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2014年 08月 31日

憲法便り#638 幻の「日本国憲法公布記念絵葉書セット」のカバー

これは、昭和21年11月3日の日本国憲法憲法公布記念して、日本絵葉書・第一輯(しゅう)のカバー。
印刷されている写真の下に、岡田紅陽作とある。
葉書は三枚セット。逓信省発行。定価は3円。当時の郵便はがきの値段は、一枚15銭。
はがきのサイズは、縦14センチ、横9センチで、現在の郵便はがきよりひとまわり小さい。

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by kenpou-dayori | 2014-08-31 08:00 | 憲法公布記念シリーズ
2014年 08月 14日

憲法便り#637 wamの要請文:朝日新聞「慰安婦」報道の検証をめぐる一連の報道に抗議し訴えます

8月14日
アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)が発表した「朝日新聞「慰安婦」報道の検証をめぐる一連の報道に抗議し訴えます」という【要請文】の全文をそのまま紹介します。

2014/08/10)
【要請文】朝日新聞「慰安婦」報道の検証をめぐる一連の報道に抗議し訴えます

wamでは、8月5日・6日の朝日新聞による日本軍「慰安婦」問題についての特集と、それをめぐるメディアの一連の報道や政治家の発言などについて、要請文を作成しました。内閣総理大臣、関連する発言をした公人、メディア各社に本日送付します。

要請文の内容は以下の通りです。みなさま、様ざまな方法でこの要請文を広くご周知ただければ幸いです。

PDFは以下からダウンロードできます。

>> 要請文 朝日新聞「慰安婦」報道の検証をめぐる一連の報道に抗議し訴えます





要請文
朝日新聞「慰安婦」報道の検証をめぐる一連の報道に抗議し訴えます

 朝日新聞は8月5日・6日の朝刊で、これまでの「慰安婦」報道の検証結果を発表しました。一部のメディアやネット上に、「『慰安婦』問題は朝日新聞の誤報・捏造によって作られたもの」という中傷や批判があることへの反論です。
 特集記事では、故吉田清治氏による強制連行の証言は虚偽として記事を取り消し、「慰安婦」と「女子挺身隊」を混同した誤用を認め、取材記者による事実の歪曲を否定しました。「強制連行」に関しては、朝鮮半島や台湾に限れば「軍による強制連行を直接示す公的文書」は見つかっていないが、他の地域には証拠もあること、問題の本質は軍の慰安所で女性たちが自由を奪われ、意に反して「慰安婦」にされたという強制性にあることだとしています。
 これらの内容は、「いまさら…」と嘆息したくなるほど、日本軍「慰安婦」問題を少しでも知る者たちには常識となっていることばかりです。このような検証なら、もっと早くに行ってもよかったのに…と思いましたが、事実確認も検証も全く行わずに暴論と虚報を垂れ流している産経新聞などの一部メディアが跋扈している現状を考えれば、朝日新聞の姿勢と自己批判は真っ当で、意義あるものと言えるでしょう。ただ、朝日新聞が相変わらず「女性のためのアジア平和国民基金」を評価していることには、失望を禁じえません。「国民基金」による負の影響をもっと学ぶべきです。そして、「慰安婦」被害を朝鮮半島に極小化し、問題を矮小化しようとしてきた日本政府の“下心”にも迫ってほしいと願わずにはいられません。

 ところがこのような朝日新聞の検証記事を受けて、一部のメディアや政治家たちが、これを政治利用しようと動き出しました。彼らは朝日新聞の報道が全部間違いであり、「慰安婦」被害という戦争犯罪に当たる歴史的事実までなかったような言い方をしています。朝日新聞の報道が日韓関係を悪化させ、国際緊張を招いたと言わんばかりです。
 自民党の石破茂幹事長は国会での検証まで言い出しました。これはまさに報道の自由への国家介入にあたります。橋下徹大阪市長は「産経が頑張って、朝日が白旗あげた」と大はしゃぎで、「国家をあげて強制連行をやった事実がなかったことがほぼ確定した」などと述べました。彼らは白を黒と言いくるめるつもりなのです。恥ずかしげもなく、何と犯罪的なことをしようとするのでしょう!日本国内では言いたい放題の彼らの滅茶苦茶な暴論は国際社会では全く相手にされず、ただ危険視され蔑まれるだけだということに、まだ気がついていないようです。
 彼らは、10代から20代の頃に慰安所に監禁され、毎日数人から数十人もの日本兵に強かんされ続けた女性たちの残虐な被害と、半世紀を経て勇気を持って名乗り出、日本政府に対して裁判を起こし、謝罪と賠償を求めて立ち上がった彼女たちの存在を一顧だにしないのです。
 被害女性の国籍は10ヶ国以上に上ります。開館から9年が経つアクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)では、1年ごとに各国・各地の被害を伝える特別展を開いてきました。展示の中心は、被害女性たちひとりひとりの被害と人生を伝える個人パネルです。これらの個人パネルを読んでいくと、あまりにも深い傷跡とそれをも乗り越えた女性たちの勇気と決断に心打たれると同時に、戦争が終わってから69年、被害女性が名乗り出てから20年以上も経つというのに、被害者の訴えに耳を傾けないできてしまった日本政府の非情さと犯罪性を痛感せざるをえなくなります。

