国心を訴えたフィヒテ(33)
1807年、ナポレオンの率いるフランス軍支配下にあったドイツで、哲学者フィヒテは『ドイツ国民に告ぐ』と演説し、愛国心と独立を訴え、ドイツ国民をふるい立たせた。(岩田注①)

*ここがポイント(岩田注②)
①愛国心とは自分の生まれ育った国を大切に思う心である。
②愛国心は国際社会の平和と発展に貢献しようとする精神的土台である。
③優れた自国の伝統や文化は、継承するだけでなく、次の世代に伝えていかなければならない。

12.国家と私たち国民(34)
*学習のまとめ(36)

「第1章」への問題点の指摘と〔岩田注①-②〕

〔問題点の指摘〕以下の、フィヒテの引用は、歴史的状況を無視した、「愛国心」への誘導。
*ミニ知識:愛国心を訴えたフィヒテ(33)
「1807年、ナポレオンの率いるフランス軍支配下にあったドイツで、哲学者フィヒテは『ドイツ国民に告ぐ』と演説し、愛国心と独立を訴え、ドイツ国民をふるい立たせた。」

〔岩田注①〕フィヒテについて
以下に示すのは、京大西洋史辞典編纂会議編『新編 西洋史辞典 改定増補』(平成12年)633頁右の説明です。
「フィヒテ Johann Gottlieb Fichte(1762-1814) ドイツの哲学者。苦学して大学を出、家庭教師をしながら『啓示批判試論』(1792)を出版、認められて94年イエナ大学教授。知識学を完成し、カントの実践批判を主観的形而上学に高め、ロマン派に影響を与えた。1807年フランス軍の侵入監視の中で『ドイツ国民に告ぐ』の講演をして国民の道徳的奮起をうながし、またベルリン大学の創立に尽力し、のち総長となった。従軍看護婦となった妻のチフスに感染して死す。イエナ大学時代、啓蒙的無神論を主張して論争をおこなったことがある。(広美)」
私は哲学者ではないので、この説明の概念を把握するだけでも難しい。
ここで、愛国心のためにフィヒテを引用するのは、適切ではない。
ナポレオンがヨーロッパに席巻した時代背景の理解がなければ、なおさらのことである。当時のドイツがどのような国であり、何をしていたのかが判らなければ、正しい認識には至らない。
 18世紀~19世紀のヨーロッパを論ずる場合、国名も、版図すなわち領土も激しく変化していて、現在とは違う。
 18世紀の後半に、プロイセン、ロシア、オーストリアの3国により、3次にわたってポーランドの分割が行われている。
第一次は1772年、第二次は1793年、第3次は1795年。
 かつて、ポーランドはロシアに攻め入って、1610年にモスクワを占領、2年後の1612年に退却したが、それほどの強国であった。しかしながら、3回の「ポーランド分割」により、ポーランド王国は崩壊、第一次世界大戦末期まで、一世紀以上にわたって祖国を失い、列強の支配下にあった。ポーランド人の立場からは、オーストリアも、これと並ぶ、ドイツの指導国家プロイセン王国のどちらも侵略者であり、ポーランド軍団が1797年からフランス軍の一翼を担っている。
 したがって、たとえどんなに有名な人物の言葉であっても、歴史の一局面だけを見て、一方の国の「愛国心」を引用し、日本の子どもたちに愛国心を煽るのは、正しくない。
 なお、フィヒテが教べんをとったイエナ大学は、1558年の設立。
 
〔問題点の指摘〕自由社版の「ここがポイント」という項目の危険性
*ここがポイント(33)
①愛国心とは自分の生まれ育った国を大切に思う心である。
②愛国心は国際社会の平和と発展に貢献しようとする精神的土台である。
③優れた自国の伝統や文化は、継承するだけでなく、次の世代に伝えていかなければならない。

〔岩田注②〕「ここがポイント」は、目次には記されていない小さな記述です。しかし、若者に聞いた「ここがポイント」のとらえかた方は、「試験に必ず出るから、マーカーで印を付ける。」とのこと。このような若者の反応を見越した一定の政治的方向への「誘導」は、姑息であり、本来の教育とはかけ離れた政治的手法の濫用として、大問題です。
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by kenpou-dayori | 2015-08-06 15:32 | 教科書検定・採択問題
2015年 07月 26日

憲法便り#1072 出版労連『教科書レポート』No.57(2014年)の表紙、目次、巻頭言を紹介します。

2015年7月26日(日)(憲法千話)

憲法便り#1072 出版労連『教科書レポート』No.57(2014年)の表紙、目次、巻頭言を紹介します。

出版労連の了承を得て、教科書レポートの、表紙、目次、および巻頭言を紹介します。

私がこのたび新宿区教育委員会に対して、育鵬社、自由社のの教科書を採択しないようにとの要請書をまとめて、実際に感じたことと、共通しているからです。

巻頭言が呼びかけている、

「f歴史に恥じない教科書のたたかいを」に呼応して、

遅れ馳せながら、憲法研究者としての知識を生かして、たたかいに参加します。

安倍政権に繋がる「極右勢力」の国家戦略としての教科書問題に対して、積極的に取り組みたいと思います。

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by kenpou-dayori | 2015-07-26 16:22 | 教科書検定・採択問題
2015年 07月 19日

憲法便り#1061新宿区教育委員会への『育鵬社、自由社の教科書不採択の要請書』をまとめて、考えたこと

2015年7月19日(日)(憲法千話)

憲法便り#1061新宿区教育委員会への『育鵬社、自由社の教科書不採択の要請書』をまとめて、考えたこと。

正直なところ、私が出版労連の組合員であった頃は、教科書問題については、教科書会社の労働組合の業種別共闘組織が中心的に関わる問題として捉えており、『教科書レポート』にも、あまり興味は示さなかった。

私が出版労連に所属していたのは、1967年から1996年までの30年間。

その当時の認識としては、「家永訴訟」に見られるような、教科書の歴史的記述に対する、「教科書検定」と称する国家権力からの検閲強化との闘いであった。

10年ほど前に、「教科書ネット」の会員になったことはあったが、いくつも加入している研究会・学会の会費と比較して、難関会費が高いし、私の研究テーマと直静的に関係がないので、一年間だけで、やめてしまった。

だが、今回、教科書採択の問題に取り組んでみて感じたことは、
当時と状況が全く違って来ていることであった。

安倍政権に繋がる極右勢力が、国家戦略として教科書発行を始めたことである。

育鵬社、自由社の教科書がそれで、彼らは、教科書採択に向けて、働きかけを強めている。

この動きについては、知識としては知っていたが、実物を見ると、「ここまでやるか」と、危機感を覚える。


もう一つ気がついたことは、現場の校長の中に、育鵬社、自由社の教科書を採択するように仕向け、
それで手柄を立てて、権力者にアピールをして、さらなる出世を目論む人物が居ることである。

