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2025年 06月 17日
2025年 06月 01日
![]() ![]() ここに紹介するのは、守山義雄文集(非売品)に基づく実話である。守山義雄の生没年は、明治四十三年(1909)―昭和三十九年(1964) 昭和四十年(1965)四月二十日に守山義雄刊行会が編集、発行に責任を持っている。印刷所は凸版印刷株式会社。したがって、守山義雄自身はこの刊行についてはまったく知らない。 「後記」の全文には興味深い内容が多数含まれているので、全文をそのまま紹介しておきたい。 「一千二百部以上という多数の御予約を得て、守山義雄君の霊に、文集刊行の報告が出来ましたことは、何よりの感激であります。 予想以上の多くの方の御賛同の結果、経理面でも豊かになりまして、当初の計画よりも約百ページ増大しました。守山君の三十三年半にわたる活躍は朝日新聞のおよそ一万八千号から三万号の間に、大量の記事を残していますが、どの一項も思い出深いものばかりであります。この増ページによって、割愛するものが少しでも減少しましたのは、編集者の喜びであります。発起人になっていただいた方々、「思い出」に寄稿下さった方々、予約してもらった方々に、心よりお礼を申上げます。 出版のすべてをお世話下さった朝日新聞出版局の方々、忙しいなかを通信会計一切をやっていただいた岡本信子さんはじめ、御協力下さった方々に深く感謝いたします。「病床日誌」「若き日」「年譜」は山田俊雄、写真は奥野省三が担当、原稿の蒐集整理は林田重五郎があたりました。(*岩田注:「年譜」はかなり長文なので、本文の後に全文を紹介する) 「守山君だったら、この文集を作るにあたって、果してどうするだろうか」「一つの記事の採否にも、一つの見出しをつけるのにも、こことだけを念頭にして、仕事を進めました。「ウン、やっとるな」と在天の彼が納得して微笑んでくれますかどうか。 なお「思い出」は編集の都合上、相当削らしていただいた部分や勝手に訂正したところもあります。失礼をお許しください。ありがとうございました。 昭和四十年四月 守山義雄刊行委員会世話人 私はかつて守山義雄文集をもとに、「ヒットラー来たり、ヒットラー去る!」という二時間にわたる一人芝居を、演じたことがある。その時に勿論、ルーレットと戦争の部分も演じているが、カジノの敗北に至る部分のみを描いてしているが、今回は、詳細をあますところなく紹介することとした。 現在大阪で開催されている「大阪万博」を私は「日本のカジノ元年」と名付けているが、これは「子どもまで巻き込んだカジノ時代到来」への警告である。
ルーレットと戦争 敗戦前後の賭博場 ドストエフスキーの作品の一つに「賭博者」といふ心理小説がある。この作者がまだ三十代の若いころドイツのバーデンバーデンでルーレットに熱中し、元も子もすっからかんにすって、貧苦のどん底を彷徨する体験から生まれたものであるが、例の深刻な筆致で賭博者の心理をあますところなく描きつくした奇作である。 遊蕩腐敗の徒を一掃する建前のナチスのことだからまさかさいうふ賭博場は第三国家から姿を消したことだらふとおもふと大間違ひ、バーデンバーデンでなどでは米英軍がつい目と鼻のさきへ押しよせてくるまで、かつてドストエフスキーが遊んだそのままの姿で、あの小さな象牙の玉がガラガラ廻りつゞけてゐた。 もちろん壮麗なカジノは燈火管制の黒幕で掩はれてゐたが、一歩なかへ入ると煌煌たるシャンデリアのもと、血走った博徒の群でむせるやうな賑わい、これでも戦争かといひたくなるやうな平和の、更に彼方の三昧境である。スターリングラード以後のあの根そぎ動員計画でオペラやキャバレーは閉鎖されたが、不思議なことに賭博場だけは逆に門を大きく開き年中無休でお客を呼んだのである。そこでナチスが戦時下にかういふむしろ助長するやふうな方針をとったのはどういふわけかといふと、やはりこの賭場が党の有力な財源たるを失はなかったからだ。 賭博場一箇所で一晩の純益十万マーク(マルク)は確実だから、ドイツ一国数箇所で年一億数千マークの収入になる勘定だ。日本金に直して約二億円ちかく、丁度わが国戦前の煙草専売に国庫収入純益に匹敵する。地中海の小国モナコの国民が税金を納める必要がなくて、その国家財政がもっぱら国営賭博場の収益に依存してゐることは周知の事実。そして一種の現場取引の富籤のやうなものだから、民間のインフレ遊資吸収といふ作用もある。富籤や勝札とはならない圧縮された濃厚な魅力とスリルのあるところが味噌だ。さしあたり日本でこのカジノを全国に十箇所もひらけば、腹巻のなかに百円札の束をねじこんでそこらあたりをうろうろしてゐる闇屋の兄奇さんたちはたちまちもとの涼しいからだになって、すこしは「敗戦」の痛苦に徹することとおもふ。 しかし日本人は忠治(*国定=国定のちゅうじ)や次郎長(*清水=しみずのじろちょう)ばかりではない。丁半をゆうゆうとたのしめるほどのまだ大国民ではなささうだから家庭悲劇をさける意味でやらない方がよい。勝てばつけあがり、負ければしょげかへり、感心に凝ってゐるなどとおもったたら、実はかっとのぼせてゐるのだ。われわれの性格でいちばんいけないのは、切りあげる「潮どき」をしらないこと。これでは賭博にも戦争にも勝てっこない。満洲事変以来あののぼせあがった深遊びを思ひかへせば、ほんたうなら勘当されて首を縊(くび)らねばならないところだ。それがどうやらかうやら食ひつないでゆけさうだといふ境涯は、なんとしても有難い。勝ったときの「潮どき」はわからなかったが、負けたときの「潮どき」をはづさなかったわけで、情けないながらさすがにさすがにと涙のこぼれるうれしさがある。
