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岩田行雄の憲法便り・日刊憲法新聞

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2013年 07月 21日

憲法便り#130 ご存知ですか?シリーズ(第14回) 《We,the People》

《 We,the People 》

今日は、参議院選挙の投票日です。

そこで今日は、主権者である私たちの最も重要な権利行使の日に相応しい話題をお届けします。

「憲法便り号外1」ですでにお知らせしましたが、7月上旬に200件を超す全国各地の九条の会にメールでのご挨拶を送りました。
その結果、返信を頂いた中に、「旅de九条の会」からの次の依頼がありました。
それは、私が合同出版社社長からの依頼で『全国お郷ことば・憲法9条』に寄稿した憲法第九条のロシア語訳を、近々発行するリーフレットに名前抜きで掲載したので了承して欲しいということでした。

私は、名前抜きの掲載には同意出来ないことを告げ、その理由を説明するために拙著『検証・憲法第九条の誕生』の「初版へのあとがき」の文章を送りました。
そして、この翻訳は、16世紀―18世紀ロシア書籍文化史研究を主要なテーマにして来た私が、本格的な憲法研究に取り掛かることとなった記念碑的な著作であることも説明しました。その結果、私のロシア語訳だけではなく、他の言語での翻訳も訳者名を入れることで決着しました。

『検証・憲法第九条の誕生』は、2004年6月以来、第五版までで出版数24,200冊となり、自費出版としては、例を見ない「憲法書」となりました。
読み返してみると、「今でも充分に通用する」というよりは、今こそ読んで頂きたい文章なので、「初版へのあとがき」の全文を紹介します。

「初版へのあとがき」
憲法第九条と憲法前文は深く関わりがあるので、前文に関する論議も収録することを考えたが、大部になることを避けるため、第九条に限定した。

速記録を読んでいると、「野次」や「拍手」、議長の「静粛に願います」と議場を制する声なども記録されていて、私がまるでその場に身を置いているような臨場感がある。GHQの占領下にはあったが、当時の国会運営からは、日本の民主主義の黎明期とも言える新鮮さ、平和を願う真剣さが伝わってくる。
私は中学生までの時代を東京・葛飾で過ごしたが、近くに平和公園、平和橋、平和通りがあった。子供の頃は分からなかったが、いま改めて思い起してみると、人々の平和への願いが町の中にあふれていた。

私が本書を執筆することになるきっかけは、昨年十二月の初めに、『全国お郷(くに)ことば・憲法9条』という出版物の企画を進めている合同出版の社長からロシア語訳の依頼を受けたことであった。その時は、十九世紀前半のロシアにおいて、法整備の中心的役割を果たした人物についての論文を執筆中だったこともあり、第九条だけの試訳ということなので気軽に引き受けた。

参考に送られてきた英訳を見ると、条文の後半は受動態で書かれていた。しかし、日本語の条文は能動態で書かれており、何故かという疑問が生じた。取りあえず露訳をするために複数の和露辞典を調べたが、「国権」は「国家の主権」とするものと、「国家権力」とするものがある。「交戦権」に関しても訳語に違いがあり、知り合いのロシア人研究者に尋ねてみると、ロシア語では「戦端を開く」という意味の定式化された表現を使うという。過去に国会答弁で示された政府見解では、自衛隊派兵も「交戦権」の概念に含まれるので、表現は定式化されたものを使う訳にはいかない。

第九条は短い条文だが、重要な条文である。したがって、私としては納得がいかないままでロシア語訳を提出することは出来ないので、これらの疑問を解くため新憲法成立の過程を詳細に調べることにした。調べ始めてみると面白くなって、国会図書館の憲政資料室と議会官庁資料室に一ヶ月間も通うことになり、憲法との密な関係が始まった。そして、第九条誕生までの資料と衆議院議事速記録に目を通して、様々なことを知ることができた。憲法学者ならば当たり前のことも、素人の私には「発見」の連続であった。本書は、この調べ物の「副産物」で、私の納得のプロセスであり、いわゆる研究書ではない。
ここで、ロシア語訳にあたっての勉強の「成果」をひとつだけ紹介しておこう。日本国憲法前文の「日本国民は」の部分は、英文草案ではアメリカ合衆国憲法の冒頭We, the People に倣って、We, the Japanese Peopleの書き出しで始まっていた。ところが、確定した第九条の書き出しは、単に「日本国民は」となっており、公式英訳でもthe Japanese peopleと三人称形になっている。だが、私はロシア語訳をする際に、前文と同様にWe, the Japanese Peopleと解釈し、主権在民の基本的理念を反映するため「我々」という言葉を補い、一人称複数形にした。