 私たちは日本政府に訴えます。今、求められているのは「河野談話の作成過程の検証」ではなく、日本軍「慰安婦」制度についての第3次政府調査です。第2次調査以降、慰安所の設置や運営、「慰安婦」の移送などについて、研究者や市民によって膨大な数の公文書や証拠文書が発掘されています。これらの検証と、聞き取り調査が進められてきたアジア各国の被害者の証言と目撃者や元兵士の証言を収集し、「慰安婦」制度の実態について更なる真相究明を行うべきです。高齢となった被害女性への聞き取りは、今が最後の機会になるでしょう。
 この7月にジュネーブで開かれた国連の自由権規約委員会は、「慰安婦」問題(「慰安婦」に対する性奴隷慣行)について日本政府に対し、以下のような所見を出しました。

14. 委員会は、締約国が、慰安所のこれらの女性たちの「募集、移送及び管理」は、軍又は軍のために行動した者たちにより、脅迫や強圧によって総じて本人たちの意に反して行われた事例が数多くあったとしているにもかかわらず、「慰安婦」は戦時中日本軍によって「強制的に連行」されたのではなかったとする締約国の矛盾する立場を懸念する。委員会は、被害者の意思に反して行われたそうした行為はいかなるものであれ、締約国の直接的な法的責任をともなう人権侵害とみなすに十分であると考える。委員会は、公人によるものおよび締約国の曖昧な態度によって助長されたものを含め、元「慰安婦」の社会的評価に対する攻撃によって、彼女たちが再度被害を受けることについても懸念する。委員会はさらに、被害者によって日本の裁判所に提起されたすべての損害賠償請求が棄却され、また、加害者に対する刑事捜査及び訴追を求めるすべての告訴告発が時効を理由に拒絶されたとの情報を考慮に入れる。委員会は、この状況は被害者の人権が今も引き続き侵害されていることを反映するとともに、過去の人権侵害の被害者としての彼女たちに入手可能な効果的な救済が欠如していることを反映していると考える(2 条、7 条、及び8 条)。

 国際社会が問題視しているのは暴力的な連行の有無ではなく、「被害者の意思に反して行われた」行為なのです。上の文章に続く、日本政府への6項目の勧告(「慰安婦」被害の訴えについての捜査と加害者処罰、完全な被害回復、証拠の開示、教育、公的な謝罪表明と国家責任の認知、被害者の侮辱や事件の否定への非難)もたいへん厳しいものです。しかし、日本は規約の締約国として勧告を順守する努力義務があります。アジアの被害国だけでなく、世界中がこの戦争犯罪の実態を知るに至り、一向に問題解決に乗り出そうとしない日本政府、むしろ問題そのものを否定したがっている日本政府に厳しい目を向けています。新しい調査の結果をもとに、これら勧告にしっかりと対応してください。

 そして朝日新聞、産経新聞も含めた全てのメディア関係者に訴えます。各国・各地で「慰安婦」にされた女性たち(多くは故人になってしまいましたが)の証言や被害にあった時の状況を、今からでも遅くはないですから丹念に取材し、それをメディアを通して多くの日本人に伝える努力をしてください。また、自由権規約委員会をはじめとする国際社会の勧告に、日本政府がどう対応するのか、これもしっかり取材して、私たちに伝えてください。

