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岩田行雄の憲法便り・日刊憲法新聞

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2013年 07月 06日

憲法便り#100:2008年10月に韓国の5つの都市〔ソウル、安山(アンサン)、安養(アニャン)、富川(プチョン)、水原(スウォン)〕で行った韓国講演について!

2013年7月6日(土)(憲法千話)

憲法便り#100:2008年10月に韓国の5つの都市〔ソウル、安山(アンサン)、安養(アニャン)、富川(プチョン)、水原(スウォン)〕で行った韓国講演について!


『岩田行雄の憲法便り』第100号を記念して、昨日の#98の続きとして、今日は2008年10月に韓国の5都市で行った憲法講演について述べます。
これは、単に5年前の思い出を語るためではなく、日韓友好のあり方、現在の緊張した状況を作り出した元凶は何なのかなどを考える際の一つの資料として提供するためです。

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(10.15.安山外国人勤労者支援センター にて)

韓国講演が実現するまでには、長い道のりがありました。
2004年から、可能性を求めて韓国に何通かの手紙を書きましたが、返事はなかなかもらえませんでした。日本以上に、学歴、肩書き重視の韓国では、大学教授等の肩書きのない私の講演実現が難しいことは最初から覚悟の上の挑戦です。

それでも努力の甲斐あって、2005年の初めに、高麗大学校名誉教授のパク・ヒョンギュ先生から、ノ・ムヒョン大統領の与党であるウリ党(ウリは、われらの意)の国会議員有志が私を招いて下さることが内定したとの連絡を頂きました。時期は2005年11月、会場は韓国国会会館で、通訳はパク先生が引き受けて下さるとのことでした。
願ってもない最高の場所でのデビューと喜んで、準備していた原稿に基き韓国語の本格的な勉強に取りかかりました。ところが、秋口になって韓国国会において汚職問題をめぐって掴みあい、殴り合いの乱闘が報じられ、講演の時期は先延ばしになりました。悪いことは重なるもので、正式決定を待っている間に、国会情勢はますます混沌として、遂にはウリ党が分裂し、さらには党消滅という事態になり、この講演は実現の可能性がなくなりました。

しかし、韓国講演を実現をあきらめずに準備を行い、発信を続けることによって遂にその機会が訪れました。
2008年5月にソウルの「韓国九条の会」(2008年2月結成)と連絡がとれ、その招きにより10月14日から22日までの9日間、訪韓しました。
ただし、私からの提案により航空運賃、ホテル代、滞在費、通訳謝礼は全額自己負担、講演料なしの条件です。日本国内の各地での講演において、「韓国講演を成功させるためのカンパ」を呼びかけて多くの方々からご協力いただいたカンパで十分に賄えるからです。それでも各講演会の主催者の方々は、講演料の代わりに花束や記念品を用意していて下さいました。

講演は下記の日程で、10月17日までは娘が同行し、写真・ビデオ撮影をしてくれました。

10月15日 安山(アンサン)午後7時~9時半、安山外国人勤労者支援センター
主催 6・15共同宣言実践 安山本部 参加約35名
10月16日 安養(アニャン)午後8時~10時 安養市議会議場 参加20数名
主催 6・15共同宣言実践民族共同委員会安養市本部
10月17日 ソウル(ヨイド)午後7時~9時半、進歩新党本部会議室 参加20数名
主催 進歩政治研究会
10月20日 富川(プチョン)午後7時~9時半、富川市民連合学童保育室 参加約35名
共催 富川市民連合、6・15共同宣言実践 富川本部
10月21日 水原(スウォン)午後7時~9時 民主労総京畿本部教育室 参加10名
共催 6・15共同宣言実践 水原本部、民主労総京畿本部

以上の日程に見る通り、開会時間が遅いため、ソウルのホテルに戻れるのは毎回午後11時過ぎになるというハードスケジュールでした。これらのほかに、韓国民衆労働党から16日午前10時に懇談の希望がありましたが、体力的な問題から講演を優先的に考え、残念ながら断りました。

各都市の主催者となっている「6・15共同宣言実行委員会」は、金大中大統領と金正日主席が行なった歴史的な南北首脳会談での共同宣言を実践し、南北朝鮮の平和的統一を目指す国民戦線です。訪問した都市は、金大中元大統領の強い支持基盤となっているところであることを強く感じました。

訪問先ではいろいろな経験をしました。

10月15日の「安山外国人勤労者支援センター」では、図書室の雑誌や、トイレの壁に貼られているビラのロシア語がとても懐かしく感じられましたが、「韓国の地方都市へロシア人が出稼ぎ?」と、複雑な思いがしたことも事実です。
この日、話し始めた時、初めての韓国語での講演ということでの緊張、そしてようやく実現した韓国講演という感動が綯い交ざっていました。出来るだけ冷静に話しを進めていましたが、拉致問題に関連して、かつて日本軍が、正確な人数さえ把握できないほど多数の朝鮮人を拉致し、強制連行したことにふれた時、はからずも胸がつまり絶句しました。皆は黙ったまま、話しの再開をじっと待っていてくれました。

