2015年4月30日(木)(憲法千話)
2015年5月1日(金)【再録】部分を加筆
ブログを開設した直後の記事、2013年5月13日付『憲法便り#15』 憲法公布記念シリーズ(第6回)「当時の山梨県では」を加筆しました。
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岩田行雄編著『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』第四部より
憲法便り#915 : 『日本国憲法公布、その日、あなたの故郷ではNo.15 : 山梨篇』 【山梨県】山梨県内の記念行事に関しては、当時発行されていた二紙『山梨日日新聞』、『山梨時事新聞』の報じ方にかなりの違いがあるので、両紙の記事を紹介する。
【山梨日日新聞】公布記念(十一月四日付四面より)「巷に笑顔の氾濫 新生吉日にあやかる「高砂ヤー」 獄舎にも歓声 祝賀一色の県下」清々しい秋空に早朝から打ち上がる煙火の爆音。菊の佳節に重なる喜びの新憲法公布の日、駅頭に飾られた緑のアーチから吐き出される人波を受けて、甲府の町は相好を崩した格好。△県庁屋上には赤い幔幕が張り巡らされ、お役人や議員さんたちの笑顔が見える。その目と鼻の先、武徳殿がこれまたその名に相応しくない「花柳□吉新作発表会」の看板を掲げて、金糸銀糸の昔懐かしいウルシの羽織もきらびやかに着飾った美しい女性の列をあとから後から吸い込む。軍政部のために設けられた招待席にはこの日の喜びを共にする軍政部将校の姿もかい間見える。街の中心へ中心へと□集する人波は、各映画館へ長蛇の列。一部はこの日入賞者への賞状授与式を行った山梨美術展(明月堂屋上)と、同胞援護書画展(議事堂)へ。そして方向を変えての御嶽へ□那へのハイカー客も多く、思い思いの行楽の姿である。この日を記念する催しは全県下各所で行われた。武田神社の記念祭、金手町の甲斐那神社の復興祭を兼ねての演芸会、仮装行列、御輿渡御と盛り沢山のお祝い。若松町では記念運動会。変わった方面では特赦の声も明るい甲府刑務所での記念運動会と演芸会。一方郡部では吉田、谷村、大月、上野原と各町主催の記念式典に、次いで村の運動会、野球戦などが賑やかに展開され、紅葉狩りを兼ねてこの日を祝福しようとする人々は、五湖の各湖畔に群れ集い、殊に三日の払暁、民主日本への第一歩を印象とする祖国の前途を三ツ峠頂上に祈ろうとする登山者の数が約三千を数えられた。それにこの日こそを至上の吉日とばかり結婚式典の数も多く、各所に花嫁姿も見受けられて、さすがに女権の秋。思いなしか街を歩く御婦人の足取りも軽くーかくて暖い陽光をうけての一日は祝日の色濃く暮れていった。
昭和21年11月3日付『山梨日日新聞』一面
(画像の典拠は、山梨県立図書館所蔵マイクロ資料より)
【山梨時事新聞】公布記念(十一月二日付二面より)「裸みこしや仮装行列 元禄の御所車も出る 町から村から喜びの鯨波」『わが国が世界的にスタートの日であり新憲法公布の日だ。我々の心構えはよいか、今こそ日本人の一人一人が本当の日本精神を堅持して、正しき世界観に立脚し、堂々建設への道を邁進すべきである』
これは峡南鰍沢町青年団の手で町内十余か所へ貼り出された憲法発布の日を迎える心構えの檄文の一部だが、県民の全部がこんな気持で明日の憲法発布の日を迎えるだろうか。新憲法への是非論は色々あるだろうが、とにかくポツダム宣言の線に沿う憲法なのだ。国民大多数の要望とあれば変えることも出来る天皇制の問題も、國體護持の問題も国民大多数の要望とあれば変えられるのだ。
欽定憲法では天皇御一人が首を横に振ればどうにもならなかったのが、新憲法では大衆の意思でどうにでもなるのだ。まさに民主大革命といえる民定憲法だ。だからこの憲法発布を祝う声が、明日は甲斐の山野をこだまする。県では午前九時から記念式を行い、その後で知事と県会議長の主催で民間と官庁が合同の祝賀会を開くが、この日は各地とも明治節にあわせて最終の秋祭とあって、山車も出る、神輿も出る、花かざり、万国旗も飾られるなど、近年にない盛大な奉祝絵巻が繰り広げられる。
[身延]「『身中』に『記念農場』」県立身延中学校では記念式終了後、校庭に記念植樹として金木犀二本を植えるほか、身延山久遠寺と交渉していた田地二町歩を譲り受け記念農園を設置、生徒側では校友会記念号を発行する。なお、強行遠足も予定しているが、時間とコースは当日決定する。
[甲府市]「奇抜な仮装行列」甲府市金平町男女青年団では復興祭を兼ねて二、三日に尊躰寺境内で国民学校児童の習字、作文、図画、手工品、裁縫などの作品展を開いて優秀者に賞品を贈り、三日には同町甲斐那神社の神輿と男女青年の仮装行列が町を練り歩く。
[東八代郡]官公署二十ヶ所は二日午後一時から石和国民学校で運動会、[穂坂村]国民学校で農業会主催の農産物品評会、また国民学校では児童に分かり易い講演後、体育大会。
