入江俊郎論集『憲法成立の経緯と憲法上の諸問題』(1971年)の序章より。
本書の著者は、昭和20年9月の時点では法制局第一部長でしたが、同年11月次長、さらに、翌21年3月に法制局長官となっています。
今回は、昨日の続きです。
第一編 憲法成立の経緯
日本国憲法成立の経緯
序章
一、本稿の趣旨(省略)
二、終戦直後の内閣法制局における憲法改正問題の研究(その後半)
「昭和二十年十月九日、幣原内閣が成立し、同十一日幣原総理はマッカーサー元帥と初会見をし、一方同日、石渡宮内大臣から、憲法改正のことを内大臣府で、近衛公に任せて着手する旨の電話を受けたが、内閣としては、同十三日に憲法問題調査委員会設置の旨の閣議了解を発表するに及び、憲法改正問題が内閣の重要課題として表面化し、これに伴って法制局においても事務的に研究を進め、同月二十七日に第一回の憲法問題調査委員会のはじまるまでに、法制局部内では、何度か部長会議を開いて検討した。その際、憲法の各章にわたって主な参事官から研究項目を提出してもらってそれに基いて論議したが(資料2)、いよいよ憲法問題調査委員会がその仕事を開始するに及んでは、法制局としては一応手を引き同調査委員会のメンバーとしての法制局次長である私やその他若干の同僚が研究を進めることにたったのである。
なような次第で、憲法改正問題が政府の仕事として具体化したのは何といっても幣原内閣の憲法問題調査委員会設置以降であり、そして、右委員会の設置は、同年十月十一日に内大臣府が憲法改正調査に着手する旨の発表に刺戟されて急きょ決定したことであって、いずれにしても、その頃が憲法改正問題具体化の第一歩であったといえる。
(同年九月十八日に東久邇宮総理大臣が内政面のことは考える余裕がないといったのに対し、九月二十一日の朝日新聞が論説で、各種の問題は結局国家基本法(憲法のこと:岩田注)の再検討までに発展してゆくであろういう趣旨のことをいい、漸く憲法改正が輿論に取り上げられるに至る端緒を示していた。)
なお、昭和20年9月21日付『朝日新聞』の記事については、改めて取り上げます。
※本書『心踊る平和憲法誕生の時代』の注文については、
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