岩田行雄の憲法便り・日刊憲法新聞

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2013年 11月 29日

憲法便り#459 昭和20年11月29日付『朝日新聞』、「人心を制するのは銃剣に非ず徳義」

11日29日
昭和20年11月29日(木)の「日本の民主化と憲法民主化の日歴」
入力の際の体への負担軽減のために、今後の「日歴」は一面のコピーを中心とします。(当時の新聞は、通常は、二頁建てですが。11月29日は四頁建て。)

昭和20年11月29日付『朝日新聞』

[社説]
「首相の示した所信」

〔一面〕
幣原首相 施政方針演説:人心を制するのは銃剣に非ず徳義、食糧解決に施策集中。 
憲法運用に弾力性。
その他。

〔二面〕
朝鮮の独立 ここ数カ月が重大期。
その他。
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※本書『心踊る平和憲法誕生の時代』の注文については、こちらから
歴史的事実をもって、安部首相と石原慎太郎議員の「押し付け憲法」論のデタラメを打破するこの本が十万部普及すれば、闘いは必ず勝てると思っています。
安倍首相と石原慎太郎議員は、「ウソも百回言えば真実となる」というヒットラーばりのデマを繰り返しています。
ならば、本書の真実で、世論の千倍返しを!
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by kenpou-dayori | 2013-11-29 08:26 | 戦後日本と憲法民主化報道
2013年 11月 29日

憲法便り#458 沖縄と連帯のために:『名護六百年史』(1985年、第二版)に学ぶ(第2回)

2013年11日28日
2015年5月14日(木):本の画像追加

比嘉宇太郎著『名護六百年史』(1985年、第二版)【第一章 王国時代】より
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【第三章 琉球国から沖縄県へ】
 
〔第二節 明治新政初期の概況〕より
「琉球国が帝国版図(はんと=領土)の一部であることを国際的に認めさせようとして、維新政府は長い日子(にっし=日かず)と軍事、外交上の多くの犠牲を提供することに吝かでなかった。斯くも日本の関心が琉球に向けられたというのは、琉球に於ける植民地的経済開発がその狙いではなく、本土の護りの前衛として軍事的に価値を有するからで、実際この島には過剰の人口があり、資源も乏しい上に、毎年のように暴風災害があって、経済的には無価値であった。
 維新革命後、日本では万事改革へと驀進(ばくしん)し、盛に欧米文化を導入して政治、行政は勿論、経済、文化の面でも旧いものは一掃され、因襲は打破されていったが、独り沖縄県ではその動きは極めて微温的であった。事実廃藩以来、日清戦争に至る十数年間において、政府の行政措置によって成果をもたらしたものは、民間同化を目的とする教育施設だけであった。
 地方自治は、旧態依然たる地頭代の制度を存続し、産業、交通、庶民経済の面では、別段目新しい歓迎されるような施設が為されず、飢饉はなお住民生活を脅かした。
明治二十年の伊平野蘇鉄事件が起っても、政府は救いの手を差し延べなかったし、公衆衛生や福祉厚生施設に至っては、全く行き届かないので、明治十九年の虎列刺(コレラ)発生にさいしては多くの罹病者と死者を出した。これを要するに、日本政府が沖縄に尽した内政上の諸施策とその業績が顕著でないのは、琉球の置かれた歴史的、民族的特殊事情に由因する日本当路の差別的偏見の現れであって、新政権の下敷にされた琉球人は、何の足しにもならない聖恩優渥の美しい空手形だけで黙々我慢しなければならなかった。地図の上では日本の一県に昇格し、帝国の一環を組成したけれども、古い薩摩の植民地的偏見が改善されないままに、特殊地域の取扱を甘受しなければならない琉球と琉球人、即ち名のみの新沖縄県人は自分達に直接関連する県政の要務から追い出された。寄留商人は、互に協力して琉球商人の進出を阻止し、植民地的官僚風は彼等に援助の手を藉した。互に異端視し、溶け合うことのない日琉関係は、その後も長く尾を曳いて相反目し、その対立相克は、日清戦後に及んで遂に近隣同士で開化、保守の白黒を争う分裂闘争に発展した。
 諸制改革というも、内務省の出先機関でしかなかった県庁の政策は、殊に地方農村生活とは無関係にかけ離れていて、新政による影響は殆んど感受しない位であった。しかし廃藩革命による裏面の社会情勢は激しく変動して、その底流は流石に地方僻すうの農山村にも及んだ。首里、那覇、泊、久米の失禄旧士族は新しく生活の道を拓かなければならなかったが、此所都市地区には、仕事は不足していて、彼等を満足させるだけの職は無かった。結局多くの者は、知己縁者を求めて田舎下りをしなければならなかった。農民は百姓の別名で呼ばれる程労働は彼等に属する専売物で、士族が農耕や労働者に転落することはなかった。(138-139頁)


