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岩田行雄の憲法便り・日刊憲法新聞

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2013年 12月 20日

憲法便り#505 岩田行雄編著『検証・憲法第九条の誕生』増補・改訂第3版への序文とあとがき

2013年 12月 20日
憲法便り#505 岩田行雄編著『検証・憲法第九条の誕生』増補・改訂第三版への序文とあとがき

【増補・改訂 第三版への序文】
今回の改訂では、一二八頁以降を組替え、一九四五年の内閣調査室世論調査、芦田均のラジオ演説草稿、『憲法音頭』と、原資料を充実した。ただし、経費抑制のため、広く知られている「九条の会アピール」及び『あたらしい憲法のはなし』、は削除した。
今年二月二〇日に増補・改訂第二版第二刷を二千冊刊行したことにより、本書の合計が一万冊となった。それを記念して、去る四月二四日に、「一万冊記念パーティ」を開催した。正直なところ、昨年来の全速力で走り続けたような生活により、疲労が極度にたまっているので、これを区切りにして本来の研究生活に戻りたいとも思っていた。だが、記念パーティ直前の出来事が、私の考えを変えさせた。
本書は北海道から沖縄まで全国に広がっているが、四月の時点では、栃木、岐阜、富山、石川、福井、京都、鳥取、徳島、愛媛の各県からは、直接の注文は受けていなかった。そこで、私にとっての「空白県」にも何とか本書を広げたいと思い、栃木県の知人に依頼の電話をした。ひと通りの挨拶を終えて、出来ることならば本書の普及に協力していただきたい旨を話したところ、明らかに声の調子が変わり「それは出来ません」と断られた。断られることも覚悟の上での電話だったが、その理由は予想だにしなかったことであった。「八四歳になる私の母が、憲法九条の改正に賛成ですから、協力できません。母は戦争で弟を亡くしていますが、弟が死んだのは日本の軍隊が弱かったからだと、いつも言っています。私の母の信念は、弱肉強食です。」
この八四歳になる母親には、四〇年ほど前に一度だけ会ったことがある。彼女は数年前まで私立幼稚園の園長をしてきた方で、今も健在である。私は協力を断られたことよりも、憲法九条の「改正」、軍備の強化の必要性を言い切り、その人たちが「世の中は、すべて弱肉強食」という信念のもとに幼児教育にかかわり続けていることに、大きな衝撃を受けた。だが、電話のおかげで私には迷いが無くなった。
全国各地での講演も七月末までで、すでに三七回を数え、その後も一〇月まで講演の依頼が来ている。
十一月には韓国ソウルにおいて講演を韓国語で行う予定で、「六十の手習い」を始めたところである。
今年三月に、平和憲法を守る運動の一環として、手紙を添付し、全国会議員に本書を届けた。
当初、私は費用をあまりかけずにすますため、毎日数十冊を持参して、五月三日の憲法記念日までに直接届け終えるつもりで三月七日から行動を開始した。だが、情勢が急展開しているので、郵送料をかけても一気に発送を行うことにした。発送の作業は、妻の協力を得て、三月一四日から一六日の間にすべて終えた。この結果、次の議員から様々なメッセージや書物と共に礼状をいただいた。判っている範囲でその時点での役職名を含めて紹介したい。中川雅治参議院議員は、ご本人からの直接の電話である。
なお、左記の一覧表には含まれていないが、
日本共産党の不破哲三議長からは、文化放送で行った講演をまとめた本をいただいた。
また、同じく日本共産党の市田忠義書記局長・参議院議員からは、昨年七月に初版を贈呈した際に、対談・エッセイ集と共に、自筆の丁重な礼状をいただいている。
無所属:河野洋平衆議院議長、糸数慶子参議院議員
自民党:与謝野馨衆議院議員(政務調査会長・新憲法起草委員会事務総長)、中川秀直衆議院議員(国会対策委員長)、佐藤錬衆議院議員、亀井郁夫参議院議員、武見敬三参議院議員、中川雅治参議院議員、中島啓雄参議院議員、
民主党:鳩山由起夫衆議院議員、増子輝彦衆議院議員
公明党:神崎武法衆議院議員(公明党代表)
日本共産党:穀田恵二衆議院議員(国会対策委員長)、山口富男衆議院議員(憲法調査会委員)、吉川春子参議院議員(憲法調査会委員)
社民党:又市征治参議院議員(幹事長)
この運動のために講演等でカンパを訴え、五月三日までに、一万冊出版記念のお祝いを含めて、総額三九五、七一九円の協力をいただいた。
これまで、数多くの方々のご協力により、日本全国に本書の普及が計られてきたおかげで、このたび、改訂第三版三千冊を刊行する運びとなった。
特に、国際政治学者の畑田重夫先生、元参議院議員で弁護士の内藤功先生のお二人は、常に講演等で本書をご推薦下さっている。度々励ましのお手紙も頂戴している。全労連会館常務理事の藤田廣登さんにも一方ならぬお世話になっている。ここで改めてお礼を申し上げたい。また、この間の活動が認められて、『週刊金曜日』(八月五日号)の「私と憲法」の頁で人物紹介をうけたことも大きな励ましである。
敗戦から六十年の節目を迎えた今日、千葉県・館山市において、「終戦記念日・平和の集い」で行う講演は、新たな出発である。
二〇〇五年八月十五日