呪われた十二月八日 さて不謹慎な前おきはこのくらゐにして、さらに不謹慎な本論にうつる、この話は当時あまりにわるい辻占だったので、これまで自分の同僚にも打明け得なかった恥かしい体験である。忘れもしない一九四一年の、あの呪われた「十二月八日」のことであった。 そのころ一週間にわたってウイーン全市は、モーツアルト歿後百五十年のお祭りさわぎで賑はってゐた。また白面の青年総督シーラッハは、美しい細君に綺麗に飾らせて、全欧州から集まった外交官、新聞記者をはじめ貴顕淑女(?)をオペラや王宮で接待した。フルトヴェングラーの「魔笛」に酔ひ、男はタキシード、女は夜のコスチュームの裳(も)をつまんでくるりくるりとウインナー・ワルツを舞ふ、それはまさしく会議が踊ったそのかみの、古城の宴をおもはせる花やかさ(華やかさ)であった。(岩田注:「会議は踊る」は、1814年の「ウイーン会議」を言葉で、会議は表面上は活気があり、舞踏会などが盛んに行われているものの、実際は審議が進まず、進展がないことを皮肉った表現。山本義雄記者が体験した状況は、1814年の「ウイーン会議」に酷似している。) だがおそるべし、沐候(もっこう)(岩田注:見かけは立派だが、心が卑しく思慮分別に欠ける人物の例え。)に冠せるやからが身につかぬ歓楽に、かうして夜のふけるのを忘れてゐるとき、東部戦線の独逸軍には、すでに戦慄すべき「死相」があらはれてゐた。モスクワ前面からのあの歴史的な総退却だ。 だがおそるべし、沐候(もっこう)(岩田注:見かけは立派だが、心が卑しく思慮分別に欠ける人物の例え。)に冠せるやからが身につかぬ歓楽に、かうして夜のふけるのを忘れてゐるとき、それは「不可能」といふ言葉が自分の辞書にものっていることをヒトラーがひそかに初めて発見した大切な欧州戦局の転機であった(原注:もし当時日本参謀本部が、このヒトラー軍の致命的な失敗の性質を科学的正確さをもって検討してゐたならば、それからなほ一箇月後にわが聯合艦隊がハワイ攻撃のために母国の軍港をはなれることはなかったであらうに!)
敗戦を隠す逆手 独逸宣伝省はこの不首尾をひた隠しにかくさうとしたのだ。そして大胆な逆手を用ひて新聞長官デイトリッヒの『ソ聯はすでに崩壊せり』といふ例の有名な声明や、ローゼンベルグの東部占領地省新設などを発表し、ナチス宣伝学の秘術をつくして民衆心理への煙幕展張にやっきとなった。もちろんわれわれには当局発表以外の戦局報道は禁ぜられた。それだけではない。東部戦線の真相如何とうるさくつきまとふ外国人記者団を敬遠するため、ウインナー行の特別寝台列車が仕立てられ、ベルリンにあった百六十名の国際記者団のほとんど全員は無理やりこれにのせられ、一夜のうちに歓楽の都維納(岩田注:いのう=ウイーンの漢字表現に)送りこまれたのである。 モツァルト記念期間中は毎日の記者会見は維納においてとり行ふべしといふお達しだから芸がこまかい。われわれが日米開戦当時維納にゐたのはさういふわけであった。そうして十日間あまりハンガリーやフランスから徴発してきた舞姫や葡萄酒のご馳走攻めに、各国の記者連がやうやく氷結の東部戦線を忘れかけてゐたところ、心ある連中は維納のホテルでわり切れない感情をもてあましてゐた。
賭場で聞く日米開戦 たまたまそのとき親しくしていたスペインの同僚C君が『おい、面白いところへゆかう』と筆者の肩をたたいたのである。やがて二人であらはれたのが維納の郊外六十キロばかりの温泉地にある壮麗な賭博場だ。実は筆者もこのときはじめてルーレットといふ魔の遊戯をみたわけだ。赤と黒と三十七の数字で放射状に等分された円盤がゆっくり回転してゐる。その円盤の周囲を逆に投げられた象牙の玉がすばらしいスピートで廻る。白い玉はやがて気息奄々ととなり、満場が手に汗を握ってしんと静まりかへったときに、カタリと運命的な音を立てて、ある数字の上におちる。いろんな賭け方があって、多いときには元金が三十七倍になって返ってくる。普通は赤黒とか奇数偶数の、つまり二倍のチャンスをねらふ。 やってみるとなかなか面白い。スペインの同僚はたちまちすってしまって帰らふ帰らふといってゐたが、筆者は2百マークほどの八百マークほどにふえて、なかなかの好調だ。そのとき突如人波をおしわけて、一人の独逸人が筆者のそばへ近寄って、『あなたは日本人だらう、日本はアメリカに宣戦を布告したよ、いまラジオがいったばかりだ!』と興奮して叫んだ。自分は『そんな馬鹿な!』と言下にはきだすやうに否定したが、チラリと脳裡をかすめたものはワシントンにおける日米会談の空気だった。いそいで賭博場の事務所へ行ってたしかめると、独逸のラジオは総統大本営の公表として「日米開戦」をくりかへしくりかへし放送してゐた。自分は耳を疑った。全身の血が逆流するうな衝動!アジア大陸の東の端に赤いカマキリのやうにしがみついてゐる小さな小さな祖国日本―お前は世界を相手にたゝかふつもりなのか―激動する胸のさわぎをこらへて、ふたたび賭場へあらはれたときに、満堂の視線がみんな自分にそゝがれてゐるのを意識した。さすがの彼らもガラガラを中止して、文字通りに火のついた「世界戦争」を語り合ってゐる。
