まず、日本国憲法確定に至る一日の経緯を、簡単にまとめます。
昭和21年8月24日(土)午前10時に招集された本会議は、午前10時50分に「第一読会の続き」として開催された。開会時の出席議員数は406名。(注:「読会」については、この項の最後に説明します。)
最初に事務的な報告、磯貝詮三議長の辞任と山崎猛の新議長就任が報告され、二人の挨拶および議員代表による前議長への挨拶並びに新議長への祝辞が述べられた。
本題に入り、芦田均憲法改正案委員長から修正案および四項目の付帯決議の報告が行なわれた。
最初の発言として、質疑の通告をしていた尾崎行雄議員から賛成討論があり、委員長答弁なしで午後零時39分に休憩。
午後1時56分再開。第一読会は午前までの議事で終了とし、午後は第二読会の開催に決する。
第二読会の冒頭で、日本社会党原彪之助議員その他三名から提出された修正案が提案されたが、起立少数で否決。
その後、委員会修正案に対する各党・会派からの代表討論が行なわれた。
発言は、日本共産党野坂参三、自由党北 吉、日本社会党片山哲、協同民主党林平馬、新政会大島多蔵、無所属倶楽部田中久雄の各議員。
反対は日本共産党のみで、他はすべて賛成であった。
代表討論が終了した後、直ちに起立による採決が行われた。
【第二読会の議決】
議決に関する山崎議長の発言は次の通り。
「
七名を除き、その他の諸君は全員起立。よって本案は委員長報告の通り、三分の二以上の多数を以って可決致しました。これにて本案の第二読会は終了致しました(拍手)。」
【第三読会の議決】
そのあと、動議により直ちに第三読会が開かれ、
記名投票による採決が行なわれた。結果は次の通り。
投票総数 429票
白票(賛成) 421票
青票(反対) 8票
反対議員8名のこの時点での所属政党または会派は、穂積七郎が新生会、細迫兼光が無所属倶楽部、それ以外の6名は日本共産党の全議員で、柄澤すゑ子、志賀義雄、高倉輝、徳田球一、中西伊之助、野坂参三。(注:徳田球一は、選挙時は次点であったが、鳩山一郎が公職追放になったあと、繰り上げ当選となっていた。)
【10月7日の採決】
その後、直ちに貴族院に送付され、10月7日(月)に貴族院から回付された修正案の採決が行われた。
出席議員三四七名。五名を除き、全員起立。
この採決により、憲法は確定した。
したがって、これら三つの採決における賛否の票数は、すべて異なっています。
【読会】について
帝国議会衆議院本会議の議事録には、「第一読会」「第二読会」「第三読会」の三段階があります。この読会という制度について、2008年に衆議院事務局に問合せたところ、「そのような歴史的な事柄は、難しいことであって、そう簡単には判らない」ということでした。
しかし、この疑問は、『広辞苑』により、いとも簡単に解決しましたた。
下記に「読会」の項目をそのまま引用します。
「【読会】(reading)(イギリスの議会で、印刷術の進歩しなかった時代に、書記官に議案を三度朗読させたことに起るという)議会で法令などを審議する際、最初に全体的に検討し、次いで各条審議をなし、最後に重ねて全体的に検討し決定する制度。わが国の旧議院法には三読会の規定があるが、現在の国会法にはない。」
昭和21年8月24日(土)の「第二読会」における記名投票の結果
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