昭和20年の憲法民主化世論「まとめと問題提起」
「昭和20年の憲法民主化世論 新聞記事編」の連載は、
昨日の第23回で終了です。
この連載を開始するにあたって、次の指摘をしておきました。
※憲法便り#30 特集・昭和20年の憲法民主化世論(解説編)
「昭和20年9月から12月までは、平和憲法誕生への道筋が敷かれた重要な時期です。
しかし、従来の憲法研究では、この時期に行われていた「憲法の民主化」及び「憲法改正手続きの民主化」の世論形成、国民の平和憲法受け入れの素地についての実証的な言及は欠落していました。その結果、粗雑な「押し付け憲法」論、「自主憲法制定」論の横行を許してきました。
また、研究においての当時の新聞報道の利用も、主として『朝日新聞』に依拠し、それを補完するように『毎日新聞』が引用されてきましたが、他の新聞は稀にしか引用されてきませんでした。
地方紙も、地域研究を別とすれば、あまり触れられることはありませんでした。
しかし、丹念に調べてみると、光り輝く社説や記事が多数存在しています。
中央目線からの研究だけでは把握出来ない、地方目線からの研究の重要性を、ここではっきりと強調しておきたいと思います。」
この主張を実証するために、ここまで
23回にわたる新聞記事編で、「社説」及び「記事」の具体的内容を紹介してきました。
その結論として、下記の6点を明確に述べておきます。
①「憲法の民主化」及び「憲法改正手続きの民主化」の世論形成は、日本国民により主体的に行われた。
②この世論形成は、昭和20年12月末の時点ですでに完了していた。
③世論形成には、日本の新聞各紙が大きな役割を果たした。
④マッカーサーは、10月11日に幣原首相に対して憲法の自由主義化を前提とした5項目にわたる改革の「要望」は伝えたが、「命令」や「指令」は行っていない。会談記録を読むと、『朝日新聞』や『讀賣報知』が見出しとしている「命令」や「指令」は、翻訳の誤りである。『毎日新聞』はこれを正しく「要望」と伝えている。したがって、「押し付け憲法」論は誤りである。(この件は、すでに6月7日の#40で紹介済み)
⑤「憲法研究会」が発表した『憲法草案要綱』は、日本の世論のみならず、連合国総司令部側でも高い評価を受けた。
⑥連合国総司令部では、「憲法研究会」に依拠してGHQ草案を作成し、昭和21年2月13日に、これを日本政府に提示した。
【問題点の指摘】
憲法をめぐる情勢が一段と厳しさを増していますので、ここで先行研究の問題点について指摘をしておきます。
歴史教育者協議会編『日本国憲法を国民はどう迎えたか』(高文研、一九九七)は十六人の著者による論文集で、その六番目に渡辺賢二著「雑誌、新聞等に見る新憲法の光と影」が収められています。
この論文に「新聞「民報」が問いかけたもの」題した節があり、次のように書かれています。
「戦前、国策に積極的に協力したことについて、戦後多くの新聞がその反省を表明したが、では憲法制定に関してオピニオンリーダーの役割を十分に果したかといえば、否定的評価を下さざるを得ない。そのなかで、『民報』は異色であった。」(159頁)
この論文には、『民報』以外には具体的な新聞名は書かれておらず、いかなる調査に基いて、新聞全体をひとくくりにしたこの断定を行なったのかについては、何ら説明がありません。
新聞が果したオピニオンリーダーとしての役割に関しては、この「昭和20年の憲法民主化世論」シリーズにおいて多数の実例を挙げて詳述しました。
したがいまして、憲法改悪の動きに対して積極的な闘いを展開するために、歴史教育者協議会編『日本国憲法を国民はどう迎えたか』の渡辺論文の記述に関して、同協議会の事務局長との間で行ったやり取りも含め、【問題提起】と題する別項を設け、少し詳しく論ずることと致します。
※本書『心踊る平和憲法誕生の時代』の注文については、
こちらから