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by kenpou-dayori | 2013-11-29 07:12 | 沖縄
2013年 11月 28日

憲法便り#457 昭和20年11月28日付『朝日新聞』、社説「簇生新党と政治的底流」ほか

11日28日
昭和20年11月28日(水)の「日本の民主化と憲法民主化の日歴」
入力の際の体への負担軽減のために、今後の「日歴」は一面のコピーを中心とします。(当時の新聞は、通常は、二頁建てです。)

昭和20年11月28日付『朝日新聞』

[社説]
「簇生新党と政治的底流」(岩田注:雨後の筍のように、次々と誕生した新党の問題点)
この項、拡大コピーあり。

〔一面〕
貿易庁設置決る、長官には民間人。
戸惑う婦人参政権、政治への不信根強し。
その他。

〔二面〕
都の幽霊人口四万人、猫も人間にして登録。
戦争犯罪人百三十人「巣鴨風景」
その他。
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by kenpou-dayori | 2013-11-28 11:39 | 戦後日本と憲法民主化報道
2013年 11月 28日

憲法便り#456 沖縄と連帯のために:『名護六百年史』(1985年、第二版)に学ぶ(第1回)

11日27日
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ドキュメンタリー映画『標的の村』を観たことをきっかけに、沖縄について学び始めた。
私は、何事につけても、歴史的背景をしっかりと学ぶことにしている。
その上で、歴史の縦軸と横軸を整理すれば、物ごとを判断する際に、大きく外れることはないからである。
3年程前に購入しておいた、比嘉宇太郎著『名護六百年史』(やんばる叢書)は360頁に及ぶ大著である。
著者は、奥付けの著者紹介にあるように、実に豊かな経歴を持つ。

同書は、題名こそ『名護六百年史』となっているが、単に「名護」という狭い地域について述べたものではなく、「琉球」そして「沖縄」の全体像を描き、その中に「名護」を位置付けている。六百年という時間も、私が研究する際の思考にぴったりである。

自民党沖縄県連の動きについては、後程述べるとして、まず、琉球の歴史的状況について、同書から私が気付いた個所を抜き出しておきたい。

【第一章 王国時代】より

「一六〇九年(慶長十四年)琉球は薩摩の侵略で大島五島を割き、支那貿易の巨利は壟断(ろうだん=ひとりじめ)された。歳毎に決裁するかれこれ一万石の貢賦(こうふ=みつぎのもと賦税)は、王朝政府の主題目とあって、琉球は全く薩摩の附庸(ふよう=従属国)としてその実を挙げなければならなかった。それ以来は、上下虚脱の状態から抜け切れず、進取の気象は地を払って退廃し「大和の御手打に相成候てより五十余年、いかやうに候らへばかほどまでに衰退し候や」と国司(くにのつかさ)向象賢(しょうじょうけん)は慨嘆した。」(2頁より)