悪魔の回転盤 旧オーストリア国人である維納(ウイーン)人である反独的な空気が強く、独逸の尻馬にのった日本人といふさゝやきがきこえる。独逸は果してアメリカに宣戦するだらうか、いや宣戦する必要なし、日本も独ソ戦を黙って見送ったじゃないかなどといふ議論もきこえる。そのうちにたった一人の日本人である筆者は質問の垣にとりかこまれた。勝てるかといふやつがある。負けるとわかってゐる戦争を大馬鹿者はをらぬだらうとこたへる。『然しねェ、戦争はルーレットみたいなものだよ』と叫んだやつがある。この言葉をきいたときに自分の考へはきまった。 ときの聯合艦隊司令長官山本五十六(いそろく)大将が非常にルーレットに強い人であることをおもひだしたのである。そして国家の運命とこの「悪魔の回転盤」をむすびつけ、神秘的な観念論が自分をとりこにした。ルーレット台に近づくと、ありがね全部財布の底をはたいて、筆者は「赤」に賭けた。千四、五百はあったらう。周囲の人々はこの精神状態のたかぶった日本人の異様な行動を、目をまるくしてみてゐた。自分はなんといふことなくこの勝負は必ず勝つと思った。 象牙の玉がガラガラとまはってカタリとおちた。「赤」だ!まはりはどよめく。自分はほっとする。賭け金は倍になってまだ「赤」にかゝってゐる。日本は勝った、えらいぞッという噂をきくと、ちょっとそれをひっこめ難い。そしてもう一度は勝つだらふといふ漠然たるカンがふとわいてきた。第二回目の玉がまはりだした。また「赤」だ!わあっといふどよめき、払ひ戻された六千マークの大金が筆者の目の前につき出された。それをもってさよならをすれば、多少うしろ口をさゝれたかもしれぬが、日本にとっては万々歳であった。
万事休す運命の玉 然し世界人の環視の中でどうしてそんな卑怯なまねができよう。自分は不可抗力にあやつられる夢遊病者のやうにそのまゝ「赤」の上においた。もう勘もなにもない。それはその賭場でいちどにかけうる最大限の金額であった。満場は騒然とし、ほかの台からも人々は集まってきて、この稀有の大勝負に好奇の目をみはった。富豪の未亡人らしい鼻めがねの老婆が『おやおや、勇敢な日本人』とさげすむやうに独りごちたが、それはその場にあったヨーロッパ人すべての公平な声を代表したもののやうであった。畜生ッとはおもふが、勝てるといふ自信はさらにない。自分はただ手に汗をにぎり、その場合日本の運命をかけたおそろしい偶然を念ずるより仕方がなかった。赤と黒との放射線の千はやがて回転をはじめた。その三十秒間、神経は高度の緊張のために逆に放心してゐた。果して運命の玉はそこへおちるのは当然だといはんばかりの着実なひゞきをのこして「26」といふ数字の上におちた。「26」は黒である。万事に終止符はうたれたのだ。大金は熊手のやうな金かき道具で、みるみるうちに目の前からひっさらわれて行った。人々は口々にいひそやした。 日本は惜しいことをした、日本が敗けた、とぞわめいてゐる。自分はたまらなくなって『いったい誰が勝ったんだ!』とどなった。玉廻しのベルギー人の男が気の毒さうに耳もとで『誰も勝ちはしない、みんなナチスへ献納ですよ』とさゝやいた。のがれるやうに外へとびだした自分を、賭博場の笑声はどこまでも追っかけてきた。そして十二月の寒い風の中にべっとり汗をかいてゐるわが身を発見したときに、この話はめったに人にしゃべれないぞと覚悟したのであった。そして「26」といふ黒い数字の上に、物理的な必要性をもってカタリとおちたその自信あり気な象牙の玉をおもひだすごとに、その後ながい戦争の間、筆者は人知れず思ひなやんだ。 (9・21)
④開戦の秘密 米戦力評価の誤謬 うけて起ちあがる捨て身のいくさでも、いやしくもたゝかはんとする以上は、そこに戦争をどういうふかたちですすめるかといふ目算がなければならぬ。国民皆兵の近代戦は、主君の名誉のために職業戦士だけが武器をとった封建諸侯間の争ひではない。幾千万の国民の生命と幸福がそこにかゝってゐる。まして自ら開戦のイニシアチブをとらんとする場合には、軍事的にも政治的にも、終戦時の勝利の想定といふものが確固として成立してゐなければならない。真の将帥といふものは、戦争をはじめるときに、すでに戦争をはじめるときに、すでに戦争を終わらせるときのかたちを頭にゑがいてゐる。 しからば日本は大東亜戦争をはじめるときに、戦争終結に対していかなる構想をもってゐたか。この間の議会でも残念ながらその点が明らかにされなかったが、もし国民が開戦時の軍部の肝の中をきゝ得たならば、あの惨憺たるかずかずの数字を報告されなくとも、日本は最初から敗けるべき戦ひをたゝかったのだいふことが一般により徹底したのではなからうかとおもふ。根本には欧州戦局の見通し対して重大なる誤謬を冒したこと、すなはちドイツの力を過大評価し、アメリカの力を過小評価した誤謬が「いまなら起てる」といふ錯覚となって、つひに国際信義を無視したと世界から指摘されてゐるあの真珠湾攻撃の一撃となった。
好戦侵略国の印象 しかしハワイそのものを占領する作戦のなかったところをみれば、アメリカ大陸に上陸してあくまで武力でことを決しういふとわけでもなく、結局緒戦の打撃によってアメリカ国民の戦意喪失、自由と平和を愛好するアメリカ民衆の間に反戦論の抬頭をまったといふのが、日本参謀本部のいはゆる「必勝の信念」の内幕であったやうだ。さうではない、坐してがし餓死せんよりは進んで血路をひらくに如かず、当時の日本は大きな自信はなかったけれども、やむにやまれず窮鼠かへって猫をかんだんだ、といふ無謀な説明があるならば、われわれの先輩はかの三国干渉に際して、なぜ涙をのんで遼東半島を返したのかたづねたい。当時の政府は独仏露の三国を相手にたゝかっては勝算なしと判断したれば遼東半島を返還したのである。三千年来敗れたことなしと自惚れてゐるけれど、筆者はあの三国干渉こそ立派な敗戦の歴史だとおもふ。 