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岩田行雄の憲法便り・日刊憲法新聞

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2015年 03月 09日

名文紹介・「戦争防止には新聞が最高手段」日本新聞連盟会長 高石氏声明書

2015年3月10日改訂

昭和20年11月23日付『新岩手日報』一面に掲載されていた名文を紹介する。
私は、心を熱くしてこの声明書(ステートメント)を読んだ。
ジャーナリストのみならず、とにかく、すべての人々に読んでほしいと思う。
(旧漢字と旧かな遣いは改め、句読点を補った。)

米新聞記者会は国務省の後援を得て、全世界の報道と言論の自由を保障する一項を、今次大戦の平和条約中に含めるための運動を起し、この目的達成のため同会に戦後言論自由に関する特別委員会を設置、委員長にニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙副主筆ウイルバー・フォーレスト氏が選ばれた。フォーレスト氏は去る一月から四月(まだ戦争中である:岩田注)までに連合国各国を訪れ、計画実現の準備を進めていたが、日本降伏とともに言論の自由に関する日本の意向及び理想を聴くため、同特別委員会委員長の資格で去る十月来朝以来、政府及び言論機関の要路と懇談した。当時フォーレスト氏は日本言論機関の代表として日本新聞協会高石真五郎氏に言論の自由に関するステートメントを要請した。以下は今般高石氏からフォーレスト氏に送られたステートメントの全文である。

【高石新聞連盟会長ステートメント全文】
 出し抜けに籠を放れたカナリヤは直ぐに大空へ飛び上らない。籠の周辺に暫く羽を休めて小首をかしげる。蓋し急変した環境に自己を適応させ、失調した精神の安定を補正するためであろう。更に永年の拘束が生んだ怯懦や遲鈍が恐ろしい習性となっているためでもあろう。終戦後一、二箇月間における日本の新聞活動は、残念なことにこのカナリヤのポーズによく似ていた。軍閥や官僚が繞(めぐ)らした「言論の鳥籠」は、マッカーサー司令官の素晴らしい手際で撤去され、もう今日は跡形もなくなった。日本の新聞は自由の天地に放たれたのである。而も1869年を歴史的起点とする明治維新(日本新聞が発生した年代)以来、初めて満喫すべき自由である。自由の大きさ深さに戸惑いを繰り返した後、軅(やが)て日本の新聞は自由の大空を飛翔し、民主主義の広大な緑野を探し求めるに違いない。
 マッカーサー指令官の適宜且つ迅速な措置によって新聞を拘束していた一切の権力法規は完全に除去されたが、同時に戦争へ協力することを余儀なくされた新聞は、一斉に新建設の基礎を固めつつある。しかし何といっても突然の時局大転換であったが為に、一時的にはさきにお伽話に引例したカナリヤのポーズが終戦直後の日本のポーズであったかも知れない。だが放れた小鳥は必ず自由な大空へ飛び立つ。既にこの姿勢は整った。日本の新聞が人類平和へ大なる寄与をなす日は来たのである。
 人類の平和が民主主義の上に初めて築かれるものだということは論を俟(ま)たない。然らば、民主主義は何によって齎(もたら)されるかといえば、それは第一に報道と言論の自由である。報道と言論の自由なき限り、民主主義は永久に実現されない。では報道と言論の自由は何によって確立するか。それには放送もあれば演説会もあるだろう。しかしそれらよりも遥かに有力なものは新聞である。斯(か)く見てくれば新聞こそは人類の平和を確保するための最も大切な機関だといわねばならない。従って新聞の正しい発達を常に念願する国家は、人類の平和を愛好する国家であり、新生日本はそうした国家として今出発しようとしている。
 新聞に不可欠な自由も一歩その操作を失敗すると人民の自由を抑圧して『新聞ファッショ』へと転落する。世論の中軸をなす公器新聞は、ペンの自由を主張し確保するとともに、自由を裏付ける責任を痛感すべきである。報道の自由は、報道の真実性を前提とする。万一にも過誤の報道を提供した場合には、速やかにこれを正誤して、一の人民軍隊をも傷つけないことが大切である。新聞にしてこの責任を完全に履行しない限り、新聞の権威、新聞への信頼は喪失する。記事の審査制度を設けて、記事の誤謬に対する責任を明らかにする制度は必要であると思う。
 更に、新聞の自由の国際性について一言したい。各国の新聞が夫々の母国を愛することは当然であるが、その規定は飽(あ)くまで国際平和を念頭とするものでなければならぬ。私達の苦い体験が厳粛に教えて呉れるところによれば、「軍事外交の機密」には、今後出来るだけ排除されることが要請される。勿論「機密」にして世界平和を維持する尊貴な手段である場合は論外である。そんな場合は極めて稀であって、各国の機密競争が昂(こう)ずると、自然と戦争への機会に追い込まれてしまう。即ち、日陰に黴菌(ばいきん)が繁殖すると同様に、機密こそは戦争の温床である。各国における「機密」が少なければ少ないほど、平和という胎児は健やかに育つであろう。各国の新聞がお互いに不幸なる「軍事外交の機密」を現象化することに努力するよう私は心から切望して已(や)まない。
 現在の日本は敗戦という冷厳な事実に当面していて、一切が連合国側によって審判され裁断されつつあるが、一日も早く世界平和会議の輝しい光明が日本を憧れている。私としては、その会議を機会に「国際新聞連盟」の成立をみたら、どんなに嬉しいことかと思う。各国の新聞団体の代表者が一堂に相会して相互理解を深める為の方法機能について心行くまで検討し、実行に移したいものである。各国新聞の相互理解こそは、何物にも勝る戦争防止の最強手段であると確信している。凡(およ)そ、取材の自由のない所に言論の自由があろう筈がない。従って、各国の新聞は現在よりももっと国家社会から取材に関する便宜を供与さるべきではなかろうか。世界の新聞が団結することにより、この点につき解決してよい問題が多く残されているように見受ける。更に各国の新聞に対しても便宜を供与し合う心構えが準備されねばなるまい。各国間のより自由な報道の交換と、新聞留学生乃至(ないし)は駐在者をお互いに交換する事も亦(また)大いに必要と思う。今我々には之を主張する機会はないが、その日の為に与う限りの努力を続けるつもりである。製菓平和の為に、そして新生日本の為に。
名文紹介・「戦争防止には新聞が最高手段」日本新聞連盟会長 高石氏声明書_c0295254_9534592.jpg

(国立国会図書館所蔵マイクロ資料より)

by kenpou-dayori | 2015-03-09 22:18 | 名著・名文・名言紹介


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