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岩田行雄の憲法便り・日刊憲法新聞

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2013年 06月 08日

憲法便り#42 昭和20年の憲法民主化世論 新聞記事編(第6回)



「幣原・マッカーサー会談の2日後に、朝日、毎日、讀賣、西日本新聞の社説が揃い踏み」


今日は、四つの社説を紹介します。
10月11日に幣原・マッカーサー会談が行われ、翌12日に報道されました。
その結果、「社説」で憲法について論じることに慎重だった朝日、毎日、讀賣の大手三紙、そして地方紙の大手『西日本新聞』が一斉に「社説」で憲法を真正面から論じ始めました。

昭和20年10月13日付『朝日新聞』社説

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「欽定憲法の民主化」
ポツダム宣言の受諾を前提とする今次終戰の過程が、早晩、憲法條項の改訂、乃至は新訂の問題に觸れるに至るべきことは、既に一般の豫想するところであつた。果してそれが如何に速かに、如何なる形において実現するが、内外の関心はその一点に懸つてゐた。支持に先んじて施策することを公約する幣原内閣としても、之に関して荏苒日を曠しくして済むべきではない。
 果然、十一日に至り、宮内省は近衛公のない大臣御用掛任命を発表し、ポツダム宣言履行を繞つて将來續発すべき重要諸問題について内府を扶けて御下問に奉答することに定められた趣を明かにした。同日正午、首相との間に要談を行つた石渡宮相は同四時半より、記者圑と会見した際、近衛公の内大臣御用掛新任命が憲法改正問題と何等かの関聨を意味するものなりやと質問せられたのに対して、その問題はただ、思召次第であるとの意味深長なる一言を洩らしたのであつた。誠に隔靴掻痒の感に堪へないが、恐らく國民は言外に宮相のいはゆる思召が那辺に存するかを酌み取つたに違いない。
 そもそも我が憲法は欽定に基くものであるとはいへ、必ずしも万代不易のものではない。「大日本帝國憲法」の前文にも「将來若此ノ憲法ノ或ル條章ヲ改訂スルノ必要ナル時宜ヲ見ルニ至ラバ朕及朕カ繼統ノ子孫ハ發議ノ權ヲ執リ之ヲ議會ニ付シ議會ハ此ノ憲法ニ定メタル要件ニ依リ之ヲ議決スル」云々と見えてゐる。されば一たび至尊にして発議の権を執らせられ、議會また定員の三分の二出席の議場において、出席者の三分の二以上の表決を得るならば、適法にこれを變更することができるのである。しかるところ、ポツダム宣言の忠実なる履行は、明かに帝國憲法中の若干條項の省略、改訂または新訂を必要とする事情を生ずるのみならず、至尊御□夙に終戰に際して、放送でも何でも朕に出来ることがあれば何でもしようとの思召を洩らせられた趣が傅へられてゐるほどであるとすれば、新時代と新事態に即する憲法の自由主義化が円滑に行はれ得べきことも想像に難くない。
 故意か偶然か、米軍司令部渉外局からなされた同じ十一日午後六時の発表にも同一問題が取扱はれたのであつた。即ちこれに先立つこと一時間の同日午後五時に、幣原新首相がマツクアーサー元帥を総司令部に訪れた席上、同元帥が「ポツダム宣言の達成によつて日本國民が数世紀にわたつて隷属せられて來た傅統的社會秩序は匡正せられるであらう、このことが憲法の自由主義化を包含することは當然である」云々の見解を特に表明した事実が渉外局より発表せられたのもこれを仔細に考量すれば決して偶然とは見られない。思ひ到れば、この場合において新内閣の掲ぐる標語たる「支持に先んじて施策」の精神は辛うじて生かされてゐるに過ぎない感さへするのである。
 當局の決定したことはもつと早く発表されねばならぬ。そして國民と共にこれを審議し、國民と共にこれを良き結末に導くだけの心掛けが必要である。そこに民主主義化の第一歩が存在するともいへる。ポツダム宣言の條項は既に炳として明かであり、これを遵守せんとする國家と國民との大方針また議論の余地なきところ、何を躊躇し、何を逡巡して、悔を後世に残す必要があらう。殷鑑遠からず、前内閣がその良き意圖を十分にもち、そして難問解決の第一段階に成功を見せたにも拘らず、五旬にして勇退の外なくなつた覆轍こそ、この際、新内閣の片時も忘れられてはならないところである。