アメリカ民衆の戦意喪失を戦争終結の大部分の希望にしてゐたとすれば、「真珠湾の一撃」はなんといふ拙い出発であったらうか。ことに戦争の終局目標が軍事的な可能性のなかにはなく、政治的な民衆心理の獲得におかれてゐた場合、なんとしても開戦の方法がまちがったといふ印象はまぬがれない。 一方で外交交渉を行ひ、浅間丸欧州派遣などといふ複雑な道行きののち、ヘーグ開戦条約の規定に反し「最後通牒ノ形式ヲ有スル明瞭且事前ノ通告」なくして、だしぬけに壊滅的な一撃を加へとことは、弁解はともかく、外見的に「陰険な侵略的好戦国日本」といふ印象を世界の輿論にうゑつけてあますところがなかった。しかし問題の核心は開戦通告の義務をめぐる国際法上の論議にあるのではない。日本の期待したところとは逆に、平和を愛するアメリカ人は、平和を愛するが故に金輪際日本人とは妥協できないといふ敵愾心を火のようにつのらせた事実にひそむのである。
年 譜 明治四十三年十一月二十一日、大阪南区問屋町十二番地に生れる。父興吉は当時大阪のブリキ商、中島家で働くうち見込まれて同家の長女仲さんと結婚、四男、二女をもうけたが、守山義雄はその長男。 大正六年から付近の道仁小学校に通う。抜群の酒席を通し、芦田賞=町の有力者、芦田氏から善行賞を受けたこともある(当時の雑賀先生の話)。天王寺中学に入学。成績優秀、組長にもなる。 この前後から両親が震災後の東京へ働きに出たため、中島家の世話になる。「机一つやらなかったが、本人も勉強らしい勉強もしなかった。珠つき(ビリヤード)にもよく連れていったがこちらが顔負けするくらい、ついていた。何処で覚えたのか、三味線もひくし、バイオリンも鳴らす。それでいて、学校では、いつも一番だった。(母の弟、宅蔵さんの話)。中島家の近くに教会があり、熱心に通う。 昭和三年(1928)、大阪外国語学校(独語部)に入る。 ここに紹介するのは、守山義雄文集(非売品)に基づく実話である。 昭和四十年(1960)四月二十日に守山義雄刊行会が編集、発行に責任を持っている。印刷所は凸版印刷株式会社である。 「後記」の全文には興味深い内容が多数含まれているので、全文をそのまま紹介しておきたい。 「一千二百部以上という多数の御予約を得て、守山義雄君の霊に、文集刊行の報告が出来ましたことは、何よりの感激であります。 予想以上の多くの方の御賛同の結果、経理面でも豊かになりまして、当初の計画よりも約百ページ増大しました。守山君の三十三年半にわたる活躍は朝日新聞のおよそ一万八千号から三万号の間に、大量の記事を残していますが、どの一項も思い出深いものばかりであります。この増ページによって、割愛するものが少しでも減少しましたのは、編集者の喜びであります。発起人になっていただいた方々、「思い出」に寄稿下さった方々、予約してもらった方々に、心よりお礼を申上げます。 出版のすべてをお世話下さった朝日新聞出版局の方々、忙しいなかを通信会計一切をやっていただいた岡本信子さんはじめ、御協力下さった方々に深く感謝いたします。「病床日誌」「若き日」「年譜」は山田俊雄、写真は奥野省三が担当、原稿の蒐集整理は林田重五郎があたりました。(*岩田注:「年譜」はかなり長文なので、本文の後に全文を紹介する) 「守山君だったら、この文集を作るにあたって、果してどうするだろうか」「一つの記事の採否にも、一つの見出しをつけるのにも、こことだけを念頭にして、仕事を進めました。「ウン、やっとるな」と在天の彼が納得して微笑んでくれますかどうか。 なお「思い出」は編集の都合上、相当削らしていただいた部分や勝手に訂正したところもあります。失礼をお許しください。ありがとうございました。 昭和四十年四月 守山義雄刊行委員会世話人(p.482)
ここに紹介するのは、守山義雄文集(非売品)に基づく実話である。守山義雄の生没年は、明治四十三年(1909)―昭和三十九年(1964) 昭和四十年(1965)四月二十日に守山義雄刊行会が編集、発行に責任を持っている。印刷所は凸版印刷株式会社。したがって、守山義雄自身はこの刊行についてはまったく知らない。 「後記」の全文には興味深い内容が多数含まれているので、全文をそのまま紹介しておきたい。 「一千二百部以上という多数の御予約を得て、守山義雄君の霊に、文集刊行の報告が出来ましたことは、何よりの感激であります。 予想以上の多くの方の御賛同の結果、経理面でも豊かになりまして、当初の計画よりも約百ページ増大しました。守山君の三十三年半にわたる活躍は朝日新聞のおよそ一万八千号から三万号の間に、大量の記事を残していますが、どの一項も思い出深いものばかりであります。この増ページによって、割愛するものが少しでも減少しましたのは、編集者の喜びであります。発起人になっていただいた方々、「思い出」に寄稿下さった方々、予約してもらった方々に、心よりお礼を申上げます。 出版のすべてをお世話下さった朝日新聞出版局の方々、忙しいなかを通信会計一切をやっていただいた岡本信子さんはじめ、御協力下さった方々に深く感謝いたします。「病床日誌」「若き日」「年譜」は山田俊雄、写真は奥野省三が担当、原稿の蒐集整理は林田重五郎があたりました。(*岩田注:「年譜」はかなり長文なので、本文の後に全文を紹介する) 「守山君だったら、この文集を作るにあたって、果してどうするだろうか」「一つの記事の採否にも、一つの見出しをつけるのにも、こことだけを念頭にして、仕事を進めました。「ウン、やっとるな」と在天の彼が納得して微笑んでくれますかどうか。 なお「思い出」は編集の都合上、相当削らしていただいた部分や勝手に訂正したところもあります。失礼をお許しください。ありがとうございました。 昭和四十年四月 守山義雄刊行委員会世話人 私はかつて守山義雄文集をもとに、「ヒットラー来たり、ヒットラー去る!」という二時間にわたる一人芝居を、演じたことがある。その時に勿論、ルーレットと戦争の部分も演じているが、カジノの敗北に至る部分のみを描いてしているが、今回は、詳細をあますところなく紹介することとした。 現在大阪で開催されている「大阪万博」を私は「日本のカジノ元年」と名付けているが、これは「子どもまで巻き込んだカジノ時代到来」への警告である。