【第二章 王国時代の間切の庶政】より

「由来琉球国は、海洋弧懸の島嶼をもって自給経済を維持して来たので、国土資源全般の均衡を保つために、農地政策は、人口とも噛み合わせて、非開墾主義を堅持した。開墾は農地開発という利得はあっても、その半面には牧野、山林の荒廃が予見され、家畜、森林資源の確保はもとより、国土の保全上好ましくないからである。
 薩摩の琉球入りによって植民地化され、被征服者の取扱を受けた琉球人は、上下虚脱の状態に陥り、浮華軽薄の風潮は地方にも浸透して、農民達もまた自らの生活経営に熱意を失った。国中至る所に荒蕪地(荒れ果てて雑草が生える土地)が発生して財源の枯渇を招き、政府収入は毎年のように赤字を出した。茲(ここ)に政府は、その伝統の殻を破って、開墾を認めることにして、一六六八年(寛文八年)薩摩の承認を経て、翌年からこれを実施した。
土地は、農民達にとって、唯一無二の生計手段たるばかりでなく、また中央地方を通じ、彼等の政府の最も重要な財源であるだけに、その保存、管理には最大の関心が払われなければならないが、その掛け替えのない重宝が、年々荒蕪地になって耕されないということは、前掲百姓地と地割制度の説明したように、百姓達が負担に堪えかねて耕作を忌避したからで、その搾取の張本が薩摩であったことはいうまでもない。土地は百姓達の為に在るのではなく、また彼等は土地を持つがために、牛馬に類する器物となり、耕す道具の取扱を受けた。
 政府が百姓達の耕作意欲をそそるために、彼等が自由に裁量し得る私有地をあたえることは、方法として賢明であった。
 仕明請地が何故重宝がられ、百姓達の羨望の的になったかは後記することにして、折角の開墾令も解禁二十年にして再び禁止されてしまった。何れかというと、新規開墾もよいが開墾というより荒蕪地の復旧を先んずべきが順序であろう。土地がなかった訳ではない。荒蕪地の解消にさえ努力すれば、開墾は別段急ぐ要もなかったが、百姓達が私有地を所有することは、農地に対する意欲を増進し、これによって政府は財政収入を増やすことになる。しかし妄(みだ)りに開墾を許可することは、冒頭に述べた通りの反対現象が起って、却って危険を招く結果に陥る。中頭、島尻地方は、土地が平坦で、古くから牛馬など放牧の習慣があって、開墾には種々の利害関係が当事者間に附き纏った。又国頭(くにがみ)地方の山林原野において、矢鱈(やたら)に開墾を許すことになると山林の荒廃は免れない。斯のような事情から、一六八七年(貞享四年)に至って新規開墾は再禁止された。
 開墾地即ち仕明には、団体所有と個人所有の別がある。両者とも請地状(地券)が下附されたことは前項の請地同様である。この地券を俗に仕明手形という。売買、譲渡、質入、抵当など処分権を有する百姓唯一の土地私有財産である。」(62-63頁より)

「凡そ歴史時代を通じ、琉球の百姓達は、封建社会秩序の桎梏(しっこく)の下で、人権は無視され、殊に経済生活の面では、農奴に比すべき生涯を終始した。百姓では絣(かすり)の着物を着、下駄履きは法度(はっと)とされ、粉米はよいが、まともな良質米は上納だから食えない。反則すると歯を折ってよろうと脅迫した。家屋は無論萱葺きで、軒差し一尺五寸以上ではいけない。籠舁(かごかつ)ぎが首里に着て吃驚したことには、市中が皆番所(ぶりばんじょ)であったことだ。地方間切では、番所しか瓦葺はなかった。百姓に贅を与えると貢租、口米の不調があったりして、二万の支配者貴族の台所に影響するからで、彼等は鵜を使って漁りをする鵜匠のように、巧に首を締めつける工夫をした。事実百姓には、辛うじて雨露を凌ぐに足る粗末な家屋以外には不動産というものはなかった。百姓達は生活の資として当てがわれる猫額程の地割によって、而も貢租、口米を差引いた残余の部分に露命を託すという惨めさは、生地獄(いきじごく)さながらの情景であった。かかる農奴生活者時代に在って、彼等が夢にも求めて得られなかった私有地開墾が認められようという。正に晴天のへきれきであった。」(63-64頁)

