2015年3月8日
昭和20年9月2日、米艦ミズーリ号の艦上で、降伏文書に調印が行われた。
そして、その翌日から、「平和国家」建設を論じる「社説」が各紙の紙面に登場したが、その先頭を切ったのは『福島民報』であった。自由民権運動が盛んであった福島の気概が感じられる行動である。
社説の論題は、「平和建設への強力な拍車」であるが、これは単なる平和論ではなく、文中で二度繰り返されている「理想国家」という言葉をを見てわかるように、これは平和国家論である。
朝日新聞、讀賣報知、毎日新聞の大手三紙は、下記の一覧表に見るように、『朝日新聞』九月五日、『讀賣報知』九月六日、『毎日新聞』九月七日と、遅れをとった。
この及び腰は、まだ戦前からの政府による検閲体制が続いていたこと、そして新聞各社が戦争協力をしたことへの責任、即ち「戦争責任」を明確ににするまでには至っていないことによる。
しかしながら、そのような状況の中でも、平和国家を求める主張は、次々と「社説」と登場した。
敗戦からわずか18日後に、日本国民は、将来展望を描き始めていたのである。
平和国家を求める主張は、さらに文化国家、民主国家の論議へと連なり、「憲法の民主化」、そして「憲法改正手続きの民主化」へと連なっている。
(2015年3月27日加筆および訂正)
*加筆:社説の論題は、「平和建設への強力な拍車」であるが、これは単なる平和論ではなく、文中で二度繰り返されている「理想国家」という言葉をを見てわかるように、これは平和国家論である。
*訂正:讀賣報知、毎日の大手三紙は、⇒朝日新聞、讀賣報知、毎日新聞の大手三紙は、
*訂正:次々と「社説」と登場した。⇒次々と「社説」として登場した。
*加筆:下記の一覧表は、拙著『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』59頁に掲載した〔表1〕に基いている。
*加筆:去る2015年3月25日に国立国会図書館で行った調査で、下記の一覧表にない次の社説を見出したので、追加する。『上毛新聞』昭和22年9月6日付社説「平和国家」。これは、前日の9月5日付『朝日新聞』の社説「平和国家」を、そのまま借用したものである。当時、『上毛新聞』は、朝日、毎日、読売の三紙と持ち分合同の状況にあった。