 日本政府も日本人も日本のメディアも、「慰安婦」問題をタブー視して避けて通ろうとしたり、歴史修正主義者たちのでたらめな暴論を許したり、沈黙したりすることが許されなくなってきました。今こそ私たちは、未解決の戦争被害である日本軍「慰安婦」問題に、真正面から真摯に向き合わなければなりません。

2014年8月10日
アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)
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by kenpou-dayori | 2014-08-14 21:15 | 「慰安婦」問題・強制連行問題
2014年 08月 14日

憲法便り#636 【再録】 太平洋戦争開戦直後から始まっていた「終戦」を模索する動き

2014年8月14日 

憲法便り#636 太平洋戦争開戦直後から始まっていた「終戦」を模索する動き

今日、2014年8月14日付けの『東京新聞』朝刊一面において、同社が独自入手した史料に基づき「重光外相、ソ連仲介構想」「終戦1年3ヵ月前「対中終結を」」、「第2次大戦中 新史料122通で判明」と報じた。詳細は、『東京新聞』そのものを読むことをお薦めするとして、私が執筆中の論文の序章の冒頭で「終戦」を模索する動きを、既存の資料でまとめて来ているので、参考までに公表しておきたい。
 この中では、日本がどうしたら「敗戦」ではなく、「終戦」に持ち込めるかという問題が解決出来ないまま、日本の立場を有利にするために、「独ソ和平斡旋の意図」をソ連およびドイツに対して申し出ていることが判る。

序 章「ポツダム」宣言受諾までの経緯

(1)開戦直後から始まっていた「終戦」を模索する動き
実は、「ポツダム」宣言受諾に至るまでに、日本政府の中には、開戦直後から外務省を中心に「終戦」を模索する動きがあった。だが、そこから見えてくるのは、主戦論を唱え、虚勢を張り、「大本営」発表で国民を騙し、暴走し続ける粗野な軍人たちの姿、実情を知りながら、彼らを抑えることが出来ず、ただうろたえるだけの無力な政治家と文官たちの惨めな姿、そして天皇の無責任な姿である。また、外務省編『終戦史録』の日暦で一連の動きを見ただけでも、天皇は自ら航空機増産を激励しており、決して天皇が「平和主義者」であったなどとは言えない。天皇を含め、戦争遂行の中心となってきた彼らが戦争責任を問われるのは当然である。
以下、外務省編『終戦史録』の「太平洋戦争日暦」から、「終戦」を模索する動きを中心に列挙する。
なお、近いうちに、外務省が刊行した外交文書『太平洋戦争』(全三巻)に基づき、再点検を行う予定である。
     