ルーレットと戦争(保存版)(p.280) 敗戦前後の賭博場(p.280) ドストエフスキーの作品の一つに「賭博者」といふ心理小説がある。この作者がまだ三十代の若いころドイツのバーデンバーデンでルーレットに熱中し、元も子もすっからかんにすって、貧苦のどん底を彷徨する体験から生まれたものであるが、例の深刻な筆致で賭博者の心理をあますところなく描きつくした奇作である。 遊蕩腐敗の徒を一掃する建前のナチスのことだからまさかさいうふ賭博場は第三国家から姿を消したことだらふとおもふと大間違ひ、バーデンバーデンでなどでは米英軍がつい目と鼻のさきへ押しよせてくるまで、かつてドストエフスキーが遊んだそのままの姿で、あの小さな象牙の玉がガラガラ廻りつゞけてゐた。 もちろん壮麗なカジノは燈火管制の黒幕で掩はれてゐたが、一歩なかへ入ると煌煌たるシャンデリアのもと、血走った博徒の群でむせるやうな賑わい、これでも戦争かといひたくなるやうな平和の、更に彼方の三昧境である。 そこでナチスが戦時下にかういふむしろ助長するやふうな方針をとったのはどういふわけかといふと、やはりこの賭場が党の有力な財源たるを失はなかったからだ。 賭博場一箇所で一晩の純益十万マーク(マルク)は確実だから、ドイツ一国数箇所で年一億数千マークの収入になる勘定だ。日本金に直して約二億円ちかく、丁度わが国戦前の煙草専売に国庫収入純益に匹敵する。地中海の小国モナコの国民が税金を納める必要がなくて、その国家財政がもっぱら国営賭博場の収益に依存してゐることは周知の事実。そして一種の現場取引の富籤のやうなものだから、民間のインフレ遊資吸収といふ作用もある。富籤や勝札とはならない圧縮された濃厚な魅力とスリルのあるところが味噌だ。さしあたり日本でこのカジノを全国に十箇所もひらけば、さしあたり日本でこのカジノを全国に十箇所もひらけば、腹巻のなかに百円札の束をねじこんでそこらあたりをうろうろしてゐる闇屋の兄奇さんたちはたちまちもとの涼しいからだになって、すこしは「敗戦」の痛苦に徹することとおもふ。 しかし日本人は忠治(*国定=国定のちゅうじ)や次郎長(*清水=しみずのじろちょう)ばかりではない。丁半をゆうゆうとたのしめるほどのまだ大国民ではなささうだから家庭悲劇をさける意味でやらない方がよい。勝てばつけあがり、負ければしょげかへり、感心に凝ってゐるなどとおもったたら、実はかっとのぼせてゐるのだ。われわれの性格でいちばんいけないのは、切りあげる「潮どき」をしらないこと。これでは賭博にも戦争にも勝てっこない。満洲事変以来あののぼせあがった深遊びを思ひかへせば、ほんたうなら勘当されて首を縊(くび)らねばならないところだ。それがどうやらかうやら食ひつないでゆけさうだといふ境涯は、なんとしても有難い。勝ったときの「潮どき」はわからなかったが、負けたときの「潮どき」をはづさなかったわけで、情けないながらさすがにさすがにと涙のこぼれるうれしさがある。勝ったときの「潮どき」はわからなかったが、負けたときの「潮どき」をはづさなかったわけで、情けないながらさすがにさすがにと涙のこぼれるうれしさがある。
呪われた十二月八日(p.281) さて不謹慎な前おきはこのくらゐにして、さらに不謹慎な本論にうつる。この話は当時あまりにわるい辻占だったので、これまで自分の同僚にも打明け得なかった恥かしい体験である。忘れもしない一九四一年の、あの呪われた「十二月八日」のことであった。そのころ一週間にわたってウイーン全市は、モーツアルト歿後百五十年のお祭りさわぎで賑わってゐた。そのころ一週間にわたってウイーン全市は、モーツアルト歿後百五十年のお祭りさわぎで賑はってゐた。また白面の青年総督シーラッハは、美しい細君に綺麗に飾らせて、全欧州から集まった外交官、新聞記者をはじめ貴顕淑女(?)をオペラや王宮で接待した。フルトヴェングラーの「魔笛」に酔ひ、男はタキシード、女は夜のコスチュームの裳(も)をつまんでくるりくるりとウインナー・ワルツを舞ふ、それはまさしく会議が踊ったそのかみの、古城の宴をおもはせる花やかさ(華やかさ)であった。(岩田注:「会議は踊る」は、1814年の「ウイーン会議」を言葉で、会議は表面上は活気があり、舞踏会などが盛んに行われているものの、実際は審議が進まず、進展がないことを皮肉った表現。山本義雄記者が体験した状況は、1814年の「ウイーン会議」に酷似している。) だがおそるべし、沐候(もっこう)(岩田注:見かけは立派だが、心が卑しく思慮分別に欠ける人物の例え。)に冠せるやからが身につかぬ歓楽に、かうして夜のふけるのを忘れてゐるとき、それは「不可能」といふ言葉が自分の辞書にものっていることをヒトラーがひそかに初めて発見した大切な欧州戦局の転機であった(原注:もし当時日本参謀本部が、このヒトラー軍の致命的な失敗の性質を科学的正確さをもって検討してゐたならば、それからなほ一箇月後にわが聯合艦隊がハワイ攻撃のために母国の軍港をはなれることはなかったであらうに!)
