2015年6月29日(月)(憲法千話)
2015年8月3日(月)加筆:赤い文字の部分。
憲法便り#1034朝日新聞編集委員上丸氏への協力中止の真相(13)上から目線と開き直り
上丸氏は、冷たく言い放った。
「在野の憲法研究者」と書いてあるんだから、それで十分じゃないですか。」
私は、応えた。
「そんなことは、どうでもいいことです。」
無名のお前を、天下の朝日新聞が名前を入れて紹介してやるのだから、何の文句があるんだ、という態度である。
8月6日に、戸塚区民センターで、コピーを「おねだり」した時とは、まったく別人であった。
当日、私は、地方各紙の社説のコピーファイル、および『主要地方紙の憲法に関する紙面チェックリスト』を示しながら、次のように言っている。
「このような研究は、誰にも真似出来るものではありません。特に、チェックリストの方は、絶対に真似出来ません。」
「研究の質は、肩書きで決まるものではなく、自分の頭と足を使い、どれだけ多くの資料に当たって調べ、従来にはなかった問題提起が出来るのかどうかにかかっています。」
「ただし、大量な資料の中に埋没してしまって、抜け出せなくなることは、避けなければなりません。」
「何を読み取り、何を抽出するか、いつ、どこで切り上げるか、そこが腕の見せどころなんです。」
彼は、その時、次のように言っている。
「まったく、その通りですね。」
そんなことも、忘れてしまったのか、忘れたふりをしているのか、まったく、おくびにも出さない。
上丸氏が送ってきた4月7日付夕刊に掲載予定の原稿は、すでに示したが、そこには、次のように書かれている。
「在野の憲法研究者、岩田行雄(72)によると、これが「平和」を主題にした戦後初の新聞社説だという。
岩田は、東京の国立国会図書館や各地の県立図書館などが所蔵する当時の一般紙六十数紙にあたって、この事実を突き止めた(岩田『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』)。
この部分について、私は言った。
「私は、そんな部分的なことを言っているのではない。そんなことを証明するために、全国各地の図書館を廻って調査をした訳ではない。」
「私が明らかにしたのは、昭和20年の敗戦後の9月から12月末までの間に、日本国民が主体的に行った、平和国家論を前段とし、さらに、憲法民主化と憲法改正手続きの民主化へと発展した世論形成の大きな流れだ。」
「これは、「押し付け憲法論」を論破するために、最も重要なことだ。」
「あなたは、一体、私の話の何を聞いていたのか。」
「歴史研究において、他人の研究を引用する場合の基本をまったく知らないではないか。このような引用の仕方はない。」
「他人の研究を引用する場合には、その研究を正確に紹介し、その上で自分の見解を述べるというのが、当たり前のやり方です。」
「あなたがとっている方法では、研究者に対しても失礼であるし、読者にも誤った情報を与えることになります。」
「それにあなたは、私の著作をきちんと読んでいない。」
「『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』の第一部は、従来の憲法研究になかった重要な問題提起で、この問題提起が執筆中の博士論文の重要な柱になることは、あなたに話してあります。」
「それは、59ページを開けばわかることです。」
「59ページの〔表1〕『平和と憲法の民主化を求める世論(1945年9月~12月の全国各紙より)』は、第一部のまとめとして掲載したものです。」
そして、私が最も肝心なことを伝え始めた時、上丸氏は私の話を遮って、
「とにかく、私の書くものを読んで下さい。」と言った。
私は言った。
「このままでは、私の研究の最も重要な部分が、まったく伝わらない。」
「東久邇宮内閣の時代に、「平和国家論」が、そして、幣原内閣成立の直前から、憲法改正論、憲法民主化論が、全国各紙に掲載され始めたこと、この時代の全体の流れを明らかにすることが重要なんです。」
それでも、彼は食い下がった。
後半にあたる部分は、13日の分として書きますので、それを読んで下さい。
私は疲れていたので、これ以上の繰り返しを避け、電話を終えた。
それから2日後の3月25日の昼前に、上丸氏からFAX3枚が送られてきた。
上述の通り、論理的に、詳しく説明したにも拘わらず、4月7日付予定分は、何ら変わっていなかった。
私は、一通り目を通してから、電話をかけた。
電話に出た上丸氏は言った。
「4月13日付予定分は、いまさら、朝日が言うのも、おこがましいようですが、地方紙を励ますつもりで、紙名を具体的に上げました。」
私は、それには応えず、言った。
(本当におこがましいことだが、それに触れていると、本質的な論議からそれてしまうからだ)
「この前にも言いましたが、あなたの書き方は、間違っています。」
すると、彼は言った。
「じゃあ、掲載するのは、やめましょうか。」
私は応えて言った。
「掲載するかどうかは、そちらで決めることです。どうぞ。」
「私は、どうでも構いません。」
その後の会話は、次回に続く。
下は、3月23日に送られてきたFAX