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岩田行雄の憲法便り・日刊憲法新聞

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2015年 05月 06日

憲法便り#940:『日本国憲法公布、その日、あなたの故郷ではNo.40: 徳島篇』

2015年5月6日(水)(憲法千話)

岩田行雄編著『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』第四部より

憲法便り#940:『日本国憲法公布、その日、あなたの故郷ではNo.40: 徳島篇』

【徳島県】
徳島県内の祝賀行事に関しては、当時は『徳島新聞』と『徳島民報』の二紙が伝えているが、伝え方の違いが興味深いので、両紙の記事を紹介する。

【徳島新聞】(十一月三日付二面より)
「少国民に二ツづつ 待機する特配のお祝いパン」きょう三日は再建日本の新憲法が公布される画期的な国のお祝いの日である。県では小国民にこの祝日を意義あらしめるため三日、県下国民学校児童六万人に甘いパンを特配する。(以下、各地製パン所での慌ただしいパン作りの様子、学校への配布準備については、活字不鮮明の箇所が多いため省略)

(四日付三面より)
「湧き立つ明るい希望 獅子舞や勇屋台も繰出す」新憲法公布の三日、全県下は祝賀一色に彩られ、八十余万県民は折から立ち込める層積雲を突き破らんばかりに熱狂、平和日本の巨歩を心から喜んだ!

[徳島市]
この日県庁をはじめ各官公署、会社、銀行、学校では一斉に祝賀式を挙行。引続き各所に運動会を催した。
市役所では九時からの式典についで十時から市民運動場で二人三脚、障碍縄跳びなど三十三種目にわたる競技を展開、さらにバックネット裏では人形、鶏、曲芸師等の紙細工を仕込んだ打上げ花火で景気をつける。
徳島刑務所でも午前中に受刑者の運動会、午後は職員のピンポン大会を開き、
徳島綿業、徳島酒(?)造、長尾産業共同主催の運動大会は九時から佐古校で挙行、
また徳島郵便局では県下の通信従業員を佐古校へ集めて午前十時から芸能大会を催し、
国立徳島病院も式典についで徳中OBと排球練習試合を行った。
また学校では、徳島校と沖の洲が運動会を開催した。
【阿波踊り】
一方、市の中心市役所をめぐる阿波踊り、獅子舞、勇屋台などは十一時ごろから徳島駅前広場へぞくぞくとつめかけ、三味線、太鼓、鼓の囃子に群がる人々の心をいやが上にもわき上がらせた。
やがて、お祝いの酒肴に握り飯の昼飯もすんだころ、まづ板野郡藍園村矢野大字原の獅子舞がトップを切って市役所前で、ついで名東郡新居村の勇屋台、國の舞、君が代、鶴亀の三台がそれぞれ可愛い乗子を乗せ、担ぎ手三百余名が太鼓と歌の拍子にあわせて元町を練ったうえ市役所へ向かい、つづいて市北島田町三丁目の青年有志約百名が同じく勇屋台御國を担いで行く。
このうち新居村の勇屋台國の華は明治三年の御大典記念に造ったもので最も古く、市内への進出は大正三年の御大典に一度あったのみで、三十二年ぶりの再進出である。
これらの獅子舞、勇屋台は市役所前で舞い踊った帰路、本社へたちより、獅子舞は社内へ、勇屋台は社前道路で大いに気勢を上げた。
つづいて鷹匠町三丁目の料理屋松□も鼓、太鼓、三味線に派手な姿を現した。

午後から夕刻にかけては元町マーケット、放送局喫茶平クラブ、内町竹の家、今年竹などの華やかな阿波踊りが続々とみられ、『二合五勺なんのその、お米がなければむし薯(?)で』とばかり踊りぬく。
市内へ出かけた地方人も十時ごろからは、どの列車も鈴なりの満員。
この日は定期客は少なく、切符客は平日の二倍以上にのぼっている。
そのため駅前は大混雑で、交通取り締まりの巡査も『今日は取締りも出来ず目茶苦茶です』と青息吐息のありさま。
どうと流れ出た人の波は、ほとんどが元町から新町へ向かい、おかげで各映画館は立錐の余地もない満員の盛況。
繁華街の各店も夜間営業、丸新は休んだが、隣の潮(?)見商会では盛典に呼応して、五時閉店を九時に延長。
喫茶店、飲食店では電蓄にショパンの夜想曲、流行歌等をかけて、祝賀気分を盛り上げた。県下に魁けて出来た蔵本翆園社交倶楽部ダンス教習所では、祝賀ダンスパーティを催し、会員五十名が出席、天井にはりめぐらした万国旗、交叉する紅燈靑燈の光りに映えて踊る淑女、紳士の映像は、シュトラウスのワルツの流れに乗って終日賑わった。

