2015年5月20日(水)(憲法千話)
憲法便り#1011 第九条:加藤一雄委員(日本自由党)の質問:『検証・・・』(第六版)第六章(4)第六章の前回まで、
憲法便り#1010 第九条:山田悟六委員(日本進歩党)の質問:『検証・・・』(第六版)第六章(3)
憲法便り#1009 第九条:鈴木義男委員(日本社会党)の質問:『検証・・・』(第六版)第六章(2)
憲法便り#1008 第九条:野坂参三委員(日本共産党)の質問:『検証・・・』(第六版)第六章(1)
『検証・憲法第九条の誕生』(増補・改訂 第六版)(p.72-76)より
第六章 第九十回帝国議会 衆議院憲法改正案委員会での逐条審議(4) 改正案委員会の審議は、第九回(七月九日)で一般質疑を終了し、第十回(七月十一日)から逐条審議を開始した。第九条に関する審議は、第十二回(七月十三日)の後半と第十三回(七月十五日)の前半において、集中的に行われた。
【第十三回委員会】七月十五日(月曜日)
午前十時二十四分開議、午後四時十五分散会
参加委員五十六・国務大臣六・政府委員四名加藤一雄委員(第五回委選定・日本自由党)の質問
「教育の基本法と、労働法案と、官吏法案と、最高裁判所の構成法案の提出を!」芦田委員長 会議を開きます。第二章第九条を議題に供します―加藤一雄君
加藤委員 私は、政府の第九条に関しまして質問するに当りまして、一応私が質問する前提、心構えをお話しさせて戴きます。私は戦争放棄の規定に付きまして文理解釈はさて措きまして、その精神解釈に重点をおきまして、お伺いしたいと思います。さよう申し上げますことは、この規定が特に重要でありますから、この規定の背後にございまする各般の事象を究明致すことが必要と考えて居ります。
日本は今次世界戦争に参加、または自分の方から始めまして、歴史を破壊致しますと同時に、世界の物笑いに相成って居ります。
戦争放棄と一概に申しまするが、これは大事業でありまして、我々国民と致しましては、戦争を放棄するに当りましては、またこれを世界に宣明した以上は、是が非でもこれをやり遂げまして、二度と再び世界の前に笑いものにならぬという覚悟を、今日私は新たにしたいと存じて居ります。
それで私がお伺い致しますることは、かような意味合いでありますから、政府の端的なるご決意を伺って見たいのであります。いままで政府のご答弁が口先だけのご答弁とは考えて居りませぬが、特に私がお伺い致したいことは、心の底からほとばしり出る所の政府のご決意を開陳願いたいと存じます。これと同時に、国民も政府の意のある所を十分に諒解致しまして、新たなる覚醒を呼び起こすと同時に、絶大なる決意を強固に致しまして、茨の道を真一文字に突貫致しまして、先に申し上げました通りの新日本建設を致すことを確信致します。
思うに、戦争と申しますのは、「バートランド・ラッセル」が申しました通り、罪悪の樹に咲く最後の華であることは、申すまでもございませぬ。現在地球上に存在致して居りまする、また世界を料理致して居りまする大部分の人達は、一度ならず二度までも、有史以来の甚大なる惨禍をしました戦争を経験致して居ります。三度この地球上に戦争を勃発せしめないようにする努力を傾倒しなければならぬということであります。
ここに天皇陛下は、突如として政府をして世界各国に率先致しまして、この悲しむべき戦争を放棄するということを、国の基本法でありまする憲法にご明定になりまして、我々国会にこれを提示遊ばされまして、審議をご命令に相成って居ります。また同時に世界人類の前にこれをご明示に相成った訳であります。
この戦争放棄の条文は、綴れば一条文のことでありまするが、この重大性は実に甚だしいものでありまして、私がただいま申し上げるまでもございませぬ。私はこの新日本再建というものは、懸って(かかって)この戦争放棄の規定を円満かつ迅速に、完全に遂行するということにあると申し上げたいのであります。
即ち、戦争放棄を完全に遂行するに当りましては、一国の政治外交、経済、産業、文化、社会、各般に亘りまして、その裏付けになって居ります事象を正確に把握致しまして、これらに対しまして絶えず誤らざる研究と、政策とを実施致しまして、しかもこれら研究と実施とはすべて戦争放棄の一点に集結するの政策でなければならぬと確信を致します。
この研究と政策の実施があって、初めて世界の諸民族は、公正と信義の命ずるままに、我が民族に対しまして喜んで協力をやってくれると、これまた確信を致します。
日本は今次戦争におきまして、完全に敗北致しました。而して、世界人類の前に服罪を致して居ります。
これに対しては、如何なる高価な犠牲をも辞するものではないという謙虚な気持を以って、私はここに立ち上がりまして、政府に一問一答を試みることに致します。
私の言葉を通じまして、日本民族の現在の心境を、必ずや連合軍は、平和を愛好する世界の諸国民に代わりまして十分に諒解してくれると、これまた確信を致します。重ねて申し上げます。政府は勿論のこと、日本国民は全部自分の手で日本再建の大努力を致しますことが、第一に肝要であります。先ずこれをやりまして、然る後、連合軍に諸種の救援を求めることが必要と考えて居ります。