具体例は、7月17日に、新宿区教育委員会の審議を傍聴した際の、感想文の中で、示す予定である。

乞う、ご期待!
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by kenpou-dayori | 2015-07-19 15:47 | 教科書検定・採択問題
2015年 07月 09日

憲法便り#1045新宿区教育委員会に提出した、育鵬社、自由社の教科書を不採択の要請書全文の紹介④

2015年7月9日(木)(憲法千話)

憲法便り#1045新宿区教育委員会に提出した、育鵬社、自由社の教科書を不採択の要請書全文の紹介④

第3章 日本国憲法と立憲的民主政治(57)

 第1節 日本国憲法の国家像(58)
 20天皇の役割と国民主権(58)
 *もっと知りたい:天皇のお仕事(60‐61)(岩田注⑳)
  天皇の御製、主な宮中祭祀、古来から続く天皇をおつとめ。

25平和主義と安全保障(72)
自衛権と平和主義(72-73)
 自衛隊の新型装備品の写真(岩田注21)
自衛隊(73)
*ミニ知識:各国の憲法における国民の兵役、国防の義務(73)(岩田注22)

*ここがポイント:(p.73)(岩田注23)
①政府は憲法第9条第1項は自衛権の保持を認めていると解釈している。
②政府は第2項が禁じる戦力にあたらないとして、自衛隊を設置している。

*もっと知りたい:わが国の安全保障の課題(74-75)(岩田注24)2頁全面にまたがっている
 *憲法第9条(と自衛隊)
 第1の解釈 5行、憲法違反
 第2の解釈 6行、憲法違反
 第3の解釈 7行、憲法に違反しない
 第4の解釈 17行、憲法に違反しない、実は、政府の解釈(原文のまま)

第2節 議会制民主政治(76)
26議会制民主主義と権力分立(76)

*ミニ知識:三権分立ではない中国(p.77)(岩田注25)

「第3章」への問題点の指摘と〔岩田注⑳-25〕
〔岩田注⑳〕「*もっと知りたい:天皇のお仕事(60‐61)」は、天皇元首化への布石として、天皇を利用している。

〔岩田注21〕自衛権と平和主義(72-73)、そして自衛隊の新型装備品の写真は、現政権が進める軍事優先政策の代弁である。

〔岩田注22〕*ミニ知識:「各国の憲法における国民の兵役、国防の義務」(73)は、日本における「徴兵制」への布石である。

〔岩田注23〕*ここがポイント:(p.73)の下記の説明も、現政権の代弁である。
①政府は憲法第9条第1項は自衛権の保持を認めていると解釈している。
②政府は第2項が禁じる戦力にあたらないとして、自衛隊を設置している。

〔岩田注24〕「*もっと知りたい:わが国の安全保障の課題(74-75)」は、2頁全面にまたがっており、以下の記述と併せて、政府の解釈をそのまま代弁している。
 *憲法第9条(と自衛隊)
 第1の解釈 5行、憲法違反
 第2の解釈 6行、憲法違反
 第3の解釈 7行、憲法に違反しない
 第4の解釈 17行、憲法に違反しない、実は、政府の解釈(原文のまま)

〔岩田注25〕「*ミニ知識:三権分立ではない中国(p.77)」では、あえて中国という国名をあげ、批判しており、挑発的である。世界には、様々な政治制度があり、一様ではない。教えるのならば、そのことを正確に教えるべきである。中国を名指しして、このような記述を突出させるのは、教育の方法として、正しくない。
  
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(2)『新編 新しいみんなの公民』育鵬社

『新編 新しいみんなの公民』育鵬社についても、主な部分を入力して準備に取り掛かりましたが、残念ながら、提出時間が迫りましたので、詳しく触れることは、出来なくなりました。
 しかしながら、育鵬社の教科書も、主張の基本的な論理は共通しており、私としては、これを教科書として認めることは、出来ないことをお伝えします。
(岩田注:安倍首相の写真が異常に多い。以下は、安倍首相の写真が掲載されているページ)
51頁  天皇陛下と安倍首相
60頁  安倍首相、60-61は、憲法改正のしくみ
64頁  安倍首相
83頁  安倍首相
88頁  安倍首相と石原慎太郎議員との党首討論、
同    安倍首相の選挙ポスター、公明党山口代表の選挙ポスター、石原慎太郎議員と橋下大阪市長の選挙ポスター  
96頁  安倍首相
98頁  石原慎太郎議員、谷垣幹事長の写真
100頁 安倍首相
160頁 安倍首相

『新編 新しいみんなの公民』育鵬社
全5部
第1部 私たちの生活と現代社会(9)
第2部 私たちの生活と政治・・・日本国憲法の基本原則(43)
第1節 日本国憲法の基本原則
 1、法と私たちの生活(46)
 2、大日本帝国憲法と日本国憲法(48)
大日本帝国憲法の制定 明治維新をむかえた日本では、五箇条の御誓文が示され、天皇自らこれを実践することを明かにしました。五箇条の御誓文はその後もつねに参照され、国政の指針となりました。 
また、近代的な法制度をつくって欧米諸国と対等な関係を築くため、政府はもちろん民間でも、多くの憲法草案がつくられました。政府は伊藤博文らを中心に欧米の憲法を調査研究するとともに、日本の歴史や伝統、国柄の研究を行い、約8年の歳月をかけて、1889(明治22)年大日本帝国憲法として公布しました。
この憲法では、日本の伝統文化と西洋の政治制度をいかに結びつけるかに力がそそがれ、日本は万世一系の天皇が統治する立憲君主制であることを明らかにしました。天皇は国の元首であり、国の統治権を総攬(すべてまとめてもつ)ものであるが、憲法の規定に従って統治権を行使するものと定められました。
具体的には、法律の制定は国民の意思が反映された議会の協賛(承認)によること、行政は国務大臣の輔弼(助言)によること、司法は裁判所が行うこととされました。
また、国民には法律の範囲内で権利と自由が保障されました。
この憲法は、アジアで初めての本格的な近代憲法として内外ともに高く評価されました。
(原注①その後、大正時代には憲法の理念を生かそうと、政党政治の定着、普通選挙制度の実施など、いわゆる大正デモクラシーの時代を迎えました。しかし、昭和に入り、国際情勢の変化によって危機感を強めた軍部が、憲法の不備をついて政治への介入を強め、戦時体制が整えられるなどしたために、憲法の理想は、大きくそこなわれていきました。)