[池田町]
町主催の町民運動会は池田国民学校校庭で催され、四十五町内会は会旗、むしろ旗などで出場選手を応援、リレー、玉送り、対抗リレー等を展開、町内では久方振りに国旗が掲揚せられ、祝賀気分が溢れた。
[市場町]
各組は屋台に祝賀装飾をし町内を練り、□崎青年団は祝賀踊りで、大賑わいを呈した。
[小松島町]
各学校、官署、会社は午前九時から、役場は十二時から、国民学校は午後一時から祝賀式を挙行、同町婦人有志会は「新生日本の進むべき道」について座談会、東洋紡小松島工場では従業員の野球大会等の催しがあり、全町内は賑わった。
[富岡町]
地方事務所では祝賀式を挙行、町内商工会主催祝賀踊りは賞品多数あり、全町は踊り抜いた。また□□会主催で町内目抜きの場所に奉祝ポスターを貼付、人目を引いた。
[羽ノ浦町]
町内常会の運動会を岩脇校で開催、中島運送店主催の相撲大会も岩脇妙見山で開かれた。各製材工場は休業奉祝、農家は牛馬を総動員して、奉祝増産記念日として平日に増して仕事に励んだ。
[長生村]村体育会主催の軟式野球大会を開催。
[日和佐町]
町民は国民学校に集まりラジオ放送により天皇の憲法公布上諭を聴取後、竹谷町長代理助役、宮原校長の祝辞があった。
[三岐田町]
由岐校で町民記念体育大会を開催。
[撫養町]
三日は奉祝阿波踊りで全町大賑い、四日、五日は軟式野球、商品売出し、華道展、美術写真展等引きつづき記念催しで祝賀気分を繰り展げる。
[新野町]
体育協会主催町内軟式野球大会を国民校で挙行。
[板西町]
署管内の十四町村の警防団が記念大運動会を催し、また板西体育協会文化クラブ主催で郡内十二チームを招聘、野球大会を催した。

【施行記念】
新憲法は二十二年五月三日から施行されたが、徳島新聞ではそれを記念して憲法普及会県支部やNHK徳島放送局などとともに、新憲法に関する論文や「徳島県民の歌」を募集。施行日当日には西の丸球場で憲法まつりを開き、全徳島―駿台クラブの野球戦や阿波踊り大会などで祝った。また五日には南原繁東京大学総長による「新憲法と精神革命」と題した講演会を富田小学校で開催し、六、七日にわたってその要旨を載せた。
 募集論文のタイトルは「新憲法実施と徳島県民の行くべき道」で四百字詰め原稿用紙十五枚以内、一等賞金は二千円。三月二十二日の社告で募集を開始。四月二十日に締め切られた。加藤修一師範学校長らが審査の結果、徳島市南佐古町一丁目、徳島タイムス編集部員砂川健治、毎日新聞徳島支局員日野晃(のち西部本社編集局長兼論説委員)ら四人の論文はいずれも力作であるとして入選とし、紙面に掲載した。賞金は二等の分もあわせ三千円を四等分。若い応募が多く、入選四人のうち三人は二十歳代だった。ミニコミ紙やライバル紙の記者も応募、またその論文が入選するなど今では考えられないおおらかな時代だった。(『徳島新聞社史』より)

【徳島民報】公布記念(十一月四日付二面より)
「新憲法公布 県下に沸く祝賀気分」「(写真説明)衣裳とりどりに乱舞する徳島市民」
(マイクロフィルムの最初の部分が欠落)……で県下津々浦々に至るまで祝賀気分が横溢した。
[徳島市]
徳島市では午前九時を合図に、本社の打上げ煙火が続けざまに数発中空に炸裂すると、市民は胸のすく思いでお祝いに取りかかり、気早の踊子連中は道化た見拵えに夢中になり、三味や太鼓の音が花街を中心に、どこからともなしに響きわたり、本社と商工会議所共催の祝賀踊りが次第に街々から繰り出し始める。この間、煙火は時をおいて景気よく打ち上げられ、民報の社章をあらわした風船や旗が空高く飛んでゆく。九時から徳島新聞社主催の中等学校争覇野球が西の丸球場で行われ、十一時になると県庁のバルコニーでは岡田知事以下全職員が祝賀式典を挙行し、市庁においても吉積市長司宰の下に祝賀式が執り行われ、各学校その他官公署、団体でもそれぞれ式典が挙げられ、撫養富岡をはじめ池田、鴨島の地方郡邑では多彩な行事が繰展げられていた。
[名東郡新居村]
祝賀日の朝から新居村では舁ぎ屋台(よいやしょ)三台は水色鉢巻、揃いの衣裳のいなせな若者に舁がれ、お祭り衣装の撫養娘など行列をつくって繰出し、午前十時から市古通から市の中心へ向かった。また市□本からも舁ぎ屋台を出すなど、秋祭をぶり返したような新憲法風景を見せた。
[美馬郡脇町]
脇町では同町小川春義氏の主催で、新憲法公布を寿ぐため全町四七班各常会から「阿波踊り組」を送り出し、朝八時から夜十時まで華やかに踊りの会を催す。