昭和20年10月13日付『毎日新聞』社説

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「憲法改正の緊要性」
有史以來の大變動に際會せる今日のわが國において、過去八十年のわが國を支配規制してきた帝國憲法に檢討の手が加へられるべきことは、むしろ當然のことといはねばならない。固よりわが建國以來の君民一如の國体はたとひ憲法に如何なる改定が加へられようとも變動あるべきものではないが、すでにわが國今後の政治の民主主義化については 天皇陛下におかせられても先般米記者に對して御回答あそばされてゐる通りであつて、わが國が今後民主主義政治の確立に向つてあらゆる法規の再組織を断行をする以上は、憲法についても、その民主主義的政治全体を支配するに必要なる再檢討が行はれなければならないことは論をまたない。
憲法の改正は今日なほ軽々に触れられぬ特殊な範疇に属するものと観念づけられてゐる。これは憲法の尊嚴から来る至當の現象であるかも知れない。しかし憲法にはその第七十三條において「将來此ノ憲法ノ條項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝國議会ノ議ニ附スヘシ」とある如く、非常事態に際會した場合には、當然その改正を認められてゐるのである。今日がその非常事態にあることは、何人と雖(いえども)も否むことは出來ない。しかもこの第七十三條の條項たるや、能ふ限り改正の度合を少くしたいといふ消極的な意味を認めてゐると解する理由は少しもなく、むしろ逆に、國家の存立安泰のためには、能ふ限り積極的なる改正を施すことの必要を認めてゐるものと考へなくてはならない。而してその改正の準備の速度たるや、今日の事態は決して遅疑逡巡を許されないのである。すでにわが國在來の法律命令は極めて廣い範圍において米國側から改廃せしめられた。せめて國法の根基たる帝國憲法だけは他からの要求をまつことなく、自主的にこれが檢討改定を行つて、内は七千万國民の以て據るべき國家規範を明らかにし、外は聯合國がわが國政治の根源に横たはる問題として投げかけつゝある多くの疑念を拂拭するに急ぎ努力すべきであらう。
 現行憲法のどの條章がどう改定さるべきかといふ具体的問題は固より愼重な審議を要する。差當つて第十一條の統帥大権、第十二條の兵備大権等は削除されるべきものであるが、他の問題の多くは帝國議会に関する条項に存してゐる。貴族院の組織を貴族院令のみによらしめて衆議院の容喙を許さぬものとする條項、帝國議会の會期を制限して、政府が常時議會によつて監視され、政治が常時議會によつて討議されるべき制度を阻止してゐる條項、かやうな條項は當然改定されなければならぬ。更に又、帝國議會が、民主主義政治の顕現のためにその役割を果す上において、現行憲法の條章で十分であるか、帝國議會がその運營に際して政府の掣肘を受けることが多いのは、事実上の問題に止まらずして法制上の原因もあるのではないか。かやうな点について憲法は更めて檢討されなければならない。更に又、憲法全体に関する問題として、統帥大権や兵備大権以外の大権事項はどうあるべきか、從來、大権の存在と天皇親裁の観念とが明確にされずして、政府が間々政治の責任を天皇に帰し奉る如き錯誤を齎したことをも鑑み、大権事項と政府の責任の絶對性とをこの際明確にすることも必要である。伊藤公の憲法義解にしばしば述べられてゐるやうに、憲法の字句が多くの個所で融通性を含み、そのために憲法の運用宜しきを得るといふことは或る條章によつてはよからうけれども、かやうな意識に捉はれて若し改正條項を不鮮明な表現で止めようとするならば、國の将來に禍根を□さぬを保し難し。
 畏くも 陛下におかせられては御□ら憲法改正の緊要性を御認め遊ばされてゐるやうに拝承するのであるが、君側の重臣が憲法改正問題に當面しての責任は頗る重大である。何となれば憲法改正の起草こそは、政府の権限内にも在らず、議會の権限内にもあらず、専ら側近の重臣の責任にかゝつてゐるからである。この重臣の中には樞密院も含まれる。さらに今囘内大臣府御用掛を拝命せる近衛公や佐々木博士がこの問題に奉仕すると傅へられてゐる。來年一月の総選挙後の議會には成案が附議されるだらうとも傅へられてゐる。事は極めて重大である、と同時に速やかに審議が運ばれねばならないのである。この際この事にたづさはるものの明智と勇断を望んでやまない。


