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岩田行雄の憲法便り・日刊憲法新聞

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2013年 09月 23日

憲法便り#322 戦争責任を鋭く追及した昭和20年9月23日付『東京新聞』社説

昭和20年9月23日付『東京新聞』社説「平和への責任体制」は、東久邇宮首相が唱えた「一億総懺悔」に立脚した考えを強調しており、また「武士の情」などという時代がかった表現は見られるものの、一連の「平和国家」論の中で、最も鋭く戦争責任問題を追及した社説である。

なお、私が調べた限りでは、「平和国家」論の社説はこれで終わり、いよいよ10月2日から、「憲法改正」、「憲法の民主化」、および「憲法改正手続きの民主化」に関する一連の社説と記事が各紙に登場する。
「憲法改正」に関する社説も、「平和国家」論の時と同様に、地方紙から始まる。

昭和20年9月23日付『東京新聞』

社説「平和への責任体制」
「最近、連合国による日本の産業解体に関する指令とか、三井三菱に対する事業弾圧とか、外電による各種の報道に接して今更の如く深刻な事態に驚愕狼狽している向が必ずしも少くないのを見て、寧ろ吾々は意外の感なきを禁じ得ない。敗戦の現実を直視するとき、我国の立場が何うなるかに就いては自ら此種の事態を予想させるに十分なものがあった筈であり吾々としては、既に一般に国民的覚悟が出来ていたものと信じていた。然るに、一々具体的事実に当面するに及んで俄(にわ)かに周章する態を見るに至っては真に遺憾に堪えぬものがある。如何にポツダム宣言が抽象的表現を用いているからと言って、敗戦国の地位に鑑みるとき、□て来るべき運命が何であるかは敢て説明を待つまでもない筈である。それにも拘らず、想をそこに走らせ得なかったということは、煎ずるところ自己反省の不足を暴露したものと言わねばならぬ。
 思うに、我国民の多くは、終戦の大詔を拝した瞬間から、国民としての懺悔を徹底しつつあるに拘らず、却って指導的立場にある各界の人々の間に「それ程のことはあるまい」という不当な認識に立つもののあるを見るのである。このことは独り国民の総懺悔を妨げる許りでなく再建日本の前途を塞ぐ恐るべき障碍であって、吾々としは断じて看過することを許さぬものである。
 言うまでもなく、戦時中に指導的地位にあった一切の軍部官界並に政界財界の人々は例外なく第一線から引退すべきであって、そこにこそ日本人としての責任感を見ることが出来るのである。吾々は連合国の輿論を怖れて戦争責任者の引退を呼号するのではない。なお反省足らずして依然指導的地位にあるものに対し、日本人としての良知ある行動を要求してやまないのである。
 率直に言って、吾々が今日まで我戦争責任者に対する追究の手を差控えて居ったのも、武士の情として曾ての指導者達の深き自省に待ったことと欧州の一部に見る如き同胞相食む醜態を避くべきであると信じたからに外ならないが、現実は必ずしもその通りには動いていない。吾々は之に対し果して何をなすべきであろうか。自ら覚ることの出来ないものに対して覚らせる途は明白である。併し政府はそこにそこに予見される混乱を思うならば、宜しく勇断を以て、各界の戦争責任者に対し善処の措置を講ずべきであろう。
 わが敗戦の原因が幾多数えられる中にも、責任体制の不確立はその有力な要素として指摘されている。いま若しこの敗戦の責任を糺すことが出来ないとするならば、吾々は平和の建設にも敗れるであろうことを怖れる。」


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by kenpou-dayori | 2013-09-23 07:30 | 社説


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