【増補・改訂第三版へのあとがき】
一万冊の本が全国各地に出回ると、予想もしなかった様々な出来事に出会う。最も印象的なことは、本書を原資料として、芝居の台本が作られ、上演されたことである。大阪勤労者教育協会が今年七月に開催した第二八回「夏の勤労協大学」の期間中に、《夏勤大劇場》と題したアトラクションで、『憲法九条誕生秘話 朝焼けの歌』が上演された。出演者は、全員が「夏の勤労協大学」の参加者。吉田総理大臣、金森国務大臣、芦田委員長をはじめ、主要な人物が適切に配置されている。脚色は勤労協講師の槙野理啓さん。今後の上演にも期待したい。
昨年七月以来、全国各地で三八回もの講演を行ってきた。そうした中で気がついたことは数多くあるが、ここでは三点だけについてふれておきたい。
より良い講演を行うために、そして、質問や疑問に丁寧に答えるため、国会図書館に通い続けた。特に憲政資料室には、随分お世話になった。その国会図書館の設立を定めた 『国立国会図書館法』(一九四八年二月九日:法律第五号)の前文が、平和憲法を体現した素晴らしい文章なので紹介しておきたい。
「国立国会図書館は、真理がわれらを自由にするという確信に立って、憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命として、ここに設立される。」国会図書館の初代館長は、憲法担当国務大臣の重責を担った金森徳次郎である。
* * * * *
明治憲法の起草者は、伊藤博文と学んだ人が多い。だが、実際には、いわゆる「お雇い外国人」のひとりである、ドイツ人の法律顧問K・F・H・ロエスレル(一八三四‐九四)が明治二〇年四月に起草した草案が原型となっている。彼は明治一一年に来日し、明治二三年に帰国するまで、憲法のほか、行政裁判制度、民法、商法などの制定に大きく貢献した。
* * * * *
昨年来、ベアテ・シロタ=ゴードンさんの講演や、映画「ベアテの贈りもの」の上映が盛んである。だが、ベアテさんの話には、歴史的事実についての認識不足に起因する誤りがある。また、映画の上映会や講演会を組織している人々や、これに参加した善意の人々にも、ベアテさんの話の誤った部分に気付かず、それをそのまま伝説のように語りついでいる例に、各地で出会う。
いくら改憲反対運動に役立つこととは言え、歴史的事実と違う話が「伝説」のように語り継がれていくことには、問題を感じる。草の根の運動であっても、私たちの運動が歴史を歪曲してはならない。したがって、今後の運動に生かして欲しいという思いを込め、実例を挙げて問題点の指摘をしておきたい。
我が家に届いた『世界へ 未来へ 九条連ニュース No・125』(二〇〇五年五月二〇日)の一〇頁では、「ベアテさん、憲法を大いに語る」と題した無署名のレポート前半部分で、次にように紹介している。
「平和憲法が全面改悪の危機にある今、憲法制定の原点に戻り、考え、今後の行動の指針にしようと四月一八日、婦選会館においてベアテ・シロタ・ゴードンさんをお招きし、講演会を開催。9条連も協賛団体に加わり、約四〇名が参加しました。ベアテさんは戦後まもない頃、元連合国総司令部民政局(GHQ)のスタッフとして、女性でただひとり、わたしたちの憲法の、女性の権利条項を起草された方です。(当時二二歳)。「選挙権がない」「好きな人と結婚ができない」という日本女性の置かれた立場に大きな疑問を持ち、「どうしても幸せになって欲しかった」という気持から草案したそうです。流暢な日本語と時々ユーモアを混じえてのお話しは超満席の会場からも、どっと笑いの渦が。(後略)」