昭和20年10月13日付『讀賣報知』社説

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「憲法の自由主義化」
我国は先に幣原新首相の第一聲に寄せて、その談話が民主政治確立の氣魄と指導性を缺いてゐたことに對し、遺憾の意を表明したものであるが、太平洋米軍司令部渉外局の十一日發表によれば、マッカーサー總司令官は首相に對し、日本國民が數世紀にわたつて隷属させられて來た傅統的社會秩序のぜ匡正を求め、それは當然に憲法の自由主義化を包含せしめられる旨を指示したのを聞き、首相談に對して抱いた遺憾の念が更に強められたのは國民にとつて不幸のことゝいはねばならない。
而もマ元帥はポツダム宣言の達成によつてこれが□されるのであると改めて念を押してゐるのであつて、新内閣がポツダム宣言を正しく理解してゐる以上は、マ元帥の指示をまつ迄もなく社會改革、憲法の改正に果敢に踏み出すべきであつた。この發表を聞いた國民は又しても日本政府は聯合軍司令部に先手を打たれたとの感じを深め、米軍への信頼が増大する一方日本政府への期待は薄らいで行くのである。我等が政府に求める所は、その施策を行ふ根本理念の性質を十分に正確に把握せんことである。憲法の改正、選擧法の改正、教育の刷新等々を行ふに當り、マ元帥の見解の如く過去數百年の間奴隷的状態に置かれてゐた封建的社會組織から國民を解放せんが爲に、民主主義政治へ移行するものであるといふ理念を明瞭に認識せんとすることについて台閣諸公の努力に缺ける所がないであらうか。
ともあれわが憲法の自由主義的改正は國民への大きな課題として提示されたのである。憲法は明治廿二年二月十一日に公布されて以來一度も改正されたことはない。その第七章補則第七十三條に「將來此ノ憲法ノ條項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝國議会ノ議ニ付スヘシ」とあり、天皇陛下御親らの御發意によつて改正案を作り、議會へ付議することになつてゐる。本條の勅命については憲法發布勅語に「將來若此ノ憲法ノ或ル條章ヲ改定スルノ必要ナル時宜ヲ見ルニ至ラハ朕及朕カ継統ノ子孫ハ發議ノ權ヲ執リ」と仰せられてゐるに明かな如く、文字通り 天皇陛下の思召に出るものと解せざるを得ないのであつて、陛下側近の宮中重臣の責任は重大である。折柄近衛公が内大臣府御用掛を拜命して重要問題の御下問に奉答申上げるとのことであるが、公は嘗て政治新體制運動を起して政黨を解體せしめ、大政翼賛會を組織した當時の指導者であり、現行憲法の定める權力の小さい議會制度をすら軽視するのではないかといふ批判を受けたことは人の知る所である。況んや憲法の自由主義化は議會政治の重視に在ることが常識になつてゐる今日、公の側近奉仕が憲法改正問題にまで触れるか否かについてはなほ疑問の餘地があらう。
憲法の改正には議會の職責又重大であるが、翼□選擧による官制議員によつて大部分を占められる現在の議會が不適格なること多言を要しない。政府も來年一月には總選擧を断行する方針を決めたのであるから、改選された議會に俟つべきである。來るべき總選擧の持つ意義は斯くして益々加□せられるに至り、正に一つの革命的選擧ともいふことが出來る。今度は年齢の引下げ、婦人參政等により、新有權者は既有權者よりも著しく數的割合が多くなるのであつて、成年以上の國民の全部が封建制度を打破する民主主義政治具現のため、憲法改正議會成立のため、自由主義、社会主義から最左翼の共産主義をも投票の對象とするのであるから我國始まつて以來の一大壮觀といへる。
敗戦後の我國が如何なる方向へ建直されて行くかの根本は、憲法の自由主義化がどの程度まで達成されるか否かに懸つてゐる。それには改正の御發意を保有される 天皇陛下は申すも畏きこと乍ら議決權を持つ議會を選出する國民もよく民主政治、自由主義を理解して上下緊密に歩調を一にしてこの大業をなしとげなければならない問題は我國建國以来の重大性を帯びて來てゐる。一歩を誤らんか如何なる重大事態を招來せんやも□り難いのである。當面の局に立つ政府に對しては重ねて安易に流れず、眞劍に、歴史的に事態と理念とを把握せんことを要望すると同時に、國民大衆も亦自らの意思と勤勞とにより國家を建直すの自覺に徹しなければならないと戒め合ふものである。