敗戦を隠す逆手(p.282) 独逸宣伝省はこの不首尾をひた隠しにかくさうとしたのだ。そして大胆な逆手を用ひて新聞長官デイトリッヒの『ソ聯はすでに崩壊せり』といふ例の有名な声明や、ローゼンベルグの東部占領地省新設などを発表し、ナチス宣伝学の秘術をつくして民衆心理への煙幕展張にやっきとなった。もちろんわれわれには当局発表以外の戦局報道は禁ぜられた。それだけではない。東部戦線の真相如何とうるさくつきまとふ外国人記者団を敬遠するため、ウインナー行の特別寝台列車が仕立てられ、ベルリンにあった百六十名の国際記者団のほとんど全員は無理やりこれにのせられ、一夜のうちに歓楽の都維納(岩田注:いのう=ウイーンの漢字表現に)送りこまれたのである。 モツァルト記念期間中は毎日の記者会見は維納においてとり行ふべしといふお達しだから芸がこまかい。われわれが日米開戦当時維納にゐたのはさういふわけであった。そうして十日間あまりハンガリーやフランスから徴発してきた舞姫や葡萄酒のご馳走攻めに、各国の記者連がやうやく氷結の東部戦線を忘れかけてゐたところ、心ある連中は維納のホテルでわり切れない感情をもてあましてゐた。
賭場で聞く日米開戦(p.282) たまたまそのとき親しくしていたスペインの同僚C君が『おい、面白いところへゆかう』と筆者の肩をたたいたのである。やがて二人であらはれたのが維納の郊外六十キロばかりの温泉地にある壮麗な賭博場だ。実は筆者もこのときはじめてルーレットといふ魔の遊戯をみたわけだ。赤と黒と三十七の数字で放射状に等分された円盤がゆっくり回転してゐる。その円盤の周囲を逆に投げられた象牙の玉がすばらしいスピートで廻る。白い玉はやがて気息奄々ととなり、満場が手に汗を握ってしんと静まりかへったときに、カタリと運命的な音を立てて、ある数字の上におちる。いろんな賭け方があって、多いときには元金が三十七倍になって返ってくる。普通は赤黒とか奇数偶数の、つまり二倍のチャンスをねらふ。 やってみるとなかなか面白い。スペインの同僚はたちまちすってしまって帰らふ帰らふといってゐたが、筆者は2百マークほどの八百マークほどにふえて、なかなかの好調だ。そのとき突如人波をおしわけて、一人の独逸人が筆者のそばへ近寄って、『あなたは日本人だらう、日本はアメリカに宣戦を布告したよ、いまラジオがいったばかりだ!』と興奮して叫んだ。自分は『そんな馬鹿な!』と言下にはきだすやうに否定したが、チラリと脳裡をかすめたものはワシントンにおける日米会談の空気だった。いそいで賭博場の事務所へ行ってたしかめると、独逸のラジオは総統大本営の公表として「日米開戦」をくりかへしくりかへし放送してゐた。自分は耳を疑った。全身の血が逆流するうな衝動!アジア大陸の東の端に赤いカマキリのやうにしがみついてゐる小さな小さな祖国日本―お前は世界を相手にたゝかふつもりなのか―激動する胸のさわぎをこらへて、ふたたび賭場へあらはれたときに、満堂の視線がみんな自分にそゝがれてゐるのを意識した。さすがの彼らもガラガラを中止して、文字通りに火のついた「世界戦争」を語り合ってゐる。
悪魔の回転盤(p.283) 旧オーストリア国人である維納(ウイーン)人である反独的な空気が強く、独逸の尻馬にのった日本人といふさゝやきがきこえる。独逸は果してアメリカに宣戦するだらうか、いや宣戦する必要なし、日本も独ソ戦を黙って見送ったじゃないかなどといふ議論もきこえる。そのうちにたった一人の日本人である筆者は質問の垣にとりかこまれた。勝てるかといふやつがある。負けるとわかってゐる戦争を大馬鹿者はをらぬだらうとこたへる。『然しねェ、戦争はルーレットみたいなものだよ』と叫んだやつがある。この言葉をきいたときに自分の考へはきまった。 ときの聯合艦隊司令長官山本五十六(いそろく)大将が非常にルーレットに強い人であることをおもひだしたのである。そして国家の運命とこの「悪魔の回転盤」をむすびつけ、神秘的な観念論が自分をとりこにした。ルーレット台に近づくと、ありがね全部財布の底をはたいて、筆者は「赤」に賭けた。千四、五百はあったらう。周囲の人々はこの精神状態のたかぶった日本人の異様な行動を、目をまるくしてみてゐた。自分はなんといふことなくこの勝負は必ず勝つと思った。 象牙の玉がガラガラとまはってカタリとおちた。「赤」だ!まはりはどよめく。自分はほっとする。賭け金は倍になってまだ「赤」にかゝってゐる。日本は勝った、えらいぞッという噂をきくと、ちょっとそれをひっこめ難い。そしてもう一度は勝つだらふといふ漠然たるカンがふとわいてきた。第二回目の玉がまはりだした。また「赤」だ!わあっといふどよめき、払ひ戻された六千マークの大金が筆者の目の前につき出された。それをもってさよならをすれば、多少うしろ口をさゝれたかもしれぬが、日本にとっては万々歳であった。