10月16日の安養市では週刊『安養市民新聞』のインタビューも受けました。
講演会場は市議会の議場そのもので、私には議長席、通訳のHさんには副議長席が用意され、参加者はゆったりとした議員席で聞いていました。よほど開放的な運営が行なわれているのでしょうが、これは、日本では経験したことのないことでした。

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(10.16.安養市議会議場にて)

10月17日の会場である進歩新党本部は、李明博大統領の支持母体ハンナラ党本部の向かい側にありました。進歩新党は韓国民衆労働党から分れて、2007年11月に結成されたあたらしい政党で、党員は約15,000人とのこと。

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(10.17.進歩新党本部会議室にて)

韓国では毎年、日本の植民地支配から解放された8月15日を「光復節」として国を挙げて祝います。そして、この日から2ヶ月間は国民の団結をはかるため「政治休戦」をするそうです。
しかし、私が進歩新党本部を訪れた17日はその「政治休戦」が終った直後で、ハンナラ党本部前では、公安による弾圧に抗議するシュプレヒコールが行われていました。さらに、翌18日(土)には、ソウル市の中心部で大規模なデモ行進と集会が開かれているのを、実際に見ました。

10月18日(土)は、農村地帯で予定されていた講演会が中止になり、ソウルの休日。
通訳のHさんの誕生日ということで、Hさん家族から誕生祝いの食事に招かれました。彼女の家は、父親、母親、兄の四人家族です。有名なテレビ局勤務の父親は、秋田県に一年間滞在したことがきっかけで日本語の勉強を始め、アマチュア無線で日常的に日本語の会話を楽しんでいる方です。Hさんが大学で日本語を勉強したしたのは、この父親の影響とのことでした。そのような訳で、私たちは初対面にも拘らず、数十年来の友人のように大いに話が弾みました。このご家族とはその後も親しく交流が続いています。私たち夫婦は、Hさんのことを「韓国の娘」と呼び、彼女は娘のことを「お姉さん」、私たちのことを「日本の両親」と呼んでいます。

10月20日の富川市では、川崎市との人的交流が盛んで、私の講演は、3週間連続で日本からのゲストを迎えての行事とのことで、日本語で書かれた歓迎のビラが貼られていました。また、私たちを近所の市民センターの図書館や、美味しい温麺と水餃子の店に案内して下さった男性は、川崎市を2回訪問している方でした。
この日の会場は富川市民連合学童保育室なので、講演会参加者の子どもたちが何人か残っていましたし、保育士さんたちも参加してくれました。

この講演会には、驚いたことに、安山(アンサン)で講演を聞いて私のファンになった男性が、安養(アニャン)に続いて3回目の参加をしていました。彼は安山(アンサン)在住で、ソウルで乗り換えて合計二時間以上もかけて富川(プチョン)にまで来た方で、決して公安関係の見張りではありません。ソウルに向かう帰りの電車の中でも、いろいろと質問するので、通訳のHさんは気の毒なほどへとへとでした。彼は日本語が判らないのですが、記念に拙著『平和憲法誕生の真実』をプレゼントしたところ大変喜ばれました。

10月21日の水原(スウォン)では、当日大きな行事があるとのことで「民主労総」の組合員の参加はほとんどありませんでしたが、「6・15共同宣言実践 水原本部」の皆さんが熱心に聞いて下さいました。実は、私が水原(スウォン)を訪れたのは二度目で、最初の訪問は世界遺産に登録された城址への観光のためでした。

日本各地で行う講演会では、参加者の年齢層は50代~70代が中心ですが、韓国講演では20代~40代が多く、様々な分野での若い活動家が中心でした。しかし、小学4年の時まで日本語で教育を受けたという元大学教授(環境問題が専門)、一橋大学大学院に10年間留学していたという大学助教授(日本研究者)、大学で東アジア学を専攻した人や、かなり上手な日本語を話す人など、日本に強い関心を持っている人々の参加も目立ちました。

講演のテーマは当初、『平和憲法、そして憲法第九条の誕生について』と題して1時間の講演を韓国語で行なえるように準備しました。
しかし、直前になって「憲法の成立過程については、韓国人は興味がない。日本の現状について話して欲しい」との要望を受けました。
そこで、急遽「日韓友好と憲法第9条」と題して別の原稿を用意し、翻訳が間に合わない部分は、以前「岩田ゼミ」で日本語を指導していた時の教え子であるHさんに通訳を依頼しました。準備段階から質疑まで、講演の成功は彼女の協力が大きなウエイトを占めていました。
ところが、実際に講演を行ってみると、参加者からは「日本の現状よりも、憲法第九条が成立するまでの歴史的経緯をもっと詳しく聞きたかった」という意見が出されました。
つまり、「韓国九条の会」の代表者の変更要請よりも、私が当初予定していた『平和憲法、そして憲法第九条の誕生について』の方が望まれていたという、なんとも残念な結果になりました。

