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岩田行雄の憲法便り・日刊憲法新聞

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2013年 08月 13日

憲法便り#194 昭和20年8月13日 六巨頭会議、降伏問題大論争

外務省編纂『終戦史録』の「太平洋戦争日歴」

外務省編纂『終戦史録』の「太平洋戦争日歴」には、昭和20年8月13日(水)、「六巨頭会議、降伏問題大論争」とあります。
しかし、外務省編纂『終戦史録』の「第五十三篇 連合国回答をめぐる最高戦争指導者会議癖委員会議と閣議」(676-678頁)を見ると、従来の主張をぶつけ合う繰り返しにすぎません。
以下に、その様子を紹介します。

「連合国回答文を伝える加瀬公使からの公電は、十三日朝、七時四十分接到したこととして、各関係方面に提出された。一方、これより先、阿南陸相は午前七時十分木戸内府を訪ね、第四項は認め難いと申し入れた。内府は、外務当局の解釈で差支えなしと思う旨、…………陛下の今回の御決心は深き御考慮の上なされたものと拝察せられる旨答えた。
 九時近く鈴木首相、東郷外相、米内海相、阿南陸相、梅津参謀総長、豊田軍令部総長の六巨頭会議が開かれ、公電による連合国回答文を中心として協議に入った。十二日に、本件は枢密院に附議する要があると、陸軍側から内閣に申出ていたので、この会議にはとくに村瀬法制局長官も出席せしめられた。同長官は法律上の見解を詳しく説明し、これにて差支えなしと思考する旨を述べたが、阿南陸相は、某博士は、これでは國體危うしといっているがと反問していた。…………阿南陸相は平素より文学博士平泉澄氏を信頼していたという。
 間もなく、十時近く、宮中よる両総長にお召しがあった。会議は十時半まで中断された。天皇は、両総長に、連合国から正式回答があって外交交渉に入っている間は、作戦を手控えたがよかろうとの御示唆を含む御下問があった。これに対し梅津総長は、主導的な作戦は差し控えておりますと奉答した(注1)。…………世上、発表された多くの記録は両総長が帷幄上奏(いあくじょうそう)して、反対論を強く申し上げたと記しているが、それは十二日朝のことであって、このときの両総長参内は、右に述べた如きことである。
 再開された会議は、外相、首相、海相対陸相、陸海両総長の間に受諾説と再照会説とが激しく闘わされるのみであった本会議は、一応三時頃に中止された。この間、東郷外相は二時に参内し、先方回答の到着に付上奏し、なお十二日以来の審議の模様を申し上げた。陛下は、外相の主張通りでよい、総理にもその旨を伝えよと仰せられた。
 四時近くに、閣議が開かれた。この会議において、鈴木首相は、極めて強く、各閣僚の意見を確めた。阿南陸相、安倍内相、松阪法相は十二日の持論を持ち越して再照会説を主張し、連合国が明確な回答を与えざれば決戦已むなしというにあった。態度の多少不明な閣僚も一名あったが、十二名の閣僚が、東郷外相の即時受諾説を支持した。首相は最後に所信を述べた。…………私は最初、先方の回答文は、不充分と思い背水の陣を覚悟したが、再三再四読むうちに、米国は悪意を以て書いたものでないと思ってきた。…………大御心は、この際和平停戦せよというにある。私はこれに従いたい。従って、私はこの意味に於て、本日の閣議のありのままを申し上げ、重ねて聖断を仰ぎたいと思う。…………というのであった。かくて、七時閣議は散会した。」(以下、略)

(注1)「日歴」にもあるように、この日も米機動部隊は関東に来襲している。

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by kenpou-dayori | 2013-08-13 07:30 | 太平洋戦争日歴


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