万事休す運命の玉(p.284) 然し世界人の環視の中でどうしてそんな卑怯なまねができよう。自分は不可抗力にあやつられる夢遊病者のやうにそのまゝ「赤」の上においた。もう勘もなにもない。それはその賭場でいちどにかけうる最大限の金額であった。満場は騒然とし、ほかの台からも人々は集まってきて、この稀有の大勝負に好奇の目をみはった。富豪の未亡人らしい鼻めがねの老婆が『おやおや、勇敢な日本人』とさげすむやうに独りごちたが、それはその場にあったヨーロッパ人すべての公平な声を代表したもののやうであった。畜生ッとはおもふが、勝てるといふ自信はさらにない。自分はただ手に汗をにぎり、その場合日本の運命をかけたおそろしい偶然を念ずるより仕方がなかった。赤と黒との放射線の千はやがて回転をはじめた。その三十秒間、神経は高度の緊張のために逆に放心してゐた。果して運命の玉はそこへおちるのは当然だといはんばかりの着実なひゞきをのこして「26」といふ数字の上におちた。「26」は黒である。万事に終止符はうたれたのだ。大金は熊手のやうな金かき道具で、みるみるうちに目の前からひっさらわれて行った。人々は口々にいひそやした。 日本は惜しいことをした、日本が敗けた、とぞわめいてゐる。自分はたまらなくなって『いったい誰が勝ったんだ!』とどなった。玉廻しのベルギー人の男が気の毒さうに耳もとで『誰も勝ちはしない、みんなナチスへ献納ですよ』とさゝやいた。のがれるやうに外へとびだした自分を、賭博場の笑声はどこまでも追っかけてきた。そして十二月の寒い風の中にべっとり汗をかいてゐるわが身を発見したときに、この話はめったに人にしゃべれないぞと覚悟したのであった。そして「26」といふ黒い数字の上に、物理的な必要性をもってカタリとおちたその自信あり気な象牙の玉をおもひだすごとに、その後ながい戦争の間、筆者は人知れず思ひなやんだ。 (9・21) ④開戦の秘密(p.285) 米戦力評価の誤謬(p.285) うけて起ちあがる捨て身のいくさでも、いやしくもたゝかはんとする以上は、そこに戦争をどういうふかたちですすめるかといふ目算がなければならぬ。国民皆兵の近代戦は、主君の名誉のために職業戦士だけが武器をとった封建諸侯間の争ひではない。幾千万の国民の生命と幸福がそこにかゝってゐる。まして自ら開戦のイニシアチブをとらんとする場合には、軍事的にも政治的にも、終戦時の勝利の想定といふものが確固として成立してゐなければならない。真の将帥といふものは、戦争をはじめるときに、すでに戦争をはじめるときに、すでに戦争を終わらせるときのかたちを頭にゑがいてゐる。 しからば日本は大東亜戦争をはじめるときに、戦争終結に対していかなる構想をもってゐたか。この間の議会でも残念ながらその点が明らかにされなかったが、もし国民が開戦時の軍部の肝の中をきゝ得たならば、あの惨憺たるかずかずの数字を報告されなくとも、日本は最初から敗けるべき戦ひをたゝかったのだいふことが一般により徹底したのではなからうかとおもふ。根本には欧州戦局の見通し対して重大なる誤謬を冒したこと、すなはちドイツの力を過大評価し、アメリカの力を過小評価した誤謬が「いまなら起てる」といふ錯覚となって、つひに国際信義を無視したと世界から指摘されてゐるあの真珠湾攻撃の一撃となった。
好戦侵略国の印象(p.285) しかしハワイそのものを占領する作戦のなかったところをみれば、アメリカ大陸に上陸してあくまで武力でことを決しういふとわけでもなく、結局緒戦の打撃によってアメリカ国民の戦意喪失、自由と平和を愛好するアメリカ民衆の間に反戦論の抬頭をまったといふのが、日本参謀本部のいはゆる「必勝の信念」の内幕であったやうだ。さうではない、坐してがし餓死せんよりは進んで血路をひらくに如かず、当時の日本は大きな自信はなかったけれども、やむにやまれず窮鼠かへって猫をかんだんだ、といふ無謀な説明があるならば、われわれの先輩はかの三国干渉に際して、なぜ涙をのんで遼東半島を返したのかたづねたい。当時の政府は独仏露の三国を相手にたゝかっては勝算なしと判断したれば遼東半島を返還したのである。三千年来敗れたことなしと自惚れてゐるけれど、筆者はあの三国干渉こそ立派な敗戦の歴史だとおもふ。 アメリカ民衆の戦意喪失を戦争終結の大部分の希望にしてゐたとすれば、「真珠湾の一撃」はなんといふ拙い出発であったらうか。ことに戦争の終局目標が軍事的な可能性のなかにはなく、政治的な民衆心理の獲得におかれてゐた場合、なんとしても開戦の方法がまちがったといふ印象はまぬがれない。 一方で外交交渉を行ひ、浅間丸欧州派遣などといふ複雑な道行きののち、ヘーグ開戦条約の規定に反し「最後通牒ノ形式ヲ有スル明瞭且事前ノ通告」なくして、だしぬけに壊滅的な一撃を加へとことは、弁解はともかく、外見的に「陰険な侵略的好戦国日本」といふ印象を世界の輿論にうゑつけてあますところがなかった。しかし問題の核心は開戦通告の義務をめぐる国際法上の論議にあるのではない。日本の期待したところとは逆に、平和を愛するアメリカ人は、平和を愛するが故に金輪際日本人とは妥協できないといふ敵愾心を火のようにつのらせた事実にひそむのである。