この話の中で「選挙権がない」と言っている部分は、歴史的事実に反する。彼女が来日したのは一九四五年一二月、憲法の起草スタッフに指名されたのは一九四六年二月だが、日本では一九四五年一二月に選挙法を改正し、すでに女性の参政権は、新憲法制定以前に確立している。
その事実を、公的な文書に基づき示しておこう。
一.一九四五年一〇月九日に幣原喜重郎内閣が成立し、二日後の一九四五年一〇月一一日に、幣原首相は新任の挨拶でマッカーサーを訪れた。この会談の席で、マッカーサーは幣原首相に、日本社会の民主化に関して五項目の要望を表明している。その第一項目は婦人解放に関するものである。(「会談要旨」より)
「一、参政権ノ賦与ニ依リ日本ノ婦人ヲ解放スルコト―婦人ヲ国家ノ一員トシテ各家庭ノ福祉ニ役立ツヘキ新シキ政治ノ概念ヲ齎スヘシ。」
二.前項に対して、二日後の一九四五年一〇月一三日の文書によればこの会談で、幣原首相はマッカーサーに次のように答えた。(「会談要旨」より)
「第一ノ婦人参政権ノ件ハ、既ニ政府ニ於テハ之カ実施ヲ決心シ、閣議ニ於テ内定ヲ見居レリ。選挙権ノ問題ニツイテハ次ノ順序ニテ事ヲ運ブ予定ナリ。即チ現議会ハ選挙後数年ヲ経過シ居リ、民意ヲ反映シ居ルモノナリヤ否ヤ疑ヲ有スル向鮮カラサルニ付、現在ノ民意ヲ反映セシムル為解散ニ進ミタシ。解散ニ当リテハ現行ノ選挙法ヲ以ッテシテハ実際ニ選挙ヲ行ヒ得サル節アリ。例ヘハ戦災ニヨリ疎開若ハ転居セル家庭多数ニ上リ居ルコト記録ヲ喪失セル役場ノ鮮カラサルコト等ノ事実アルノミナラス、真ノ民意ヲ議会ニ反映セシムル為ニハ現行制度ニハ不適当ナル条意モ鮮カラス婦人参政権ノ定メ無キモ其ノ一ナリ。之等ノ改正ヲ行フニ当リ、当面ノ改正ノミヲ取上ケ根本的改正ハ之ヲ他日ニ譲ルヤ否ヤノ問題アリ、苦心ヲ要スル所ナリ。政府トシテハナルヘク根本的改正ト考ヘ見タルカ時日之ヲ許サス当面ノ必要問題ノミニ付改正ヲ加ヘ、近々ノ臨時議会ニ提出シ同意ヲ得レバナルヘク早ク議会ヲ解散シ、之ニヨリ(改正した選挙法に基き)選挙ヲ行フ考ヘナリ。」(後略)
三.幣原首相がマッカーサーに伝えた婦人参政権を実現する選挙法改正は一九四五年一二月に行われた。昭和二〇年一二月一七日官報号外は一~三頁に亘って、「衆議院議員選挙法改正(法律第四二号)について報じている。婦人参政権に関するのは次の条文である。
「第五条 帝国臣民ニシテ年齢二〇歳以上ノモノハ選挙権ヲ有ス。帝国臣民ニシテ年齢二五歳以上ノモノハ被選挙権ヲ有ス。」
ここで註釈を加えておかなければならないのは、敗戦後も、新憲法が施行されるまでは、日本国民は「帝国臣民」とされていたことである。ちなみに、国会も同様に、新憲法施行までは、帝国議会のままであった。また、新憲法施行までは参議院は存在せず、国民が選挙権、被選挙権を行使できるのは、衆議院議員選挙のみであった。(貴族院は勅撰議員で構成されていた)
一九四六年四月一〇日、改正された衆議院議員選挙法による第二二回衆議院議員選挙が行われた。
もうひとつ事実を指摘しておくが、GHQ民政局の憲法草案起草委員会には、六名の女性が存在した。ベアテさんは、人権委員会三名の中でただひとりの女性。
二〇〇五年八月一五日


by kenpou-dayori | 2013-12-20 17:03 | 自著及び文献紹介


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