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岩田行雄の憲法便り・日刊憲法新聞

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2013年 12月 06日

憲法便り#466 「国防保安法をはじめ、68年前まで言論を弾圧していた戦時諸法令」

12月2日
昭和二十年九月三十日付『朝日新聞』一面に基づき、「新聞、言論の自由へ」を紹介する。
ここでは、まず紙面のこぴーを紹介し、その下に、記事を文字起こしたものを掲載する。
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連合国最高司令官のこの措置により、敗戦後も続いていた日本政府からの言論統制がなくなり、新聞報道は大きく変化する。
これまでは、おずおず「平和国家」論を展開していた大手三紙を含め、「民主化」報道、「憲法改正」論を積極的に展開するようになる。

「憲法改正」に関しては、「平和国家」の際と同様に、地方各紙が大手三紙に先行している。
「民主化」報道に関しては、『讀賣報知』が自社における民主化闘争を含めて見るべきものがある。

【見出し】
「制限法令を全廃
連合国司令官「新たなる措置」通達」

【記事】
「連合国最高司令官は二十九日午前十一時三十分新聞並に言論の自由に対する新たなる措置と題するつぎの指令を日本政府に通達した。
一、日本政府は新聞の自由並に通信の自由に関する平時並に戦時の制限の手段を即時停止すること
二、今後新聞そのほかの刊行物、無線並に国際電話電信、国内電信電話、郵便、映画そのほか一切の書面或は言葉に対する検閲に際しては最高司令官が特に承認した制限によってのみ取締まられる
三、輿論表示の一切の機関を完全に統制する権限を日本政府に賦与する制限法令が撤廃されるまでこれら法令の施行を停止すること
四、各新聞紙乃至各新聞社長或は新聞社員に対しては、彼等がいかなる政策乃至意見を表明しようとも最高司令官の命がない限り日本政府において絶対に処罰的措置に出ないこと、社説社論に対する処罰として出版許可の取消し、最高司令官の同意に先立っての逮捕、罰金の賦課並に用紙供給の削減等を課する日本政府の権限を今後行使しないこと
五、出版業者、著述家の強制的組織の存続を許さない
六、日本政府のいかなる機関も今後報道の禁止令を出すことが出来ない、かつ一切の言論機関に対し右機関の抱懐しない編集方針を強要するために直接乃至間接の圧迫を加へることができない
七、ニュースの頒布に関する一九四五年九月十日附最高司令官の指令並に新聞を政府と切離す一九四五年九月二十四日の指令と相容れない現行の平時並に戦時諸法令の各部分を撤廃すること、関係法令つぎの通り。
(イ)新聞紙法
(ロ)国家総動員法
(ハ)新聞紙等掲載禁止令
(ニ)新聞事業令
(ホ)言論出版集会結社等臨時取締法
(ヘ)言論出版集会結社等臨時取締法施行規則
(ト)戦時刑事特別法
(チ)国防保安法
(リ)軍機保護法
(ヌ)不穏文書取締法
(ル)軍用資源秘密保護法
(オ)重要産業団体令及び重要産業団体令施行規則
八、日本政府は毎月一日並に十六日毎に今回の命令並に九月十日附二十四日附命令に基き日本政府の取った措置の細目を記述した報告を最高司令官に提出すること

【見出し】
「五段階の措置完了」

【記事】
「連合国最高司令官は二十九日日本政府に対し新聞、映画、郵便、電信、電話その他書面によると口頭とを問はず一切の意思表示の方式の自由に対し制限を加える一切の法令を撤廃するやう要求した、その全文は次の通りである

日本政府はマックァーサー元帥の指令により新聞並に通信の自由に対する一切の制限を即時撤廃するよう命令された、右命令に基き日本政府は新聞、映画、郵便、電信、電話其の他書面によると口頭とを問はず一切の意思表示の自由に対し制限を課する総ての法令を撤廃しなければならぬ、関係法令の多数は一九〇九年(明治四十一年)にさかのぼるが法令の撤廃が実現するまでは日本政府において関係法令の施行を停止しなければならない、今回の措置は二十七日附で二十九日に午前日本政府に通達された、今回の措置により日本国内において新聞並にラジオの自由を促進し日本国民が戦争以前から押しつけられていた宣伝から解放され、正確かつ色のついてゐないニュースを提供するための五段階の措置が完了したわけである、五段階の措置は次の通り
一、新聞、ラジオ並に映画の検閲に関する九月十日附発表 右の発表は虚偽の報道、乃至公安を撹乱することを専ら目的とする通信機関を□□(二字不明)に統制する趣旨に出てゐる
二、九月十四日の日本新聞並に放送局に対する厳重な処分 右措置は日本言論界が最高司令官の命に応じ研究せる結果日本側がその宣伝を続けんとする意図が明らかになったからである
三、九月二十一日の検閲に関する新聞準則細目の発表
四、九月二十四日附の日本新聞を政府の統制から解放し日本国内に新聞自由主義を確立する途を開いた命令
五、東京の各紙が米人記者の天皇陛下謁見記に関する記事を掲載した為発売禁止の処分を受けた点に関連し検閲係長ドナルド・フーヴァ大佐は「今回の指令は九月二十七日附であるから当日実施されている各種の制限□□(二字不明)適用されるわけだ」との意向を洩らした、日本政府が発売を禁止した諸新聞に対しては連合国最高司令部検閲官から二十九日午後一時半以後当該新聞を頒布して差支へない旨通告し同時に日本政府に対しても以上の措置について通告した」

当時、日本の言論は、戦前から続いていた情報局によって統制されていた。
情報局は敗戦後もしばらく存続したが、同年(二十年)九月二十七日に天皇が連合国最高司令官マッカーサー元帥を訪問した際の写真を掲載した二十九日付けの東京各紙を発売禁止処分に付したのが契機となって、連合国総司令部から「新聞及び言論の自由への追加措置に関する覚書」(日付は遡及して九月二十七日付)を発したため、これによって情報局の言論・報道に対する指導と取締り機能が停止されることとなり、目的も「斡旋助長」(十一月一日改正官制)に衣替えした。しかし、結局、昭和二十年十二月三十一日廃止された。(『國史大辞典』の内閣情報局の項(内川芳美執筆)を引用)

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by kenpou-dayori | 2013-12-06 22:00 | 戦後日本と憲法民主化報道


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