[撫養の祝賀書道展]
撫養町の新憲法祝賀行事の最後を飾る書道展は、来る十一月二十三日、二十四の両日、撫養商工会議所で開催されることとなり、これが実際活動には同町の瑞穂書道会が携っているが、このほど募集要項を発表、その概要は次のようである。揮毫内容は憲法公布に因んだもの及び憲法精神普及に役立つもので、町内国民学校児童並びに官立学校男女学生、私立学校生徒の出品を希望し、撫養町一般人よりの出品をも歓迎している。
[撫養美術展覧会]
撫養撫養美術協会主催・本社後援の撫養美術展覧会は、十一月二十三、二十四の両日、撫養町本通り撫養郵便局階上で華々しく開かれることになった。会員は目下力作の為に不眠不休の努力を行い、晩秋の撫養美術界を飾るにふさわしい大作の出品が要望され、前人気も沸立っている。」

*次回は、香川篇。

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以下は、【再録】部分です。

2013年5月13日付
憲法便り#8 憲法公布記念シリーズ(第2回)「当時の徳島県では」
[ 2013-05-13 07:00 ]
《新憲法祝賀おどり》そして三木武夫さんの祝賀広告

 『心踊る平和憲法誕生の時代』の書名は、昭和21年11月1日付『徳島民報』一面に掲載された《新憲法祝賀おどり》の広告の、次の喜び溢れる言葉に因んでいます。
「11月3日は新憲法公布の日だ、新日本の黎明だ、平和だ、友好だ、豊年じゃ、満作じゃ、みんなで祝う、阿波踊りが許された、踊りおどるなら華やかに踊ろう」(〔日時〕11月3日朝9時から夜11時まで〔会場〕市役所前〔主催者〕徳島商工会議所と徳島民報)。
 11月4日付『徳島民報』の第二面には、「新憲法公布 県下に沸く祝賀気分」と題する記事と並んで、「衣裳とりどり乱舞する徳島市民」と説明文がついた写真が掲載されています。これが当時の国民の姿です。

 実は、私が3.11の大震災直後に調査した時点では、国立国会図書館が『徳島新聞』と『徳島民報』を所蔵していなかったため、徳島県立図書館を訪問してマイクロフィルムからコピーをしてきたものです。
 徳島県は、生れて初めての訪問です。同図書館は徳島駅前からバスを乗り継いで約一時間のところにありますので、予め電話で連絡を取り、イタリア料理店が同じ敷地内にあるとのことで安心して行きましたが、当日は運悪く厨房改装のため休業日。それでも、マイクロリーダーの台数が少ないため、一番乗りをしようと開館1時間前に到着していたことが幸いでした。図書館がある小高い山の上からおりて川を越え、スーパーに辿りついて昼食を買い入れました。この日は他にマイクロリーダーの利用希望者がいなかったので、図書館前からの最終バスが出る時間ギリギリまでマイクロフィルムを読み続け、コピーして来たうちの一枚が、今回紹介した紙面です。この数日後、徳島で震度5の地震がありました。埼玉県立浦和図書館で調査したいた時は震度4の地震がありましたから、研究も「命懸け」という感じです。

 なお、国立国会図書館新聞資料室には、『徳島新聞』が補充されています。

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(画像の典拠は、徳島県立図書館所蔵マイクロ資料より)

 次の紙面は、昭和21年11月3日付『徳島民報』二面に掲載された、新憲法公布記念祝賀広告。三木武夫衆議院議員、日本民主党準備会の委員として憲法改正案委員会(72名で構成)に参加していた秋田大助衆議院議員の名前もあります。紙面の下が切れているのは、マイクロフィルムを作成した時に切れているためです。なお、『徳島民報』は現在は発行されていません。
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(画像の典拠は、徳島県立図書館所蔵マイクロ資料より)

 ところで、私の憲法書は今回で5冊目になりますが、鳥取県、佐賀県、と並んで徳島県内の方からは残念ながら一度も注文を受けたことがありません。5月10日の『しんぶん赤旗』一面に「九条の会徳島」の活動が写真入りで紹介されていましたが、連絡先が判りませんので、このブログをご覧になった方からの御注文を期待しています。
全国の祝賀行事と祝賀広告については、『心踊る平和憲法誕生の時代』の第四部、第五部をご覧ください。

以上は、【再録】部分です。
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※平和憲法を守る闘いに寄与するため、昨年5月に下記の新著を緊急出版しました。
『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』
―押し付け憲法論への、戦後の61紙等に基づく実証的反論―

(これは『心踊る平和憲法誕生の時代』の改題・補訂第二版です)
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闘いは、まだこれからも続きます。「押し付け憲法」論、自主憲法制定論に対する闘いに、是非とも本書を活用していただきたい。
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by kenpou-dayori | 2015-05-06 15:38 | 続3・憲法千話・公布記念行事


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