2013年 12月 20日
憲法便り#504 岩田行雄編著『検証・憲法第九条の誕生』増補・改訂第二版へのあとがき
【増補・改定 第二版へのあとがき】
今回の増補・改訂は、講演活動を続けてきて、さらに精度の高い講演内容を検討する中で気付いた点に関するもので、具体的には左記の三点である。
ただし、初版と第二版のページが変わってしまうと学習会などのテキストとして使いづらくなるので、ページの同一性を保つため、そして経費節減のため、改訂は最小限度にとどめ、②及び③の追加部分は「あとがき」の後に「補遺」として掲載することにした。
①誤字・誤植の訂正、及び初版の編集作業で見落とした第十回委員会(第五章)における野坂参三委員の質問の見出しを追加した。
②第七章への補遺として、第五回小委員会、第七回小委員会の論議を追加収録。
③一九四六年五月二七日に発表された毎日新聞の世論調査に基づき、新憲法草案に対する当時の国民の意識について加筆する。
初版を出版する時点では、最大限の努力をしたつもりである。しかしながら、不充分な点があったことに関して、購入して下さった方々には、お許しを願いたい。なお、初版の表紙が水濡れに弱かったことの反省に基づき、改善をはかった。
六月三十日に『検証・憲法第九条の誕生』初版を刊行したが、内容、価格ともに好評で、四ヶ月たらずの間に全国から注文をいただき、完売した。そのうちの三分の二は個人からの注文である。そして、「このような本を待ちに待っていました」「テレビ番組のプロジェクトXを見ているようだ」「小説よりも面白い」「吉田総理大臣の答弁に感動した」など多くの感想と共に、励ましの言葉をいただいた。
初版を出版する際に、私は「奥付」に敢えて「初版」、「出版冊数 五千冊」と印刷した。これは、いわば常識、そして運動と書物利用の在り方への私の挑戦的な決意の表明であった。それだけに、増補・改訂第二版を世に送り出すことが出来ることを喜びとするものである。とはいえ、増補・改訂第二版を出版することは、全速力で走ってきたような生活をこれからも続けることを意味し、何事も勢いで行う私でも、ためらいがあり、研究生活の断念にも繋がる、視力の急速な低下という健康上生じた問題も含めて慎重に検討せざるをえなかった。人件費、調査費等は考慮していないので、僅かではあるが初版で得た利益を改訂版で還元し、定価は据え置くこととした。
本書の出版をきっかけに、講演の依頼が相次いだ。すでに、「日本共産党武蔵野団地後援会」「上福岡母親大会」「日本年金者組合豊島支部」「新婦人目黒支部五本木班」「出版OB・反核平和の会」「有事法制阻止光が丘連絡会」「宮崎県革新懇・宮崎県労連・宮崎県学習協」「宮城・革新懇」で講演を行った。今後も「札幌郷土を掘る会」、「ならコープ平和の会」「練馬区職労女性部」「東京地評」「しながわ平和のための戦争展実行委員会」など全国各地での講演を予定している。講演は、時間的にも体力的にも大変だが、直接対話が出来る貴重な場であったし、今後もそうであってほしいと願っている。
私は印刷・製本の工程を除いて、調査、執筆、編集、宣伝、販売、発送とすべてを一人で行なった。したがって、通常の著者と違って、自分の著書がどのような人によって購入され、どのようにして広がって行ったかが、手に取るように判る。
勿論、常に順風満帆であった訳ではない。ある女性団体の幹部は、本を手に取ってパラパラと二、三ぺージを見ただけで、「もっと噛み砕いたものでなければ○○○(団体名)には無理です」と言った。たったの一行も読まず、目次も見ないでこのような断定をすること自体が「傲慢」であるし、仲間である女性たちの知性を全く信じていない言動である。
それに、いつも「おもゆ」や「おかゆ」や「流動食」のようなものばかりに頼っていては、本当の力は付かない。敵はマスコミを取り込んで憲法改悪に本気になってかかっているのだから、平和憲法を守り、発展させようという側はそれ以上に本気になって、戦う力を付けなければ、国民の過半数を超える大きな支持を得ることなど、簡単には出来る状況ではない。原点に立ちかえり、当時の論議を知ることが、「草の根」で活動をしている人々にとって最大の確信につながってきたことは、本書の普及活動や講演活動で、事実として私自身の目と耳で確かめてきた。女性及び女性団体からの注文は千七百冊を超えており、この間に私が話したほとんどの女性は、とても知性的であり、活動的であり、彼女らが憲法改悪反対運動の重要な担い手となっている。
私は「草の根」という言葉には、団体、政党、労働組合幹部と末端で様々な活動をしている人々の区別を感じ、好きではなかった。だが、今回の『検証・憲法第九条の誕生』の普及活動を通じて、これは運動の現状において、幹部の「たてまえ」と末端の活動家および無党派の人々の「やる気」との間に存在する「温度差」を率直に表わす言葉として、私自身も「草の根」でいいのではないかと思うようになった。そして、これからも「草の根」の人々との会話を大切にし、友人を増やしてゆきたいと思っている。
もうひとつ、ふれておきたいことがある。憲法を方言で、やさしく、という取り組みは、運動を広げるという利点を持ってはいる。だが、例えば「希求」という言葉は難しい、もっと「易しさ」をと強調するあまり、自民党などが主張している、「やさしいことば」「美しい日本語」に書き換えるためにも改憲が必要という論理に乗ぜられる危険性をはらんでいる。
本書に寄せられた感想は数多いが、「このような本を待ちに待っていました」、「吉田総理大臣の答弁に感動した」、「プロジェクトXを見ているような臨場感がある」、「敗戦から一年足らずの時点で、国会議員が、左翼、保守を問わず、平和を希求する点で清新の気に満たされていたのを強く感じます」といった感想が共通している。また、この出版をきっかけに思いがけない人たちから戦争体験を聞くことがあった。その中から一例だけを紹介しておきたい。
私の父方の叔母一家は昔から葉山に住んで居り、その家から森戸海岸まで、ものの一分もかからないということで、私たちには羨ましい存在であった。だが、今回の出版をきっかけに、従姉から意外な話を聞かされた。叔母一家は、戦前は神田に住んでいたが、戦時中に、重要施設への延焼を防ぐために、強制的に「防火疎開」をさせられ、家はとりこわされてしまった。一家は「一人当たり三十キロ」の荷物を持ち出すことを許されて、秋葉原駅に荷物を運びこんだ。一家は知人を頼って軽井沢に疎開をしたが、その翌日に秋葉原駅は米軍の爆撃を受け、預けていた家財までも失ってしまった家族が多数いたという。
叔母一家は暫くのあいだ軽井沢に住んでいたが、湿気の多い気候が原因で叔母は病にかかってしまった。その結果、叔母の転地療養のため、またまた知人を頼りに葉山に移り住んだとのこと。
この話を聞くまで、子どもの頃から羨ましく思っていたことが恥ずかしかった。他にも戦争体験や平和、そして憲法への思いを聞いているので、出来ることならば原稿を募って本にしたいと思っている。
二〇〇四年十月二十五日