年 譜(p.482) 明治四十三年十一月二十一日、大阪南区問屋町十二番地に生れる。父興吉は当時大阪のブリキ商、中島家で働くうち見込まれて同家の長女仲さんと結婚、四男、二女をもうけたが、守山義雄はその長男。 大正六年から付近の道仁小学校に通う。抜群の酒席を通し、芦田賞=町の有力者、芦田氏から善行賞を受けたこともある(当時の雑賀先生の話)。天王寺中学に入学。成績優秀、組長にもなる。この前後から両親が震災後の東京へ働きに出たため、中島家の世話になる。「机一つやらなかったが、本人も勉強らしい勉強もしなかった。珠つき(ビリヤード)にもよく連れていったがこちらが顔負けするくらい、ついていた。何処で覚えたのか、三味線もひくし、バイオリンも鳴らす。それでいて、学校では、いつも一番だった。(母の弟、宅蔵さんの話)。中島家の近くに教会ががあり、熱心に通う。 昭和三年(1928)、大阪外国語学校(独語部)に入る。 昭和六年(1931)、卒業と同時に、練習生試験にパス、朝日新聞社(大阪)に入社、社会部員として記者生活のスタートを切る。まもなく、輝子夫人を(本籍岐阜、当時帝国女子薬専在学中)を識り、昭和十二年(1937)一月結婚。 同年、日支事変で戦線に特派。 ついで昭和十四年三月(1939)ベルリン特派員となる。同年、留守宅で長男有介君(現在、博報堂=大阪=勤務)誕生。 昭和十九年(1944)欧州戦線の報道業績に対して昭和十八年度朝日編集賞を授与さる。ついで同業績で徳富蘇峰賞を受く。このとき贈られた蘇峰の軸には「一生不記尋常事、万事弘道驚世文」と記されている。輝子夫人がモンペ姿で帝国ホテルの表彰式に臨む(写真あり)。 昭和十九年(1944)四月十四日、母仲さん死亡。 昭和二十年(1945)八月から三ヶ月間、欧米部次長。その後の社会部員、編集局勤務時代は鎌倉で思索と読者に没頭。この間次男康介君(現在灘高校二年生)、三男周介君(現在、慶應高等部一年生)生る。 昭和二十三年(1948)五月、学芸部長(大阪)。 昭和二十四年(1949)社会部長(大阪)。 昭和二十五年(1950)二月十九日、父與吉氏死亡。 昭和二十六年(1951)八月、社会部長の現職のままサンフランシスコ講和会議報道のためアメリカへ特派。 昭和二十九年(1954)学芸部長(東京)。 昭和三十七年(1962)十月、編集委員。 昭和三十八年(1963)四月、”世界名作の旅”の取材のため海外特派。北米で取材中、健康思わしくなくなる。 昭和三十九年((1964)年三月八日にいったん帰国。しばらく小康を得て、芦屋霊園など、お気に入りの墓地を物色したりしていたが、すでにすい臓がんにおかされていた。国立大阪病院に(シュロッフェル氏病=非菌性シュヨウ)の病名で入院。病床で”世界名作の旅”の原稿の仕上げを終る。約三ヶ月半の闘病、再起の信念も空しく、八月二十七日未明、同病院で永眠。 行年(享年)五十三。二十九日、仏式で葬儀を営む。 #
by kenpou-dayori
| 2025-06-01 17:55
| 守山義雄ベルリン特派員時代
2025年 05月 20日
![]() 最後の晩餐と言えば、従来は、レオナルド・ダ・ヴィンチのいわゆる「劇場型」が唯一の存在と思われており、私自身もそう思い込んでいた。 そして私自身も、出版労連結成20周年記念行事の一環として行われたイタリア及びフランスの労働事情視察の際の自由行動の時間に、レオナルド・ダ・ヴィンチの「劇場型の最後の晩餐」を何の疑問も抱かずに見ていた。 しかしながら、ここに紹介するアルブレヒト・デュ―ラ―の「最後の晩餐」を見てから、全く別の感想を抱くようになった。 私は、この本を手放す前に、No,1からNo.202までのすべてをデジカメで撮影をしたのだが、デジカメの扱いに慣れていない私は誤って消去してしまったのである。 一度は途方に暮れたが、私が転居する際にそれまで所蔵していた主だったロシア語文献を引き取っていただいたある大学院生のかたのところにあることを思い出して、協力お願いしたところ、快く協力をして下さった。そのおかげで、今回の公表の運びとなった。 心から感謝しています。ありがとうございました。 レオナルド・ダ・ヴィンチの劇場型の前提には、ミラノは世界各地から多くの人々が集まってくる文化の中心地であり、それと比べれば、ローマは文化の中心から遠く離れた田舎町に過ぎないという魂胆が見てとれる。 ところで、岩波西洋人名辞典増補版第7版第11刷(1995)ではアルブレヒト・デューラーに関して詳しく紹介しているが、『最後の晩餐』に関する言及はない。 以下に彼の経歴について、全体は長文なので、冒頭の部分をだけを簡単に紹介しておきたい。 アルブレヒト・デューラー(1471.5.21-1528.4.6.) ドイツの画家、版画家、彫刻家。ニュルンベルグに生る。父はハンガリー出身の金工の親方。はじめ父の工房で金工を学び、のちヴォールゲムートの門に入り(1486)、ついで各地を遍歴(90-94) #
by kenpou-dayori
| 2025-05-20 18:03
| 最後の晩餐
2025年 03月 11日
2025年 02月 20日
|
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