先ず一問一答に入りますに当りまして、先般本委員長から政府に対しまして、本憲法草案を審議するに当りましては、皇室典範と参議院の制度のご提出が願いたいと申されて居りますが、私はそれに重ねまして、教育の基本法と、労働法案と、官吏法案と、最高裁判所の構成法案をご提出戴きたいと存じます。
もしこの法案の全部が出来ていないということでありますれば、要綱のみにとどめても宜しうございます。これを憲法委員会の方にご提出を希望して置きます。先ずこれを前提に致しまして、以下一問一答致します。
過去におきまする戦争は、概ねその原因が、人口問題を中心に致します経済問題にあったように自分は考えて居りますが、政府のご所見は如何でございますか。
金森国務大臣 全部がそうということは、もとより申されませぬが、大いなる要素として、それがあることはご説の通りと考えて居ります。
加藤委員 そこで完全に戦争を放棄しまして、しかも我らの安全と生存を確保する上におきましては、経済の安固というものが第一条件となります。これに配するに思想教育の確立ということが必要と考えまするが、この考えは如何でございますか。金森国務相と文相のご答弁を戴きたいと思います。
金森国務大臣 それらのお示しになりました要素を堅実に発展せしむるということが、この平和的文化的なる国家の建設の上に最も重点を置かなければならぬことは申すまでもないことと存じます。
田中文部大臣 お答え申し上げます。戦争放棄の問題に付きまして、ただいま教育との関係に付いても十分に考慮しなければならない、これは全くご説の通りでありまして、これはつまり民主主義的、平和主義的教育を今後遂行致して参りますのに付きまして、非常に意味があることであります。
日本がつまり今後の国際政治におきまして「パワー・ポリティックス」、つまり権力政治と申しまするか、その「パワー・ポリティックス」の「クライマックス」は、要するに武力に依る世界制覇ということになるのでありまして、戦争を放棄して本当の平和主義的な活動を国際政治において演ずるということは、これは国内の教育に付いても非常に大きな意味を持つのであります。つまり戦争放棄をなぜ致しましたかと申しますると、西洋の聖典にもございますように、剣を以って立つ者は剣にて滅ぶという原則を根本的に認めるということであると思うのであります。
しかしながら、そういう風に考えますと、或いは不正義の戦争を仕掛けてきた場合において、これに対して抵抗しないで不正義を許すのではないかというような疑問を抱く者があるかも知れない。つまり正しい戦争と正しからざる戦争の区別も全然無視して、単に不正なる力に負けてしまうというようなことになりはしないか。そうすると、つまり国際政治におきまして、不正義をこのまま認容するという風な、道義的の感覚を日本人が失うということになっても困るのではないかというようなことも考えられます。しかしながら、決してそれはそうではない。不正義は世の中に永く続くものではない。
剣を以って立つ者は剣にて滅ぶという千古の真理に付いて、我々は確信を抱くものであります。そういう場合においては、世論の力が今後は国際政治におきまして益々盛んになることでありますし、また或いは仮に日本が不正義の力に依って侵略されるような場合があっても、しかしそれに対して抵抗することに依って、我々が被るところの莫大なる損失を考えて見ますると、まだまだ日本の将来のためにこの方を選ぶべきではないか。しかし、世界歴史的の大きな目を以って考えて見ますと、戦争放棄ということも決して不正義にたいして負ける、不正義を認容するという意味を持っていないと思うでのあります。
この点に付きまして教育の面においても非常に被教育者を精神的に指導致すのに付いて大いに考慮を要することと思います。ただいまご質問のこの戦争放棄と教育の関係ということに付きましてお触れになった点に付いて、お答え申し上げました訳であります。
なお教育法の根本的の構想をこの際立つべきではないかというようなご説でございますが、この教育法の根本的の構想は、いま我々が練って居る最中でございまして、その範囲、内容等は、はなはだ実は漠然と致して居るような訳でございますが、しかし民主主義的平和主義的教育の根本原理、つまり憲法の前文にも現われて居りますような根本原理を先ず掲げまして、今日までの学校法令に現われて居りますところの皇国の道に則り、そういう思想を払拭致すということが第一であります。
第二に、教権の独立、この頃これは世論になって参ったと申しても宜しいのでございますが、その教権の独立、つまり或いは文部省行政なり、或いは地方教育行政がどういう風に今後進んで行かなければならないものなのかというような問題に付きましても、十分研究の上、或いは適当な形を以って規定に表わさなければならないのじゃないかと思います。更にまた学校教育の根本に付きましては、義務教育の範囲の問題になりますでしょうし、また或いは男女の性別に依って教育の区別を設くべきではないというような問題に付きまして、女子教育の根本理念を掲げる必要もございますし、また教育養成機関の問題に付いても必要でございますし、その他私学の問題に付いても必要でありますし、大体そういうような根本的な問題に付いて、法律の規定にどれだけ取り入れられるべきものであるかというようなことも考えまして、構想を練って居る次第であります。