2015年6月20日(土)(憲法千話)
憲法便り#875 今日、「女の平和」国会ヒューマンチェーン! 参加出来ない方も赤い物で連帯の意思を!
今日、午後1時から3時まで、6・20国会ヒューマンチェーン「女の平和」が行われます。
「天が我らに味方した」と思うほど、
今朝の東京は、晴天です。
国会前までは、
遠くて行けない、
他に予定があって行けない、
体調が悪くて行けない、
そういう方々も、
なにか赤いものを身につけて
連帯の意思を示しませんか。
戦争法案を廃案に追い込みましょう!
一人でも多くの方の、
国会包囲行動へのご参加、
連帯意思表示行動へのご参加を呼びかけます。
【重要なお知らせ】・・・トイレのこと
地下鉄有楽町線 永田町駅国会図書館・議員会館方面出口のトイレの改修工事が終っています。
前回、1月17日、底冷えする寒い日に、あてにしていたトイレが改修工事中で、お困りになった方がいました。
今回は、安心してお出かけ下さい。
私の妻・登美子も賛同者の一人です。
東京総合教育センターの教育相談で、妻の同僚である小林久枝さんから、チラシと共にお手紙が同封されていましたので、ご本人の了解を得て、彼女の文章を掲載します。
『日本民主主義文学会 杉並支部 20号記念特集「いま、憲法を考える」』(p.76-77)
小林久枝著「日本国憲法と私」
「これから日本は法律で戦争をしないことに決めました。五月には花電車が走ります。」
一九四六年十一月、一年生の私は朝礼で校長の話を聞いた。
田舎の町で、戦争中は空襲もなかったが、友だちは兄や父を戦争で失っていた。
私をかわいがってくれた叔父は、除隊後すぐに結婚したが、無理がたたって若妻を残し一年もたたずに死んでいた。
学校では、弁当も持てずに、昼休みに校庭の隅でブランコに乗っている子、しゃがみこんでいる子、そして弁当箱に入らない『おじや』を食べに家に帰る子がいた。くじ引きに当たった運動靴の切符を川に落とし、飛び込んで大けがをした友人もいた。
校長の話を聞きながら、十一月半ばで素足(すあし)に下駄・モンペの足は寒かったが、心には温かいものを感じた。
その日の帰り道で疎開っ子の久美ちゃんが、
「あのね、戦争でね、空襲から逃げるときにね、川にたくさんの死んだ人が浮かんでいたんだよ」
小さな声で初めて教えてくれた。
「戦争がなくなってよかったね。花電車って何だろうね」
「きっときれいな電車だね!」
二人は顔を見合わせて頷(うなづ)きあった。
やがて久美ちゃんは『小公女』の本を私にくれて東京に帰っていった。
私が生まれて初めて手に入れた『自分の本』だった。
三年生になった音楽の時間に、
「日本の国歌は、これからこんな歌になるかもしれません」
と音楽の教師が私たっちに教えたのは『緑の山河』だった。
「たたかい越えて立ち上がる 緑の山河・・・・・・」
みんなで大きな声で歌った。
『緑の山河』は、教師になってから組合の大会で歌っていたので、びっくりした。
自民層の憲法改正案が出されて以来、憲法制定の頃の、子どもながらに何ともいえず高揚した空気が思い出されてならない。