 日本国憲法の制定 1945(昭和20)年に日本はポツダム宣言を受け入れ、第二次世界大戦は終わりました。連合国は、大日本帝国憲法の下での政治体制が主な原因だと考え、日本の民主主義的傾向を復活強化して、連合国にふたたび脅威をあたえないようにするために、徹底した占領政策を行いました。
  連合国軍最高司令官マッカーサーは、憲法の改正を日本政府に求め、政府は大日本帝国憲法をもとに改正案を作成しました。しかし連合国軍総司令部は(GHQ)はこれを拒否し、自ら1週間で憲法草案を作成したのち、日本政府に受け入れるようきびしく迫りました。
  日本政府は英語で書かれたこの憲法草案を翻訳・修正し、改正案として1946(昭和21)年6月に帝国議会に提出しました。改正案は、一部の修正を経たのち、11月3日に日本国憲法として公布され、翌年5月3日から施行されました。日本国憲法は戦後の政治原理として国内はもちろん、国外にも広く受け入れられました。
 日本国憲法の基本原理 (入力、略)
日本国憲法は天皇の位置づけを、大日本帝国憲法での

↑4英文で書かれた日本国憲法の草案 GHQの民政局は、各国の憲法を参照しながら英文で憲法草案を書き上げました。
↑6検閲を受けた出版物 GHQは占領期間中、軍国主義の復活を防ぐためとして、徹底した検閲を行いました。また、その検閲の実態や、GHQが日本国憲法の起草において果した役割への言及も禁止しました。そのため、自由な報道や表現は大きく制限されました。
 
 3、国民主権と天皇(50)
 4、人権の歴史(52)
 5、基本的人権の尊重(54)
 6、平和主義(56)
   平和主義(56)
   自衛隊の誕生(56)
    *戦後の防衛政策の歩み
   第9条と自衛隊(57)
    *各国の憲法に記載された平和主義条項と国防の義務(岩田注:これも軍備拡張のための口実にしている。)
     イタリア共和国憲法第11条、
大韓民国憲法第5条①、第39条
スイス連邦憲法第173条
ドイツ連邦共和国基本法第12条 a、第25条
コスタリカ共和国憲法第12条
アゼルバイジャン共和国憲法第9条①、②
    *集団的自衛権 国際連合憲章第51条で保障されている権利です。個々の国が自分の国を守る権利を個別的自衛権と言います。そして、同盟など密接な関係にある国の防衛を支援し、おたがいに協力しようとする権利を集団的自衛権といいます。
*文民統制 憲法では自衛隊に命令を出す首相や防衛大臣は文官(職業軍人ではない者)でなくてはならないと規定されています。また、自衛隊の定数や組織、予算は国会で決定されることになっています。

 7、平和主義と防衛(58)
 7、憲法改正のしくみ(60)
   
第2節 基本的人権の尊重
 1、自由権(62)
 2、法の下の平等(64)
 *考えよう:男女の平等と家族の価値(66)
3、ともに生きるために(68)
 *理解を深めよう:「ともに生きる」ためにできること(70)
 4、社会権(72)
 5、参政権と請求権(74)
 6、新しい人権(76)
   社会の変化にともなう権利・・・知る権利、プライバシー権、環境権、(岩田注;これらは、現行憲法の枠内で、法律によって解決出来る、あるいは出来ているものであって、改憲の必要はない。これは、憲法第九条を変えるための口実に過ぎない。
 7、国際社会における人種
 *理解を深めよう:人種差別をなくすために
  黒人の人権獲得への歴史
  最近まであったアパルトヘイト
 *理解を深めよう:世界の人権問題
  チベット問題とウイグル問題
(岩田注:ダライ・ラマを使い、ウイグル問題を利用して中国批判)
アフリカ諸国での内戦と人種問題
  国際的な人権尊重のために
第3部 私たちの生活と政治(83)
第4部 私たちの生活と経済(121)
第5部 私たちと国際社会の課題(171)

おわりに
以上、限られた条件下、大急ぎで書きましたので、不十分な点もありますが、基本的な論点は一通り述べたつもりでおります。

 長文になりましたが、最後までお読みいただいたことを感謝します。

 参考文献として、拙著『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』を添付致します。
 この本の冒頭に、安倍首相の全く不勉強な答弁を、議事録をもとに再現してあります。
 
安倍首相は、育鵬社や自由社の教科書に依拠して答弁したものと考えられます。
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by kenpou-dayori | 2015-07-09 08:16 | 教科書検定・採択問題
2015年 07月 09日

憲法便り#1044新宿区教育委員会に提出した、育鵬社、自由社の教科書を不採択の要請書全文の紹介③

2015年7月9日(木)(憲法千話)

憲法便り#1044新宿区教育委員会に提出した、育鵬社、自由社の教科書を不採択の要請書全文の紹介③

第2章 立憲国家と国民(37)

第1節 世界の立憲的民主政治(38)
13.国家の成立とその役割(38)
14.立憲主義の誕生(40)
*もっと知りたい:基本的人権思想の発見(42)
15.立憲的民主主義(44)
第2節 日本の立憲的民主政治(46)
*統治権総攬
16.大日本帝国憲法(46)
万機公論ニ決スヘシ:幕末の動乱期、幕府の力が弱まり、天皇の権威が大きく上昇し、国民の意見によって政治を行うという考え方が芽生えました。この考え方を反映して1868年(慶応4年)、明治新政府が発布した五箇条の御誓文は、第1条に「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」と書いています。その後、政府は欧米の憲法を調査研究し、日本の古典を参照して憲法制定作業を進めました。そして、1889(明治22)年、大日本帝国憲法を発布しました。

大日本帝国憲法の特徴:大日本帝国憲法は、第1条で、万世一系の天皇が国家を統治すると定め、日本の政治は古今一貫して天皇の統治によってなされる、というわが国の政治的伝統を宣言しました。(原注①)
政治の実際の形態は、まず、天皇は統治権を総攬(原注②)する一方、その統治は条規に従う(4条)とされます。つまり法治主義が規定され、天皇も憲法に従うこと(岩田注③)が明らかにされています。次いで三権分立が規定され、天皇が三権を行使するにあたっては、法律の制定は国民代表の意見が反映された帝国議会の協賛(承認)によること(原注③第37条)、行政は国務大臣が責任を担うこと(原注④第55条)、司法は裁判所が行うこと(原注⑤第57条)とされています。大日本帝国憲法のこうした規定は、イギリスなどですでに先例となっていた立憲体制を実現したものといえます。
 また憲法は、アメリカやヨーロッパで定着した憲法の理念をとり入れ、国民の自由と権利を保障し、基本的な自由権と参政権などを規定しました。そして、公共の福祉の観点から、法律に基づく以外、自由と権利は制限できないとされています。
 このように大日本帝国憲法は、法治主義、三権分立など、立憲主義の主要原則をすべて備えた立憲君主制の憲法でした。この大日本帝国憲法は、アジアで最初の憲法として、内外から高く評価されました。

