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岩田行雄の憲法便り・日刊憲法新聞

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2013年 09月 13日

憲法便り#290 終戦直後の内閣法制局における憲法改正問題の研究(第一回)

入江俊郎論集『憲法成立の経緯と憲法上の諸問題』(1971年)の序章より。

本書の著者は、昭和20年9月の時点では法制局第一部長でしたが、同年11月次長、さらに、翌21年3月に法制局長官となっています。

第一編 憲法成立の経緯
日本国憲法成立の経緯
序章
一、本稿の趣旨(省略)
二、終戦直後の内閣法制局における憲法改正問題の研究(その前半)
終戦直後の内閣部内における憲法改正問題の研究は、内閣法制局部内でいち早く事務的に取り上げた。昭和二十年九月二日の降伏文書の調印に伴い、終戦に伴う当面の法律問題の研究は、外務省と法制局との責任となり、次官会議でも、又各省総務局長会同でも常に論議されていたが、就中、降伏文書の性質、一般命令の性質が論議の対象となり、これと国内法制の調整に法制局は連日連夜忙殺せられた。私は法制局の部長であったが、憲法改正問題は必ず近く国内の重要な問題となるであろうと考えて、法制局の同僚諸君と諮り、いち早く、憲法改正問題について、法制局としての研究に着手した。若し憲法改正問題が具体的に取り上げられる時が来れば、当面の責任者は、法制局であろうから、速かに、一応の検討をすることがわれわれ法制局員の職責と考えたからである。しかしあの混乱した時期に、この問題を積極的に取り上げることは、政治的に考えても極めて慎重を要すると思ったので、私は自ら筆をとって「終戦と憲法」なる題目の文書(資料1)を作成し(二十年九月十八日)、これをカーボンに打って、村瀬法制局長官に渡し、また、同僚参事官にも配布して研究を求めた。当時は東久邇宮内閣であり、内閣としては勿論憲法改正問題を考えてもいなかった時期であったが、法制局の事務当局としては極秘の中にこの問題と取り組もうとしたのである。村瀬長官にこの資料を渡したのは、長官からの要求によったものでなく、事務当局として万一閣議でこの問題が出たとき法制局長官として意見を述べる必要のある際の参考として、渡したのであった。ところが、この資料を長官に渡した丁度その当日である九月十八日東久邇宮内閣総理大臣は、記者会見で記者の質問に答えて「我々は連日マッカーサー司令部の要求に追われ、これが完遂に全力を挙げているので、未だ内政面に関し、いかなる改革を行うべきか考える余裕がない」と答えている。
しかし、事務的には一応検討を進めることを村瀬長官よりも了承を得た。そして部内では主なる参事官からも意見の提出を求め、これを基礎として数回部長会議で意見の交換をしたが、何分にも内閣としては内政面のことについて積極的な態度を示さず、村瀬長官も、憲法改正問題は、慎重に扱われたいとの意向を私に示したので、それ以上深入りはしないで推移を見守ることとした。」(次回に続く)


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by kenpou-dayori | 2013-09-13 07:30 | 自著及び文献紹介


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