【一九四二年】
一月一日 東郷外相部下省員に対する訓示中終戦問題に言及。
二月五日 木戸内府、天皇に終戦を考慮すべき旨進言。
二月十日 天皇、東条首相に対し終戦機会捕捉を御忠告。
六月十一日 吉田茂、木戸内府に終戦促進工作進言(近衛公の派欧)
九月一日 東郷外相、東条内閣を去る(大東亜省設置問題にて東条首相と衝突)。
一二月一二日 天皇、伊勢神宮戦勝祈願の参拝。
【一九四三年】
二月四日 近衛文麿、終戦促進の要を木戸内府に強調。
三月十日 天皇、木戸内府と終戦促進のことに関し御談合。
五月十三日 木戸内府、重光外相に終戦促進のため皇族の力により軍部を抑える必要を打ち明ける。
五月一四日 木戸内府、高松宮と終戦問題に関し談合。
五月三一日 御前会議において「大東亜政略指導要綱」正式決定。
九月一〇日 独ソ和平斡旋の意図をソ連に申し入る。
九月一三日 モロトフより独ソ和平斡旋提案拒否。
九月三〇日 御前会議で絶対防衛線をマリアナ、カロリン、西ニューギニアに後退すること、航空機増産に全力をあげること、船舶対策を強化することを決定(「今後執るべき戦争指導大綱」、「右に基く当面の緊急措置に関する件」)。
【一九四四年】
一月六日 木戸内府、終戦は降伏によるの外なきを悟る。
三月十七日 天皇の御前で陸海軍合同の船舶損耗対策研究会を開催。
四月一日 天皇、航空機生産激励のため関係工場に侍従武官差遣(七月末迄)。
四月八日 独ソ和平斡旋の意向をソ連に申し入る(第二回目)。
四月十日 天皇、陸軍航空技術研究所に行幸。航空機増産激励。
四月十二日 モロトフより独・ソ和平仲介を拒否。
六月十六日 重光外相スターマー独逸大使に独・ソ和平勧告。
六月二十六日 終戦は聖断による外なしと木戸内府、重光外相と極秘申し合す。
八月二十八日 重光外相スターマー独大使に独・ソ和平斡旋提議。
九月八日 重光外相よりマリク大使にソ連へ特派使節派遣の件提議。
九月十四日 スターマーより重光外相へ独ソ和平斡旋拒否。
九月十五日 最高戦争指導会議でソ連に対し独ソ和平を含む日ソ関係改善案討議。
九月十六日 最高戦争指導会議でソ連に対する提案決定。
同     モロトフ・佐藤大使に日本よりの特派使節派遣提議拒否。
十一月五日 重光外相「我が外交」を起案し重臣その他に秘密配布。
十一月七日 スターリン、日本を侵略国と見做すと(革命記念日の)演説。
    ソ連大使館の革命記念日祝賀会に日本高官多数出席
【一九四五年】
一月六日 天皇、内府に重臣招致を要望(戦局観聴取のため)。
一月十三日 天皇、内府に重臣招致を重ねて要望。
二月七日 平沼騏一郎、天皇に戦局観言上。
     梅津参謀総長、親ソ外交により米国とあくまで抗戦の旨奏上。
二月九日 広田弘毅、天皇に戦局観言上。
二月十日 ヤルタ会談においてスターリン対日戦参加を正式に約す。
二月十四日 近衛文麿、天皇に戦局観言上(敗戦に伴う共産革命の脅威、早期終戦の要を上奏)。
二月十日 若槻礼次郎及び牧野伸顕、天皇に戦局観言上。
二月二十三日 岡田啓介、天皇に戦局観言上。
二月二十六日 東条大将、天皇に戦局観言上。
三月三日 天皇、陸海合同に関し御下問。
三月八日 木戸内府、重光外相と早期終戦を協議。
四月五日 ソ連、日ソ中立条約の不延長を通告。
四月九日 東郷外相(兼大東亜相)就任。
四月十八日 東郷外相、スウェーデンの和平仲介を打切る。
四月二十一日 木戸内府、東郷外相、終戦問題で談合。
四月二十七日 モロトフ、佐藤大使にソ連は中立条約厳守を約す。
五月七日 ドイツ無条件降伏(翌日発効)に調印。
五月八日 トルーマン大統領日本の軍民離間声明(日本に対する)降伏勧告
在スイス藤村海軍武官、米国代表ダレスとの日米和平交渉につき米内海相、梅津軍令部総長宛請訓。
五月九日 ドイツの降伏に拘らず日本の戦争遂行決意不変を政府声明。
五月十日 スウェーデン政府による日米和平工作、バッゲより岡本季正公使に申し入れ。
五月十一日 六巨頭(最高戦争指導会議構成員会議)極秘会談、対ソ交渉方針討議。(注:十二日、十四日も続く。六巨頭とは、鈴木首相、東郷外相、米内海相、阿南陸相、梅津参謀総長、及川軍令部総長〔五月末から豊田大将に替る〕)