【第三章 琉球国から沖縄県へ】より

「一八七一年八月(明治四年)日本における維新革命によってもたらされた廃藩置県によって、琉球国は、薩摩藩の羈絆(きはん=牛馬などを綱などでつなぎとめること)を脱し、表面対薩関係は撤去されたかに見えたが、薩摩は、依然琉球王国を属国と看做し、引続き鹿児島県に隷属した。翌一八七二年九月十四日、東京政府は、琉球国を改め琉球藩となし、国王を藩王として冊封したので、茲(ここ)に慶長以来二百六十余年の対薩服属関係は後を断ち、翌々一八七四年(明治七年)には琉球関係を国内問題として取り扱うことにして外務省から内務省に所管替えを行い、那覇の西村には、内務省の出張所が設置された。しかし琉球の地位が戦略的には重大な意味を持ち、歴史の素性が複雑微妙であっただけに、その宗主権を繞(めぐ)っては、日支(=日中)関係に葛藤を生じ、時に台湾事件を種に利用されるなど、茲(ここ)数年来は琉球国の帰属向背(こうはい)の成行が国際間に関心を惹いたが、琉球自体の世論も現状維持が支配的であったため、結局は東京政府の強圧による琉球処分が勝利を制し、日本の一環としてその地位は確認された。この様な経緯があって、琉球藩に廃藩置県を仰せ出されたのは、全国に後れて一八七九年(明治十二年)三月十一日のことである。廃藩置県と同時に琉球藩は沖縄県に改まり、旧藩庁の制度は悉く廃止されたが、地方制度に至っては毫末も改まる所なく、間切り番所の行政は従前によって執行されたから、首里王府の廃絶にもかかわらず、地方の間切、村では一般に平静を保っていた。しかし明治八年以降は東京政府の官員が乗り込んできて、旧藩の対支(対中)関係の停止、明治年号の呼称、藩内職制の改革、新制法の施行など難題を持ち込んで来て藩庁と秦め合っている一方では、警察隊や陸軍兵力を進駐して藩庁を威嚇したので、中央政界は激しく動揺した。宗国の重大変局に直面して晏如(あんじょ)たり得ないのは独り首里府だけではなかった。波紋は大なり小なり閑散な地方農村にも波及して一般に焦燥気味であり、嵐の前夜を思わせるものがあった。百姓達は身体の自由が拘束されていて、彼等の行動圏は村を出ることが出来なかったばかりに、首里に起った廃藩の内幕について多くこれを知らないし、又近代化しつつあった新興日本の隆々たる国運についても全く無知であった。彼等はただ旧藩の恩恵に浴する少数権門の言いなりに上方の命を畏み、新手の日本勢力に抵抗を試みるよう仕向けられた。廃藩革命が来るべき農奴の解放戦であり、農村の黎明であることも勿論予想しなかった。
 日支琉の相克が、仮令部分的であろうと、これが表面化して、行動となって彼等の眼前に展開されると、彼等の暗黒社会では、それだけに衝動も大きかった。地民達の動揺が可成深刻であったのは、嘗つて彼等の社会に革命というものを経験しなかったからである。」(135-136頁)

*第2回に続く

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by kenpou-dayori | 2013-11-28 06:45 | 沖縄
2013年 11月 27日

昭和20年11月25日付『毎日新聞』社説「枢密院廃止の必然性」

11月27日
明治憲法の下では、枢密院は、衆議院、貴族院よりも上位にありました。
したがって、衆議院、貴族院で論議し、結論をだしたことでも、枢密院が同意しなければ何事も前に進めることはできませんでした。
敗戦後、民主化の世論が大きくなるにつれて、内大臣府そして、枢密院の廃止が政治課題となり、内大臣府は11月24日に廃止されました。

