2015年5月1日(金)(憲法千話)
憲法便り#919:『日本国憲法公布、その日、あなたの故郷ではNo.19:富山編』(第二回)』
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2013年5月3日にブログを開設した直後に、富山県に関して、下記の3件の記事を掲載しています。
内容的に重複している部分もありますが、違ったニュースもありますので、今回のシリーズの企画に収録します。
それぞれに、『憲法便り』の新たな番号を与え、三回にわたって掲載します。
憲法便り#17 憲法公布記念シリーズ(第8回)「当時の富山県では」『北日本新聞』編 その1
[ 2013-05-22 07:00 ]
憲法便り#18 憲法公布記念シリーズ(第9回)「当時の富山県では」『北日本新聞』編 その2
[ 2013-05-23 07:00 ]
憲法便り#19 憲法公布記念シリーズ(第10回)「当時の富山県では」 『北日本新聞』編 その3
[ 2013-05-24 07:00 ]
【 再録 】
憲法便り#17 憲法公布記念シリーズ(第8回)「当時の富山県では」『北日本新聞』編 その1
[ 2013-05-22 07:00 ]
「お祝の人文字も」
富山県では『北日本新聞』と『富山新聞』(昭和21年3月11日創刊)の二紙がありますが、『北日本新聞』の紙面は、『富山新聞』との比較のみならず、全国各紙の報道と比較しても、当時の世相を最もよく、広範に伝えています。
したがいまして、『北日本新聞』に基き、今日から3回にわたって富山県を特集します。
今日は、昭和21年11月3日付一面を、上下ふたつに分けて紹介します。
はじめは、昭和21年11月3日付一面の上半分です。
最上段の右から左に『祝 シンケンポウ』とありますが、これは次のように紹介されています。「よき日を祝う人文字」「新憲法公布―富山市安野屋校ではこの佳き日を祝い、全校のヨイ子たちの感激を人文字でと、先生もヨイ子も共々に『祝、シンケンポウ』の文字を鮮やかにえがきだした。」
一面トップの記事は「新憲法けふ公布 国家再建へ世紀の祝典」、左側の論説は「新憲法公布を祝ふ」です。
ふたつ目は、11月3日付一面の下半分です。
下段に「築□□ 民主国日本 新憲法公布」の祝賀広告があり、そこには、次の言葉が書かれています。
戦争の放棄を宣言して世界平和と民主化への大道を定めた新日本憲法は今日公布された。
然して、今回の新憲法は、悲惨なる敗戦に伴う祖国再建の基本構想をあますところなく定め、国家と国民の向かうべき大道を明かにした、正に画期的な法典である。
今や我れら国民のすべては、諸国民との協和と自由の恵澤とを確保し、再び戦争の惨禍を繰返さないと固く決意し、此の憲法を自らのものとし、廃墟と窮乏の中から起ち上がって、新しい民主主義国家を建設すべき責務を銘感せねばならない。
この格調高い文章に続いて、次の人々の名前が掲載されています。
富山県知事、
富山市役所 市長、
高岡市長、
富山県会議員(議長、副議長、議員25名)。
その左上に、北陸配電株式会社の「祝新憲法公布」と書いた祝賀広告には、次の言葉があります。
「パッと明るく楽しく 平和日本の大道へ‼」
『北日本新聞』と『富山新聞』も、3.11大震災直後の時点では国立国会図書館が所蔵していなかったため、富山県立図書館で調査した資料です。
開館と同時に入館し、マイクロリーダーの席を確保するために、自宅を六時前に出発して富山駅着。そして、富山駅からはタクシーで千数百円の距離にある、小高い山の中にある富山県立図書館へ。
この図書館で一番困ったことは、マイクロフィルムがネガフィルムのため、黒い画面にある白い文字を読まなければならなかったことです。かなり苦労した上に、コピー代は、公立図書館としては最も高い一枚50円でした。でも、コピー代を支払った時には、一万円でお釣りが少しあった程度でしたが、苦労が実ったという充実感がありました。
この富山訪問は、私にとっては2回目のことでした。
初めての訪問は、2006年9月2日(私の64歳の誕生日)に開催された「富山医療生協 2006年度通信教育会開講式記念講演」に招かれた時。この日程は、9月1日から3日まで開催される「風の盆」と重なっているため、富山市内のホテルは満杯で、高岡市内のビジネスホテルをとっていただきました。その結果、思いがけない勉強をすることになりました。
富山市は、戦争中に米軍機の激しい爆撃により壊滅的な打撃を受けましたが、高岡市は爆撃を受けなかったため、古い街並みと、昔からのたたずまいが残っていたのです。
私が講演に招かれたところでは、「非戦災地」というのは少ないので、高岡の町並みは印象的でした。
講演会は勿論成功しましたが、この講演のきっかけを作って下さったのは、映画監督本木克英さんのお母さんでした。彼女は、富山県母親大会や、富山医療生協で活発な活動をなさっており、拙著『検証・憲法第九条の誕生』を注文して下さったことがきっかけで知り合いました。
本木克英監督のことは、丹波哲郎が天狗堂という富山の製薬会社の会長を演じた『釣りバカ日誌』で知りましたが、彼は、山田洋次監督流の浜ちゃんの「裸踊り」を拒否して、自分なりの作品を作り上げた、信念の方です。
映画『おかえり、はやぶさ』で、日本中の感動を呼んだことは、納得がいく結果です。」