2015年8月5日(水)(憲法千話)
憲法便り#1100 朝日新聞編集委員上丸氏への協力中止の真相(14)研究の盗用に到る経過①(画像付)
【3月25日の会話の続き】
「じゃあ、掲載するのは、やめましょうか。」
と上丸氏が高圧的な態度で臨んできたので、
私が、
「掲載するかどうかは、そちらで決めることです。どうぞ。」
「私は、どうでも構いません。」
と応えると、意外だったのか、彼は押し黙ったままだった。
ちょっとの間をおいて、私は言った。
「私は、ゼロの証明をするために、この研究をしている訳ではありません。あなたは、4月7日予定の記事原稿では、「福島民報の社説が初めてである」とか、4月13日予定の記事原稿では、「社説などで論じた新聞2紙。記事で取り上げたのは6紙にとどまった」と書いている。だが、前回(3月23日のこと)も指摘したことだが、歴史研究というのは、ただ単に事実の羅列を目的とするものではなく、時代の状況を正確にとらえ、その時代の本質を把握することが最も重要なことなのです。あなたが書いていることは、私の歴史研究の立場とはまったく違います。」
「私は、全国各地を訪ね、日本全国で発行されていたすべての新聞を調査し、今まで他の研究者が手掛けたことのない、この研究の完成を目指して来たんです。他人の研究を利用するだけで、自分ではこのような研究を手掛けたことのないあなたには、そのことの重要性が分かっていない。」
私は、以前にも上丸氏に指摘したことだが、蜜蜂が花を飛び回るように、新聞記者として身についた、さも自分で発見したかのように「個々の事件に飛びつく」形で、私の研究のごく一部分を利用するのは、間違いなのだ。
私は続けて言った。
「第一、あなたが書いた二回分の記事の中でふれている各紙の社説や記事の内容を、あなた自身、読んでいないから中味のない文章になる。例えば、私のブログに掲載した一連の平和国家論の社説でいえば、『毎日新聞』の「武器なき大国の可能性」へのアクセスが最も多い。これは、見出しに惹かれてのことです。反応は、まず見出しによって決まる。この人たちが、あなたの4月7日の記事を読んだら、「上丸って男は、「武器なき大国の可能性」を知らない」とすぐに分かる。もっとも、内容的には『朝日新聞』の「平和国家」の方が、まだましなのだが、あなたはそれも読んでいない。」
この指摘に対して、彼は、何も反論出来なかった。図星だったからである。
「それから、私はいま、論文執筆のため、資料の再点検を始めていますが、その作業の中で、あなたが4月13日予定原稿に列挙した記事以外にもあることが判っています。だから、あの原稿であなたが断定していることは、正確ではありませんので、直す必要があります。私は調査・研究に於いて、つねに全力を尽していますが、見落としに気が付くこともあります。」
私がここまで話したところで、上丸氏は食い下がって言った。
「あの本(『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』)には、私が引用した通り書いてあるじゃないですか!」
私は、応えて言った。
「見落としがあったので、著者の責任として、いまそのことを伝えているのです。」
だが、上丸氏は食い下がって、ふたたび言った。
「でも、あの本には、私が引用した通り書いてあるじゃないですか!」
この反応は、「頑固」というよりは、俗に言う「石頭」と言った方が良いだろう。
私は、言った。
「ですから、私は、著者の責任として、いま販売している著書には、59頁の表1の改訂版を挟み込んでいます。」
上丸氏は偉そうに言った。
「それなら良いです。」
私は、次のように続けた。
「いま続けている再点検の作業を、4月7日分と、4月13日分に間に合うように速度を上げてやって見ましょう。それで、何か判ったことがあれば連絡します」。
上丸氏は言った。
「でも、目のことがあるんじゃないですか?」
私は、彼に目のことは何も話したことはない。
まして、この時点では、私が3月19日に左眼の手術をしたこと、3月31日に右眼の手術を予定していることは、ひとことも触れていない。
だが、ブログには目がつらいことを度々かいているから、ブログを見にきて知っていたのであろう。
私はきっぱりと言った。
「行くかどうかは、私が決めることです。今日の午後から、国会図書館で調査を行うことにします。」
それには応えず、上丸氏は言った。
「一本目については、少し考えて見ます。」
午前の会話が終ったのは、昼食時にかかっていた。
【3月25日の二回目のFAX】
昼食を終え、一息ついて、そろそろ国会図書館に出かけようとしていたところへ、上丸氏からのFAX(別紙)が届いた。
内容をチェックすると、13行目から15行目が次のように書き換えられている。
[3月23日13:24のFAX]と[3月25日11:44のFAX](同文)
「在野の憲法研究者、岩田行雄(72)によると、これが「平和」を主題にした戦後最初の新聞社説だという。」
[3月25日14:14のFAX]
「在野の憲法研究者、岩田行雄(72)によると、この福島民報を皮切りに「平和」社説が相次ぎ各紙に掲載される。」
多少の前進はあるが、福島民報の社説そのものの内容を知ったのも、私の研究と、私の研究ファイルをコピーしたことに依るものだということには全くふれず、自分自身が以前から知っていたように記述し、私の研究を補足情報として扱っている文章構造は、変わっていない。ずるいやり方である。
だが、内容についてのやり取りをしていると、国会図書館での調査時間が足りなくなるので、私は、FAXを受け取った確認の電話をかけ、
「いま、国会図書館に出掛けるところなので、このあとは、自宅にはおりません。」とだけ伝えた。
すると、上丸氏は言った。
「二本目(4月13日付予定)については、私は私なりに国会図書館で調査しますから。」
これを聞いて、私は思った。
「そう簡単に出来るものではない。それに、国立国会図書館の新聞資料室が、私の提言を受け入れて、昭和20年8月から昭和23年3月までの欠号が補充されているものもあるが、まだ不補充のまま残されているものもある。したがって、彼が本当に現物調査をするつもりならば、まず、不補充のタイトルでつまずくであろう。」
だが、私は「そうですか」と言っただけで、電話を終えた。お手並み拝見である。
再調査に行くのは、私の研究者としての責任感からだが、電話を聞いていた妻は、礼儀知らずの上丸氏のために、無理を重ねて、失明することを恐れて強く反対した。
私は、眼への負担を考えて、国会図書館での調査時間を3時間とした。これは、往復の時間を含めると5時間になるから、けっこうな肉体的負担である。
私はこの作業を3月28日(土)にやり終えたが、その間およびその後の、上丸氏との驚くべきやり取りは、次回に掲載する。