*ここがポイント(47)
①明治政府は、成立の初めから話し合いによる政治の確立を目指していた。
②大日本帝国憲法は、欧米の政治理念をとり入れた立憲君主制の憲法であった。(岩田注④)

*もっと知りたい:立憲主義を受け入れやすかった日本の政治文化(48)(岩田注⑤)
(48と49の2頁見開き)
権威としての天皇 48頁全面 後鳥羽天皇
合議の伝統 五箇条の御誓文 図入りで49頁全面

17、日本国憲法の成立(50)
写真:衆議院本会議において憲法改正案を議決(1946年8月24日)(岩田注⑥、資料①)

GHQ案の提示:1945(昭和20)年8月(岩田注⑦)、わが国は、ポツダム宣言を受け入れて連合国に降伏しました。ポツダム宣言は、わが国に民主主義化と自由主義化を求めていました(原注①ポツダム宣言第10項に、「日本国政府は、日本国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障碍を除去すべし。言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は、確立せらるべし」と書かれている。)(岩田注⑧ポツダム宣言第10項の前段)。日本を占領した連合国軍総司令部(GHQ)の最高司令官マッカーサーは、11月(岩田注⑨:10月、資料②)、日本政府に対して、民主主義化、自由主義化のために必要だとして、憲法改正を指示しました(岩田注⑩幣原の挨拶会談、資料②)。これを受けて日本政府は大日本帝国憲法の改正案を作成しましたが、マッカーサーは、この改正案は天皇の統治権総攬を規定していることなどで、改正は不十分であるとして拒否しました(岩田注⑪日本政府案はなし、資料3)。GHQの民政局で新憲法案がひそかに英文で作成され(岩田注⑫憲法研究会案、資料4)、1946年2月13日、日本政府に提示されました。日本政府としては受諾する以外に選択の余地のないものでした。(岩田注⑬外務大臣官邸での会談、資料⑤)

議員の追放と憲法改正の審議:
 英文の新憲法案を基礎に日本政府は政府案を作成し、3月6日に発表し、4月10日、衆議院選挙を行いました。1月にGHQは、戦争の遂行に協力した者を公職から追放するという公職追放(原注②自由党を率いていた鳩山一郎総裁は、選挙が終わって総理大臣になる寸前に公職追放となった。)を発令していました。そのためこの選挙のときは現職の82%の議員は追放されていて、立候補できませんでした。さらに5月から7月にかけて、議会審議中にも貴族院議員を含め多くの議員が公職追放されてしまいました。(岩田注⑭戦争への反省なし)
 また、当時は、GHQによって、軍国主義の復活を防ぐという目的から、信書(手紙)の検閲や新聞・雑誌の事前検閲(岩田注⑮)が厳しく行われました。GHQへの批判記事は掲載が一切認められず、特にGHQが新憲法の原案を作ったということに関する記事は掲載しないよう、厳しくとりしまられました。従って、憲法審議中、国民は新憲法の原案がGHQから出たものあることを知りませんでした。
 このような状況のなかで憲法改正の政府案は6月から10月にかけて帝国議会で審議されました。帝国議会では、主として衆議院の憲法改正特別委員会小委員会の審議を通じて、いくつかの重要な修正が行われました。しかし、小委員会の審議は、一般議員の傍聴も新聞記者の入場も認められない密室の審議でした。この小委員会の速記録は、1995(平成7)年に初めて公表されました。
 こうして可決された日本国憲法は、11月3日に公布され、翌1947年5月3日より施行されました。この憲法は国民主権や平和主義などを定め、立憲主義と民主主義をさらに進めています。

写真説明 日本国憲法を承認した枢密院(1946年10月29日)(岩田注⑯)
枢密院は天皇の諮問機関。憲法問題も扱ったため、「憲法の番人」とも呼ばれた。

*ここがポイント(岩田注⑰)  
①日本政府はGHQより、憲法改正の指示を受けた。
②日本政府がつくった改正案は不十分なものであるとして、GHQが原案をつくって日本政府に憲法改正を命じた。
③日本国憲法は、国民主権や平和主義などを定め、立憲主義と民主主義を進めた憲法である。

18、日本国憲法の原則(52)
 19、日本国憲法の改正問題(54)(*54と55の2頁を使っている。)
  *各国の憲法改正回数:(2014年3月現在、国会図書館データによる)(岩田注⑱)
国  名      制定年  改正回数
ドイツ       1949    59回
フランス       1946    27回
アメリカ       1788    18回
イタリア       1947    15回
大韓民国       1948     9回
中華人民共和国  1954     9回
オーストラリア    1900     5回
日本        1947     0回

*(憲法改正についての)ここがポイント(55)
①憲法改正手続きは、衆参各総議員の3分の2以上の賛成があり、満18歳以上の国民による投票で過半数の賛成を得て行われる。
②憲法改正の論点として論議になっているのは第9条、二院制、首相公選制、元首の問題、新しい権利などが主なものである。(岩田注⑲)
*学習のまとめと発展(56)       (以上が、「第2章」の目次と主な記述)

「第2章」への問題点の指摘と〔岩田注③-⑲〕

〔岩田注③〕「天皇も憲法に従うこと」とあるが、これは、絶対王政の下での無制限な王権と同様にならないよう、王権を制限することを意味するものであって、天皇が国民と全く同じ立場であることを意味しない。天皇には、臣民(国民)にはない、臣民(国民)の権利を停止する、次の規定が存在する。
 『大日本帝国憲法』の「第二章 臣民権利義務」の第三十一条がその例である。
「第三十一条 本章ニ掲ケタル條規ハ戰時又ハ國家事變ノ場合ニ於テ天皇大權ノ施行ヲ妨クルコトナシ」
 
〔問題点の指摘〕「欧米の政治理念」という表現
*ここがポイント(47)
①明治政府は、成立の初めから話し合いによる政治の確立を目指していた。
②大日本帝国憲法は、欧米の政治理念をとり入れた立憲君主制の憲法であった。

