2013年8月25日(日)
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「ナチスの憲法」と呼ばれるものには、「日本国憲法」のように体系化されたものはありません。「ワイマール憲法」の機能を停止した大統領令およびそれに続く一連の法律のことを指します。
したがって、「ナチス憲法」と呼ばずに、「ナチスの憲法」と呼ばれます。
I については、すでに詳しく紹介しましたが、これが「ナチスの憲法」の始まりです。
Ⅱは、「授権法」あるいは「全権委任法」と呼ばれるもので、現在、テレビのコメンテーターなどが、麻生副総理の「ナチス発言」後に、話題にしている法律ですが、これは「ナチスの憲法」の始まりでも、全体を示すものでもありません。
全体像は、下記のI-XIの法律群を指します。
文中の、ライヒは「国」、ラントは「州」を意味します。
ヴァイマルは、一般的には「ワイマール」と表記されています。
今回は、十番目の法律についてです。
ライヒ政府は、以下の法律を議決し、ここにこれを公布する。
Ⅹ ライヒ参議院の廃止に関する法律(1934年2月14日)
§1〔ライヒ参議院の廃止等〕
(1)ライヒ参議院は、これを廃止する。
(2)ライヒにおける各ラントの代表権、これを停止する。
§2〔ライヒ参議院の権限の停止または代行〕
(1)ライヒ参議院の立法および行政への協働は、これを停止する。
(2)ライヒ参議院の独立行為については、所管のライヒ国務大臣または同大臣がライヒ内務大臣との協議のうえ指定する機関が、これを代行する。
(3)各種の団体、裁判所および機関におけるライヒ参議院への全権委員の協働は、これを停止する。
§3〔本法によって生ずる変更の考慮〕
所管のライヒ国務大臣は、ライヒ内務大臣との協議によって制定した補足規定を適用し、且つ法規の新解釈を告示するに当たっては、本法によって生ずる変更を考慮に入れる権限を与えられる。
ベルリーンにて、1934年2月14日
ライヒ総理大臣 アードルフ・ヒトラー
ライヒ内務大臣 フリック
「ナチスの憲法」の全体像
I 民族および国家の保護のためのライヒ大統領令(1933年2月28日)
Ⅱ 民族および国家の危難を除去するための法律(1933年3月24日)
Ⅲ ラントとライヒとの均制化に関する暫定法律(1933年3月31日)
Ⅳ ラントとライヒとの均制化に関する第二法律(1933年4月7日)
Ⅴ 職業官吏制の再建に関する法律・・・・・・・(1933年4月7日)
Ⅵ 国民投票法・・・・・・・・・・・・・・・・(1933年7月14日)
Ⅶ 政党新設禁止法・・・・・・・・・・・・・・(1933年7月14日)
Ⅷ 党および国家の統一を確保するための法律・・(1933年12月1日)
Ⅸ ライヒの改造に関する法律・・・・・・・・・(1934年1月30日)
Ⅹ ライヒ参議院の廃止に関する法律・・・・・・(1934年2月14日)
ⅩⅠ ドイツ国元首に関する法律・・・・・・・・(1934年8月1日)
この内容と問題点を正確に伝えるために、次の文献を引用しました。
高田敏(たかだ・びん)・初宿正典(しやけ・まさのり)編訳
『ドイツ憲法集〔第3版〕』〈講義案シリーズ17〉(2001年、信山社)
※本書『心踊る平和憲法誕生の時代』の注文については、
こちらから