ベアテさんが戦後、GHQで働くために5年ぶりに再来日したのは、昭和20年12月24日です。
ところが、それより1週間前に12月17日に、衆議院議員選挙法改正が公布・施行されています。
昭和20年10月9日に、幣原喜重郎内閣が誕生しましたが、この内閣の初仕事は、10月11日の午前中に行なった初閣議において、「婦人参政権」を閣議決定したことでした。
マッカーサーとの初めての会談で話題になったことについては、昨日すでに述べました。
閣議決定以来、帝国議会で論議を重ね、衆議院で議決のみならず、12月17日に枢密院で可決され、直ちに公布・施行されました。
この選挙法改正により、婦人参政権のみならず、二十歳以上の男女に選挙権が認められ、有権者の数は、それまでの約三倍に増えました。
『ベアテの贈り物』という映画の上映運動が行われてから、主人公のベアテさんが多くの講演に呼ばれていました。
その影響で、日本の女性の権利はすべてベアテのおかげでもたらされたと信じ込んでいる方がかなりいます。
しかし、これは違います。
最初に述べましたように、女性の権利の中で最も重要な「婦人参政権」は、彼女が再来日する一週間前に、日本政府の提案と帝国議会での論議により、憲法改正を待つことなく確立しています。
講演でこの歴史的事実を話しますと、とたんに落ち着きがなくなる人を見かけることがあります。東京のある「九条の会」の講演でこの話をしたところ、驚いたことに、後日、狂信的なベアテ・ファンが、「ベアテさんに失礼だから謝れ」という手紙を寄こしたことがあります。
研究に基づく正確な歴史認識に対して、非論理的な熱狂により謝罪を求めるというやり方は、戦前のファシズムのやり方に通じるものであり、「九条の会」の運動にとって、相応しい態度ではないと思います。
この件については、改めて詳しく論じることが必要かもしれません。
明日は、憲法公布記念シリーズ(第11回)「当時の佐賀県では」
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