五月十四日 六巨頭会談ソ連仲介の終戦方針を申合す。
五月二十日 梅津参謀長、スウェーデン工作打切りを小野寺武官に指令。
六月四日 広田よりマリクに日ソ関係改善を申入れ。
六月六日 戦争指導会議においてあくまで本土決戦断行の議案採択。
六月八日 御前会議において戦争指導会議決定の「今後採るべき戦争指導の基本大綱」正式採択。
    木戸内府終戦私案起草。
    佐藤駐ソ大使より外相へ日ソ有効強化絶望を進言。
六月九日 木戸内府、終戦試案を天皇に説明。
六月十三日 木戸内府、終戦試案を鈴木首相、米内海相に説明。
六月十五日 木戸内府、終戦試案を東郷外相に説明、外相より御前会議決定との矛盾を指摘さる。
六月十八日 木戸内府、終戦試案を阿南陸相に説明。
    六巨頭会談(ソ連仲介の和平着手の話出る)。
六月二十日 内府より天皇に六巨頭会談召集奏上。
六月二十一日 木戸内府より天皇に六巨頭会談では6月8日御前会議決定に捉われぬよう進言。
    沖縄守備軍全滅。米軍、沖縄陥落を正式表明。
六月二十三日 天皇より六巨頭に終戦措置推進方を御指示。
七月三日 ソ連仲介和平推進につき首相を督促すべき旨内府より天皇に進言。
七月七日 鈴木首相、天皇よりソ連仲介の和平交渉促進を督促さる。
七月八日 東郷外相近衛公に和平依頼のため訪ソを依頼。
七月九日 鈴木首相・東郷外相、近衛公をソ連特派につき打合せ。
七月十日 六巨頭会談「遣ソ使節派遣の件」を決定。
七月十二日 天皇より近衛公に対し平和斡旋をソ連に交渉するためソ連に使するよう御話。近衛使節派遣につき交渉するよう駐ソ佐藤大使に訓電。
     佐藤大使降伏終戦を外相に進言。
七月十三日 佐藤大使ソ連政府に近衛使節派遣を申入れる。
七月十八日 ソ連、近衛使節派遣拒否を佐藤大使に通告。
     ポツダム会談でスターリン日本政府よりの和平斡旋以来を打明く。
七月二十七日 ポツダム宣言受信。政府は同宣言につき沈黙を守る旨決定。
七月二十八日 鈴木首相記者団に対しポツダム宣言黙殺、戦争邁進を声明。
八月一日 スイス駐在加瀬公使よりポツダム宣言受諾を進言。
八月三日 内閣顧問会でポツダム宣言受諾の意見出る。
八月四日 佐藤駐ソ大使よりポツダム宣言受諾を進言し来る。
八月六日 広島に原子爆弾投下
八月八日 天皇より外相を通じ首相に終戦の意を伝えらる。
    モロトフより佐藤大使に対日宣戦文を手交(佐藤大使の発電日本に到着せず)
八月九日 ソ連軍、北満・北鮮・樺太に進攻開始
    六巨頭会談、閣議終戦を論議
    長崎に原子爆弾投下
八月十日 ポツダム宣言受諾に関する第1回聖断下る。国体護持条件附にてポツダム宣言受諾を連合国側に申し入れる。
八月十一日 陸海軍の一部に終戦阻止運動起る。
    政府の国体護持声明と陸相の戦争完遂訓示、新聞にならんで発表。
八月十二日 連合国回答ラジオにて到着。
    統帥部両総長連合側拒絶を天皇に進言。閣議、連合側回答をめぐり論争。天皇、皇族を召し終戦意図表明。
八月十三日 六巨頭会談、閣議「国体護持」をめぐって意見対立。
    B29日本の降伏交渉文の伝単(ビラ)を空中から散布し始める
    陸相官邸でクーデター計画協議。
八月十四日 連合国回答受諾に関し第二回聖断下る。終戦の詔書渙発。
    連合国側に回答受諾の旨申入れ。
八月十五日 終戦詔書玉音録音放送。鈴木内閣総辞職。阿南陸相自決。
八月十六日 マッカーサー元帥より即時停戦の指令到達
八月十七日 陸海軍人に勅語(隠忍降伏の旨)。全軍に即時戦闘行動停止下令。
 天皇が平和主義者であったとの論議があり、「戦争放棄」の真の提唱者であるとの“研究成果”が大真面目で取り上げられることもある。だが、私はそのような主張を認めることは出来ない。上述の「太平洋戦争日暦」の中で示したように、一九四四年四月に天皇が戦争遂行の激励を行なっている。強調するためにその部分を再度記しておく。
一九四四年四月一日 天皇、航空機生産激励のため関係工場に侍従武官差遣(七月末迄)。
一九四四年四月十日 天皇、陸軍航空技術研究所に行幸。航空機増産激励。
この一事を以ってしても天皇が戦争に反対していたとか、平和主義者であったなどとは言えない。