【韓国公演レジュメ表紙】
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講演の概要は次の通りです。
①はじめに、日韓友好に必要不可欠な七項目について(韓国語で約15分、通訳なし)
朝鮮侵略、植民地支配への明確な謝罪、強制連行、日本軍慰安婦への謝罪と補償、拉致問題、
歴史認識の問題、教科書問題、靖国神社問題、
(ここまでは原稿を見ずに、参加者の顔を見ながら韓国語で語りかけました。これらの問題にふれずに、ただ一般的に「平和憲法」や「第九条」について語っても、相手の心には通じないと考えたからです。)
竹島問題について(新しい資料を入手し、翻訳が間に合わなかったので、通訳付き)
②憲法に関する近年の世論調査の結果について(通訳付き)
③自民党の「新憲法草案」の主要な点について(通訳付き)
④憲法「改正」手続きについて(通訳付き)
⑤憲法改悪反対運動の現状について(通訳付き)
⑥終りに、第九条について(憲法改正草案逐条説明より)(韓国語で約10分、通訳なし)
講演の最後は、昨日#98で紹介した『憲法改正草案逐条説明』を韓国語で読み上げ、一日も早い南北朝鮮の平和的統一を願っていることを表明して結びました。
どの会場の参加者たちも、深い感銘を受けていました。国境を越えて憲法第九条の精神が伝わった瞬間です。

講演のあとの質疑では様々な質問を受けました。そのいくつかの例を挙げますと、
「自衛隊の存在は憲法違反ではないのか」
「憲法九条で世界の戦争がなくせるのか」
「中国や北朝鮮に対して、九条は有効な力となるのか」
「竹島問題で、日本政府はなぜあのような態度をとっているのか」
「日本の国民は竹島問題についてどのように考えているのか」
「憲法第九条を守るために韓国で何をすれば良いか」
「日韓友好運動を進める上で、韓国側に対する注文は」等。

私はこれらの質問ひとつひとつに対して丁寧に答え、「これで答になりましたか」と問いかけて、質問者が納得したことを確認してから次の質問に進むようにました。
日本人の話を初めて聞いた人も多かったようです。
講演はどの会場でも好評でしたが、特に、私が韓国語で話した部分は非常に好評でした。

最終日の10月21日に水原(スウォン)で行った講演では、質疑の中で、「6・15共同宣言実践水原本部」の代表を務める牧師さんから、「あなたの韓国語は完璧です。話も、考えてもいなかった踏み込んだ内容で、とても感動しました」とお誉めの言葉をいただきました。これは、文字通り、舌に「血が滲む」ほどの努力を重ね、韓国語での講演を準備した努力が実ったことを実感した瞬間でした。

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(10.16.安養市議会議場(控室)にて)

10月16日に安養(アニャン)で取材を受けた『安養市民新聞』の記者からは、「日本の平和運動に学ぶものは何もないと思っていたが、考えが変りました。大変勉強になりました」との感想も聞きました。
韓国版「九条マジック」も大好評でした。特に喜ばれたのは、「軍事境界線の信号機」と名付けたマジックです。この画面でお見せ出来ないのが何とも残念です。

講演前後に何回か、「北朝鮮に行ったことがありますか」との質問を受けました。私が「まだ行ったことはありませんが、機会があれば行って見たいと思っています」と答えると、必ず「ぜひ行って来て下さい」と薦められました。
10月16日の安養(アニャン)市での講演の主催者である6・15共同宣言実践民族共同委員会安養市本部で専従の事務局長を務めている若い女性は、「すでに7回北朝鮮を友好訪問している」と話していました。交通手段を聞いてみたところ、政府の許可を得て、「飛行機をチャーターして、ソウルからピョンヤンまで直行する」とのこと。
日本では、政府とマスコミが絶えず、韓国と北朝鮮の対立を煽るような報道ばかりを流していますが、実際には平和的な南北統一に向けて、市民レベルの努力が行われていることも判りました。こうした事実に出会うと、2005年にソウルで高麗大学名誉教授のパク・ヒョンギュ先生にお会いした時の、次の言葉を思い出します。
「私たち韓民族には、三千年の歴史があります。不孝にしてこの60年間、南北は政治体制が異なっていますが、三千年の歴史からすれば僅かな時間です。私たちは必ずまた統一します」。

