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岩田行雄の憲法便り・日刊憲法新聞

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2013年 08月 10日

憲法便り#184 昭和20年8月10日第一回御前会議で「聖断」が下るまで

外務省編纂『終戦史録』の「第四十三篇 第一回御前会議 聖断下る」より

第一回御前会議で聖断が下ったのは、8月10日午前2時20分のことですが、御前会議は、8月9日の午後十一時50分(または55分)から始められています。
9日の閣議は、休憩をはさんで第二回臨時閣議に入り、夜になっても論議が続けられていました。

「そこで、鈴木首相は九日午後十一時頃東郷外相と共に拝謁した。首相から外相に御説明申し上げるよう言ったので、東郷外相は天皇にそれ迄の議事の成行を詳細御説明申し上げた。
 次いで、首相は御前で最高戦争指導会議を開催いたしたいこと並びに平沼枢相を参列せしめられたいことを併せお願いした。直ちに勅許せられたので、ここに異例の御前会議が開催されたのである。御前会議奏請の場合首相と両総長の連書を必要としたが、迫水書記官はさきに六巨頭会談の折両総長からこれを獲ておいた。
 御前会議は午後十一時五十分(五十五分と記するものもある)宮中防空壕内の一室にて開かれた。
ポツダム宣言受諾に関する条件問題について、この日朝から繰り返された通り、東郷外相と阿南陸相との対決であった。外相説が甲案、陸相説が乙案として提出された。米内海相、平沼枢相は東郷外相に賛し、梅津参謀総長、豊田軍令部総長は阿南陸相を支持した。もっとも平沼枢相は一、二質問を発した後に、甲案の保留個所が原案では「天皇の国法上の地位を変更するの要求を包含し居らざることの了解の下に」となっていたのを「天皇の国家統治の大権を変更するの要求を包含し居らざることの了解の下に」と修正方を力説し、右修正が容れられたので、甲案即ち外相の意見に賛成したのであった。十日午前二時、鈴木首相は自ら意見を述べて決をとることをせず、その儘天皇の御裁決を願い出た。
陛下は、我が国力の現状、列国の情勢等を顧みるとき、これ以上戦争を続けることは我民族を滅亡せしめるのみならず世界人類を一層不幸に陥れるものである、自分としてはこれ以上戦争を続けて無辜の国民を苦しめるに忍びないから速に戦争を終結せしめたい、開戦以来、軍の言う所と実際との間には屢々食い違いがあった。現に軍は本土決戦などと言うけれども九十九里浜の防備さえ出来ていないではないか、と仰せられ、外相の説を御嘉納になった。時に二時二十分、かくて歴史的の御前会議が閉じられたのであった。――この会議の情景については、陪席した迫水書記官長がその手記に詳しく記しているのでそれによられたい。
十日午前三時、第三回目の臨時閣議が開かれ、聖慮の存するところにしたがって、國體問題のみに関する了解付にて、ポツダム宣言を受諾することに一決した。」


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by kenpou-dayori | 2013-08-10 07:30 | 太平洋戦争日歴


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