ドイツは五月七日に無条件降伏し、翌八日にはトルーマン大統領が日本に対して降伏勧告を行っている。だが、日本政府は、五月九日に「戦争遂行決意不変」の声明を発している。だが、日本では新たな動きがあった。五月十一日、日本極秘裡に六巨頭(最高戦争指導会議構成員会議)会談を開催したことである。会談内容は、対ソ交渉方針の討議である。この会談は、十二日、そして十四日にも続けて行われている。六巨頭とは、すでに述べたように、鈴木首相、東郷外相、米内海相、阿南陸相、梅津参謀総長、及川軍令部総長〔五月末から豊田大将に替る〕である。日本国民の命運は彼らの判断にかかっていた。しかし、すでに見たように、彼らは当時日本がおかれていた客観的状況を真正面から捉えようとはせず、主観的願望によって、国民に大きな犠牲を強い続けた。

※平和憲法を守る闘いに寄与するため、5月に下記の新著を緊急出版しました。

『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』
―押し付け憲法論への、戦後の61紙等に基づく実証的反論―
(これは『心踊る平和憲法誕生の時代』の改題・補訂第二版です)

闘いは、まだこれからも続きます。「押し付け憲法」論、自主憲法制定論に対する闘いに、是非とも本書を活用していただきたい。

ご注文は、下記の書店へ
美和書店 電 話03-3402-4146
FAX 03-3402-4147
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by kenpou-dayori | 2014-08-14 15:50 | 太平洋戦争日歴
2014年 08月 12日

憲法便り#635 敗戦直前に外務大臣が打電した極秘電報

第二次世界大戦の末期の昭和20年8月、敗戦直前に外務大臣がアジア各国駐在大使に打電した暗号電報の中から、次の三通を紹介します。
全て外務省編纂・発行『日本外交文書 太平洋戦争(全三冊)』(2010)の第三冊に基づいています。

これらの電文の重要性は、昭和20年8月14日の第二回御前会議において最終的に「ポツダム」宣言受諾を決定する前に、受諾を内報し、さらに中国を含む任国政府にも内包するよう訓令していることである。
これは、秘密文書の保全と公開の原則が守られたことによって知り得た事例である。
安倍政権が、強行採決に次ぐ強行採決により押し通した「特定秘密保護法」の下では、いまここで目にしているような、歴史の認識、解釈を覆す資料は、永久に極秘とされるか、廃棄される可能性が高い。
すでに「太平洋戦争日歴」で紹介してきたように、外務大臣は戦争終結を強く主張していたが、外交ルートでここまで先行した措置をとっていたのである。

①ポツダム宣言受諾につきアジア各国駐在大使へ内報(昭和20年8月10日)

②ポツダム宣言受諾の旨を任国政府へ内報方訓令(昭和20年8月11日)
*岩田注:最終的にポツダム宣言受諾が決定していない段階で、中国その他の政府に内報するように指示した暗号電文。

③ポツダム宣言受諾にあたっては原子爆弾の問題も考慮に含まれた旨通報(昭和20年8月11日)

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by kenpou-dayori | 2014-08-12 21:27 | 太平洋戦争日歴
2014年 08月 11日

憲法便り#634 お知らせ「女講談師、平和を謳う」:神田香織さんの講談「はだしのゲン」ほか

8月11日 
私は、五年ほど前から、講談「日本国憲法誕生」の公演を考えてきましたが、ようやく具体化の段階に入りました。参考にするために、七月の下旬に、広小路亭で講談を聞いてきました。
その時にもらったチラシのなかに、「女講談師、平和を謳う」銘打った講談会がありましたので、紹介します。
神田香織さんは、去る七月十九日に、東松山市にある「原爆の図 丸木美術館」が開催中の「はだしのゲン絵本原画展」の原画の前で、「はだしのゲン」の講談をなさったと伺いました。

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※平和憲法を守る闘いに寄与するため、5月に下記の新著を緊急出版しました。

『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』
―押し付け憲法論への、戦後の61紙等に基づく実証的反論―
(これは『心踊る平和憲法誕生の時代』の改題・補訂第二版です)

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by kenpou-dayori | 2014-08-11 22:27 | 今日の話題
2014年 08月 10日

憲法便り#633 町田市立自由民権資料館 2014年度第1回企画展「風刺漫画に見る明治」

8月10日 
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今日、講演を聞き、併せて見学する予定でしたが、残念ながら、台風のため中止しました。機会を改めて、訪問したいと思っています。

※平和憲法を守る闘いに寄与するため、5月に下記の新著を緊急出版しました。

『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』
―押し付け憲法論への、戦後の61紙等に基づく実証的反論―
(これは『心踊る平和憲法誕生の時代』の改題・補訂第二版です)

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by kenpou-dayori | 2014-08-10 21:10 | お知らせ
2014年 08月 09日

憲法便り#632 2014原水爆禁止世界大会(広島)の報告

8月9日
知人から、広島で開催された原水爆禁止世界大会に参加した報告書をいただきました。
拙著『心踊る平和憲法誕生の時代』および『検証・憲法第九条の誕生』を購入して下さっている方です。
報告書のコピーをそのまま紹介します。