〔岩田注④〕:一口に欧米というが、アメリカは、独立した時点から立憲君主制の経験はない。また、フランスも革命により王制を倒して共和制を樹立しており、立憲君主制の手本になるものではなかった。日本が規範としたのは、プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム四世が1850年1月31日に公布した「プロイセン憲法」(正式には「プロイセン国憲法典」)であった。
 「話し合いの政治の確立」、そして「欧米の政治理念」を強調しているのは、大日本帝国憲法が、いかに民主的な政治を目指していたかを主張するためだが、客観的な記述が求められる。
 ここで、より適切な記述の参考例を示しておこう。
「より適切な記述の参考例」
 その一例は、帝国書院の『中学 公民 日本の社会と世界』の第2部に見ることが出来ます。
大日本帝国憲法に関する記述としての、次の説明文です。
「国民の権利や自由は、天皇が与えた「臣民の権利」として、法律の範囲内において、ある程度保障されていました。しかし、実際には、政府を批判するような言論や活動をすることで逮捕されたり、出版物の発行が禁止されたりすることもありました。
 このように、大日本帝国憲法には立憲主義的な性格も見られ、日本の近代化に大きな役割を果たしましたが、民主的な憲法としては、不十分な面もありました。」

この第2部は、次のように構成されている。
「 第2部 私たちと民主政治
学習の前に:暮らしを良くする政治を考えてみよう
第1章 民主主義について考えよう
第2章 日本国憲法について考えよう
 1、日本国憲法とは(36)」参照。(以下、略)

 また、第2部の中にある「大日本帝国憲法と日本国憲法の9項目の比較」は、判りやすい。
 私の考えとしては、この表に「議院の構成」、および「拷問および残虐な刑罰」の項目を加えることによって、国民の権利、および国民がおかれている状況が一層明確になる。戦前の拷問に関しては、作家小林多喜二虐殺事件が、あまりにも有名である。

【比較表】
 「比較する項目」  「大日本帝国憲法」         「日本国憲法」
 ①性 格      欽定憲法(天皇が定める)      民定憲法(国民が定める)
 ②主権者      天皇                   国民
 ③天皇の地位   元首                   象徴
 ④国民の権利  法律の範囲内で認められる   すべての人間が生まれながらにもつ権利として保障される
 ⑤国民の義務   兵役、納税、(教育)          普通教育を受けさせる。勤労。納税。
 ⑥国会       天皇の協賛機関             国権の最高機関。唯一の立法機関。
 ⑦内閣       各大臣は天皇を助けて政治を行う   国会に対し連帯して責任を負う(議院内閣制)
 ⑧裁判所     天皇の名において裁判を行う     司法権の独立
 ⑨軍隊       軍が通常の行政から独立       持たない

以上は、帝国書院『中学 公民 日本の社会と世界』からの引用で、
以下は、岩田の追加提案。
 ⑩議院の構成  衆議院(選挙)と貴族院(勅撰)    衆議院と参議院(どちらも選挙)
 ⑪拷問       禁止の条項なし          公務員による拷問及び残虐な刑罰絶対に禁止(第36条)

 ただし、選挙権を得られる条件と年令、婦人参政権の確立は昭和20年12月17日の衆議院議員選挙法改正公布によることも、併せて説明しなければならない。婦人参政権確立は「ベアテの贈り物」ではない。これは、誤った俗説。

〔問題点の指摘〕下記の〔岩田注⑤〕と同じ。
*もっと知りたい:「立憲主義を受け入れやすかった日本の政治文化」の構成は次の通り。
(48と49の2頁見開き)
権威としての天皇 48頁全面 後鳥羽天皇
合議の伝統 五箇条の御誓文 図入りで49頁全面

〔岩田注⑤〕「もっと知りたい」の憲法の説明で、2頁も割いて、「立憲主義を受け入れやすかった日本の政治文化」に後鳥羽天皇を登場させ、明治天皇の五箇条の御誓文を持ち出し、皇国史観に基づく説明を展開し、これを立憲主義の原点としているが、明治の社会状況を具体的に教えるべきである。家永三郎著『日本近代憲法思想史研究』の「第二章 明治憲法制定以前の憲法の諸構想」によれば、青木周蔵、元老院、嚶鳴社、京都府民有志、大隈重信、交詢社、井上毅、植木枝盛、立志社、西 周、小野 梓など、個人、団体による構想案は、49件にのぼっている。

〔岩田注⑥〕写真説明に、「衆議院本会議において憲法改正案を議決(1946年8月24日)」とあるが、この写真は、第二読会で起立採決をした時の写真。日本国憲法の成立過程で最も重要な採決は、第三読会の記名投票。(資料①:昭和21年8月25日発行の官報号外に掲載された「衆議院議事速記録第三十五号 帝国憲法改正案 第三読会」のコピー)
 当時の議院法には、「三読会」制の規定があった。「三読会」制は、イギリスの議会において、まだ印刷術が進歩していなかった時代に、書記官に議案を三度朗読させたことに始まると伝えられる制度。
1946年8月24日の第90回帝国議会衆議院本会議では、前日の「第一読会の続き」として開会され、開会時の出席議員数は406名。第一読会は午前までの議事で終了とし、午後は第二読会とされた。代表討論が終了した後、起立による採決が行われ、「七名を除き、他の諸君は全員起立」と報告され、第二読会は終了。教科書に使われているのは、その時の写真である。
そのあと、動議により直ちに第三読会が開かれ、記名投票による採決が行われた。
投票総数429票、白票(賛成)421票、青票(反対)8票。投票したすべての議員名が白票、青票の別に記録されている。こうした事実を正確に教えることが必要である。

〔岩田注⑦〕「1945(昭和20)年8月、わが国は、ポツダム宣言を受け入れて連合国に降伏しました。」と記述されているが、8月15日と正確に教えるべきである。
 3月9日から10日にかけての東京大空襲以後、日々空爆は激化し、連日のように全国各地に大きな被害が出ていた。したがって、太平洋戦争当時の一日の重みがどれほどのものだったかを、教育にもしっかりと採り入れるべきであると考える。
 優柔不断な「最高戦争指導会議」による「ポツダム宣言」受諾の遅れが、広島、長崎への原爆投下のみならず、下記の通り、多くの都市への空爆の悲劇を生み出しているからである。

