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岩田行雄の憲法便り・日刊憲法新聞

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2013年 06月 21日

憲法便り#69 昭和20年の憲法民主化世論 新聞記事編(第19回)

「国内危機に目を塞ぎ空しく御発議に藉口 政府の憲法改正手法に国民憤懣」

今日は、昭和20年12月27日付『東京新聞』の一面に掲載された、政府に対する怒りに満ちた記事を紹介します。

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【見出し】
「国内危機に目を塞ぎ空しく御発議に藉口 政府の憲法改正手法に国民憤懣」
【記事】
憲法改正について政府と宮中が微妙な問題を起している。石渡宮相は憲法改正に関する勅命が既に政府に下されたと言い、政府では未だ御下命の事実は全くなく、近衛公の奉答した改正案についても正式にお下げ渡しを受けたことはないと発表して種々の憶測を生んでいる。しかし、これがその日その日の生活にあえぎ、明日の生活に不安を抱く国民にとってどれだけの重要な問題であろうか。
政府が松本国務相を中心として憲法の改正に着手した時、政府の目的は憲法を民主主義的に改正するというような明瞭なものではなかった。臨時議会の論議を通じて見られたところでは、いつの間にか民主主義的改正ということがはっきり謳われるようになったが、最初の出発は、
「憲法改正の必要ありや」
というところから出発したのであった。
既に出発点からこの様な消極的な足取りを以て始められた政府の憲法改正事業が極めて保守的性格を持つものであることは言う迄もない。果して、松本国務相が去る臨時議会で表明したところの憲法改正四原則は天皇の統治権に何ら手を触れるところのない消極的なものであった。敗戦の結果再びやり直すこととなった民主主義革命の波涛に対して、政府の意図するが如き憲法の改正が、果して国民の要求に応え得るものであるか頗(すこぶ)る疑問である。
いま、進行しつつある民主主義革命のやり直しは、敗戦という特殊な事件を契機として起こされたものであって下からまき起こされたものではない、従って、憲法の改正も亦欽定憲法が規定する手続によって、即ち天皇の御発議によって行われるべきであるという意見は理論としては正しいであろう。併し現実はどうであろうか。天皇制の物質的基盤をなす厖大な皇室財産は既に賠償支払充当の為に凍結され、これと並んで精神的支柱である国教としての神道が禁止された結果、天皇は事実上あらゆる神秘のヴェールをはぎ取られて国民の前に裸にされて了ったのである。
天皇制に対する国外からの峻烈な批判は殆ど連日国民の耳を打っている。皇室の藩屏(はんぺい=諸侯の称)として國體護持に心魂を打ち込んだ近衛公も遂に力尽きて自ら声明を断ってしまった――そして注目すべきことは国民の中から天皇制打倒の声が起り来ったことである。この声はやがて、政治的に結集されて、或いは社会党或は共産党の勢力の増大となって現われて来るという趨勢にある。
これに対する天皇護持の理論的武装はどうか。過般の臨時国会に於て岩田法相が天皇制を否定するが如き思想は輿論の力によって打倒すると言いながら、殆ど同じ時に天皇制否定は刑法の不敬罪によりて断罪すると云っているが如きは、理論的貧困を明瞭に証明しているものではないか。
国民の生活は一日一日と破滅に向って進んでいる。悪性インフレの昂進と食糧難の深刻化によって代表される国民生活の危機に対して政府はどんな対策を持ち、又実行しているか。文字通り無為無策であるばかりでなく、国民の信頼を完全に喪失して尚且つ恬然(てんぜん)としてその職に止まっている。生活必需物資の生産が急務であることを知りながら、資本家は故意に生産をサボタージュしている。石炭の不足が叫ばれ、政府は労務者の蒐集に大童になっているが、これを阻害している最大の溢路は、炭鉱側の意識的なサボタージュであって、政府はこれに対して何ら有効な措置をとっていない。
この様な情勢を背景として政府は飽くまで「欽定憲法の御召による改正」に心魂を□いている。それが国民とどのような関係にあるのか、宮中と政府とが勅命の有無について争っているのは、明日の生活に確信のない国民から見れば、寧ろ憤懣をさえ禁じ得ないと論ずるものさえ出て来りつつあることは、注目すべき現象である。

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by kenpou-dayori | 2013-06-21 07:00


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