昭和20年10月13日付『西日本新聞』社説

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「憲法改正問題」
五箇条の御誓文に発源する帝国憲法の発布あって以来五十有七年、大東亜戦争惨敗によるポツダム宣言受諾を契機として、我が国内外の局面は急転直下、茲(ここ)に憲法改正の問題が公式に登場せんとしているようである。実に日本国民として千々に物思わしめる問題である。日本の憲法学者中、帝国憲法を以て硬性憲法となし、フランスその他の欧州憲法に見る如く軟性憲法、即ち軽妙に若しくは頻繁に改正変更の行わるる憲法に対比して論ずるものが少なくなかった。
帝国憲法はそのような比較の意味に於ては正に硬性憲法であり、帝国憲法本来の性格としても、又その改定の手続に於ても、西欧流の民主主義諸国の見るようなそれとは格段の相違点を有することは明かである。
しかし、帝国憲法の硬性ということは決して未来永劫に改正を許さずというが如き進化の法則を無視した性質のものではない。それは明かに時代の進転と共に条項改正の必然性を予徴されたものである。即ちこの憲法を□□し給うた明治天皇には、その憲法発布の前文に於て「将來若此ノ憲法ノ或ル條章ヲ改訂スルノ必要ナル時宜ヲ見ルニ至ラバ朕及朕カ繼統ノ子孫ハ發議ノ權ヲ執リ之ヲ議會ニ付シ」「憲法ニ定メタル要件ニ依リ之ヲ議決スル」の道を予め明示し給うているのである。帝国憲法の補則は条文を以て更に之を明定してあること周知の如くである。この点から見る場合、憲法改正問題の登場は決して予想外のことではない。また必ずしも感傷的に眺むる必要もないであろう。
 今は実に改訂を必要とする時宜に立ち至ったと見ねばならぬ。ただその動機がポツダム宣言の忠実なる履行という点にかかっている一事のみが聊(いささ)か関心事である。しかし、それ故に憲法改正問題を以て直ちに他動的に外力から強制されたもののみと観念することは必ずしも当らないであろう。否、第一の導因は他動的であるにせよ、第二の導因としては自動的な基盤の上に立って出発すべきものであると信ずる。日本の再建が絶対的不可避的な必要事であり、その再建の第一歩は民主主義的政治形態の確立から始められなければならないことの明かなる以上、我が国は寧ろ自発的な見地からこの趨勢を看取して、迅速に明快に英断的にそれに必要なる各般の手続きと行動とを執らなければならぬ。甚だ畏れ多いことであるが、憲法改正問題も亦その最重要な一環として、畏き辺り(かしこきあたり=おそれ多い場所。宮中、皇室をさしていう)に於てご照覧、御明察に相成りし結果であろうと拝察される。いうまでもなく、帝国憲法の改正は勅命を以て議案を帝国議会の議にふせらるることになって居り、その勅命は天皇陛下の御発議によるの外、絶対に途はないからである。
事前に於て軽々しく彼比論議することは控なければならないが、新聞紙上伝うるが如く、若し近衛公と佐々木惣一博士の内大臣御用掛任命を以てそれ等に備え給うの前提と解すれば、それは恐らく□□に進められるのではあるまいか。果して然らばその範囲方法の如きも厳密に考究せらるべきであると共に、その内容なり方向なりも亦思い切って自主的に時宜に合うよう、同時に、國體の光輝を千万年の後までも護持することの出来るよう、大胆に率直に環境と将来とを併せ考え、□□の□□あらんことを望まざるを得ない。五箇条の御誓文は当時に於て非常に大胆な御宣言であった。帝国憲法発布も亦飛躍的な御偉業であった。その御精神の御継続(?)であるべき□の憲法改正草案も亦宏遠なる基礎の上に構想さるべきものであろう。
 憲法改正の基礎は民主主義的政治の強化であるとして、之を□するには、独り憲法自体の問題ものでは足りない。議会制度改革もその一であるが、茲に民主主義政治の一つの眼目たる基本的人権の保護に関して逸すべからざるものは、刑事訴訟法その他司法制度の革新である。他面非常に多く人権蹂躙の要素を含んでいる。司法制度革新の企てもあるようであるが、吾々は憲法改正、議会制度刷新と共に三位一体関係にある刑訴法並にその関□法の徹底的改正をこの際望むものである。

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by kenpou-dayori | 2013-06-08 07:00


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