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※平和憲法を守る闘いに寄与するため、5月に下記の新著を緊急出版しました。

『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』
―押し付け憲法論への、戦後の61紙等に基づく実証的反論―
(これは『心踊る平和憲法誕生の時代』の改題・補訂第二版です)

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by kenpou-dayori | 2014-08-09 16:24 | 平和運動
2014年 08月 08日

憲法便り#631 2014年「夏休み教育相談室」のお知らせ

8月8日
初めて「人間関係学」という言葉を聞いた時、人間関係が学問の対象になるのかと、いぶかしく思ったものですが、それからかなりの年月が経ち、その意味をあらためて問い直す時代になったと思っています。
教育、そして、人間関係にまつわるさまざまな報に接するたびに、教育相談の重要性もまして来ているとおもう今日このごろです。
悩みのある方は、ひとりで悩み続けることなく、とにかく相談をなさってみることをおすすめします。
話を聞いてもらうだけで、こころがらくになるのではないかと思います。

ここに紹介する教育相談は、9人の先生方が担当しており、わたしの妻も10年半前から関わっています。
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※平和憲法を守る闘いに寄与するため、5月に下記の新著を緊急出版しました。

『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』
―押し付け憲法論への、戦後の61紙等に基づく実証的反論―
(これは『心踊る平和憲法誕生の時代』の改題・補訂第二版です)

闘いは、まだこれからも続きます。「押し付け憲法」論、自主憲法制定論に対する闘いに、是非とも本書を活用していただきたい。

ご注文は、下記の書店へ
美和書店 電 話03-3402-4146
FAX 03-3402-4147
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by kenpou-dayori | 2014-08-08 14:18 | お知らせ
2014年 08月 08日

憲法便り#631 2014年「夏休み教育相談室」のお知らせ

8月8日


※平和憲法を守る闘いに寄与するため、5月に下記の新著を緊急出版しました。

『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』
―押し付け憲法論への、戦後の61紙等に基づく実証的反論―
(これは『心踊る平和憲法誕生の時代』の改題・補訂第二版です)

闘いは、まだこれからも続きます。「押し付け憲法」論、自主憲法制定論に対する闘いに、是非とも本書を活用していただきたい。

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by kenpou-dayori | 2014-08-08 14:17 | お知らせ
2014年 08月 08日

憲法便り#630 ヒットラア著・室伏高信訳『我が闘争』(昭和16年刊)あとがきと奥付

8月8日

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この本は、今から35年ほど前に、慶応義塾大学近くの清水書店で購入したものである。
昭和16年当時、この本が日本でどのように評価され、どのような意図で出版されたのかを、三回にわたって、紹介しておきたいと思う。
訳者の室伏高信(むろぶせ・こうしん)は、思想的には大きな振幅があり、二転三転しているが、敗戦後は、「憲法研究会」に参加し、同会の『憲法草案要綱』の七人の起草者のひとりとして名を連ねた人物である。

『憲法便り#628』で、本書の末尾に付されている「戦時体制版の宣言」を紹介したので、順序が前後したが、今回は、訳者の「あとがき」と奥付を紹介する。
「あとがき」では、原著の全訳ではないこと、その他について、説明が行われている。

また、私が所蔵している本書の奥付には、驚くほど早いペースでの発行部数が記されているので、紹介しておく。
昭和十五年六月十五日  初刷二万五千部
昭和十五年六月二十七日 第二刷二万部
昭和十五年七月一日   第三刷七千部
昭和十五年六月十五日  第四刷二万五千部
昭和十五年六月十五日  第五刷二万二千部
昭和十五年六月十五日  第六刷二万部
三六七頁、定価七十八銭。
なお、その後の発行部数については、未確認である。

※平和憲法を守る闘いに寄与するため、5月に下記の新著を緊急出版しました。

『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』
―押し付け憲法論への、戦後の61紙等に基づく実証的反論―
(これは『心踊る平和憲法誕生の時代』の改題・補訂第二版です)

闘いは、まだこれからも続きます。「押し付け憲法」論、自主憲法制定論に対する闘いに、是非とも本書を活用していただきたい。

ご注文は、下記の書店へ
美和書店 電 話03-3402-4146
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by kenpou-dayori | 2014-08-08 12:02 | ナチス