以上の経験は、金大中大統領、ノ・ムヒョン大統領の時代に10年間続けられた太陽政策を投げ捨て、強行路線に走った李明博政権が誕生してから一年後の2008年10月までのことです。

日本では、政府も報道関係者も常に「日米韓」の同盟関係を軸に、「北」に対処するという思考、固定概念があります。固定概念と言うよりは、「思考停止状態」と言った方が正確かも知れません。
「北の脅威」と言えば、以前は「ソ連」でした。ところが、ソ連邦崩壊により「北の脅威」がなくなった筈でしたが、いつの間にか「北の脅威」は北朝鮮に書き換えられていました。
常に「脅威」による危機を作り出して、ナショナリズムを煽る政治手法は、最も安直で国民の支持を得やすいが、同時に最も危険なやり方です。現在の政治状況はその真っ只中にあります。

2000年6月、金大中大統領が北朝鮮を訪れ、歴史的な南北首脳会談が実現しました。
ところが、金大中大統領が出発する直前に、日本のニュース番組に出演した朝鮮研究者で当時慶応大学教授だった小此木政夫氏が、会談が成功するかどうかを問われた際に、「成功しないでしょう。いや、成功して欲しくない!」と発言していました。研究者には有るまじき発言で、「正体見たり」という感じでした。要するに、南北が仲よくしてしまっては、自分の出番がなくなってしまう、朝鮮半島の不幸な状態を「メシの種」に出来なくなってしまうというホンネを、はしなくも発してしまったのです。しかしながら、小此木氏の望みも空しく、会談は成功し、「6・15共同宣言」が出されました。
繰返しになりますが、韓国講演に招いて下さった各都市の主催者「6・15共同宣言実行委員会」は、まさにこの成功を歓び、金大中大統領と金正日主席が行なった歴史的な南北首脳会談での共同宣言を実践し、「南北朝鮮の平和的統一」を目指す民間の運動体でした。

朝鮮半島の緊張が高まったのは、すべて北朝鮮の挑発によるものとの報道がなされます。しかし、きっかけは、ソウル市長時代の経済政策の成功を前面に掲げて当選した李明博が、政権発足直後から採った強硬路線と挑発が大きな原因でした。

日本の政治状況を見た場合、李明博政権発足直後からの強硬路線と同様の問題があります。
安倍政権発足後、村山談話の否定をはじめ、歴史認識、日本軍慰安婦問題での一連の事実否定の発言は、日本国民を騙したつもりでも、国際的には全く通用しません。歴史の真実に背く者に未来はありません。

朝鮮半島で極度に緊張感が高まり、日韓、日中関係が急激に悪化している今こそ、日本国憲法前文で世界に表明された恒久平和の理想及びそれを具現した第九条の精神に立ち返って、友好、平和を維持、発展させなければならないと強く思います。

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(10.15.安山市にて)

最後に、「チュッカハムニダ」(おめでとうございます)と題した私の詩を紹介します。
これは、南北首脳会談成功への湧き上がる喜びと、将来への期待を表わした六行形式の詩です。在日韓国人二世の友人、及びその六年前に知り合ったソウルの高麗大学名誉教授朴先生や訪問したことのある高麗大学の人々を念頭において書いたものです。
前半のふたつのフレーズでは南を、後半のふたつのフレーズでは北を先に書き、南北それぞれに配慮しました。
北朝鮮出身でロシア科学アカデミー・世界文学研究所の主任教授キム・レーホー先生にお見せしたところ、その場で音読をして下さいました。そして、ご自分の胸のところを押さえて、「ここに響かないものは詩ではありません。この詩は、ここに響きます」と誉めて下さいました。
これはキム・レーホー先生が、2001年10月6日に早稲田大学で開催された「来日ロシア人研究会」の国際シンポジウムに参加され、その翌日、先生の宿舎と訪ねて親しく懇談する機会を得た時の話です。キム・レーホー先生は、モスクワへの帰途、ソウルに立ち寄ってパク・ヒョンギュ先生と会う約束をしているので、この詩を彼にも届けたいとおっしゃいました。

『チュッカハムニダ(おめでとうございます)』
― 南北首脳会談の成功を祝って ―

南の人たちが
北の人たちが
不安をもって
期待をもって
見守った
その瞬間(とき)を

南のキム氏が
北のキム氏が
手を取り合い
語り合い
抱(いだ)き合った
その瞬間(とき)を

北の大地が
南の大地が
憎しみをこえ
悲しみをこえ
喜びにわく
その瞬間(とき)を

北の人たちへ
南の人たちへ
心をこめて
心をこめて
チュッカハムニダ
チュッカハムニダ

2000年7月24日

※本書『心踊る平和憲法誕生の時代』の注文については、こちらから

by kenpou-dayori | 2013-07-06 07:00 | 憲法講演


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