英文の憲法草案の書き出しWe, the Japanese people という言葉を見て、私は早稲田大学の学生時代に曽根史郎先生の「米国史」を受講した時のことを思い出した。学年末試験が迫ったが、一年間の出席回数が二回だけと極めて少なかった私は、レオ・ヒューバーマン著(小林良正・雪山慶正訳)「アメリカ人民の歴史(上・下二巻)」(岩波新書)を読んで試験に臨んだ。同書は、初めは少年少女たちのために書かれたもので、一九三二年に初版が出版されているが、その後大人向きに書き足された。原題は《We, the People》である。一九五三年に書かれた日本語版への序文によれば、著者のレオ・ヒューバーマンは、一九三二年当時はまだ二九歳で、小学校の先生をしており、生徒たちに教える全教科のなかでも特に歴史に興味を持っていた。彼は歴史の主題は、ありきたりのアメリカの歴史、つまり日付や戦争や英雄のことを教えるのではなく、見通しを与え、現在の問題を理解する際に役立つ分析の道具を与えるようなものでなくてはならないと考えていた。したがって、彼の歴史の授業では、何が起こったかということについてはほとんど時間をかけず、なぜそれが起ったかという問題に大部分の時間を費やしたと述べている。これは、イラク戦争についても当てはまる。

この序文の中で、いまから一五〇年ほど前の、強烈な印象を与える逸話が紹介されている。「ある西部の満員の集会で数人の役人が、人ごみを押し分けて演壇に近づこうとしていた。彼らは「そこをどけ、われわれは人民の代表だぞ!」と怒鳴った。ところが、間髪をいれず群集の中から答があった。いわく、「てめえたちこそどけ、おれたちが人民だぞ!」

《We, the People》を書いたのは、この話の中で語られている精神が、彼の心を躍らせたからだと言う。
平気な顔で嘘をつき続ける小泉首相、人を小ばかにした福田前官房長官の物言い、閣僚の不見識な発言、自民党、公明幹部の不遜な態度を見ていると、彼らに向かって「嘘を言うな!」「憲法違反の自衛隊派兵をやめろ!」「国民をなめるな!」と大声で怒鳴りたくなる衝動にかられる。
こうして書いているうちにも、自民・公明両党が日本共産党、社民党、無所属議員の審議権を奪い、議会制民主主義を踏みにじり、年金法を強行採決し、さらに有事関連七法案の採決も強行した。憲法改悪の策動もますます強まっている。

本書の下準備として、議事速記録を読みやすく「翻訳」しながら入力を始めたのは五月一日、メーデーの日であった。五月二十三日に一千冊(一冊五百円)の出版を決断した翌日から、情勢に対応するため、支持政党の如何を問わず、友人・知人に電話をかけて趣旨を説明し、十冊単位での購入依頼を始めた。私は何かをやる時に「勢い」を大切にするが、今回も「勢い」で事を運んだ。執筆、構成、国会図書館での詰めの調査を続けながらの電話掛けである。
「カタログ」もまだ用意できず、口頭の説明だけであったが、わずか半月で予約は一千冊をこえた。三十年間務めた元の職場ナウカの仲間、出版労連時代の仲間、二十年ぶり、三十年ぶりに電話をかけた早稲田大学時代の友人、日頃から親交がある知人、これまでの人生の様々な場面で出会った知人達が、本書の内容と私の心意気を受け止めて、快く普及を引き受けて下さった。今回の出版は、これらの人々の好意と励ましに支えられて実現した。心からお礼を申し上げたい。私は多くの方々との会話から確信を得て、本書の初版出版数を五千冊とした。

資料調査という下準備が出来ていたとはいえ、原稿の入力から出版までを二ヶ月間で行うのは、かなりのスピードである。五月二十三日に出版を決断してから半月の間は、我が家の中は台風が通り過ぎたような有様であった。三月に三八年間の教員生活の定年を迎えてゆったりとした生活を夢見ていた妻は笑って言う。「いいえ、台風は居座り続けています。」

妻登美子に感謝の気持を表わし、結びとしたい。
二〇〇四年六月二十日

その後、あしかけ十年の歳月を経ていますが、台風は「居座り」続け、憲法研究を続けています。

※本書『心踊る平和憲法誕生の時代』の注文については、こちらから

by kenpou-dayori | 2013-07-21 07:00 | ご存知ですか?シリーズ


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