この社説に関しては、すでに『憲法便り#57』に掲載してありますので、そちらをご覧下さい。
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by kenpou-dayori | 2013-11-27 07:59
2013年 11月 27日

憲法便り#454 昭和20年11月27日付『朝日新聞』、「インフレ克服へ増税など綜合策」ほか

11日27日
昭和20年11月27日(火)の「日本の民主化と憲法民主化の日歴」
入力の際の体への負担軽減のために、今後の「日歴」は一面のコピーを中心とします。(当時の新聞は、通常は、二頁建てです。)

昭和20年11月27日付『朝日新聞』

[社説]
「財政再建の大道拓かる」

〔一面〕
インフレ克服へ増税など綜合策。脱税防止に“新圓”。
極東諮問委員会の東京訪問を歓迎、マ元帥声明を発表。

〔二面〕
突風一千億の税金、戦時利得税の内幕。
内田帝大総長辞意を表明。
科学教育新方向、児童に“考える時間”を。
その他。

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by kenpou-dayori | 2013-11-27 07:28 | 戦後日本と憲法民主化報道
2013年 11月 26日

憲法便り#453 昭和20年11月26日付『朝日新聞』、「戦争利得者を封圧」ほか

11日26日
昭和20年11月26日(月)の「日本の民主化と憲法民主化の日歴」
入力の際の体への負担軽減のために、今後の「日歴」は一面のコピーを中心とします。(当時の新聞は、通常は、二頁建てです。)

昭和20年11月26日付『朝日新聞』

[社説]
「戒心すべき風潮」

〔一面〕
戦争利得者を封圧 連合軍総司令部より重大指令。
その他。

〔二面〕
双葉山引退 六十九連勝の偉業残し。
その他。
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by kenpou-dayori | 2013-11-26 13:09 | 戦後日本と憲法民主化報道
2013年 11月 26日

憲法便り 緊急号外(1) 秘密保護法案「特別委員会」での強行採決に抗議するため、国会に駆けつけます

11月26日
今日、新聞のレテレビ欄に掲載されていなかった秘密保護法「特別委員会」において、質疑打ち切りの動議が出さえ、自公およびみんなの党の賛成により、強行採決が行われました。
まさに、この法案の危険性の本質を体現です。

質疑打ち切り、強行採決ということ自体が、民主主義の破壊であり、自公政権、みんなの党の反民主主義、ファッショ的本性を、決定的なものとしました。

私は、今日の予定を変更し、抗議の意思を表明するため、国会に駆けつけ、抗議行動に加わることにします。
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by kenpou-dayori | 2013-11-26 12:46 | 秘密保護法
2013年 11月 25日

憲法便り号外(57) 12・7『なぜ、いまヘイト・スピーチなのか』出版記念トーク集会 

11月25日
『9条連ニュース』と一緒に送られてきましたので、紹介します。

参加費は、1、500円(『なぜ、いまヘイト・スピーチなのか』 1冊付きです。

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by kenpou-dayori | 2013-11-25 15:35 | お知らせ
2013年 11月 25日

憲法便り#452 昭和20年11月25日付『朝日新聞』、「憲法改正近く勅命、佐々木博士御進講」ほか

11日25日
昭和20年11月25日(日)の「日本の民主化と憲法民主化の日歴」
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昭和20年11月25日付『朝日新聞』

[社説]
「選挙法改正案の眼目」

〔一面〕
食糧の輸入を許可。
改正憲法に労働規定。
憲法改正近く勅命、佐々木博士御進講。
その他。

〔二面〕
潜る飽食の大貨物、一斉に取締開始。
警官再教育。まづ色眼鏡を外し、文学や音楽も身につけて。
“死の行進”にメス。
その他。
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by kenpou-dayori | 2013-11-25 11:54 | 戦後日本と憲法民主化報道