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岩田行雄の憲法便り・日刊憲法新聞

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2013年 09月 05日

憲法便り#269 昭和二十二年、徳島県憲法記念館建設を呼びかけたビラを入手!

『心踊る平和憲法誕生の時代』の題名は、昭和21年11年1日付『徳島民報』に掲載された新憲法公布を祝って開催された阿波踊り大会の広告文に因んでいることは、すでに5月12日付の「憲法便り#8 憲法公布記念シリーズ(第2回)「当時の徳島県では」で紹介しました。
しかし、何回読んでも感動を覚える文章なので、ここで、もう一度紹介しておきます。

「十一月三日は新憲法公布の日だ、新日本の黎明だ、平和だ、友好だ、豊年じゃ、満作じゃ、みんなで祝う、阿波踊りが許された、踊りおどるなら華やかに踊ろう」
この喜び溢れる言葉は、一九四六年十一月一日付『徳島民報』一面に掲載された《新憲法祝賀おどり》広告の文章。日時は、十一月三日朝九時から夜十一時まで、会場は市役所前。主催者は徳島商工会議所と徳島民報社。

これは、決して一過性の「お祭り騒ぎ」ではありませんでした。
その証拠が、「徳島県憲法記念館」建設を呼びかけるビラで、内容は次の通りです。

徳島県憲法記念館
建設県民運動 自昭和22年9月 至昭和22年11月
県民の一人一人が新憲法の精神をしっかり握り守りたててゆけば希望と光明に輝く新しい日本が築かれてゆく たとへ今日の窮乏と苦痛がどんなにはげしくてもお互いの力でお互いの時代に解決しよう、そして一日も早く平和と文化を誇る民主日本の楽土を建設しよう
このような県民の決心と努力を記念するための憲法記念館建設運動です。
全県民の御賛同を切望します
 
総工費 500萬 圓 募 集
 用 材 1600石皇室御下賜
 着工昭和22年9月 竣工昭和23年5月
 
         徳島県憲法記念館建設委員会

「徳島県憲法記念館」建設県民運動の背景を最もよく物語るのは、昭和二十一年八日付『徳島新聞』の次の記事です。以前、論文のためにまとめておいた文章を、そのまま引用します。
「新憲法が成立した翌十月八日付徳島新聞には、読者が読みやすく保存しやすいようにその全文を収録した別刷りを付録として添付。また憲法全文と桜川影雄論説委員の解説などを収録した「日本国憲法」という小冊子(B6判三十㌻、二円)を発刊した。公布の翌十一月四日には用紙事情が悪いにもかかわらず、特別に四㌻に増ページし「恒久平和の先駆」と題した井上羽城の一文を載せたほか、新憲法と世界の憲法を比較する読み物などを掲載。公布の日の県内の様子を詳しく伝えた。官公署、学校、会社、銀行では祝賀会のあと運動会が挙行され、県ではお祝いのため児童にパン二つずつ特配したとある。
 新憲法は二十二年五月三日から施行されたが、徳島新聞ではそれを記念して憲法普及会県支部やNHK徳島放送局などとともに、新憲法に関する論文や「徳島県民の歌」を募集。施行日当日には西の丸球場で憲法まつりを開き、全徳島―駿台クラブの野球戦や阿波踊り大会などで祝った。また五日には南原繁東京大学総長による「新憲法と精神革命」と題した講演会を富田小学校で開催し、六、七日にわたってその要旨を載せた。
 募集論文のタイトルは「新憲法実施と徳島県民の行くべき道」で四百字詰め原稿用紙十五枚以内、一等賞金は二千円。三月二十二日の社告で募集を開始。四月二十日に締め切られた。加藤修一師範学校長らが審査の結果、徳島市南佐古町一丁目、徳島タイムス編集部員砂川健治、毎日新聞徳島支局員日野晃(のち西部本社編集局長兼論説委員)ら四人の論文はいずれも力作であるとして入選とし、紙面に掲載した。賞金は二等の分もあわせ三千円を四等分。若い応募が多く、入選四人のうち三人は二十歳代だった。ミニコミ紙やライバル紙の記者も応募、またその論文が入選するなど今では考えられないおおらかな時代だった。」

最後に、徳島県憲法記念館の完成および活動について、『阿波学会紀要 第54号』(2008.7)に掲載されている、新孝一著「阿波学会設立前後に関するメモ」に基き紹介します。

「昭和20年7月の徳島大空襲によって徳島県立光慶図書館は灰燼に帰した。その後、同24年5月3日徳島県憲法記念館(県立図書館)として再建された。憲法記念館は新憲法の精神を永遠に記念すると共に、県文化のサービス・ステーションの中核として位置付けられている。このことは図書館運動及び文化活動にとって、またその後の図書館の運営とともに全国的に注目された。ちなみに初代館長には徳島新聞社から薄池正夫氏が招聘された。
 憲法記念館は月報『徳島文化』を発刊した。この月報は憲法記念館の月々の業績を県内外の人々に伝達することを目的としていたが、それだけに留まらず、全ての人々に解放された自由な発言の場として、かつ明日の文化徳島を醸成する場としての機能をも併せ持っていた。
 憲法記念館は多くの文化活動を展開しており、とくに文化団体の組織化を図ったことが特色である。開館1年足らずの間に、学生演劇研究会・エスポワールクラブ・意匠美術協会・創作家グループ・県画劇協議会・阿波浄瑠璃人形芸術復興会・県華道連盟・社交ダンス研究会・自由劇団協議会など数多くの文化団体が発足した。憲法記念館の活動がいかに活発であったかを示すとともに、当時の社会にみなぎっていた文化的活動の高揚を物語るものである。しかし、開館して10か月後、昭和25年3月13日に再び焼失した。(以下、略)

 昭和28年11月3日、県立図書館はされましたが、現在は徳島駅前からバスを乗り継いで1時間ほどかかる場所に移転しています。
 私は、2011年の大震災後に、『徳島新聞』と『徳島民報』を調べるために、この徳島県立図書館を訪問しています。
〈図〉当時は紙不足のため、ビラはB5サイズ、用紙も薄いものが使われています。
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※本書『心踊る平和憲法誕生の時代』の注文については、こちらから

by kenpou-dayori | 2013-09-05 07:30 | 今日の話題


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