【昭和20年8月】(外務省編纂『終戦史録』を典拠とした大まかな記録)
一日:スイス駐在加瀬公使よりポ宣言受諾を進言
二日:B29鶴見、川崎、水戸、八王子、立川、長岡、富山を空襲(約八〇〇機の大空襲)
三日:米空軍は三月二七日以来のB29による機雷敷設で日本の港湾及び海行路完全封鎖を発表
四日:佐藤大使よりポ宣言受諾を進言し来る
五日:B29約四〇〇機前橋、西宮、宇部を空襲
六日:広島に原子爆弾投下
B29約一六〇機西宮に来襲
七日:B29約四〇〇機福山、北九州爆撃
八日:B29一〇〇機東京西部に来襲
九日:長崎に原子爆弾投下
米機動部隊約一六〇〇機東北攻撃、同三〇〇機九州に来襲
一〇日:条件付きでポ宣言受諾を連合国に通告
一二日:連合国(拒否)回答ラジオにて到着
一三日:米機動部隊約八〇〇機関東来襲
一四日:ポ宣言受諾決定、外務省午後十一時に打電
B29約八〇〇機高崎、大阪、熊谷、伊勢崎、秋田等大空襲
一五日:米空軍、九州全土を空襲(最後の爆撃)
一六日:マッカーサー元帥より即時停戦の指令到達
 因みに、私の家族は東京大空襲直後、母方の親戚を頼って、福島の小名浜に疎開していたが、8月9日の空爆で家は全焼、わずかな持ち物もすべて焼かれた。

〔岩田注⑧〕「ポツダム宣言」第10項の前段には、次の文言が入っている。
「十、吾等は日本人を民族として奴隷化せんとし又は国民として滅亡せしめんとするの意図を有するものに非ざるも吾等の俘虜(ふりょ=捕虜)を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を加えらるべし」
 『マッカーサーを叱った男』というテレビドラマで、白洲次郎がマッカーサーに対して、「われわれ日本人は、奴隷になったわけではない」と、怒鳴るシーンがあったが、「ポツダム宣言」を無視したストーリーの運びである。
第10項の文言を正確に伝えることが、太平洋戦争を反省し、戦争を繰り返さないためにも、必要不可欠である。

〔岩田注⑨〕11月は誤り。10月11日に、幣原首相が就任挨拶のためマッカーサーを訪問した会談。これは、歴史上の有名な会談である。教科書執筆者がどのような資料をもとに記述したのか、疑問である。(資料②:岩田行雄編著『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』p.31-33コピー)、

〔岩田注⑩〕マッカーサーの話は、指示ではなく。自由主義的な憲法を前提とした日本民主化のための五項目の要望を伝えた。その五項目とは、(同じく、資料②参照のこと)

〔岩田注⑪〕これは多く見かける誤った俗説で、日本政府が正式に作成した改正案はない。あるのは、松本烝治国務大臣(憲法担当)の私案のみ。(資料③岩田行雄編著『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』p.80-82コピー)。

〔岩田注⑫〕GHQ草案作成の基礎となったのは、憲法研究会の『憲法草案要綱』である。GHQは1945年12月の時点から、周到な調査・研究を行っていた。
資料④-1:岩田行雄編著『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』憲法研究会『憲法草案要綱』全文p.44-48コピー。
資料④-2:講演用レジュメ〔資料11〕ラウエル著『民間の研究団体により提案された憲法改正案に関する註解』(憲法研究会案に関する分析)
資料④-3:講演用レジュメ〔資料10〕「日本政府とGHQの動き=明治憲法押し付けと平和憲法制定の攻めぎ合い」
資料④-4:昭和20年12月28日付『毎日新聞』朝刊一面トップニュース「民間側の新憲法草案 憲法研究会 首相に手交」

〔岩田注⑬〕2月13日に、外務大臣官邸でオフレコ会談が行われている。この会談は吉田外相が申し込んだもの。会談内容は、研究者によってすでに明かにされている。選択の余地がなかったのかどうか、会談の記録を踏まえて記述すべきである。自由社の教科書は、検証なしに、「押し付け憲法」論の立場から記述されている。(資料⑤:講演用レジュメ〔資料12〕「2月13日に外務大臣官邸でGHQ草案を手渡した際の『記録』より」)

〔岩田注⑭〕公職追放された戦争協力者が被害者であるかのような記述で、戦争への反省がまったくない。

〔岩田注⑮〕枢密院は、皇族をはじめとするごく少人数の諮問機関で、民主主義を阻害する機関であった。法制局は文字通り「憲法の番人」と呼ばれて来たが、枢密院をこのように扱うのは、子どもたちに誤った歴史認識を「植え付ける」以外の何物でもない。最近、NHKの番組でも全く同じ内容を放送していたことと併せて、由々しき問題である。衆議院および貴族院で論議を尽した案件でも、枢密院は認めなければ、何も先へは進めなかった。
したがって、民主化をもとめる戦後の日本社会では、枢密院は「憲法の番人」どころか、不要のものとされていた。
 その主張の具体例を3点、示しておきたい。
①昭和21年10月11日付けの、外務省の極秘文書『憲法改正大綱案』の【第一根本方針】の第二項目で「一君ト万民トノ間ニ介在シ来レル従来ノ不純物ヲ除去スルコト(一君万民ノ政治)」と、枢密院について、「従来の不純物」と呼んでいる。(資料⑦-1、参照のこと)
②昭和20年11月25日付『毎日新聞』朝刊一面は、[社説]に「枢密院廃止の必然性」と題して論じている。
③昭和21年2月3日に、輿論調査研究所が発表した調査報告でも、「枢密院の存否」の設問に対して、「廃止を支持」が58%に及んでいる。(資料⑦-2:講演用レジュメ〔資料15〕「1945-1946年の三つの 世論調査に見る憲法改正に関する国民の意識」)
したがって、第90回帝国議会で憲法改正の論議が行われていた時点では、枢密院は俗に言うところの「死に体」となっており、「憲法の番人」ではなかった。
枢密院官制は、日本国憲法施行前日の1947年5月2日、勅令により廃止された。

なお、憲法改正論議は、主に衆議院で行われ、別紙のとおり、衆議院本会議、衆議院憲法改正案委員会、衆議院憲法改正案委員会小委員会(秘密会)の三段階があった。(資料⑧:講演用レジュメ〔資料16〕「衆議院での実質審議(1946年6月25日~8月24日)と議事録」)

