2013年8月26日(月)
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「ナチスの憲法」と呼ばれるものには、「日本国憲法」のように体系化されたものはありません。「ワイマール憲法」の機能を停止した大統領令およびそれに続く一連の法律のことを指します。
したがって、「ナチス憲法」と呼ばずに、「ナチスの憲法」と呼ばれます。
I については、すでに詳しく紹介しましたが、これが「ナチスの憲法」の始まりです。
Ⅱは、「授権法」あるいは「全権委任法」と呼ばれるもので、現在、テレビのコメンテーターなどが、麻生副総理の「ナチス発言」後に、話題にしている法律ですが、これは「ナチスの憲法」の始まりでも、全体を示すものでもありません。
全体像は、下記のI-XIの法律群を指します。
文中の、ライヒは「国」、ラントは「州」を意味します。
ヴァイマルは、一般的には「ワイマール」と表記されています。
今回は、十一番目の法律についてです。
この法律により、ヒトラー独裁の総仕上げが行われました。
ⅩⅠ ドイツ国元首に関する法律(1934年8月1日)(注36)
ライヒ政府は、以下の法律を議決し、ここにこれを公布する。
§1〔大統領官職の総理大臣官職への統合〕
ライヒ大統領の官職は、ライヒ総理大臣の官職に統合される。これにより、ライヒ大統領の従来の権限は、総統・ライヒ総理大臣アードルフ・ヒトラーに移譲される。ヒトラーはその代理者を定めるものとする。
§2〔本法の発効〕
本法は、ライヒ大統領フォン・ヒンデンブルクの逝去の時点よりその効力を発する。(注37)
ベルリーンにて、1934年8月1日
ライヒ総理大臣 アードルフ・ヒトラー
ライヒ総理大臣 フォン・パーペン
ライヒ外務大臣 フライヘル・フォン・ノイラート
ライヒ内務大臣 フリック
ライヒ財務大臣 グラーク・シュヴェリーン・フォン・クロージク
ライヒ労働大臣 フランツ・ゼルテ
ライヒ司法大臣 博士 ギュルトナー
ライヒ国防大臣 フォン・ブロムベルク
ライヒ郵政大臣・運輸大臣 フライヘル・フォン・エルツ
ライヒ食糧・農業大臣 R・ヴァルター・ダレ
ライヒ国民啓蒙・宣伝大臣 博士 ゲッペルス
ライヒ航空大臣 ヘルマン・ゲーリング
ライヒ文部大臣 ベルンハルト・ルスト
ライヒ無任所大臣 ルードルフ・ヘス
ライヒ無任所大臣 ハンス・ケルル
(注36)この法律は正式には「ドイツ・ライヒ国家元首に関する法律」といい、ヴァイマル憲法第1編第3章(第41条から第59条まで)を変更するものであり、これにより「ライヒ大統領」の名称および権限は、「ライヒ総理大臣」たる総統ヒトラーによって取って代られることとなった。
(注37)大統領ヒンデンブルクは、1934年8月2日逝去。
「ナチスの憲法」の全体像
I 民族および国家の保護のためのライヒ大統領令(1933年2月28日)
Ⅱ 民族および国家の危難を除去するための法律(1933年3月24日)
Ⅲ ラントとライヒとの均制化に関する暫定法律(1933年3月31日)
Ⅳ ラントとライヒとの均制化に関する第二法律(1933年4月7日)
Ⅴ 職業官吏制の再建に関する法律・・・・・・・(1933年4月7日)
Ⅵ 国民投票法・・・・・・・・・・・・・・・・(1933年7月14日)
Ⅶ 政党新設禁止法・・・・・・・・・・・・・・(1933年7月14日)
Ⅷ 党および国家の統一を確保するための法律・・(1933年12月1日)
Ⅸ ライヒの改造に関する法律・・・・・・・・・(1934年1月30日)
Ⅹ ライヒ参議院の廃止に関する法律・・・・・・(1934年2月14日)
ⅩⅠ ドイツ国元首に関する法律・・・・・・・・(1934年8月1日)
この内容と問題点を正確に伝えるために、次の文献を引用しました。
高田敏(たかだ・びん)・初宿正典(しやけ・まさのり)編訳
『ドイツ憲法集〔第3版〕』〈講義案シリーズ17〉(2001年、信山社)
※本書『心踊る平和憲法誕生の時代』の注文については、
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