[西八代郡市川大門町]「漫画と生花の街頭展」同町朗話会は山梨時事新聞社後援のもと、山梨ユーモリストクラブ及び千家古流□山一能社中と提携、「漫画と生花の街頭展」を同町四丁目県道上で開催。また、九時から町と野球連盟共催のもとに町内六チームの対抗野球大会も開く。
[西八代郡落居村]落居村では記念式終了後、全村民の体育祭を開く。
[中巨摩郡小笠原町]「川柳の連掛大会」『ひさご吟社』が「平和、再建」の兼題で川柳連掛大会を町内で開く。
[南巨摩郡穂積村]穂積村では村民体育大会を開き、青年団は新憲法公布について研究討論会を開く。また、村内相撲部青年が締込み一つの真っ裸で神輿を練り歩く。
[南巨摩郡鰍沢町]「繰広ぐ『元禄模様』」鰍沢町では青年団を中心に同町が誇る元禄時代の物で今なお保存されている御所車型の山車を十余年振りで各町内に引き出し、また各町で余興御輿を練り歩く。この日は戦前の秋大祭に負けぬ賑やかさが予想されており、国民学校でも記念祝賀学童相撲大会を挙行する。
[東山梨郡]△加納岩町青年団は新憲法発布記念競歩大会を行う。
△日下部町=同町体育協会では当日会員の行進。」
昭和21年11月2日付『山梨時事新聞』二面
(画像の典拠は、山梨県立図書館所蔵マイクロ資料より)
*次回は、長野篇。
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以下は、【 再録です 】
【憲法便り#15 憲法公布記念シリーズ(第6回)「当時の山梨県では」】「元禄御所車も」今日は、『山梨時事新聞』と『山梨日日新聞』から二つの紙面を紹介します。
はじめは、『山梨時事新聞』昭和21年11月2日二面から。
「民主憲法あす発布」
「裸みこしや仮装行列」
「元禄の御所車も出る」
「町から村から 喜びの鯨波」
こうした見出しのもとに、県内各地での催しを伝えています。
二つ目は、『山梨日日新聞』昭和21年11月4日二面から。
「巷に笑顔の氾濫」
「新生吉日にあやかる『高砂ャー』」
「獄舎でも歓声」
「祝賀一色の県下」
やはり、これらの見出しで県民の喜びの様子を伝えています。
ふたつの紙面を比べると、『山梨時事新聞』の方が具体例が豊富です。しかし、残念ながら『山梨時事新聞』は、現在は発行されていません。
この二つの新聞は、2011年4月の時点では国立国会図書館が所蔵していなかったため、甲府の山梨県立図書館で調査したものです。
当時の山梨県立図書館は築40年で、老朽化が進んでいたため、3.11大震災の時、棚から落ちた本は少なかったのですが、「壁の亀裂が大きくなりました」とのことでした。
同館の入り口には「地震を感じたら、直ちに館外に避難して下さい」と書いてありました。
ですから、とても不安な気持ちでマイクロフィルムを読み、プリント・アウトの作業をしたのですが、機械の動きが何と遅く感じられたことか。
当時、建築中だった新図書館は甲府駅に隣接した立派な建物になり、とても便利だそうです。
山梨県内では、下記の講演に招かれています。
山梨九条の会(2005年4月2日、甲府)
身延町九条の会準備会(2006年4月2日、身延町)
塩山九条の会(2006年9月9日、塩山)
八ヶ岳九条の会(2007年2月25日、長坂)
それぞれの会で、思い出深い出会いがありましたが、ここでは、八ヶ岳九条の会での出会いを紹介します。
講演が終了したあと、出口でご参加の皆さんを見送っていたところ、若い女性と彼女のお母さんが、『検証・憲法第九条の誕生』5冊を購入して下さいました。
その後、お礼の手紙や電話での会話から、彼女のお父さんが北杜市白州町に大きな道場を持つ有名な剣術家であることが判りました。
お父さんは、自分の娘を「さくら」と名付けるほど、山田洋次監督の大ファン。
実は、山田洋次監督の時代劇、主人公の剣術指南をしたのは、さくらさんのお父さんとのことです。
殺陣の指南役ではなく、あくまでも主人公の本物の「剣術」の型の指導です。
ですから、指導を受けた「キムタク」の演技は、かなり高い評価を受けました。
こうした出会いがあると、人生が何倍も楽しく感じられます。」
以上は、再録部分です。***********************************
※平和憲法を守る闘いに寄与するため、2014年5月に下記の新著を緊急出版しました。
『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』
―押し付け憲法論への、戦後の61紙等に基づく実証的反論―(これは『心踊る平和憲法誕生の時代』の改題・補訂第二版です)
闘いは、まだこれからも続きます。「押し付け憲法」論、自主憲法制定論に対する闘いに、是非とも本書を活用していただきたい。
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