〔岩田注⑯〕日本では、敗戦後も、戦前の政治制度がそのまま維持されており、検閲や、特高などの活動もそのまま続けられていた。昭和20年9月29日に、GHQが9月27日に遡って検閲制度を廃止し、新聞報道、言論の自由が確立されている。これを契機に、新聞、出版は、自由に行われていた。そのことを抜きに、GHQの検閲のみを強調するのは、史実に反する。
資料⑥-1:昭和20年9月30日付『朝日新聞』一面トップ記事「新聞、言論の自由へ 制限法令を全廃 連合国司令部「新たなる措置」通達」のコピー。下記の検閲の事実を知り、連合国司令部がとった措置。
資料⑥-2:昭和20年9月28日付『朝日新聞』一面トップ記事「天皇陛下 マ元帥を御訪問 三十五分に亙り御会談」のコピー(日本政府の検閲により、二人が並んで撮った写真不掲載)
資料⑥-3:昭和20年9月29日付『朝日新聞』一面トップ記事「天皇陛下、マックァーサー元帥御訪問 二十七日□(一字不明)写」(28日に日本政府の検閲で不掲載になった写真のみ)

〔岩田注⑰〕「ここがポイント」で説明している日本国憲法成立過程は、私がすでにその誤りを指摘した説明の繰り返しである。

〔岩田注⑱〕「各国の憲法改正回数比較表」について。憲法改正の問題は、改正回数の問題ではなく、問題の核心は、何を「改正」したのか、これから何を「改正」するのかにある。
また、日本国憲法の改正問題に、54と55の2頁を使っているが、これは異常である。

〔岩田注⑲〕「憲法改正の論点として論議になっているのは第9条、二院制、首相公選制、元首の問題、新しい権利などが主なものである」と記述されているが、これらは自民党の主張の宣伝であって、国民の世論の反映ではない。
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by kenpou-dayori | 2015-07-09 08:05 | 教科書検定・採択問題
2015年 07月 08日

憲法便り#1043 新宿区教育委員会に提出した、育鵬社、自由社の教科書を不採択の要請書全文の紹介②

2015年7月8日(水)(憲法千話)

憲法便り#1043新宿区教育委員会に提出した、育鵬社、自由社の教科書を不採択の要請書全文の紹介②

(1)自由社『中学社会 新しい公民教科書』について
 
①全体の構成は、序章、1章‐5章、終章からなり、各章は各節からなっています。そして、各節は、さらに数字の番号が付けられた小項目からなっています。そして、「ここがポイント」「ミニ知識」「もっと知りたい」という項目が随所に配置されています
②日本国憲法に関しては、「第2章 立憲国家と国民」、および「第3章 日本国憲法と立憲的民主政治(57頁)」に示されています。
③「第2章」は、憲法の成立過程についての記述、「第3章」は、憲法と現実政治の関係についての記述が中心です。
④以下に、まず「序章」から「第3章」に至る目次(カッコ内は頁数)を簡単に示します。
そして、問題点を指摘する部分については、内容を再録します。
⑤教科書に記されている(注)は(原注①)、岩田が付す(注)は(岩田注①)と、区別します。
⑥〔問題点の指摘〕、および〔岩田注〕は、各章ごとにまとめて示します。
⑦〔岩田注〕は、参考とする際に、探しやすくするために、全体を通して連番を付します。

 以上の諸点をふまえ、「目次」の提示から、本論に進みます。
「目 次」
序 章 現代日本の自画像(1)

第1章 個人と社会生活(19)

第1節 家族の中で育つ私たち(20)
06共同社会と利益社会(20)
07家族の役割と形態の変化(22)
08民法と家族(24)
*もっと知りたい:男女共同参画社会を考えよう(26)
第2節 学校と地域社会と国家(28)
09.学校とルール(28)
10.私たちと地域社会(30)
11.家族愛・愛郷心から愛国心へ(32)

*ミニ知識:愛国心を訴えたフィヒテ(33)
1807年、ナポレオンの率いるフランス軍支配下にあったドイツで、哲学者フィヒテは『ドイツ国民に告ぐ』と演説し、愛国心と独立を訴え、ドイツ国民をふるい立たせた。(岩田注①)

*ここがポイント(岩田注②)
①愛国心とは自分の生まれ育った国を大切に思う心である。
②愛国心は国際社会の平和と発展に貢献しようとする精神的土台である。
③優れた自国の伝統や文化は、継承するだけでなく、次の世代に伝えていかなければならない。

12.国家と私たち国民(34)
*学習のまとめ(36)

「第1章」への問題点の指摘と〔岩田注①-②〕

〔問題点の指摘〕以下の、フィヒテの引用は、歴史的状況を無視した、「愛国心」への誘導。
*ミニ知識:愛国心を訴えたフィヒテ(33)
「1807年、ナポレオンの率いるフランス軍支配下にあったドイツで、哲学者フィヒテは『ドイツ国民に告ぐ』と演説し、愛国心と独立を訴え、ドイツ国民をふるい立たせた。」

〔岩田注①〕フィヒテについて
以下に示すのは、京大西洋史辞典編纂会議編『新編 西洋史辞典 改定増補』(平成12年)633頁右の説明です。
「フィヒテ Johann Gottlieb Fichte(1762-1814) ドイツの哲学者。苦学して大学を出、家庭教師をしながら『啓示批判試論』(1792)を出版、認められて94年イエナ大学教授。知識学を完成し、カントの実践批判を主観的形而上学に高め、ロマン派に影響を与えた。1807年フランス軍の侵入監視の中で『ドイツ国民に告ぐ』の講演をして国民の道徳的奮起をうながし、またベルリン大学の創立に尽力し、のち総長となった。従軍看護婦となった妻のチフスに感染して死す。イエナ大学時代、啓蒙的無神論を主張して論争をおこなったことがある。(広美)」
私は哲学者ではないので、この説明の概念を把握するだけでも難しい。
ここで、愛国心のためにフィヒテを引用するのは、適切ではない。
ナポレオンがヨーロッパに席巻した時代背景の理解がなければ、なおさらのことである。当時のドイツがどのような国であり、何をしていたのかが判らなければ、正しい認識には至らない。
 18世紀~19世紀のヨーロッパを論ずる場合、国名も、版図すなわち領土も激しく変化していて、現在とは違う。
 18世紀の後半に、プロイセン、ロシア、オーストリアの3国により、3次にわたってポーランドの分割が行われている。
第一次は1772年、第二次は1793年、第3次は1795年。
 かつて、ポーランドはロシアに攻め入って、1610年にモスクワを占領、2年後の1612年に退却したが、それほどの強国であった。しかしながら、3回の「ポーランド分割」により、ポーランド王国は崩壊、第一次世界大戦末期まで、一世紀以上にわたって祖国を失い、列強の支配下にあった。ポーランド人の立場からは、オーストリアも、これと並ぶ、ドイツの指導国家プロイセン王国のどちらも侵略者であり、ポーランド軍団が1797年からフランス軍の一翼を担っている。
 したがって、たとえどんなに有名な人物の言葉であっても、歴史の一局面だけを見て、一方の国の「愛国心」を引用し、日本の子どもたちに愛国心を煽るのは、正しくない。
 なお、フィヒテが教べんをとったイエナ大学は、1558年の設立。
 
〔問題点の指摘〕自由社版の「ここがポイント」という項目の危険性
*ここがポイント(33)
①愛国心とは自分の生まれ育った国を大切に思う心である。
②愛国心は国際社会の平和と発展に貢献しようとする精神的土台である。
③優れた自国の伝統や文化は、継承するだけでなく、次の世代に伝えていかなければならない。

〔岩田注②〕「ここがポイント」は、目次には記されていない小さな記述です。しかし、若者に聞いた「ここがポイント」のとらえかた方は、「試験に必ず出るから、マーカーで印を付ける。」とのこと。このような若者の反応を見越した一定の政治的方向への「誘導」は、姑息であり、本来の教育とはかけ離れた政治的手法の濫用として、大問題です。
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by kenpou-dayori | 2015-07-08 22:31 | 教科書検定・採択問題
2015年 07月 08日

憲法便り#1042 新宿区教育委員会に提出した、育鵬社、自由社の教科書を不採択の要請書全文の紹介①。

2015年7月8日(水)(憲法千話)

憲法便り#1042新宿区教育委員会に提出した、育鵬社、自由社の教科書を不採択の要請書全文の紹介①。

去る7月2日、午後4時40分に、新宿区教育委員会宛てに、要請書を提出してきました。
その「はじめに」の部分をすでに、2015年7月2日(木)付の『憲法便り#1036』に掲載しましたが、
全文が整いましたので、掲載します。

中学校教科書の採択は、4年に一回ですから、次回の採択決定は4年後ですから、
将来を見据えて、教科書問題に生かしていただきたく、ここに掲載します。

当初は、簡単な感想文程度を、要望として書いて提出するつもりでしたが、内容があまりにもひだかったため、本気で取り組みました。

取り掛かたのが遅く、さまざまな制約のもとでの作業でしたが、その中で最善を尽くしました。
不十分なことは否めませんが、今後、加筆することを考えています。

なお、全文が長く、ブログでは一回に掲載出来る文字数が限られているため、区切りの良いところで何回かに分けて掲載します。

                                 2015年7月2日
新宿区教育委員会 御中 
岩田行雄(いわた・ゆきお)

教科書採択に関する要請書
はじめに
 去る2015年6月24日に、「教科書・新宿ネットワーク」が、『教科書採択に関する要請書』を提出した際に、私も要請行動に加わりました。
しかしながら、同要請書でもふれているように、すべての問題点について述べることは出来ませんので、各分野の専門家が声をあげることが必要と考えます。
したがいまして、同要請書を踏まえながら、憲法研究者として、独自の立場から要請致します。

【要請書執筆に至る経緯】
育鵬社および自由社の教科書は偏狭な立場を優先し、歴史的事実に関して検証することなく多くの誤りを記述しているので、看過出来ません。
今年3月19日に左眼、3月31日に右眼の白内障の手術を受け、まだ痛みがあるため長時間の調査は出来ませんが、教育委員会の展示会場に足を運び、6月24日、6月29日、6月30日、7月1日に、合計16時間の閲覧・調査を致しました。
コピー、写真撮影も出来ない限られた条件下での作業でしたので、十分とは言えませんが、ここに、その調査結果に基き要請書を提出する次第です。長文ですが、ご検討下さい。

【要請の主旨】
要請内容をご参照のうえ、育鵬社および自由社の教科書を、新宿区教育委員会において採択されないことを強く要望致します。両社の教科書は、誤りも多く、教科書として不適格です。
調査は、憲法に焦点を当て、問題点を明らかにすることにしました。この要請書は公表し、提出後も精査し、ひろく世に問うことを予めお伝えします。

【育鵬社および自由社の教科書への評価】
育鵬社および自由社両社の教科書への評価を以下の二点に要約し、端的に指摘します。
第一に、両社の教科書は、「公民」を、戦前の「臣民」に戻すことを意図している。
第二に、両社の教科書は、戦前の政治に回帰する「安倍政権」機関誌の様相を呈している。
教科書は、その時どきの政権の道具になってはならないことは、歴史が示しています。
かつての、ヒトラーのナチス・ドイツの時代、ムッソリーニのファシスト政権の時代、そして日本の修身教科書により「軍国少年」を育て、戦場に送り出した時代を見れば、明らかです。
育鵬社および自由社が戦前の過ちを繰り返そうとしていますが、あってはならないことです。

新宿区は、下記の平和都市宣言を行い、宣言文を区庁舎正面に掲げています。
私は、この素晴らしい宣言文の精神に則って、採択されることを要望します。
「世界の恒久平和は、人類共通の願いである。
 私たちは、世界で唯一の核被爆国民として、自らも戦火を受けた都市の住民として、戦争の惨禍を人々に訴えるとともに、永遠の平和を築き、この緑の地球を、次の世代に引き継ぐ責務がある。
 国際平和年にあたり、私たちは、人類の生存に深刻な脅威をもたらす、すべての国の核兵器の廃絶を全世界に訴え、世界の恒久平和の実現を心から希求し、ここに新宿区が、平和都市であることを宣言する。                     昭和61年3月15日 新宿区」

【私の研究テーマと「テキスト」批判の論拠とする資料】
 標題に掲げた「テキスト」は原文のこと、批判とは、学問的に「批評し、判定する」することで、非難ではありません。
 私は現在、ある大学に提出するため『日本国憲法成立史の実証的再検討』と題する博士論文を執筆中ですが、そのため調査・研究した資料・および史料は、別紙のとおりです。(参考資料①)
 本格的な憲法研究に取り掛かったのは、2004年1月からですが、2004年6月に『検証・憲法第九条の誕生』(B5判、5,000冊)を自費出版したことを出発点として、すでに7タイトル、約4万5千冊を普及しています。出版社3社からの誘いを断って自費出版の道を選んだのは、誰にでも購入可能な廉価で刊行するためです(参考資料②)
 また、『検証・・・』の刊行をきっかけに、全国各地からの講演依頼が相次ぎ、北海道から沖縄、さらには韓国5都市での講演もあり、140回に及んでいます。
 私の本来の研究テーマは、実証的な「16-18世紀ロシアにおける書籍文化史」研究(参考資料③)で、日本国憲法成立史は、その研究手法の延長線上にあります。
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by kenpou-dayori | 2015-07-08 21:45 | 教科書検定・採択問題